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関東には「平将門」にまつわる伝承が数多くあり、ニュアンスこそ違え浅草・日輪寺も将門縁の寺とされています。天慶の乱で戦死した平将門の首は京都で晒され、3日目に故郷に向かって飛んで行きました。。首が落ちたとされる伝承は数か所あり、江戸時代初期に武蔵国豊島郡柴崎村といった現千代田区大手町の『将門塚』が最も有名です。首は柴崎村の村人により丁重に祀られたのですが、将門怨霊による天変地異頻発するようになっていたようです。1300年頃この地を訪れた「時宗二祖他阿真教上人」により将門を祭神とする神田明と日輪寺を時宗柴崎道場として開いています。徳川時代には江戸城の拡張で神田明神は外神田に移り、日輪寺はこの地に移っています。平将門を祭神としているのが「神田明神」で、菩提寺が「日輪寺」の解釈で良いと思いますが・・。Pt↑)の後方建物は浅草ビューホテルで旧浅草国際劇場です。日輪寺近くには、嘗てSKDスターに憩いの場であった「喫茶シルクロード」が今も営業しています。
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