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『氷川女體神社』の記事項にあたりいろいろ調べていくと、系統の違う伝承がありました、曰く【神武天皇の時代に“見沼”の地に出雲系の女神・奇稲田媛命を主祭神とした『三室の氷川女體神社』が創建され、神武天皇の第五皇女・久久里媛が巫女として派遣されました。久久里媛はこの地で龍神と結ばれ、伊津姫(姉)と多伎姫(妹)の双子の姫を誕生のち、久久里媛は亡くなります。双子姉妹は成長し巫女の座を巡って仲違し、それを怒った龍神により見沼は凍りつきます。双子の姫も亡くなり残った人々により姉妹を二つの女體神社に祀ったという伝説】だそうですが、まぁ伝説ですから…(苦笑)。
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宮本の女體神社から1㎞ほど離れた地に双子姉妹のどちらの姫が祀られたとされる『大牧氷川女體神社』があります。鳥居の扁額は「氷川」の記載がない「女躰神社」となっています。宮本と同様、広大な見沼を見渡す舌状台地にあり、神社後方は「女體下公園」を合わせると全体的には古墳のような感じですが、神社としては滅びの方向へ進んでいます。
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もう一社の氷川女體神社が、この「附島氷川神社」です。地名附島村は、明治9年に大間木村と合併し、消滅した地名が神社名に残っています。神社は見沼溜井の造成により水没した三室村の氷川女體神社の社領の代替地として与えられた社領の鎮守社として寛永6年(1629年)以降に創建されたものです。宮本、大牧と同様に見沼を見渡す丘の上にあるようです。
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こちらは「女體」ではない「大間木氷川神社」です。祀神は素盞嗚尊の単身です。創建年代は不明とあるのですが、氷川女體神社とは異なる由緒のようです。こちらの社殿は寛文7年(1667)に大宮の氷川神社の建替え時に旧社殿を移築したものとされ、さいたま市の指定文化財となっています。