旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

台東区

上野東照宮のお狸様

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上野恩賜公園内の徳川家康・吉宗・慶喜公を祀る上野東照宮は4年に渡る改修工事も 完了して煌びやかな姿を見せています。な
んとなく京都的な臭いもあるのでしょうか、最近は外人観光客の姿も多く見かけるようになりました。御朱印授与所も建て直され東照宮創建以前からの樹齢600年を超える大楠の回廊も整備されました。
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回廊には先には唐突として『栄誉大権現』が祀られています。この神様は「お狸様」「夢見狸」と呼ばれ、江戸時代にはるばる四国からやってきた四国八百八狸の総帥で江戸城で大暴れして追放され、その後も安置された大名、旗本諸家を次々と潰した大悪狸なのです。かなり具体的ですがこの伝承を聴いたことはありません。
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こちらがご神体の「お狸様」です。明治以降は鳥越神社に鎮座するものの災いは続き、大正年間にこの地に落ち着くと一転して「ありがたいお狸様」に変貌。「他を抜く」という縁起から強運開祖や受験の神様として信仰されたようです。柳森神社の福寿狸大神は崇められ、こちらのお狸様は四国からやって来て(蜂須賀家?)江戸の街で大暴れして追放とは波乱万丈です。この地への鎮座は大正年間との事で、賽銭箱や屋根の部分には葵の御紋が付けられ徳川家の守護神として認められたようです。
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金キラの上野東照宮

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徳川家康公を祀る東照宮は日光や久能山が有名ですが、実際は北海道から長崎まで約100ヶ所が存在します。東京では芝と上野(浅草は焼失)にあり「日光・久能山・芝・上野」を四大東照宮とも称するようです。上野の金キラぶりはたいしたもんで、上野東照宮のには徳川家康公(東照大権現)・8代将軍徳川吉宗公(暴れん坊将軍)・15代将軍徳川慶喜が祀られています。
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上野東照宮』は1616年2月静岡駿府城で危篤状であった徳川家康が病床に居合わせたジャニ友(?)の幕府顧問で上野寛永寺の開祖天海僧正と藤堂高虎の3人が一緒に魂鎮まるところを作ってほしいといの遺言を残し、藤堂家の屋敷地の上野に1627年に東照宮を造営したとされます。芝東照宮はこじんまりと、浅草東照宮(浅草寺)は殆どが消滅しているので、これだけ派手な東照宮は貴重とも云えます。
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社殿から唐門方向です(社殿には上がれません)。社殿は拝殿、幣殿、本殿からなる典型的な権現造りです。現存する社殿は、1651年に3代将軍・徳川家光(爺ちゃん大好)が造営替えにより金箔を使った日光東照宮といい勝負の豪華絢爛の造作で「金色殿」とも呼ばれたそうです。
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現在は太平洋戦争後の神仏分離令により寛永寺から独立しています。東京空将や震災などの災害を被る事や倒壊することなく、江戸の面影をそのまま現在に残す貴重な文化財建造物です。本殿屋根部分の千木・鰹木や懸魚や散りばめられた葵のご紋の造作は見事なものです。惜しむらくは拝殿内には上がれず、これで拝観料が¥500はやや高額です(苦笑)。
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唐門の柱には左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があります。よく間違えるのは【頭が下向きなのが『昇り龍』で上を向いているのが『下り龍』】で「偉大な人ほど頭を垂れる」との諺によるとあるのですが、そんな諺有りましたっけ?左甚五郎による龍の彫刻は夜な夜な不忍の池に水を飲みに行くとの伝承なんてのもあります。
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なんでも「虎の石彫」が雑誌に取り上げられて知られるようになった授与所右側の虎の石彫です。家康公の干支「寅年」生まれに因んで奉納されたようです。日本ではオスが「虎」で「豹」がメスと考えらていたようで、「虎」は日本には居なかったので実際の虎と姿が違っています。

上野公園 小松宮彰仁親王

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上野公園(上野恩賜公園)の銅像では「西郷隆盛像」が有名ですが公園内には他にもいくつかの銅像や記念碑があります。東京都内には皇族から軍人になった宮様達の銅像があり、南麻布の有栖川宮記念公園には有栖川宮熾仁親王、北の丸公園の旧近衛師団司令部跡には北白川宮能久親王、そして上野動物園正面ゲート脇ある銅像が小松宮彰仁親王の騎馬像です。
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小松宮は戊辰戦争時は奥羽越制圧の総督として官軍の指揮をとり、西郷隆盛との西南戦争でも出征するなど戦う皇族を率先された親王です。歴史は時として悪戯をします。上野戦争時に彰義隊に擁立され、後には奥羽越列藩同盟に明主に擁立された「輪王寺宮・北白川宮能久親王」は小松宮の実兄でした。明治維新の東北戦争は兄弟宮家の戦いとなった事になります。
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幕末に仁和寺門跡から還俗を命ぜられ、仁和寺宮親王の名で奥羽征討総督として官軍の指揮を執り、後に東伏見宮に改ます。佐賀の乱では征討総督、西南戦争にも旅団長として出征し、明治15年の宮号を小松宮に改めています。明治年間には日本赤十字に携わりその関係でこの地に銅像が造られました。実は弟君の北白川宮能久親王の波乱万丈な生涯の方が興味深いのですが…。
【吉村昭氏の「彰義隊」では輪王寺宮からの戊辰戦争が描かれています】
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小松宮騎馬像の後方にあるのが「グラント将軍植樹碑」です。グラント将軍は南北戦争の北軍の将軍で第18代アメリカ大統領です。退任後、世ン仁保界中を旅し日本に立ち寄っています。明治12年の上野公園で植樹が行われ、記念碑は昭和5年に作られています。アメリカの元大統領の来日で大騒ぎとはなんかピンときません(苦笑)。
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グラント将軍記念碑のさらに後方、上野動物園出口付近には、1946年に開園した小規模な「上野公園こども遊園地」が2016年までありました。遊園地跡は更地となっていましたが、団子屋の「新鶯亭」と上野東照宮鳥居脇の味わいのある食堂(?)は健在でした。「上野名物パンダそうめん」とは如何なる内容なのでしょう?

上野駅 JR-Cross 蕎香  

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上野駅構内、JR-Cross系の国産二八蕎麦を掲げる「
蕎香=きょうか」なる高級(指向の)駅そば店です。平日の昼時間を過ぎても行列店の様相ですが、この時間の行列が7-8人程度だったので寄って見ました。注文はマグロ丼 + 令蕎麦のセット/¥1000です。7分程で運ばれたのがPt↑)です。見たマンマ! 什器はお見事なプラ製とこれで高級指向と恐れ入ります。
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行列に並んで気が付いたのは、実際は店内にはを空席はあるのです。要は接客店員が足りず食事終のかたずけが追いつかないだけの話のようです。この店は上野駅エキュートでも判りにくい場所にあり、外見は普通の駅そば店ながら「せいろそばが¥570」・「海老天そばは¥970」と駅構内の駅そば店の割にはお値段だけは高級店です(苦笑)。
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Pt↑)は以前の「五種野菜のかき揚げそば/¥770」でこれならばなるほど感はありました。「蕎香」はJR-Cross系の駅そばチェーンでもいろり庵や大江戸そば系より上級店という展開ですが、東京の名店「藪」や「更科」と比べるには恐れ多い限りです。落ち着いて食事のできる高級(指向の)のそば店が機械販売の食券制な訳などありません。
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立食いそばの店のつもりで入ったら、中途半端に高級志向の店だったという事です。あの駅そば店の味とを別ものですが、地方からの旅行者は「東京の駅そばは高い!」と思うでしょう。SNSの食べログ投稿などは笑うしかありません。上野駅構内には「蕎麦と酒 いろり庵」やこの中途半端な「二八蕎麦 蕎香」のような傾向の違う店もあり注意です。
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駅そば店の王道、9・10番線常磐線ホームの「大江戸そば」です。JR-Cross系の店ですが『小腹が空いたからチョットそばでも…』ならやはりこの感じの店でなくてはいけません。他にも上野駅構内の駅そば店「爽亭」が2店舗や機械が自動で調理する最新式の駅そば店もあります。
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中央連絡通路の8番線下の讃岐うどんの店です。屋号は「本場さぬきうどん親父の製麺所 上野店」とあり、JR-Cross傘下のようです。東京の駅そば店でのうどんは「讃岐うどん」とは別物です。チェーン店の「花丸うどん」や「丸亀製麺」がやや近い感じがします。
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きつねうどん ¥400です。うどんお汁がぬるい、ヌメリが残るうどん、丼がやや小さい。これで「本場さぬきうどん」を掲げられると、なんか違うと感じてしまいます。

上野 世界遺産の美術館

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上野の国立西洋美術館本館がユネスコの世界遺産に登録されたのは2016年の事でした。偉大な建築家のル・コルビュジェ氏の功績が『ル・コルビュジェの建築群と都市計画』とし世界遺産登録された時に、この西洋美術館がコルビュジェ氏が関係していたことから、めでたく東京初の世界遺産と云う事でしたが…。
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西洋美術館の収蔵作品は、現川崎重工業の松方幸次郎氏が収集した「松方コレクション」が基となっています。太平洋戦争終了後、フランス政府は松方コレクションのすべてを没収してしまい、1951年のサンフランシスコ講和会議時に作品群の一部をのぞいて専用美術館の建設条件付きで返還されました。
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1954年に美術館の設計を巨匠ル・コルビュジエに依頼。巨匠は1955年に来日し京都・奈良など候補地を視察して帰国。そして氏からの基本設計案、設計案をもとに弟子にあたる前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の日本人により建てられます。巨匠は建築中も完成後も来日した事はなく美術館完成の姿を見ていない事になります。
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東京初の世界遺産誕生の時は大盛況でした。外観の印象より美術館の中は広く、展示された作品点数も多いので予想以上に時間がかかります。巨匠の作品は「無限成長美術館」がコンセプトとし世界で20館以上が計画されたのですが、実現したのは東京を含め3館だけと「世界遺産」だけの事はあります。
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【最後の晩餐】マールテン・ド・フォスの作品です。常設展であっても200点以上の作品が展示され「松方レクション」の凄さに圧倒されます。この個人コレクションを没収し条件付で寄贈返還の応じた歴史的背景を考えてもコレクションが散逸しなかったのは結果として良かったのかも知れません。
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ルノアールの【帽子の女】です。各所にあった喫茶店の元ネタ(?)なので記憶にあるようです。フランス政府が最後まで返還に難色を示したルノアール作品の<アルジェリアのパリの女たち>もあるのですが、見逃してしまったようです。
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英語読みはヴィンセントとなる問答無用のフィンセント・ファン・ゴッホの【ばら】です。変人として知られるゴッホの晩年は精神障害を発症し療養書生活となります。この作品は彼の終焉に向う頃の作品です。それでもヤバいです(笑)。
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ロダン作品の【地獄の門】はロダンの生前には完成せず、未完の石膏作品を松方幸次郎によりブロンズ像として完成したとは知りませんでした。この【地獄の門】のブロンズ作品は世界に7点しかなく一部を拡大したのが【考える人】です。
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上野公園・西郷と犬

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上野公園の西郷隆盛と薩摩犬ツンの”犬を連れての兎狩りの像”ですが、仁科邦夫氏の”犬たちの明治維新・ポチの誕生”に面白い話が書かれていました。他の資料と総合すると西郷像は西南戦争のほとぼりも冷めた明治31年(1898)に完成しています。人(西郷)は高村光雲、(犬・ツン)は後藤貞行と皇居前の楠木正成&馬と同制作者によります。国家反逆者の西郷像については色々とあったようですが、本来の構想は鹿児島と同様に軍服姿だったのが途中から「丸腰姿」の変わったようです。以前から見慣れた銅像ですが遠近法(?)による西郷の体と頭のバランスに違和感は感じていましたが…。
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実際の西郷の身長は当時としては大巨人の約180㎝でこの像の身長は約370㎝と倍の高さとなっています。これに対し薩摩犬・ツンは原寸なのです。超が付くほどの写実主義者の後藤貞行は『犬の大きさ倍にしてくれ』との依頼を断り原寸にこだわったようです。像は足元から見上げるを前提で造られており、少し離れた場所からみると犬の大きさとのバランスが悪く感じるのはこんな理由です。製作には息子の菊次郎、弟の従道、従弟の大山巌や西郷戦死を見届けた河野主一郎氏が監修しているのでリアルな像となっているようです。
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鹿児島市立美術館近くの陸軍大将の軍装姿の西郷隆盛像です。彫刻家・安藤照氏の作品で昭和12年に作られました。犬はいません(笑)。軍装姿の方が西郷らしい姿です…。
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鹿児島市鍛治屋町の西郷隆盛・従道の生誕地です。この街は今でも西郷隆盛にしがみ付いています。
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東京国立博物館 黒田記念館

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東京国立博物館の正門から塀沿いに進み、旧京成上野動物園駅交差点に洋画家・黒田清輝(1866-1924 54歳没)の記念館があります。この記念館は「
遺産を美術の奨励に役立てるように…」との遺言により、昭和3年に明治生命館などを手掛けた岡田信一郎氏の設計により建てられています。
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私達は2023年の感性で氏の作品を見ますが、江戸末期生まれの黒田画伯が僅か54年の生涯で多くの作品を残しているのは驚きしかありません。黒田記念室と同時に帝国美術院付属美術研究所(長い)が設けられ、その後の東京文化財研究所をへて2007年からは東京国立博物館の管理となっています。
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黒田清輝の本名が「きよてる」で画名が「せいき」とは知りませんでした。東京美術学校教授、帝国美術院院長、貴族院議員、 従三位の子爵など知る由もありません。Pt↑)は若き日の自画像で明治22年頃にオランダを訪れた際にレンブラントの自画像作品を意識して書かれたようです。
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黒田記念館は2015年に耐震工事などが完了、以降は東京国立博物館と同様の公開となりました。自画像などの作品が多数みられます。数回「特別展」として、誰もが知っている作品が公開されます。。Pt↑)は2015年の特別展で撮ったもので、重要文化財の明治30年の作品『湖畔』です。
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『湖畔』のモデルはのちに清輝の奥さんとなる金子種子(当時23歳)だそうです。こちらも重要文化財の明治32年の作品、『智・感・情』の三部作です。2015年の公開時には重要文化財の明治26年の『舞子』。これも重要文化財の明治24年の『読書』が展示されていました。
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国立科学博物館の珍獣

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「国立科学博物館」は独立行政法人国立科学博物館が運営する博物館施設です。Pt↑)の日本館の建物は2008年6月9日に重要文化財に指定されています。元々は関東大震災の帝都復興事業の一環で1931年9月に東京科学博物館本館として完成した由緒のある建物で、1階から吹き抜け天井のステンド・グラスや床のモザイク模様など「これぞ博物館」の風格に満ちています。
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通常展の入館料¥630/大人は「日本の自然」を充分に楽しめる施設です。夏休みは子供達で、それにも増して訪日外国人で賑わっています。Ptは館内のロッカー付近にだらしなく群れる珍獣たちです。その数ざっと15匹(笑)。原産地がどこかは判りませんが築地辺りでもよく見かける光景です。日本なら小学生もやらない姿はまさに珍獣で、なんなんだっ こいつら…!
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博物館には日本を代表する「スーパースター犬」が静かな姿で展示されています。白い大型日本犬は、かの有名な『忠犬ハチ公』のです。秋田犬は秋田県産の大型在来種。古くからマタギ犬として暮らしていました。数年前にハチ公物語がアメリカで映画化され時には子犬時代のハチは柴犬の子犬が演じていたそうですが、日本人なら一目でわかるでしょう(苦笑)。
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この熊かと思う毛がフサフサな犬は、これまた「南極物語」での超スーパースター『ジロ君』です。こんな所にいらっしゃたのかと感心する一方、ハチ公は銅像にタロ君・ジロ君は歌にまで歌われた超有名犬が犬コーナーの一部なのは残念な気持ちになります。私たちの上の世代は『忠犬ハチ公』が、我々の世代『南極犬のタロ・ジロ君』がヒーロー犬でした。
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こちらは札幌の北大植物園の南極観測犬の『タロ君』」です。南極から帰国後、余生を北海道で過ごしたのは知っていましたが、ここで『タロ君』に出会うとは!。実はタロ・ジロ君以前に南極から観測隊と一緒に帰国したネコの「たけし」が居たそうですが、帰国時に港到着同時に脱走!そのまま行方不明だそうです。
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東京国立博物館 本館

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東京国立博物館本館は昭和7年に工事が開始され昭和13年に開館しています。鉄筋コンクリート製ながら日本独自の木造建築の姿を生かした和洋折衷デザインで、2001年には「旧東京帝室博物館」として重要文化財に指定されています。我々の年代には遠足や社会科見学で訪れた博物館の記憶は正にこの建物ものです。
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明治5年、彰義隊戦争で焼失した寛永寺の跡地に明治政府により「内国博覧会」を開催されます。この博覧会施設が帝国博物館となり帝室博物館・国立博物館と変遷します。現在は文化庁所管から東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館が所属する独立行政法人国立文化財機構であり、他の”国立”を冠する博物館とは所属機構が違います。
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TVドラマ撮影にも良く使われる本館中央ホールは訪日外国人で賑っていました。浅草を浴衣姿で散歩したり、築地「きつね屋」の牛丼に並ぶ輩ばかりでないという事です。日本文化を体感するには博物館が適しているのでしょう。上野には博物館が3施設、美術館が4施設、世界三大珍獣が揃う動物園とこれほど文化的施設があるのも珍しいのですが…。
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平成館以外の本館・東洋館・表慶館・法隆寺博物館・黒田記念館は加算料金なしで見られます。とはいっても膨大な展示を見るには時間と体力を必要とします。Pt↑)本館中央ホールを階段上からです。国内には”国立”の名を冠する博物館の他、都道府県や民間企業の博物館等々多数の博物館が存在しますが、この景色は”国立”の名にふさわしいと思います。
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添乗員が常に心掛けねばならない三大要素は、トイレ・みやげ・特別な食べ物です。その他は適当に答えても何とかなります。ご多分に洩れず本館ないの記念品等の売店も大混雑です。浮世絵モチーフ等、日本的なデザインに品々が揃っています。

東京国立博物館 法隆寺宝物館

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訪日外国人の実数がコロナ禍前に戻ってきたとの報道が賑やかです。TV報道の映像は相変わらず築地や浅草ばかりのお約束的
の予定シナリオでTV制作の馬鹿さ加減には呆れてしまいます。その浅草にほど近い、多くの訪日外国人が訪れる上野恩賜公園の博物館、美術館、動物園、東照宮が紹介されることは皆無のようです。
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上野恩賜公園には国立西洋美術館・上野の森美術館・京都美術館・東京藝術大学大学美術館と美術館が4施設。国立科学博物館・東京国立博物館・黒田記念館の博物館が3施設。東京文化会館・国際子ども図書館・旧東京音楽学校奏楽堂と忘れてならない恩賜上野動物園。不忍の池・寛永寺や谷中まで広げたらこんな観光スポットはそうはありません。
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東京国立博物館内の「法隆寺宝物館」ってのが大変なシロモノで、展示されている宝物は奈良法隆寺より明治11年に皇室に献納され、昭和24年に国有になった宝物が約300点が展示されています。奈良の法隆寺は悠久の歴史のあるお寺で広大な敷地、建造物や宝物を隈なく見るには1日では足りません。その一部が東京でも見られるのです。
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展示が展示だけに照明が落とされど光量不足になってしまいます。ずらりと並んだ金銅仏や経文や絵画や染織など興味深い展示物には圧倒されます。皇室への献納には「廃仏毀釈」を逃れる為との説もありますが、貴重な宝物が今に残るのは喜ばしいことです。この「法隆寺宝物殿」は通常展示なので追加の料金は不要です。

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今般、是非見たかったのが「デジタル法隆寺宝物館」です。会期は2023.08.01~2024.01.28となっていますが、重要文化財の法隆寺金堂壁画をデジタル技術で蘇らせた作品です。オリジナル壁画の複写とデジタル作品が対比して見られます。
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法隆寺金堂は昭和24年に焼失しており、焼失前の昭和10年に撮影された写真原板を現代の技術で画像の歪みや濃淡を修正し2020年にWeb公開されてはいますが、会場の8k高画質のデカモニターで見ると唖然とします。技術の進化は凄いもんです。
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展示宝物の数々も素晴らしいのですが、谷口吉生氏の設計による「法隆寺宝物館」は現代的な建物ながら「これが日本だっ」との雰囲気があります。館内も華美な造り少なくシンプルな内装が「宝物」を際立立てます。昨今は某氏による奇妙奇天烈な博物館や図書館、ポンコツ競技場がもてはやされますが…。くま情けない限りです(苦笑)
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上野公園・Dr 野口銅像

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国立科学博物館前の鬱蒼とした木々に囲まれて「野口英世博士」の銅像があります。ある年代以上には「偉大なる医学博士」と教わっていますが、近年は大酒飲みのプレーボーイや借金踏み倒し王の散々な説もあるようです。黄熱病は熱帯シマ蚊などの蚊が媒体するウイルスを病原体とする感染症で、Dr 野口は研究の一人者として知られ、アフリカの地で自ら黄熱病に感染し亡くなります。
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後年その研究の方向は違っていた言われますが、氏の梅毒の研究も見逃せません。Dr 野口は墓所はアメリカのニューヨークにあり、墓碑銘には【186年11月24日 日本の猪苗代に生まれ1928年5月21日 アフリカのゴールドコーストで亡くなる ロッ クフェラー医学研究所の研究員 科学への貢献を通して人類のために生き 亡くなった】と記されているそうです。
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Dr 野口の銅像の設置の経緯は案内板に記載があります。銅像は福島県出身の玉応文三雄氏が発案、北里研究所が引き継ぎ、日本医師会や東京都教育委員会によって昭和26年に多摩美術大学の吉田三郎教授のより制作されています。Dr 野口はMr 千円札として知られていますが、お札の肖像の選定基準は「功績が有ったか否か」ではなく「万人が知っている」かつ「偽造が困難」が優先で最終的には財務大臣が決定します。お札の肖像の人物=歴史上の偉人ではありません!なので”樋口某程度の一発屋作家”でも良い訳です(笑)
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上野駅 セルフ駅そば

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上野駅常磐線ホームに「セルフ駅そば」がオープンしたのはのWebでは知ってはいたのですが…。今日は爽亭で武蔵野うどんと11番ホームに上がると派手な店舗がありました(笑)。平日14:00過ぎなのでガラガラの様子なので好奇心に駆られて入って見ます。
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これが新導入(?)の自動調理器械です。1台だけの設置は多少の不安も感じますが…。これで発注→支払い→調理→そば受け取りができてしまいます。中央左画面でメニュー選定と確定、右画面でスイカ等での決済。すると調理が始まり(お箸は下の扉の中)約90秒後に熱々の状態で完成します。
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出来上がったちくわ天そばで、Ptは蓋状のシートを剥がした状態です(笑)。ちくわ天は蕎麦に埋もれていて、メニュー写真よりかなり小さいです。ソバの茹で過ぎ感がありますが、これは好みの問題という事で…(笑)。容器がコンビニそばと同様なペラのプラ製なので手で持つとかなり熱いです。
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早い話が冷凍(冷蔵)のコンビニそばがレンチンされて出てくるシロモノです。お品書きには4種類しかありません。値段がやや高めに設定され、うどんもご飯ものもありません。正直、話題に敏感な新しもの好きでも再訪はないでしょう。なにせ隣のホームには階段の上り下りなし移動できる「大江戸そば」がありホーム日暮里寄りには「爽亭」もあります。
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入口から店内はこんな感じです。正面に調理器械が1台。その左は容器返却のスペースになっています。お箸等のゴミ、食べ残しやお汁の破棄などはハンバーガーショップ方式で面倒と云えば面倒です。
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一番のネックがこれです。チョット蕎麦でもの客がこの内容を熟読して理解するでしょうか?他に客が居ない状態で機械を操作したのですが、発注&支払いに90秒、そばの完成に+90秒は必要です。1人3分としとて10人の客が並んだら30以上の待ち時間(!)。お手軽・便利とはほど遠くなります(笑)。
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11番線ホームの「セルフ駅そば」と9番線の「大江戸」の位置関係はこんな感じです。ホームは違っていてもたいして離れてはいません。片や機械のセルフ操作で3分以上の時間がかかり価格は割高でメニュー少ないに対し、メニュー多く割安感があり提供までの時間も早い「大江戸そば」となると…。
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上野駅 大江戸そば

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大手駅そばチェーン店は方向性の迷いが顕著です。新展開の「セルフ駅そば」なんざぁ10人並んだら30分待ちでは多忙なオッサン向きではありません。「いろり庵きらく」や「そば一」のように女こどもやファミリー客をもくろむのは愚策せしょう(苦笑)。↑は上野駅9番線ホームのJRクロス系の王道の「大江戸そば」です。駅そば店はこうあるべきです(笑)。
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乗降客の多い上野駅には7番ホームに「爽亭」が、9番ホームに「大江戸そば」が、11番ホームには最近の「セルフ駅そば」と日暮里寄りに「爽亭 2」があります。駅改札内には他に数店があり、改札の外3分以内には「いろり庵きらく」、「つるや」、「名代富士そば」と駅そば激戦地なのです。
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駅そば店でラーメン専門普通のの店は西新井と春日部にありましたが、普通の駅そば店でもラーメンをメニューに加える店が増えています。そば(うどん)+ご飯は許せてもラーメン+カレーライスには違和感を覚えてしまいます。「大江戸そば」のラーメンは極々普通のラーメンですがナルトがありません。
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盛りそばの2倍盛り、気温の熱い日々が続くともりそば系になります。食べやすさ優先の予想通りの味、駅そばこれで良しです。序列は本意ではないのですが、個人的には爽亭2→爽亭1→大江戸ソバの順。蕎香、いろり庵(居酒屋)は別モノ、新参のセルフ駅そば評価は一言「ふざけるな」です。
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上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂

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上野公園(上野恩賜公園)には数多くの歴史文化施設があり、美術館では世界文化遺産の「国立西洋美術館」、「東京都美術館」、「東京芸大美術館」、「上野の森美術館」、「黒田記念館」。博物館系列では「上野動物園」、「東京国立博物館」、「国立科学博物館」、「下町風俗資料館」。その他にも名所旧跡も数多く、重要文化財「旧東京音楽学校奏楽堂」も昔から存在は知ってはいたのですが…。
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いい言い訳は何点かあって、1)上野駅改札からやたら遠い事…京成の動物園駅が有ったらすぐ前なのですが、上野公園改札から徒歩10分以上かかります。2)公開日が日・火・水曜日が原則で、木・金・土曜はホールの使用がなければ可。休館日は月曜&特別整理期間、年末年始とありam09:30~pm 16:30と事細かです。3)入館料¥300/一般はまぁ妥当です。
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建物自体は明治23年に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の本館として造られ移転等の紆余曲折があって昭和57年に上野公園移築され、昭和58年に台東区へ移管されます。その後は移転に伴う復元工事がなされ、昭和63年に国の重要文化財に指定されます。平成25年からの保存工事による休館を経て平成30年より公開されています。
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1階の展示室の一部は撮影可の資料が展示され、他の音楽家個人に関する資料は撮影不可となっています。展示内容は明治以降の「文部省唱歌」の資料が多く興味のない方には面白くないでしょう。玄関脇には明治期の代表的音楽家「滝廉太郎」の銅像が置かれています。明治初期の外国唱歌に無理に日本語を当てはめた曲から、日本の旋律や言葉へ広げた功績は偉大です。齢27歳で結核で亡くなられたのは残念です。
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明治期の音楽的資料より圧倒されるのが、建物2階の良く管理されたコンサート・ホールです。音を聴いた訳ではないので音響効果のほどは判りませんが、ステージに設置されたパイプ・オルガンは大正9年に徳川頼貞侯爵がイギリスから購入に昭和3年に東京音楽学校へ寄贈したものです。日本最古で世界的にも貴重なオルガンで永年の修理をへて蘇ったそうです。
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このホールは一般貸出可能だそうです。原則として純邦楽、クラッシック音楽の演奏会、コンクール、オペラ等ならOkのようです。さすがにカラオケ大会は不可でしょう(笑)。最後部から見ている音がよさそうです。ここでStonesやECやらが演ったら面白いことになりでしょう。
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上野駅 ここも「いろり庵」

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上野駅構内中央改札付近の『おそば』の幟は一見すると駅そば店を思わせます。店名からはJR-Cross系の「いろり庵」のようですが、これが曲者で小さく『蕎麦と酒』とタイトルがついています。なんと駅そばを装って『酒』に軸足を置いた居酒屋なのです。上野駅へ着いた旅行者が空腹から駅そばのつもりで入ると、実は居酒屋だったという蟻地獄のような店です。
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以前に旅行客とおぼしきばあちゃんが「ちょっと食べようと思ったけど、東京はこんなに高いの!」と驚いていました。せいろ1枚が¥690、天ぷらそばに至っては¥1580と絶句金額です。ショーケースには一升瓶がずらりと並べてあるのですが、駅そばと勘違いした客に対しての「当店は居酒屋です」の言い訳でしょう(怒)。
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付け加えるならば、JR-Cross系でも『蕎麦と酒 いろり庵 上野』はレストラン系で、改札外の駅そばチェーンの『いろり庵 きらく』はそば・うどん系です。それでも錯覚を起こす屋号には違いありません。「おそばの幟」は卑怯で赤提灯が正当です。食ルポを検索すれば身内の投稿としか思えないような【よいしょ記事】ばかりで…。
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蕎麦食べようと店に入ってメニューを見て、思った店とは違うと判っても出ていくのは日本人には意外と難しいもんです。仕方ないので適当に蕎麦を食べても「ぼられた」→「二度と来るか!」となります。
★これら個人の感想である事を付け加えます(笑)。
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中央改札を出て浅草口付近のJRから銀座線への乗換え通路にある「いろり庵 きらく」です。こちらもJR-Crossのそば・うどん系で、真っ当な「駅そば」店舗です。

鶯谷駅 あじさい茶屋

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JR山手線&京浜東北線の鶯谷駅は上野駅の隣ながら印象の薄い駅です。駅に隣接する「鶯谷といえば~」の東京でも指折のラブホテル街は変わらず健在のようです。久々に眺めてみれば時の流れでしょうか、多くのホテルの名称が昔とは変わっています。あれは「初音」こっちは「石庭」だったような(苦笑)。
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上野の山にへばり付く様に造られた鶯谷駅は個性的な構造をしています。南口改札への通路にポツネンとあるのが駅そば「あじさい茶屋」です。ここもJRcross系の店舗で「工場で茹でられた麺を湯がいて提供する」形式の店舗です。これこそが昔ながらの駅そばの食感!この感じが好きなのですが…(笑)。
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入口扉に掲示が2枚ありました。1点は近々値上げがありますとのお知らせ、もう1点が2022年8月よりですが営業時間が平日は7:00~18:00、土日祝は休みという告知です。半年前からなかなかハードルの高い店となっていたようです。乗降旅客がそれほど多いとは思えないので、これで良いのかも知れません。
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久々の「天ぷらうどん」です。やはり同社の「いろり庵系」より慣れ親しんだ味と云うのかしっくりきます。地方の街には健在な駅そばの味です。背伸びなどせず駅そばはこれで良いのです。客にしてみれば、そば・うどんの専門店と違うのは百も承知のことです。
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平日の11:00頃の様子です。ボチボチと客は入っていて、店内の雰囲気も悪くは有りません。注文は口頭ではなく券売機形式です。この辺りは売上管理で必要でしょう。「あじさい茶屋」は調べてみると都内は鶯谷駅と中野駅だけなんだそうで…。
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上野駅 東京じゃんがらラーメン

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上野駅で最近は日常的になったJR信号機故障に遭遇、1時間ほど待たされる事となりました。意を決して公園口・大連絡通路にある高級(笑)駅そば店「そば処 蕎香」へ向かったのですが、やはりお品書きを見ると躊躇してしまいます。店内客の多くは「駅そば屋にしては高い店だなぁ!」と思っていることでしょう(笑)。かけそば¥570とは…。
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で、
「そば処 蕎香」の反対側にあるのが「東京じゃんがラ-メン」です。ともかく空腹で…。「東京とんこつ じゃんがら + 刻みチャーシューご飯 ¥1140」です。不思議なもんで駅そばで¥1000超えは馬鹿野郎ですが、ラーメンにご飯が付いての¥1000超えはさして気になりません。
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いつ頃の話だったか、ゲリラ豪雨に打たれながら秋葉原のじゃんがらラーメンに並ぶ馬鹿野郎が放送され、それが映像で人気店に拍車がかかった事がありました。そんな事を思い出しながらラーメンを待ちました。う~んなんか違います。店名に「東京」がついているので別モノでしょう。実に旨いラーメンなのですが「あの感じ」とは違います。
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後で調べると、この店JRcross傘下のようですが、統合会社にはよくある話で、お間抜け店舗展開を計る派閥とは別な派閥のようです。鹿児島のこむらさきや軍艦ラーメン、福岡の長浜ラーメン(那覇のソーキそばも)は初めて食べた時はギタギタで臭いがキツくて麺がゆるゆるで慣れるまでが大変だったのを思い出しました。
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池之端 旧岩﨑邸庭園

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旧岩﨑邸庭園入口から建物への坂道途中の塀に、知られている三菱のプロペラ・マークと違うロゴがあります。ひし餅を三段重ねたデザインは旧三菱のロゴです。池之端「 旧岩﨑邸庭園」は今までに何回も訪れていた場所ですが、記事項にしたのは初めてです。
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現在は都立庭園として公開されている旧岩﨑邸はビリヤード室を含む洋館が昭和36年に、和館は昭和44年に重要文化財に指定されています。江戸時代は越後高田榊原の中屋敷で、変遷をへて明治11年に岩﨑弥太郎が購入しています。現存する建物は岩﨑3代の岩﨑久弥の時代にジョサイア・コンドルの設計により建てられ明治29年に完成しています。
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当初はかなり広大な敷地があり、司法研修所などの建設によりかなり縮小されています。住居よりも岩﨑家の迎賓館として使われており「食わせて飲ませて酔った勢いでハンコを押させてしまえ」的な商談が行われた場所です。明治期は俊輔や馨などは癒着や賄賂は当たりまえで岩﨑家もえげつない商売をしていた時代です。
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時間の関係で館内は後日としますが、贅を凝らした造りがされており「金唐革紙」の壁紙や英国より取り寄せたミントンの便器や床タイル、ステンド・グラスなの金満な造りには嫌悪感すら感じたものでした。反面、感心するのは基礎工事の丁重さで、関東大震災では被害も少なく避難所となったそうです。
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洋館と和館は建物内で繋がっています。見てくれの良い洋館に目が行きがちですが、どうして和館も随所に凝った造作があります。この外廊下は近年耐震対策の鉄柱が追加されたのですが、それまでは張り出した軒屋根を支える構造が有りませんでした。建物内廊下の天井板は今では有り得ない屋久杉の一枚板など、気が付くなら驚きの造作が見られます。
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構造的に張り出したサン・ルームは後年の増築で、ジョサイア・コンドルの設計図にはありません。コンドル氏は日本人建築家の育成の為にイギリスから来日し、結果として日本で生涯を終えています。旧古河邸も氏の作品ですが、岩﨑邸は様式的に雑多な点が多くイマイチ感を感じていました。まぁ接待された取引先は関心したでしょうが…。
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太平洋戦争後この建物は文化的素養に乏しいアメリカ軍に接収されています。即刻の立ち退き要求、シャンデリアは引き千切る、壁は白ペンキで塗りたくる等の狼藉をしたようです。当時のアメリカ軍人には教養人などいる訳がありません。接収は昭和28年に終了し、日本政府へ返還されます。平成13年には東京都へ移管され都立公園として開園しています。
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本館右の山小屋風の建物はビリヤード・ハウスで本館とは地下通路で繋がっています。明治年間のビリヤードは高尚なお遊びだったのでしょう。四つ玉や9ボールではなく英国風ならスヌーカでしょう。この建物は立ち入りませんが外壁の壁が鱗状になっているなどの注目点があります。後方は東大病院です。
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岩﨑邸脇の東京大学鉄門への上り坂が「無縁坂」です。♪ しのぶ、しのばず無縁坂 ♪を思い浮かべる年代と、森鴎外の「雁」を思い浮かべるかで年代が分かれます。いずれにしろ上野駅から歩いて東大病院へ向かうならこの坂を通る事でしょう。
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不忍の池の景色です。森鴎外の「雁」では、主人公の岡田君は東大の医学生で、お妾さんのお玉ちゃんは無縁坂の途中に住んでいました。このあたりは江戸時代は有数の「出会い茶屋」今でいうラブ・ホテルの密集地だったそうです。
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上野「ABAB」は2024年で閉店し1945年から79年の歴史が終わるそうです。埼玉の高校生にとっては、渋谷や原宿の賑わう時代以前には、「ABAB」で買い物、近くの「みはし」でアンミツ、そして上野公園…。そんな時代でした(笑)。

立喰そば 文殊浅草

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存在は以前から知っていました。月1ペースで浅草には行くので避けている訳でもないのですが、タイミングが合いませんでした。立喰そばの雄 文殊浅草店です。銀座線浅草駅の改札から松屋デパートへ向かう地下通路の立喰いといえば”あぁ~あれか”と思う人も多いと思います。
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店の奥側は東京でも超古参の地下商店街です。店は必要最小限の設備がコンパクトに収まっています。某い●り庵のように女やファミリーに媚びることなく王道の雰囲気を貫いています。思えば昔の駅そばは大体がこんな感じでした。当時と違うのは食券販売機と豊富なセットメニューでしょう。
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浅草文殊は立席のみの7席のお店です。他の文殊と同様に多彩なメニューはどうなんでしょう?今回はたぬきうどんです。浅草店だけかも知れませんが14:00~17:00には卵がサービスでした。熱伝導の良い丼で熱いになんの(苦笑)。うどんにしてはやや細めの麺。お汁がともかく良い味です。場所が場所だけにの薄暗い地下通路も懐かしい気分です。
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思えば神田や新橋のサラリーマン街や駅には競い合うように立喰いそば店がありました。国鉄民営化での余剰人員を駅そば店に出向なんてこともあり、駅構内は次第にJR系の立喰いが蔓延るようになります。今では東京近郊のそば店は名称が違ってもJR系になってきました。味は悪くなくとも面白みがなく徐々に避けるようになりました。
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最近では地方の街へ出かけると、ご当地の会社が経営する駅そばを食べるようになりました。以外とその地方独特のメニューがあったりで面白いもんです。東京でも画一化されたJR系よりも旨い店はまだありそうです。

上野駅 2軒の爽亭/そうてい

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上野駅ホームには駅そば店の「爽亭/そうてい」が11・12番(常磐線)と7・8番(東海道線)の2軒あります。ややこしいのは9・10番線には「大江戸そば」があるので間違えないように注意です。7・8と9・10は東京駅寄りですが、11・12(常磐線)はかなり日暮里寄りなので見つけ難いかも知れません。店構えはほぼ同じですがPt↑)は常磐線ホーム店です。
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「爽亭」では都内チェーン店の一部店舗で限定メニューを提供しています。この常磐線ホーム店ではPt↑)の「武蔵野うどん ¥650」です。平日9時から販売で¥650はパッと見はやや高ですがコシの強い麺が300gなら納得です。武蔵野うどん=肉汁うどんなのですが、器がショボイ感を除けばつけ汁、うどんとも駅そば店に有るまじき旨さです。他のうどんメニューより時間を要しますとのInfoがありますが、この味なら当然納得の旨さです。
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店舗メニュー&限定メニューの告知を見ると7・8番ホーム店と荻窪店の限定メニューが「ちくわ天 そば/うどん」ですが、流石に武蔵野うどんとのハシゴは無理なので後日という事にします(笑)。国分寺店の「辛味ねぎチャーシュー」も気になります。そう云えばレギュラーメニューに「きしめん」がありません。きしめんは池袋店の限定メニューなのでしょうか?
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ほぼ同じ店構えですが違う店です(苦笑)。Ptは7・8番(東海道線)ホーム店でかなり東京寄りにあります。JR-Crossと違い同じチェーン店でも正統派の駅そばと思います。この店舗に真下あたりに出汁がぬるい、茹でがゆるい、挙句に丼が小さいいい事なしのさぬきうどん専門店があります。比べるのは本意ではないのですが、正統派駅そばはこちらでしょう。
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さて翌日は7・8番店の店舗限定メニューの「ちくわ天うどん ¥450」に挑戦です。見た感じ濃そうな汁ですが生粋の関東人には極々普通です。ちくわ天は半身を2分割でこの方が食べやすいようです。うどんは11・12番店の限定メニューに比べた普通ですが、あぅちがレベルが高すぎるだけです。正直、特別価格です感がありますが、まぁ良しとしましょう。
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券売機はそばの写真だけでうどんの希望はカウンターで申請です。最高額がセットメニューを除くと「かき揚げ天玉」の¥520で下限が「かけ」の¥290です。気になるメニューは「そば屋のカレー/そば」 ¥500、「カレー丼」¥420ですが、時間限定で「朝得」¥330なるメニューがありました。
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これは以前に食べた「冷やし狸そば」です。暑い日には冷やしで寒い日には汁モノでチャチャっと、少し小腹が空いて、時間に余裕があったらダ~ッと食べる。これが駅そばの立ち位置でしょう。
Pt↓)店舗から隣の9・10番ホームを見ると大江戸そばがあります。こちらはJR-Crossの店です。
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