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明治20年(1887)に明治政府は『屋営業取締規則』を施行、現新宿4丁目の護本山天龍寺(曹洞宗)付近が「木賃宿営業許可地域」に指定されます。木賃宿とは湯治場のように客は食材等を持込み燃料代金(木賃)を払って料理の提供を受けるシステムの旅館の事でしたが、明治以後は粗末な安宿を意味するようになりました。政府はこの法律により芝新網町、上野万年町、四谷鮫ヶ橋にあった最下層の貧民街を帝都中心部から郊外地へ追い立てる施策を行います。=帝都の中心に存在した貧民街は住民を立ち退かせる事で無かったものとしてしまいます=こうして天龍寺の門前のこの辺りに日雇い労働者、旅芸人、街娼や男娼、その家族達が集まり次第にスラム街が形成されていきます。Pt↑)のDocomoタワーに向かって右側が天龍寺の敷地で左側がうっすらと木賃宿街の感を残すビジネスホテル街です。再開発が進む新宿4丁目にもこんな歴史があったとは・・。Ptにある街並みは元雷電稲荷神社に隣接しています。こうした時の流れから恐らくは天龍寺の境内社として賑わった稲荷社が街がスラム化していくうちに衰え花園神社に合祀せざるを得なかったのかも知れません。「元雷電稲荷神社」は昭和58年に旭町・安藤某氏により旧地に再建とありました。地元の方にはこの地が「雷電さま」なのかもしれません。
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