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【Pt↑)大宮氷川神社の二の鳥居で、昭和51年に明治神宮から下賜された鳥居で台湾檜材が使われています。日本の寺社では意外とリサイクル使用があります。 調べて行くと、古社の創建年の殆どは”だったらいいなぁ”のと云っても良いでしょう。多摩市の「小野神社」は安寧天皇18年(紀元前531年)創建(約2500年前)。「大宮氷川神社」は孝昭天皇3年(紀元前473年)創建。大國魂神社は第12代景行天皇41年(84年)創建で武蔵国府が置かれるのは大化元年(645年)のことです。当然ですが記録を残す習慣には乏しく証明する術はありません。
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府中国府に着任した国司が有力寺社の祭祀を廻るのが困難なので、大國魂神社に「六社宮」を祀るようになった時代では大宮氷川神社は「三之宮」で「武蔵一之宮」を称するのは第45代聖武天皇の724年頃のようです。「武蔵一之宮」を掲げる神社は数社ありますが、その時代の施政者の徳川幕府や明治政府らの都合で「武蔵一之宮」は変遷しているものなのです。【Pt↑)は多摩市の武蔵一之宮・小野神社です】
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江戸時代初め徳川家にとっては関東の有力社寺との関係は経営上の重要事項となります。大宮氷川神社も徳川家の庇護を受け、徳川家綱の寛文年間に大改築されます。この時代社殿は男大社、女大社、簸王子(ひおうじ)社、荒脛巾(あらはばき)社の神々に4棟の社殿があり、神仏習合お寺まで含めるとかなり建物数があったと事でしょう。
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明治政府は神仏分離政策により大宮氷川神社を「官幣大社」に定めます。明治元年の明治天皇(16歳)の東京遷都後、最初に大宮氷川神社に行幸しています。天津神の子孫が国津神の祟りを恐れてのことでしょうか? 行幸に際しては男大社、女大社、簸王子、荒脛巾社の神々のうち男大社のみを「本社」として他を摂社に格下げとします。【Pt↑)は明治天皇大祭での下賜された神饌を埋めた旨の碑です】
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明治13年の境内大改造では徳川家綱の「男大社」を壊して現在の社殿が造営、男大社以外の社殿は廃止もしくは移動となります。簸王子(ひおうじ)社は「天津神社」に移築流用され「少彦名命」が祀られています。大宮の「簸王子社」は廃止となりす。事情は解りませんが「簸王子社」を移動した「中山氷川神社」としたのではないようです。
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女大社は「御嶽神社」の社殿に流用され「大己貴命」と「少彦名命」と出雲の神々が祀られます。「大己貴命」と「少彦名命」は二ヶ所で祀られていることになります。「簸王子社」と同様「女大社」を移して「氷川女體神社」ではありません。
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「荒脛巾社」は「門客人社」の社殿となりこの場所へ移築されます。稲田姫命の両親の足摩乳命と手摩乳命が祀られていますが、稲田姫は須佐之男命と結婚したので、「稲田姫命」へ昇格としても両親まで昇格とは妙な話です。因みに
この3社の社殿は寛文年間の徳川家綱の造営によるものが今に残っているそうです。