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端的に言ってしまうと元禄5年(1692)に中山(堀部)安兵衛らの「高田馬場の決闘」があってのは、当時の江戸郊外の戸塚村・高田馬場で現 新宿区西早稲田の「穴八幡宮」の裏手辺りです。「高田馬場」は寛永年間位に造られて旗本の馬術の練習場でした。「高田馬場駅」は新宿区高田馬場1丁目で明治43年(1910)に山手線の駅として開業し、旧跡「高田馬場跡」とは徒歩約10分離れています。駅名の決定には=本来は”たかだ”ではなく”たかた”=「高田馬場の決闘」に由来するようです。この決闘で名を挙げ中山安兵衛は堀部家に婿入り、で忠臣蔵仇討に続くのですから奇なものです。Pt↑)は西早稲田の交差点「八幡寿司」にある高田馬場の案内板です。この交差点近くの水稲荷参道には「堀部安兵衛の碑」がありました。
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