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『小塚原刑場/こづかっぱらけいじょう』は、現荒川区南千住2丁目あたりに江戸時代から明治初期にかけて置かれた刑場です。江戸時代の刑場は東海道沿いの「鈴ヶ森刑場」、現八王子市の大和田刑場、そしてこの小塚原刑場が三大刑場と云われたようです。小塚原刑場は慶安5年(1651)に創設され万治年間(1660)年頃には千住宿の拡張により宿場町に取り込まれていますが、刑場の広さは幅108m、奥行54mで広大という感じではありません。刑場では磔刑・火炙り・梟首(獄門)・腑分け・刀の試し斬りが行われ、死体は犯罪者ゆえ丁寧には埋葬されず、野犬や烏等のお任せの地獄絵図そのものだったようです。明治初年には諸外国のてまえ小塚原刑場を廃止されていますが、刑場の創設から廃止までの間に合計で20万人以上の罪人の刑を執行されています。Pt↑)の「首切地蔵」は、寛保元年(1741)に刑死者の供養のために建立された石造りの地蔵菩薩像です。
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