1960~70年代初期での個人的なオールド・ファションド・ソングスを振り返ります(PtはCDのモノです)。
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若いロック・ファンでもクリームを知らない人は少ないと思います。収録の「ホワイト・ルーム」は当時の全米6位になっています。シングル盤とLP盤では編集が異なり、シングル盤はラジオ放送用に編集されています。LP【クリームの素晴らしき世界】は2枚組LPでは高額となるとの理由からか銀色ジャケのスタジオ盤と金色ジャケのライブ盤とが別々に売られていました。2枚組LPで勝負で来たのは【The Beatles】くらいなものでしょう。中古LPに金・銀の2通りあるのはそんな理由です。買ったのはライブ盤でした。初心者のバンド少年にはECやJBのフレーズはギターが弾けず口ずさんだものでした。「クロスロード」はコピーがおぼつかず挑戦したのがなんと「スプーンフル」です。これを文化祭で延々15分演やって大々顰蹙をくらった記憶があります。長尺曲⇒アドリブ大会⇒偉い!と下手くそバンドは思っていました。当時は素直にクリーム=すんげぇ!と思っていましたが、後にはこんな身勝手な奴らが揃うとさぞ大変だったろうと思うようになります。
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Pt↑)は2014年のユニバーバーサル・ミュージックによる【ミート・ザ・ビートルズ JAPAN BOX】です。盤は2009年リマスターMono盤なので60年代のLPとは異なります。紙ジャケだけが取り柄なので5CDで¥15400の驚き価格(!)には迷いに迷いました。LP時代は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」→「No5」→「4人はアイドル」の購入順だったかな。「ビートルズ!」・「No2」・「No5」がモノ盤で¥1500。ステレオ盤が¥1750(シングル盤¥330、4曲コンパクト盤¥500)だった思います。この頃は楽曲の管理が厳しくなくテイク違いやジャケ違いなど細かいことを言ったらキリがありません。日本でのデビューLP「ビートルズ!」発売は1964年4月、英国でのデビューLPが1963年3月とは1年近くの時間差があります。天下のビートルズでもデビュー初期の扱いはこんな程度でした。いまだに日本盤デビューLPの1曲目は「抱きしめたい」の記憶が強烈で、英国盤1曲目の「17」には違和感を感じてしまいます(苦笑)。
200406_01
1964年当時、多くの家庭が電蓄の時代に我が家にはステレオ(パイオニア)がありました。最初に買ったのは地元のシバタ電気(地方の街の電気屋にあるレコードコーナー)でベンチャーズの”パイプライン”のシングルです。その次が【ベンチャーズ・イン・ジャパン】のLPです。確か¥1500(?)で子供にはとんでもなく高額でした。爆発的に売れた【ベンチャーズ・イン・ジャパン】は1965年1月の新宿厚生年金会館でのライブで1965年8月発売です(ジャケ撮影は東芝レコード近くの雪の赤坂日枝神社(サンバーストのモズライトは1965年1月公演で使用。1965年7月は白のモズライト)です。資料ではビートルズが5万枚(HELP?)に対しイン・ジャパンは50万枚(100万枚説有)売れたそうで、人気の凄まじさがわかります。左のCDは65年1月ライブと65年7月ライブの2in1CDです。”座禅ジャケ”として知られる7月ライブ盤では曲が被るのでダイジェスト的な構成となっていました。それにしても年2回の来日公演でライブ盤が2回とは驚きです。このLPは収録時間の関係かピッチが速くなっています。他にも3拍目からセ~ノで入ってきたり(できるかコンナノ!)、ベースギターがベース・ラインを弾いてなかったりで、聴けば聞くほど彼らが恐ろしいライブ・バンドがだったと実感できます。これをカンコピできるオヤジ・バンドって実はすごい事なのですが(笑)。