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「大國魂神社」の関連で東殿の二の宮、あきる野市の「二宮神社」へ行ってみました。中央線を拝島で乗換えて五日市線「東秋留」下車徒歩5分程です。この神社【やばいよっ】が3ッ付く位のやばさです。やばいと云っても二宮繋がりで「嵐=二宮」の聖地なんて馬鹿は言いません(笑)。見渡せば多摩川の本支流を望む丘に涸れる事のない湧水に恵まれた人々の暮らしには絶好の場所です。地形的には浦和の氷川女體神社と良く似ています。
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神社の創建年は不詳です。「小河大神」・「小河大明神」や「二宮大明神」とも云われ、いまでも大國魂神社六所宮の一座なのですが、古代神社名鑑の「延喜式」に式内社との記載がない(そこまでの格式がない)という不可思議な神社なのです。ご祀神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)と称する高天原在住の天津神で、古事記や日本書紀に記載はあるが実績がよく判らない神様です。社殿は平安時代に武将・藤原秀郷により造営され、鎌倉武士や徳川家と繋がりも厚かったようです。現在の社殿は江戸時代に建立されたもので、明治3年に現社名の「二宮神社」となっています。
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神社の格式を表すのは「延喜式」記載の有無とや明治年間に制度化され第二次大戦後に廃止された「近代社格制度」によるとされますが、現在とは歴史解釈も情報量も圧倒的に違い参考にしかなりません。この神社は社格云々より、この土地に生まれ暮らし死んでいった人達が敬い大事に守ってきた歴史が感じられます。鎮守神社はこういう存在なのでしょう。
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境内末社には伊勢神社・八幡社・八雲社・天神社・稲荷社・諏訪社等がありました。珍しいのは「荒波々伎(アラハバキ)神社」がある事です。この神様は何者なのかが良く判りません。元々はこの地に先住した東北系部族の神であり出雲系の部族が先住の民を追出し祀神を入替えたとの説があります。大宮・氷川神社にもそんな伝承があります。この地でも同じことがあったのかもしれません。先住者を排除してもその記憶は残すとはモロ日本的です。
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拝殿と本殿を横から見ます。この造りは「三間社流造」だそうで幣殿が通路状になっています。社殿は東向きですが何故なのか北向きの扉があります(電柱の後方)。本殿内部には室町時代造営の宮殿があるそうで鞘堂的な構造になっているのでしょうか?9月の例大祭は通称「しょうが祭」と。云われ”しょうが”を奉納し夜には東京唯一の農村歌舞伎を伝承している都の無形民俗文化財の秋川歌舞伎が催されるそうです。たしかにやはい神社です。
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社殿位置から見下ろした景色、この方向が東のようです。いまでこそ住宅がありますが多摩川の本支流を見渡す丘に鎮座しています。この丘の下ると「東京の名湧水57選」選定の涸れることのない「二宮神社・お池」があります。川の流れる平地、山には獣たち、涸れることのない湧水。古代の人達が住むには絶好の場所です。
境内社の1)左から稲荷神社・天津社・八雲神社・八幡神社・伊勢神社。2)諏訪神社。 3)社務所です。
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