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ユネスコ無形文化遺産に秩父夜祭が登録された「秩父神社」は関東私鉄の宣伝もあり東京からの日帰り観光地として知られています。大國魂神社による「六社宮」には秩父神社は武蔵国四之宮とあり。式内社、旧社格は国幣小社で秩父地方の総鎮守です。ご祀神は八意思兼命・知知夫彦命 ・天之御中主神・秩父宮雍仁親王の4柱。古社であるほど社歴は複雑で時代と共に推移する神道の緩さを良く表しているようですが難い話が多々あるので深入りは避けます(苦笑)。
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明治以前は妙見菩薩信仰として有名で「秩父大宮妙見宮」と呼ばれたようです=この北斗星妙見信仰もややこしいのですが=ご祀神にある「
天之御中主神」と「妙見菩薩」との習合神で、神仏分離以降に妙見信仰の記憶を残ったようです。「天之御中主神」は造化三神と呼ばれる天照以前の世界創生の最初の神なのですが、姿も見えず功績も判らずの神様なので渡来神の「妙見菩薩」くっつけ易かったのでしょう。江戸時代には徳川家康との繋がりも深く本殿は天正20年(1592)に家康が社領を寄進し建造させたとあります。
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徳川家康の命により造営された社殿は拝殿、幣殿、拝殿が並ぶ江戸期に見られる「権現造り」です。秩父地方総鎮守として社歴2100年を超える古社だけに多くの摂社・末社が鎮座しています。社殿に施された彫刻類は見事なもので、現在は改修工事中のため一部は見られませんが、曇空で日の廻りが良くなかったのが悔やまれます。
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拝殿正面の社額左右にある左甚五郎の作と云われる「子育ての虎」の彫刻です。右側には虎が2頭、Pt↑)には大人の虎2頭と子供3頭が彫られています。虎の家族に豹が1頭混じっているのではなく、江戸時代では虎の雌が豹と考えられていました。実際の虎など見る機会はないでしょうが、神楽坂毘沙門さんの狛虎に比べてら格段に違います。
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社殿の西面にある「お元気三猿」の彫刻です。日光東照宮の三猿「見ざる・言わざる・聞かざる」に対して=日光の彫刻は全体で猿の生涯を表現しその一部なのですが=秩父神社では「よく見・よく聞いて・よく話そう」のお元気三原則になっています。神社に猿は古来よりの庚申信仰によるもとと思われます。確か家康は「寅年」だったと思います。
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「北辰の梟」のフクロウの体は正面の本殿を向き、首だけが180°後方を向いています。妙見信仰の神社だけあって北斗七星の方角は特別視されたのでしょう。フクロウを知恵のシンボルとする話は世界中にあり、日本での梟(フクロウ)=不苦労とそる語呂合わせを笑ってはいけません。もう一面の東側の「つなぎの龍」は改修中で見られませんでした。
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「秩父」は長瀞の岩畳の見られる地質学的にも神話や伝承の宝庫なのです。主祀神の八意思兼命(オモイカネ)は八百万の神々会議での議長的役割である謂れからか、本殿裏手の長屋の様な建物の「天神地祇社(てんしんちぎしゃ)」には全国の「一之宮」のご祀神75座(!)の神々が祀られています。秩父神社は格式のある神々が集まる社なのです。この
天神地祇社の他にも稲荷社、須佐之男神、豊受大御神、天照大御神、東照宮の社は別棟にあります。
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