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学校教科書にもあった『見沼代用水の閘(こう)門式運河跡』です。高低差の異なる河川を往来できるように造られた運河で、同構造の「パナマ運河」より前に造られていました。=運用方法は省略= 江戸時代中期の享保年間に造られた見沼代用水に「通船堀」が造られたのは享保16年で当時の産業物流に大いに役立ったようです。昔は【日本最古の…】のタイトルだっのですが、他からも”日本最古”の名乗が続き【日本最古の部類…】に変わっています。
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江戸から明治中期となると物流手段が変わり船のよる物流は廃れます。昭和初期には役目を終え昭和6年(1931)に通船堀は廃止となっています。通船堀は昭和30年(1955)に埼玉県の史跡に指定。昭和57年(1982)には国の史跡に指定されました。現在の通船堀は復元されたものですが、平成6年からは段階的に整備計画が進捗しているはずですが…。
PT1)当時の浦和市長・中川健吉氏による「見沼通船堀」の碑です。黒い塊はこの近辺を仕切っている”ねこ殿”でどいてくれません。 PT2)閘門近くは運河幅が広いようです。絵は撮りようでこうなります。
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