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江戸~明治期に活躍した人物達の書籍は腐るほど出版されていますが、一般庶民、ましてや「犬」に関する至極稀な本がPt↑)の「犬たちの江戸時代」と「犬たちの明治維新」です。実に面白い内容で、例えば「犬を家族的に飼うのは稀だった」とか「飼い犬に名前をつけるのは明治になってから」など初耳となる話ばかりです。有名な徳川5代将軍綱吉公による「生類憐みに令」にしても系統立てて説明されると違った側面が見えてみます。確かに「生類憐みの令」であって「犬・猫憐みの令」ではないんですねぇ。
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滅びた習慣ですが、徳川家康・秀忠・家光らの将軍は江戸近郊での鷹狩りが好きで多くの鷹が飼育されていたようです。この鷹たちの食事として犬が飼育され、某国同様に普通に食犬の習慣もあったようです。5代将軍の時代には鷹狩りは徐々に廃れ食犬習慣も廃れると多産な犬たちが江戸の街に溢れ、元禄8年ごろからは増えた野犬(地域犬)の収容が始まります。当初は収容施設は四谷、大久保にもあり、最終的には中野犬小屋の最盛期には「82000匹」が収容されていたそうです。捕まるのは人に慣れた犬ばかりで凶暴な野犬は放置だったとは当然の事です。
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中野犬小屋の管理費(餌代)は庶民が負担し、白米の食事が与えられていました。そしてビタミンB1不足(脚気)で亡くなる犬が多かったようです。元禄12年以降は増えすぎた収容犬は持参金付きで近郊農家に下賜されますが、将軍綱吉の死後「生類憐みの令」が廃止されると犬への持参金は返金回収され犬小屋に残った犬たちは殺処分されたそうです。
その犬たちの記念碑が中野区役所敷地にあります。某ライオンズクラブの寄贈ですが、このライオンズクラブは目立ちたがり屋が多いようで経緯はあるのでしょうが、区役所玄関先に鎮座するライオン像はどうかと思います(笑)。
確か建て替えの発表があったのですが、中野サンプラザはまだ健在でした。
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