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施政者の都合や道路拡張などの理由で神社の鎮座地が移転する事はそう珍しい事ではありません。「関東総司」を掲げる文京区湯島の『妻戀神社』の場合は更に福雑な歴史があるようです。江戸総鎮守・神田明神の裏手でラブホテル街に(失礼ながら)慎ましく鎮座する『妻戀神社』に以前の『王子稲荷』と稲荷関東総社を競ったことは想像できません。神社案内板によると、ご祀神は倉稲魂命(稲荷神)・日本武尊・弟橘媛命の三柱とあり、日本武尊の東征途中で別離した妻を偲んでこの地に祀ったのを起源とするとの記載があります。この話は後年に創作されたものらしく、それ以前は妻戀稲荷大明神と称して元々は平将門の縁者を祀ったのが祖のようです。
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江戸時代になると妻戀神社は「正一位妻戀稲荷大明神」とよばれ、同名の偽神社までが造られるほど繁栄したそうです。徳川将軍家の庇護も厚くうけ、後付け的な日本尊命の伝承もこの頃からのようです。稲荷社の「関東総社」は弘法大師の時代に朝廷より関東総社の地位を与えられ各地の分社を認可できる総纏めの威光を有し、今でも妻戀稲荷から分霊した稲荷社が数多く存在するようです。王子稲荷との「関東総社」の称号をめぐり寺社奉行の裁定をあおり妻戀側が敗訴したなんて伝承もあるようです。
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残念な事には『妻戀神社』は関東大震災・東京空襲と二度の災害で崩壊してしまい、「正一位稲荷大明神」や「日本尊命」伝承などを裏付ける記録は一切が失われてしまったようです。失礼ながら、現在の神社の姿から参拝客で賑わった時代があったとは思えません。それでも消え果ることなく今もそこに神社があるのは素敵なこ事だと思います。妻戀神社は正月初夢の「宝船の絵」を配布する神社としても有名だったようです。この辺りも良く判らない話なのですが(苦笑)。
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