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佐原の町が平成8年国より選定され「重要伝統的建物群保存地区/略して重伝建地区」とは、=城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村など伝統的建造物群およびこれと一体をなして歴史的風致を形成している環境を保存するために市町村が定める地区を指す=平成28年(2016)7月現在、日本全国で43道府県92市町村の112地区が選定されています。これを多いと取るか少ないと取るか微妙な問題です。
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掲載した佐原重伝建地区のPtは”なるほど”と思わせる景観ばかりです。仕事がら全国アチコチの街へ出かける事も多いのですが、特に山陰・山陽地方や九州地方ではこんな雰囲気の街は沢山あります。そしてどの街も過疎化や建物の老巧化、保存に対する住民の意識のズレなど同じような問題を抱えています。受け継いだ歴史・伝統を後世に繋いでいく・・。その努力には頭が下がります。
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Pt↑)は、本来は農業用水を流すために造られた「樋」だったようで、今でも定期的に樋の水を小野川に落とし込んでいます。橋向こう左の建物が「伊能忠敬旧宅」です。規模からして地元の有力者だったようです。失礼ながら「伊能忠敬記念館」は地方の博物館としては驚くほど内容が濃く楽しめます。
Pt↓)の橋が「忠敬橋」、道路奥に見える煉瓦建築が「三菱館」です。この街は城下町ではなく徳川幕府の天領でした。その割にはクネクネ曲がった道ばかりです。意外と見通しが悪く交通量も多いので、写真の撮影時にはかなり緊張が強いられます。
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Pt↓)は忠敬橋から下流(?)方向を見ています。この橋の河岸を山車が通っていきます。忠敬橋から利根川側寄りは水路が広くなっています。江戸時代の物流は、迅速かつ大量に運ぶのは川を利用したもで、佐原から利根川、隅田川を経由して江戸城下へ・・。江戸城下も堀が網に目状に巡らされ物資は現飯田橋付近まで舟で運ばれます。飯田橋に残る「軽子坂」の地名は”物資の陸揚げ地”によります。
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忠敬橋から下流↑)と下流↓方向を見ています。この橋の河岸を祭の山車が通っていきます。この日は冬の平日なので観光客の賑わいはありません。佐原も他の地方の町と同様に大型店量販店や食事処などは駅から少し離れた国道沿いに集中しています。旧の街中には高齢者が目立ち、駅の待合室は高校生・・。この傾向は全国どこの地方の街へいっても同じです。
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佐原までは東京駅(浜松町)から京成バスと関鉄バスの路線バスがあり、今回は京成バスで行きました。京成バスは佐原駅北口に到着します。「重伝建地区」散策は約3時間程度が必要です。東京行バスは本数が少なく、成田方面のJRも1本/毎時なので、到着時に確認しておいた方がよろしいでしょう。バス、JRとも1800円前後/片道です。