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広い敷地なのですが摂社、境内社が少ないようです。Pt↑)は穴森稲荷(団十郎稲荷)で7代目市川団十郎 に所縁の稲荷社です。7代目団十郎とは江戸・化政年間から天保年間に活躍したの歌舞伎役者です。7代目は狐を題材とした演目を興行すると、稲荷大神の加護のもと大盛況で興行を終えられたそうです。そんな縁から文政4年(1821)社が奉納されています。
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敷地内には宿泊施設や例年4月には約3,500㎡の園内に約1300株の牡丹が咲く「ぼたん園」があります。大正12年(1923)の東武東上線坂戸~東松山間の開通記念にして東武鉄道から牡丹・藤・松などがを奉納されたのが始まりらしいです。まぁ、花の時期なら見事なモノでしょうね。Pt↑)はぼたん園の奥に鎮座する「天神社」です。
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本殿左側のぼたん園の方向に、異なる木が根元だけが一ツに繋がっているという、珍しい大木があり”縁結びのご神木”とされています。ご神木のしたにはキツネのマスコット「やっくん&きゅうちゃん」です。これだけの古社でも「キャラクター」に走るのでしょうか?
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「箭弓」の音が「野球」に繋がるというのでプロ関係を始め野球関係者の参拝が多いとあります。甲子園出場やら試合勝利や贔屓の選手の活躍祈願なんてのもあり、西武ライオンズ関係者も訪れるそうです。参道には幟が林立して盛り上げていますが1300年の古社が野球の神とは…(笑)。
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Pt↑)は社殿の裏の『元宮』です。創建当時の名称は「箭弓」ではなく「野久」だったようです。長元3年(1030)に源頼信と平忠常の戦いの際、源頼信が布陣した近くの「野久稲荷大明神」で戦勝祈願を行い【白羽の矢型の雲が敵陣に向かうのを見て】チャンスとばかりにせめこんで大勝利!快勝の御礼に社殿を奉納したという故事があるそうです。
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つまり神社は長元3年以前から存在していて関東の神社にはありがちな八幡太郎義家や太田道灌より遥か以前の話となります。ご祀神の稲荷神は1)保食神(うけもちのみこと)。厄介な神様で日本神話の「日本書記」に記載があり「古事記」にはありません。豊受大神は「古事記」にあって「日本書記」にはありません。さらにややこしいのは宇迦之御魂神は「古事記」では宇迦之御魂神で「日本書記」では倉稲魂命として記載されています。保食神・豊受大神・宇迦之御魂神(倉稲魂命)は同一の神様とされますがとても同じ神様とは思えません。他にも仏教系(曹洞宗)の陀羅尼天も稲荷神ですからややこしさが増します。まぁ例外が多く厳格な規定が有るわけではないので「適当に」でよろしいかと思います。
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Pt↓)露光不足ながら本殿に施された彫刻の様子です。江戸から離れた「稲荷社」としては見事な彫刻が施されています。

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