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668年に唐と新羅により滅ばされた高句麗からの多くの人々が日本に渡り、716年には1800人の高句麗人がこの地へ入植して開拓にあたりました。大和朝廷はこの地を「高麗」と呼び高句麗王族の「高麗王若光」を首長としたのに由来するようです。神社は1300年の社歴を有し「高麗王若光」・「猿田彦命」・「竹内宿祢命」の3柱が祀られています。Pt↑)の社殿は昭和初期の造営で、明治神宮、築地本願寺などの設計者「伊藤忠太」の作です。巨匠の作品にしては極々”まとも”です。奥の本殿は屋根しか見えないのですが一間社流造で安土・桃山時代の建立で埼玉県指定文化財です。
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この神社の社額は場所によって異なっています。「一の鳥居」の社額には「大宮大明神」とあり、地域の重要な神社を「大宮」とよんだことによるようです。Pt↑)の神門の社額は「高」と「麗」の字の間に小さく「句」の文字があります。この神社が「高句麗神社」と称したことはなく神社の由来を表現しているとされます。さらには「二の鳥居」と「社殿」の扁額は「高麗神社」とあるのですが、扁額が数種類あるのはあまり聞いたことがありません。
Pt↓)1)背の高い壁で囲まれているため本殿の様子は判りません。2)「ジャンスン」とかいう韓国の民間信仰で村落の魔よけの守護神で「天下大将軍・地下メ将軍」と書かれます。これ韓国らしい様子です。3)神社裏手にある慶長年間(1600年頃)に建てられた高麗氏の住居です。昭和45年に国の重要文化財指定をうけていますが、江戸時代の郊外の農家とさして変わらないように感じます。
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