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すっかり忘れられたバンドかも知れませんがジミ・ヘンだのクリームだの喧々囂々の時代にさらに衝撃的だったのは【バニラ・ファッジ】でした。1枚目は浦和の県庁通りの演奏堂で購入、学校の音楽教室で大音量で聴いて、クラッシック畑の教生の女子大生の魂消た表情は今でも覚えています。1967年のヒット曲『キープ・ミー・ハンギング・オン』は=これもLPとシングルでは編集が違います=当時のGSはこぞって演っていましたなぁ。ジャケこそ違いますが4枚目の『ニア・ザ・ビギニング』は文字通り擦り切れるまで聴いたものです。片面のライブ『ブレイク・ソング』の23分の凄まじさ(!)。ジェフ・ベックもひっくりかえる(まぁBBAの結果は見えていましたが)訳です。ティム・ボーガードの度外れたベースもしかりですが、今でも最強と思っているのがカーマイン・アピスのツーバスの足技(!)。この人はハード・ロック・ドラムの開拓者だと思います。実はファッジの1969年のUSツアーの前座はあのツェペリンなんて信じがたい事ですが、いまでもボンゾのバスドラの感じはカーマイン・アピスのコピーだと信じて疑いません。
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1960年を象徴する音楽映画【ウッドストック】の日本公開は1970年の秋だったと思います。数寄屋橋の元の朝日新聞隣の映画館でロードショウを入れ替えなしで一回半(約5時間)飲まず食わずで見ました。入った瞬間のスクリーンにはCSN&Yの『蒼い眼のジュディ』が…。変則チューニングなんて知らんもんでギターの弾き方に驚き、曲間挨拶の"ThankYou”がコーラスなのに驚き、ともかく驚きの驚き連続でした。DVDやYou Toubeなんてのがなく口パク&マイムのTV映像が精々の時代に動くジミ・ヘンは初めて見たし。壊すなら”そのSG頂戴なぁ”のThe Who。ヘタッピ・ギターのサンタナ。衝撃的歌唱のジョー・コッカーバンド(ECの大番頭クリス・ステイントンの若い事)等々。サントラ盤WoodstockのLPは3枚組で手が出ないほど高額でした(!)。買ったシングル盤のWho(SummerTime Bluse)はLeedのLiveなんていい加減さ。今考えれば緩い時代です。Woodstockの音源はほどなWoodstock Ⅱが発売。以後2度にわたって増補盤がでて最近は全曲に近い盤(?)まででるととんでもない事になっています。当時は斬新な映像だった映画も後年DVDで見ると落ち着きのない映像に感じてしまいます。時は流れます歳もとります。
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Pt↑)左は2016年再発の【アイアン・バタフライ・1968年フィルモア・イースト】のライブ盤で、当初はマニア知るRaino Handmadeからの限定盤でした。アイアン・バタフライは1966年デビューのカリフォルニァ出身のサイケデリック・バンド(死語)で、まぁ俗にいう”一発屋バンド”です。1968年の『In-A-Gadda-Da-Vida』が最大の一発でWikiによるとLP3000万枚売れたそうです。タイトル曲の”Gadda-Da-Vida”はLP片面17分の長尺曲で、アドリブ大会=偉いと思っていた我らがバンドは早速演って見ました。ACE-TONEオルガンのコード弾きのうえに単純リフを延々繰り返すのですが、アドリブ大会バンドなんて一般的でない時代なもんで当然の如くの大々々顰蹙(笑)。今でも同窓会では笑い話です。再発の紙ジャケは懐かしさのあまりで購入しましたが、 アイアン・バタフライ=この時代ならではだったんでしょうね。ドアーズを中途半端にしたような感じで、”Gadda-Da-Vida”のリフにしても3000万枚売れるような曲とは思えません。