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群馬県前橋市元総社町の「総社神社」は「上野國總社神社」とも称します。JR前橋駅から徒歩20分(Taxi ¥630)、総社近辺には「元総社」の地名が多々残っており広大な神域の神社だったようです。総社とは中央からの国司が任地内の神社巡拝を効率化するため国府近くに国内の神を合祀した神社をいいます。
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「上野国々府」の場所は今でも特定されてないようですが、府中大國魂神社と同様に国府と神社は隣接だったのでしょう。交通手段に乏しく現代のハイキングコース的な街道では移動は大変な任務で、ましてや上野国国司拝命なんてのは中央からすれば未開の僻地ということで。生きて帰れそうもない閑職そのものです。
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創建は崇神天皇48年(紀元前50年)豊城入彦命の東征の際「経津主命」を祀った事によります。安閑天皇元年(531年)に上毛野君小熊王による社殿の改築を創建とする説もあるそうです。当時は『蒼海明神』と称し、天平10年(735年)に上野国549の神社を合祀し「総社明神」と称したともされます。まぁ良く判らんという事です(苦笑)。
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現在の祀神は群馬県の重要文化財指定の『上野神名帳』=神々の名簿=を神体として天津神の経津主神(香取神宮・軍神)・磐筒男神・磐筒女神(日本書紀では経津主神の子供)・国津神の宇迦之御魂神(稲荷神)・須佐之男命を祀り、相殿に神名帳記載の上野国内の鎮守十社を祀っています。
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元々の神社は数百mほど離れた宮鍋という地にあったようですが、永享年間に上杉氏のより築かれた蒼海城内に取込まれ、その城も時の流れに消えて神社だけが残ったようです。その
蒼海城跡地図の掲示がありました。現在の神社は城のほんの一角のすぎず実際の蒼海城はかなり大きな城だったようです。
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