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昭和16年(1941)12月知覧町に福岡の大刀洗陸軍飛行学校の分教所となる陸軍飛行場が完成、昭和20年4月からは陸軍の沖縄戦特攻出撃基地となりました。この「知覧特攻平和記念館」の開館は1985年。館内には大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料が展示してあります。特攻作戦で死んでいった多くの若者達の遺影、遺書、絶筆の数々には胸をうつものもあります。時間をかけてみていくと、お涙ちょうだい的な資料映像や展示内容も多く不快感が湧き上がってきてしまいます。戦争マシンとして訓練され、人格を破壊された彼らが何を思って出撃して逝ったのか?後年、戦争の悲惨さを象徴する存在として来館者の涙を誘う事など望んだでしょうか?。現代の物差しや価値観で過去を判断するのはと良いことではありません。昭和20年の日本にそうやって死んでいった若者がいたこと覚えていてあげれば充分ではないでしょうか。『知覧特攻平和会館』の施設名にある”平和”の表現は何か変です(苦笑)。
館内の資料、展示物はすべて撮影禁止です。Pt↓)は昭和55年に鹿児島県甑島手打港から引き揚げた零戦です。・映画「俺は君のためにこそ死にに行く」の撮影用の「隼」三型の模型です。・撮影禁止の為流用しましたが、展示の目玉「四式戦疾風」の実機です。この機は里帰りした年に埼玉県の入間航空ショーで実際に飛行する姿を見ています。紆余曲折の末、知覧に落ち着きますが、飛行不可能な状態になってしまいました160908_02160908_03160908_04