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土地勘に乏しいので広島を出て萩までかなりの遠回りをしてきたようです。この先小倉まで予測がつかないので萩の街は後日再訪問とすることにしました。萩は思いのほか広い城下町で、城下町の町割りがこれだけの規模で残っているのは全国的にも珍しいようです。城を中心として武家階級が住む地区と下層身分の住む街とは明確に分かれています。藩校の明倫館や松下村塾には身分の隔てなく受け入れられたとのお語ですがそんな訳あり得ません。身分制度をそんなモンではないはずです(!)。武家街には高杉晋作生誕地や木戸孝允の家が残っています。武家身分(木戸家は医者)とはいえ田舎大名の家来ですからさほど広い家屋ではありません。明治天皇を悪しく利用した木戸孝允は山県有朋や井上馨たちの汚職事件のもみ消し騒動のストレスから酒に溺れ満43歳で死亡しています。
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今年は明治一新(維新)150周年だそうですが、あの日本の歴史でもまれな大殺戮戦「会津戦争」150年でもあります。敵対する相手の徳川幕府は崩壊し前将軍の徳川慶喜は謹慎中、理由なき理由をもって会津藩に喧嘩を仕掛けるのですが、戦争に殺戮や略奪は付き物とはいえ、会津の戦争で日本人がここまで残虐になれるのかとの仕打ちをしたのが、吉田松陰や高杉晋作の流れの長州の下級武士たちです。会津戦争の責任者や指揮官が誰なのかよく判りませんが、武士道的な規律すらない長州の血に飢えた狂犬たちの暴走は抑えられなかったようです。「明治一新150周年」、たった150年(!)。水に流して忘れ去るにはあまりに短い年月です。Pt↓)の円政寺は貧農出身の伊藤俊輔が幼少時代に預けられた寺で高杉晋作の生家も近いことから「両公幼年勉学之所」とありました。そうなんですかねぇ?
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