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関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は広島からこの地へ移され、居城である萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元により指月山の麓に造られたことから「指月城」とも呼ばれたいました。三方を海に囲まれた地形に五層の天守閣、本丸、二の丸、三の丸を含む平山城でしたが明治7年(1874)に建造物が解体され、今は石垣と堀の構造が部分的に残っています。隣接する重要文化財の「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」の城郭の復元模型によると、さすが毛利の居城であったことが偲ばれます。城址は2006年には日本100名城の№75に選定され、萩では2015年に物議を起こしたユネスコの世界遺産に「明治日本の産業革命遺産・製鐵・製鋼・造船・石炭産業」として登録されましたが「毛利の城」は含まれないようです。ユネスコの世界遺産登録はだんだんと怪しいモノとなってきたようでこの先はどうなることやらです(苦笑)。Pt↓)は重要文化財・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と城址内の毛利輝元公の像です。天守跡からの堀の眺めはいい感じです。
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