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東急東横線・洗足池駅下車、中原街道を渡ると洗足池。池の畔の一画に「勝海舟夫妻の墓」があります。勝海舟(海舟は号で諱は義那。麟太郎→安房→安芳と変遷)文政6年(1823)現在の両国・回向院近くで生まれ、幕臣として海軍奉行となり、西郷隆盛との江戸無血開城交渉は有名な話です。明治政府では海軍卿、枢密院顧問官を歴任し伯爵になっています。勝は洗足池周辺の景色を好み「洗足軒」という名称の別邸を有していました。明治32年(1899)没後、遺言によりこの地に葬られています。実に自由奔放なお方で「氷川清話」ではホラ話ばかりと云っても過言ではありません。赤坂の住まいでは正妻と妾(4人?)が同居していて、正妻の遺言が「旦那と一緒に葬ってくれるなっ」ですから(笑)。勝夫妻の墓所隣には勝が西郷隆盛の死を悼み現葛飾区四ツ木の浄光院に建て、大正2年にこの地に移してきた『西郷隆盛の留魂祠』があります。国家反逆者の死を弔うんですから政府側に人間としてはボロクソに非難されたことでしょうね。
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