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前田家本邸のご当主前田利為(としなり)侯爵は七日市藩(群馬県富岡市)藩知事前田利昭公の5男として1855年に生まれ1900年に前田家本家の養嗣子となり16代当主(侯爵)となっています。学習院から陸軍士官学校を1905年(17期)に東条英機と同期で卒業、25歳の1910年にはで貴族院議員さらに陸軍大学(23期)を1911年に卒業エリートコースを進み、1942年4月にには招集されてボルネオ守備軍司令官に赴任、同年9月に航空機事故により最終階級は陸軍大将として亡くなっています。ともかくも加賀百万石の前田家のお殿様の住まいですからPt↑)のご当主の書斎など土佐や山口の成り上がりとはあきらかに雰囲気が異なります。
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元々の前田家の屋敷は現在の東京大学本郷にあり、1926年に当時の東京帝国大学との交換として目黒の地に移転してきました。屋敷の敷地を囲むように旧前田家の家来集の屋敷があり、使用人だけども100名を超えていたようです。16代が若くして亡くなり屋敷は中島飛行機の社屋として使われ、戦後はGHQの宿舎として接収されています。Pt↑)侯爵夫妻の寝室です。侯爵はイギリスでの暮らしが長く、そんなことから家具類は高級家具メーカーのハンプトン社製のものです。
pt↓)は玄関すぐのスペースです。建物は重要文化財の指定を受けてはいますが、写真(フラッシュ不可)撮影は基本的に可能です。光量不足は否めませんが、広々とした客をもてなすスペースの赤い絨毯、蛇紋岩の柱、寄木の床、シャンデリアなどなど丁重に復元作業がなされています。
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