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実は「乃木坂」という住居表示はないのだそうです。明治天皇に殉じた乃木希典将軍の自宅跡に将軍の殉死を悼んで「乃木神社」が創建され、その際に「幽霊坂」が「乃木坂」と変更され、1972年に「メトロ乃木坂駅」開業により乃木坂の名称は定着したのですが、住居表示は港区赤坂8丁目あたりです。Pt↑)は乃木将軍住まいとしてフランス陸軍の施設を参考に建てられたもので、大正元年(1912)の明治天皇大喪の日に乃木夫妻はここで殉死されています。当日の朝に撮られた写真も数点残っており、なまじの精神力の御人ではありません。
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建物外に回廊が付けられており、将軍自害の部屋も覗けます。退役したとはいえ世界的名声の将軍の住まいとはとても思えないほど質素です。某作家の「●の上の雲」では徹底して”無能な将軍”として描かれていますが、小説家が面白さを追求するのは良いとしても、旅順攻略戦の記述は史実と違う点が多く「悪意を持って書かれた」とすら思えます。乃木=無能説の元凶ろも言えます。ロシア軍が”3年は大丈夫”と豪語した旅順要塞を半年で攻略した乃木第3軍は奉天会戦参戦します。「あの旅順を攻略した乃木が来る」のですからロシア軍も恐れまくり、これが奉天会戦のかろうじての勝利に繋がるのですが・・。
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