190528_01
浅草寺の鎮護堂、2018.01.22以来の2回目です。台東区教育委員会の至極簡単な案内板がありますが、書かれていない面白いお話もあったようです。そもそも浅草寺の鎮守が「鎮護大使者」=「狸の神」というのも面白いのですが、彰義隊の上野戦争から逃れてきた83匹の狸軍団(西国から来たようですが出身地は不明)は浅草寺裏の雑木林に住み着いたのですが、寺の拡張でこの住みかも追われることとなります。頭にきた狸たちは反抗的になり様々ないたずらで仕掛けるようになり、浅草寺用人の家では天井から石を落としたり落ち葉をまき散らしたりの狼藉や家の娘に憑りついたり大暴れを繰り返したそうです。このいたずらの模様は明治時代の「東京日日新聞」で報じられたのですから”さぞや”のものだったのでしょう。
190528_02
1883年頃に浅草寺と上野寛永寺のお二人の僧正様の夢枕に狸公が現れ「我に住みかを与えれば火伏の神となろう」と告げていきます。この縁により僧正様達の発起でこの鎮護堂が造られることとなります。「鎮護大使者」の称号は浅草寺の僧正様によるもので浅草寺の火伏の鎮守とは狸公達も大出世です。見ることはできませんが、祠に祀られているご神体は白狐に跨った「茶吉尼天」なんだそうで仏教系稲荷社のご神体と同じです。「鎮護堂・狸神」のご神体が「稲荷神」とは、なんだかか複雑模様です。祠前にはあちこちに狸の像が見られます。光量不足で見えにくいですが並んでいるのは「縁起物/ご神体」の像で3種の姿(1体 ¥1500)があります。
190528_03190528_04190528_05