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長い年月、日本狼たちと秩父に住む人たちには、田畑を荒らす鹿・猪を駆逐してくれる味方だったり、人家を襲う害獣だったことでしょう。共存の関係から神格化されたのは不思議はありません。明治年間の日本狼の絶滅を期にその関係が忘れられてたにしろ、神社という形で残ったのではないのでしょうか。
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釜山峠が釜伏神社参道の始まりなのでしょう。今般は車で行きましたがWeb地図にも記載のない神社なので公共交通機関利用での参拝は大変でしょう。参道を歩くとますます狼が眷属(秘書官)ではなく祀神そのものと思えます。やはり緑の季節が良いですね。これから先の季節の訪問は止めた方が良いでしょう。
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参道入口の最初のオオカミ像です。一の鳥居(?)はなく「釜伏神社社標」のすぐ後方にあります。阿吽の形式であるようなないような、風化が進み判然としません。台座に「征露記念」あるので日露戦争勝利を祝って造られたのでしょう。
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左右を杉の大木に囲まれた参道を進みます。ここからは参道がどこまで続くのか見えません。オオカミ像(1)に比べるとやや小ぶりのようです。こちらの台座にも明治37年2月とか我帝国露国とかが断片的に読め、こちらも日露戦争戦勝記念奉納なのでしょう。口の裂け具合がキツネとは異なります。
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一の鳥居(?)にあるオオカミ像の台座には「昭和聖旨五十年記念」とあり、近年奉納された像なのでしょう。あきらかな阿吽形式になっておりあばら骨の表現も特徴的で。明治年間制作のオオカミ像と表現が異なっています。三峯神社の三輪鳥居脇のオオカミ像と似た感じがします。
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鳥居を過ぎると神社の記念石碑やらが増えてきます。どれもが劣化が激しいのと時間の関係で見ただけとなりました。次に現れるオオカミ像は「阿」形式は参道に正対して形を保っていますが、「吽」形式の方は伏せているのかと思ったのですが、前足2本が折れていて結果、この姿となっています。
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左の舞殿を過ぎて社務所手前に次のオオカミ像があります。パッと見の印象は「オオカミ」というより「犬」です。栄養満点の姿は野山を駆け巡る精悍な姿とは違うようです(苦笑)。因みにこのオオカミ像は平成14年に「愛子内親王殿下」の誕生を祝って奉納されたとあります。
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ようやく拝殿下の階段迄来ました。階段左右に正面に正対した6番目のオオカミ像があります。日本狼を知っている石工の製作でしょう。右側の社務所は常駐されている感はありません。社額とは違うのですが『海四輝威神』→神威輝四海と読み下しでしょうが、意味は感じられても何故この額なのかは判然としません。
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参道入口からここまで6対のオオカミ像がありましたが、4と5番目の間に台座だけが残っている箇所があり、ここにもオオカミ像が在ったのかも知れません。さらにもう1対が社殿前に置かれています。一瞬カピパラかと思ったのですが、石造りのオオカミ像に比べると木彫りの人形といった感です。
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社殿の後方の山道を登って下ってまた登って15分程で奥宮です。石造りの祠と対のオオカミ像だけのシンプルな祠です。後方から眼下に長瀞の町が、反対側には小川方面の平野が開けています。以前にも触れてきましたが、遥か昔から飯能方面から寄居秩父が最初に人々が住み着いた土地でもあります。Pt↓)では祠の壁面にオオカミ像が彫られています。
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