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Pt↑)は社殿の裏の『元宮』です。創建当時の名称は「箭弓」ではなく「野久」だったようです。長元3年(1030)に源頼信と平忠常の戦いの際、源頼信が布陣した近くの「野久稲荷大明神」で戦勝祈願を行い【白羽の矢型の雲が敵陣に向かうのを見て】チャンスとばかりにせめこんで大勝利!快勝の御礼に社殿を奉納したという故事があるそうです。つまり神社yは長元3年以前から存在しているので、関東の神社にはありがちな八幡太郎義家や太田道灌より遥か以前の話となります。ご祀神の稲荷神は1)保食神(うけもちのみこと)。厄介な神様で日本神話の「日本書記」に記載があり「古事記」にはありません。豊受大神は「古事記」にあって「日本書記」にはありません。さらにややこしいのは宇迦之御魂神は「古事記」では宇迦之御魂神で「日本書記」では倉稲魂命として記載されています。保食神・豊受大神・宇迦之御魂神(倉稲魂命)は同一の神様とされますがとても同じ神様とは思えません。他にも仏教系(曹洞宗)の陀羅尼天も稲荷神ですからややこしさが増します。まぁ例外が多く厳格な規定が有るわけではないので「適当に」でよろしいかと思います。Pt↓)は露光不足ながら本殿に施された彫刻の様子です。江戸から離れた地の「稲荷社」としては見事な彫刻が施されています。

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