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多くの日本人にとっての神社との関り合は、産れる前は安産や子授かりを祈願して「水天宮」へ、長じて色気づく頃になると良縁を求めて「出雲大社」や立身出世や商売繁盛を祈願して「稲荷さま」というところでしょうか。ここ日本橋牡蠣殻町の「水天宮」には安産や子授かりを祈願する多くの人達が訪れています。東京(江戸)の「水天宮」は九州・有馬家が久留米から当時の久留米藩上屋敷(港区・三田)に勧請したのが始まりで、明治年間に有馬藩中屋敷跡の日本橋蠣殻町に移転となっています。三田の藩邸内み鎮座では庶民の参拝ができず、藩は幕府から特別に許可を得て一般開放していました。これが「押すな押すなの」大盛況で久留米藩の大きな現金収入となったそうです。
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祀神は実はよく正体が判らない『天御中主神/あめのみなかぬしのかみ』と『安徳天皇・建礼門院徳子・二位の尼』で本店(!)の福岡県久留米市の『水天宮』と同じです。久留米市の「本店」は全国に数多ある水天宮の総本宮で、創建は寿永4年(1185)壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使ノ局が久留米へ逃れ安徳天皇と平家一門の霊を祀ったことによります。どこにも安産祈願とか子授け祈願は見あたらないのですが、いつも間にやらそちら関連で賑わうようになりました。それにしても久留米の本店の方が同東京支店と比べると地味な印象を受けます。
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