旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

世田谷区

世田谷・豪徳寺・猫…(弐)

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「豪徳寺」は曹洞宗の寺であり、招き猫は境内の招福観音堂の祀られる「観世音菩薩」の眷属という関係になります。観音堂には「招福猫児(まねぎねこ)」という参拝者が奉納した右手を上げた素朴な白い猫建が休んでいまが、その数はとんでもない数になっています。よく聞かれる招き猫伝承は、【吉良家の庇護を消え没落していた時代に住職が猫(タマ)を飼っており、ネコに「この貧乏寺をなんとかできないか」と無理難題を語りかけていました。そんなおり付近を通りかかった井伊直孝一行がタマ(猫)の招かれて突然のゲリラ豪雨から避難できたという事件があったそうです。これを縁に弘徳院は井伊家の菩提寺として「豪徳寺」と改名するなど庇護を受けるようになった】 内容に多少違いはあってもよく知られる招き猫伝承はこんな感じなのですが…。
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この招き猫伝承は江戸時代の文献資料には見当たらないのだそうです。無理のないことで、招き猫伝承は明治維新後に井伊家の庇護(スポンサー)を失った豪徳寺が参拝者誘致のため寺の関係者により創作された物語のようです。実によくできたお話で貧乏寺の住職、飼い猫の恩返し、井伊の殿様と井伊家の庇護、招福観音信仰、眷属の猫の人形と登場人物やストーリーの一貫性などお見事な完成度となっています。次第に花柳界を中心に招福信仰として広まり「タマの墓」や「供養塔」まで創られてたようです。さらには今にいたっても参拝者が多く訪れる、創された伝承だったとしても、猫(タマ)がもたらしたお寺繁栄の話なのだと充分に得心がいきます。・三重搭の干支、ねずみ年部分は猫+2匹のねずみとなっています。・飲料の自動販売機にも招き猫の絵が…。縁起物の由来書と招き猫人形(2号)と猪年の絵馬です。
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世田谷・豪徳寺・猫…(壱)

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世田谷区・豪徳寺は「招き猫発祥の地」として有名です。ある書籍でこの「発祥の地」についての異なる説を見つけたので、久しぶり(2015.01以来)に出かけてみました。豪徳寺は山号が大渓山豪徳寺の曹洞宗のお寺ですが、昔、この付近には忠臣蔵の吉良氏の流れ(?)の武蔵吉良氏の世田谷城があり当時の吉良氏の当主吉良政忠が叔母の弘徳院のために臨済宗系のお寺を創建したのが始まりとされるようです。武蔵吉良家が没落した後、寛永年間(1633年頃)にこの地を与えられた井伊家が伽藍を創建するななど整備され、井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」により「豪徳寺」と改められました。井伊家代々の菩提寺で「桜田門外の変」のテロ事件で暗殺された『井伊直弼の墓所』は国の史跡となっています。
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久々の豪徳寺は緑が映える季節でもありしっとりとした雰囲気に溢れていました。ご多分に漏れず外国人が多くみられますが、この連中に「桜田門外の変」など興味が有るわけなく、お目当てはWebで検索しての「招き猫」なのでしょう。詳しくは次項にしますが、以前から「豪徳寺招き猫伝承」には”待てよ”と思う点がありました。今回の異なる伝承にふれて疑問が氷解したような気がします。
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吉田寅次郎の不可解

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毎年、毎回デタラメな歴史観を繰り広げる「NHK大河ドラマ」の今年の主人公は吉田寅次郎。それも妹のお話だそうです。そんなんでも世田谷・松陰神社が大そう賑わうのかも知れません(苦笑)。 この松陰神社ほど突っ込み処に溢れる神社もそうはありませんよ。…吉田松陰(松陰神社)は、国の進路は開国と決まったのに、無理に喧嘩を吹っかけて国を奪っていった連中が自分らの拠り所にするための”神様とその神殿”というところなのでしょう。 ”吉田寅次郎(松陰)=松下村塾=維新の元勲の育成”として語られますが、寅さんが関わったのは1857年11月から投獄されるまでのほんの1年にすぎず、教えを受けた門弟といっても、当時、久坂玄瑞(17歳)・高杉晋作(18歳)…この二人は士分ですが…伊藤俊輔(博文・16歳)と山県小助(有朋・19歳)に至っては、最々下層足軽の子供です。この二人については、有能な先輩達”一流が皆死んで、残った二流が権力にしがみついた”とはよくいったものです。寅次郎先生にしたって、藩から睨まれて幽閉状態にあり、1年後には挙動不審で逮捕&江戸送り。更には余計な事を喋って斬首の刑(29歳)つまりは長州藩の厄介者になってしまいました。 この神社の場所は、長州藩の別邸があり、斬首された4年後に高杉晋作らにより回向院から改葬されたとありますが、このあたり怪しいですね(苦笑) 松陰神社として創建されたのも1882年。先生の斬首から実に23年後です。
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教科書等の吉田松陰の画は妙に老けていますが、29歳没ですからこの像の感じだったのでしょう…。
遺体が返されたという事は、斬首でも『下手人』と呼ばれる最も穏やかな死刑です。つまりは、とても極悪人とよべるような罪人ではありません。
こちらでは「吉田松陰」呼び捨てはよろしくないようです。あくまで『吉田松陰先生』なのです(苦笑)。
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曹洞宗・豪徳寺

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世田谷の名刹・豪徳寺です。小田急線の「豪徳寺駅」が最寄駅と錯覚しますが、小田急豪徳寺からだと徒歩15分ほど必要で…。最寄駅は東急世田谷線の「宮の坂駅」です。豪徳寺は彦根藩・井伊家の菩提寺で「桜田門外ノ変」のテロ事件で襲撃された『井伊直弼/井伊家』の墓所があり”国の史跡・彦根藩井伊家墓所”や”東京都指定史跡・井伊直弼墓”となっています。
寺は1480年ごろ臨済宗の寺とて創建され、後に曹洞宗に変わっています。1633年(寛永10年)に彦根藩主・井伊直孝により整備され、寺号も直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」によります。有名な『招き猫伝承』は井伊家と寺の結びつきの話で、猫が招いたお蔭でのちのちの寺が繁栄していきます。要は猫のお蔭で”得”をしたのは「寺」ということです。まぁ良しとしましょう(笑)。境内には願掛け成就で収められた猫達が役目を終えてずらりと休んでいます。招き猫伝承は浅草・今戸神社にもありますが、各々伝承話の内容が違いますのでよくある「元祖」と「本舗」のような話ではありません。
豪徳寺から15分程で世田谷区役所~国士舘大学~松蔭神社とぶらぶら歩きができます。安政の大獄の敵関係の、井伊直弼と吉田松陰が世田谷区役所を挟んで眠っているのは、本人達は気まずい思いをしているかも知れせん。
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豪徳寺の猫たち

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東京で”3大猫伝承”となると豪徳寺の猫、新宿・自性院の猫地蔵と台東区・今戸神社があげられます。今戸伝承は少しばかり無理がありますが、総合的には豪徳寺の伝承でしょうねぇ。豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称して招猫観音を祀られる「招猫殿」が置かれ、招猫殿の横には右手を上げた素朴な白い招き猫が役目を終えて休んでいます。「招猫殿」近くに平成18年に落成した三重塔があり、塔の一層目の蟇股部分には十二支の動物達が彫り込まれています。Pt↑)目をこらすとナント!センターは”招き猫”です。左のネズミは小判を咥え、右のネズミは俵の上に乗っています。この彫り物の右隣が”猪”、左隣が”牛”です。塔を一周すると十二支完了なのですが、この猫を加えると十三支になります。豪徳寺=猫だけに、これは”あり”でしょう。
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塔の二層目の蟇股部分にも二匹の猫が様子を覗っています。望遠系のレンズがなかったのが悔やまれます。
豪徳寺の猫となればこちらの方が有名です。正月のこともあり物凄い数の猫たちです。
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