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上野・池之端の『五条天神』です。修学旅行なのでしょうか?子供達の姿が見えます。天神社=菅原道真=学問の神様で参拝なのでしょうが、五条天神の場合は少しばかり異なります。天神社縁起によると【日本武尊の東征の際、この地で医・薬祖神の大己貴命と少彦名命を祀った】とあります。いずれも出雲の神々ですが、大己貴命とは大国主命の事で少彦貴名命(背が極端に低い神様で”一寸法師のモデルで温泉療法や百薬の長の酒をもたらした神)と協力して国造りに携わったといわれます。大己貴命(大国主命)が「因幡の白兎」で重篤の兎の治療をした謂れから両神が医・薬祖神となっています。菅原道真が合祀されたのは寛永18年と約350年前にすぎません。因みにご五条天神は東京の古社にはありがちな遷座を繰り返し、この地に遷座したのは昭和3年の事です。
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東京にも数か所、伏見稲荷の鳥居を思わせる稲荷社があります。赤坂日枝神社の稲荷社、根津神社の乙女稲荷神社。ここ花園稲荷も人気のようです。本殿脇に鉄格子で閉ざされた社があります。立入り禁止ではなく”ちゃんと閉めましょう”と書いてあるのですが、外国人には読めないでしょうね(笑)。この社が「お穴様」で、むかし上野の山に住んでた「弥佐衛門なる狐」が【寛永寺ができると住む所がなくなって困る】と天海僧正に直訴して立退きの条件(?)として祀ってもらったという伝承があります。彰義隊上野戦争時には”穴稲荷門の戦”として大激戦の地となったそうですが‥。上野戦争は一方的な殲滅戦なので”激戦地”と言われても?です。また呼称の変遷が多い稲荷神社で「忍岡稲荷」や「お穴様/穴稲荷」と呼ばれ、明治の再興時に「花園稲荷」と改名したとの流れのようです。
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