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「京都七福神」を最古とする説もあるようですが、江戸享和年間(1800年頃)の随筆「享和雑記」に記載のある「谷中七福神」最古説が有力と思われます。この時代の谷中は寺町で四季の観光名所も多く自然発生的に確立されたのでしょう。谷中七福神は「不忍池弁天堂」から始めます。「弁財天」は「吉兆天」を追い出して残った女性神(後述あり)。宝船の絵では他の神は爺とメタボを抜いてなのでセンター位置にいます。「愛嬌」を司り音楽神・芸能神の担当です。
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七福神巡りではお寺と神社が混載していることが多いのですが、谷中七福神はすべてが「お寺」なので二礼二拍手なのか合掌なのかを意識する事はありません。不忍池から上野高校の坂を登ると【天台宗・護国院=大黒天】です。「大黒天」はヒンズー教の神様で司るのは「富財」。五穀豊穣・財産・台所の神として敬われます。
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続いて谷中霊園に近接する【臨済宗・長安寺=寿老人】です。寿老人と福禄寿は”同じ神様”とする説もある、中国・道教の神様です。元々両神は幸運をもたらす南極星の化身であり南極星信仰が日本では別々の形で根付いたようです。寿老人の特徴は鹿を従え桃を持っています。七福神での担当は「長寿」です。
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都内有数の古寺には【天台宗・天王寺=毘沙門天】が祀られています。江戸時代天王寺は目黒不動尊・湯島天神と共に富くじの興行がおこなわれました。インドのヒンズー教の神「毘沙門天」は面白い神様で、如来の廻りに四天王として北方を護る時は「多聞天」、単独になると「毘沙門天」とグループ活動とソロ活動で名前が違います。面白いのは「毘沙門天」の正妻は「吉兆天」ですが「毘沙門天」と「弁財天」とは愛人関係にありました。これを知った正妻の「吉兆天」は自ら身を引いたことで七福神の女性神は「弁財天」だけとなった…。良い話です!
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西日暮里近くの【日蓮宗・修性院=布袋尊】が祀られています。インドと中国道教の神々ときて、この「布袋尊」は唐代末期に中国に実在していた僧侶です。伝承では18人の子供たちを従え、背負った袋の中身を人々に分け与えていたことから、死後は弥勒菩薩の生まれ変わりとして神格化されたようです。司るのは「大量」。
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【臨済宗・青雲寺=恵比寿神】では日本古来の神の登場です。大国主命の子息で、福を表す「鯛」と福を吊り上げる「釣竿」を持っています。商売繁盛や海の守護の神として敬われ、七福神の担当は「正直」です。
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ラストはJR田端駅近くの【真言宗・東覚寺=福禄寿】です。福禄寿の福は子孫繁栄、禄は財産、寿は健康長寿を表し福と禄と寿が揃ってこそ司る「人望」が生まれるとされます。七福神とはインド、中国、日本の神々と実在の人物迄が混じる【神様の多国籍軍】であり「多数の神に願いごとをするとどの神も助けなくなる」という考え方により「格の低い神様」ともされます。お役所の担当窓口のようなものかも知れません。