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Pt↑)は左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の3人、テロリスト2人とその師匠です。高杉や松陰はともかく久坂玄瑞は日本の歴史上で唯一といってもよい天皇の御所に向かって大砲を打ち込んだ大馬鹿野郎(蛤御門の変)であり、靖国神社に”国の為に命を落とした者”として祀られているインチキな御仁です。因みに皇族が門跡を務める上野・寛永寺を砲撃したもう一人の馬鹿者は長州の大村益次郎です。こちらは事情により広島から津和野をパスして萩市内に入った途端の「道の駅・萩往還」です。どうもこの町では”吉田松陰”ではなく”松陰先生”と呼ばねばならないようです。
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道の駅には文久2年(1863)の品川御殿山の英国大使館焼き討ち事件の実行犯、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、品川弥次郎らの銅像が立ち並び、テロリストの師匠である『松陰記念館』が併設されています。資料展示物など充実した内容なのですが、個人的には大いなる違和感を感じました。松陰思想は【天皇統治のもと国力を充実してアジアへの対外的侵略を図る】が骨子で尊王攘夷とそう考えても違っています。時の老中暗殺まで目論んだ思想犯にすぎず神格化されるタマとは思えません。結局、松陰大先生は高杉晋作のパシリだった伊藤博文や山県有朋(特に)が後年自分たちの来歴由来をでっち上げるために大げさに作り上げた人物にすぎないようです。
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Pt↑)は当時の松下村塾を再現したようですが、でっち上げの臭いに満ち満ちています。松下村塾は吉田松陰の叔父さんのもので塾生も身分の隔てがなかったと云われていますが、武士階級の高杉晋作と下級足軽の倅の伊藤や山県が同室できるも訳なく、だいたい身なりが良すぎます。師の面前で腰に刀って誰なんでしょうこの無礼者は(笑)。まぁ突っ込みどころ満載ですが長州史観のご都合に溢れる資料館です。