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総門から先「楼門」へは石段を下ります。入母屋造りのこの楼門は重要文化財で平成21年~25年の平成の大修復により朱塗りの美しい姿になっています。貫前神社の社地は平坦な部分が少なく本殿のすぐ後方は崖です。下り宮の社殿配置は良く造ったなとので感があります。そうなると「何故この場所なのか?」との疑問が湧いてきます。
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続いての(?)はご祀神についてです。ご祀神は二柱で「経津主神(ふつぬしかみ)」は日本書紀にのみある神で物部氏の祖神とされています。もう一柱の「姫大神(ひめおおかみ)」は一説には養蚕の綾女庄神とされ元々は主神だったようです。そのせいか本殿の千木が女神の「内削ぎ」になっています。ご祀神の素性が良く判らないのようです(苦笑)。
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創建は安閑天皇の時代に物部氏が氏神の経津主神を祀ったことによります。一大勢力だった物部氏とは判らんでもないですが。江戸時代には徳川家の庇護を受け、国の重要文化財の本殿・拝殿・楼門・回廊は三代将軍家光による造営で、五代将軍綱吉により極彩色の社殿に改築されています。将軍二代に渡っての手厚い庇護とは異例なのではないでしょうか?
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敷地の関係でしょうか。拝殿に対して本殿の向きが「神明造り」ではなく「大社造り」のような外観です。Webによると「貫前造り」という独特な造りで、2階構造の内部の上段に神座が据えられ「雷神小窓」が付けられています。実に見事な極彩色です。埼玉県の国宝・妻沼聖天並みの美しさです。群馬県下仁田近くにこんな神社があるとは…。
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楼門には縁起物のカエルが並んでいます。この「無事かえる」は貫前神社所蔵の重要文化財「白銅月宮鑑」にあるかえる」と戦時中の出征兵士やその家族の参拝者らに「勝ってカエル・勝ちカエル」のお守りとして、高度経済成長期には「無事かえる」と姿を変えてお守りとし授与されています。
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拝殿・本殿に左側に小さめの摂社が鎮座しています。「抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこ)」は、ご祀神の「経津主神」の子供で安閑天皇の時代に元々鎮座の場所から明治38年に現在地に遷座したとありますが、どうなんでしょうか?
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神域には樹齢1000年超えの巨木が多数あります。さすがにコンデジでは難しいのですが、天然記念物だけでもPt↑)で門の左には大銀杏、右のダジイは推定樹齢が1000年超、いずれもの富岡名木10選の天然記念物です。総門裏手には「勝ってかえる、勝かえる」の由来となったタブノキや本殿の裏には樹齢1200年を超える藤太杉と呼ばれる大杉があります。Pt↑)の広場は12年毎に行われる式年遷宮時の「仮殿敷地」です。
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「総門」の位置からは「楼門」が見えるものの拝殿・本殿は見えません。
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「楼門」から「総門」を見上げます。登って登って下っての「下り宮」は出雲大社くらいしか知りません。
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「神楽殿」と参拝者休憩所です。勝手ながらこの色合いの方が落ち着く様なきがします。。