旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

埼玉県

新座・平林寺…(2)

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新座・平林寺は山号が「金鳳山」の臨済宗妙心寺派のお寺です。武蔵野の雰囲気が残る境内林は43㌶と広大で昭和43年(1968)に国の天然記念物に指定されています。今回はJR武蔵野線・新座駅下車で向かいましたが、新座駅からの路線バスは本数が少なくバス利用ならば東武東上線・志木駅の方が良いようです。
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平林寺は1375年(永和元年)に現さいたま市岩槻区に臨済宗建長寺派の寺院として創建され新座の地へは川越・松平家により1663年(寛文3年)に移転しています。他の社寺と違い広大な寺の敷地はぐるりとフェンスで囲まれ参拝者は自由に立入ることができません。地図で見ると新座駅から歩いても近く感じますが、寺のフェンスに沿って参拝者入口までがはかなりの距離があり新座駅から歩いて40分程度かかりました。
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平林寺には僧侶の修行道場のお堂があり、一般参拝者が立入れない場所が多々あります。却って静寂とした環境となっています。埼玉県有形文化財の総門や山門、仏殿や川越松平家の松平信綱夫妻の墓所など見どころもあるのですが、むしろ鬱蒼とした境内の木々に圧倒されます。難点はデジカメには写りくい事なのですが…(苦笑)。
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新座・平林寺…(1)

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北海道なら”キツネに注意!”や道路に大書された”鹿の飛び出し注意!”は珍しくはないのですが、埼玉の秩父の山奥でもなく東京に隣接する新座市では(苦笑)。まぁタヌ公は里に住む動物ですから不思議はないのですが、交通看板が必要なほど住んでいるのでしょうか?国の「武蔵野の面影を残す雑木林」はタヌ公には絶好の環境でしょうし民家もあるので食べものにもさほど苦労することもないでしょうが…。
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埼玉県新座市の平林寺の境内は実に13万坪・約43㌶・東京ドームの9個分あるそうです。良くある話ですがこの「東京ドーム何個分」は野球のフィールドなのか、客席含む球場建物なのか、遊園地含むドームシティの事なのか判然としません。イメージでの錯覚狙いにしても、フィールドたいして広くはありません(笑)。平林寺境内林の43㌶と聞いてもピンときませんが歩けば判ります。東京近郊でこれだけ広い雑木林はもうないでしょう。
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Pt↑と↓は、平林寺総門前の睡足軒(すいそくけん)と云う国指定の天然記念物「平林寺境内林」の一画です。平成14年に平林寺から新座市へ無償貸与され一般開放されています。この様な経緯の場合はだいたいは市の管理は杜撰ですが、ここは充分に手入れが行き届いていました。1)新座市は「史跡・野火止用水」でも有名ですが、如何せんこの季節は緑が深すぎて絵になりません。2) 新座市のイメージキャラクター「ゾウキリン」がデザインされたマンホール蓋です。追及するのはやめておきます。3) タヌ公注意は他にもありました。タヌキ王国なのでしょうか?
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川口・峯八幡宮

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埼玉県南部は縦方向にJR各路線・東武伊勢崎線&東上線・西武線の路線がありますが横方向は武蔵野線のみで不便です。『峯八幡宮』もJR川口駅と伊勢崎線・草加駅のどちらからも不便でJR川口駅から国際興業バスで30分(¥260)と微妙な場所にありました。それにしてもバス案内では「峯八幡宮」で神社HPでは「峰が岡八幡神社」なのが妙ですが…。
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八幡様という事でご祀神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇、大分の宇佐八幡宮を総本社とする神社で全国的には稲荷社についで全国2位の数があります。関東では源氏ゆかりの「鶴岡八幡宮」から勧請された例が多く「峯八幡宮」には天慶年間(938年頃)に清和源氏の源経基の創建とする説と鎌倉時代に鶴岡八幡宮の社領のこの地に勧請との説がありますがいずれにしろ「源氏ゆかり」には変わりません。
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流石に住宅地化が進んでいて「壱の鳥居」の場所が判りません。県道から神池らしき所まで進むと、この先に鬱蒼とした木々に囲まれた参道が現れます。石灯籠がズラリと並んだ参道を200mほど進み石段を登ると「朱」鮮やかな鳥居が迎えてくれます。木々の緑と朱のコントラストがいい感じです。
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神社は川口市の新郷地区、昔の足立区古田領三十二村の総鎮守であったようです。鉄道や国道の発達から外れた事で”八幡の杜”の静かな環境が今に残っていて、大正年間に造営されたという「神門」もいい感じです。越谷・久伊豆神社、春日部八幡神社、峯八幡宮と東京都内に鎮座する神社とは違った姿が見られます。
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大稲荷社、諏訪社、御嶽社、須賀社などの境内社の点在する約7700㎡の神域には煌びやかなものは何もありません。1)八幡宮につきものの樹齢700年超の大銀杏はさすがの迫力です。2)拝殿、幣殿、本殿の並ぶ様はとても美しいです。3)石灯籠が建ち並ぶ参道…。なかなかの関東平野の古社です。
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化粧したって松原団地

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東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の「松原団地駅」は「独協大学前駅/草加松原」に変わっていたんですねぇ(2017年春)。日本の高度経済成長期に東洋一の大規模団地「草加松原団地」が造られ獨協大学が開校したの昭和30年代後半。そういえば面白いことがありました。松原団地在住の社員から「台風の大水で駅が水没して出社できません」との欠勤連絡があって(笑)。広大な田圃を無理無理に団地を造成したので大雨の後は洪水事件が頻発したのです。50年の歳月で団地は老朽化、誰が言い出したのかイメージ戦略として化粧を変えて《大学の街》に化けたかったのでしょうが、スッピンを知っている身としては笑うしかありません。
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もう一つ笑えるのは、駅の東側の旧日光街道には昔の街道の面影を残す『草加松原』があります。ここが平成26年(2014)に国指定の名勝『奥のほそ道の風景地』に指定されると「独協大学前」では立つ瀬がないと言い出す輩が登場(?)副駅名称として「草加松原」が追加されました。《化粧だけではもの足りず、寄せて持ち上げる》という作戦にでたようですが、そんなもんよく見ればバレます。確かに「奥の細道の風景地」では陸橋のデザインや松並木より街灯が低く造られるなど全体としてやりすぎと思えるほどの整備がされています。それでもスター性に乏しいとみえ「奥のほそ道・松尾芭蕉」とは!それって江東区や北千住に任せた方が良いのではないでしょうか。
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春日部八幡神社

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埼玉県在住の知人に聞いても東武野田線を「東武アーバンパークライン」と呼ぶ人は皆無です。なんでも2014年4月の改称からの定着率は2割程度だそうです。この愛称を使用するのは東武鉄道と関連不動産やだけでしょう。記憶にある野田線は単線の2両編成で田園地帯を走る路線でした(笑)。スカイツリーラインと交差する下品な漫画の子供一家が住む春日部(粕壁)には元弘年間(1331頃)から鎮座するのが『春日部八幡神社』です。
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東武野田線八木崎駅下車、県立春日部高校を過ぎて徒歩5分位です。新田義貞配下の「春日部治部少輔時賢」なる武将が鶴岡八幡宮から勧請しご祀神には誉田別尊(応神天皇)、息長足姫尊(神功皇后)の他に武内宿禰命、さらには豊受姫命が祀られています。関東平野には社歴のある神社が思いの外あります。銀杏や欅の巨木に囲まれた鎮守の杜の神々は東京郊外の田舎町が住宅地に変貌しく様をどのように感じているのでしょうか?
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春日部総鎮守の古社だけに境内社も多いようで、鹿島神宮・香取神宮・愛宕神社・天満宮・弁天宮・氷川神社・御嶽神社・浅間神社等が鎮座しています。驚いたのは八幡社から春日部稲荷への木々が鬱蒼とした丘陵地《埼玉県指定 天然記念物・中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘》は噴火による火山灰が季節風により旧利根川流域に堆積した内陸性の200m x 50m規模の「砂丘」なんだそうです。初めて見ましたが写真は無理でしたが確かに砂地でした。
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加須・玉敷神社

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越谷の『久伊豆神社』を訪れた時に旧荒川流域に点在する久伊豆神社の総本社的なのは『玉敷神社』と知りました。旧騎西町の玉敷神社は東武線加須駅とJR鴻巣駅の中間で、最寄りのバス停などなく加須駅からTAXI(¥1520)利用でした。神苑の玉敷公園は「藤の花」で有名らしいのですが、それは季節外れという事で…。越谷&岩槻の久伊豆神社同様に一の鳥居から本殿迄は長い参道があります。お隣の「旧河野邸」は國學院大學の神道学者河野省三氏の旧宅です。
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創建は大宝3年(703)文武天皇時と成務天皇6年(136)の諸説があるのですが平安時代初期の法制の書「延喜式」に記載がある古社です。元々は現在よりやや北方向にあり戦火により焼失し騎西城内に再建されて寛永4年(1627)に現在地に遷座しています。江戸時代は「久伊豆大明神」と称し、ご祀神は《大己貴命=大国主命》と「久伊豆神社」と同じです。これをもって総本社的という事なのでしょう。
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旧埼玉郡の総鎮守として親しまれ神域には「宮目神社・大宮能売神」、「天神社・菅原道真公」、「琴平社・大物主命」、「稲荷神社・宇迦之御魂命」、「八坂神社・素盞嗚命」、「松尾神社・大山咋命」、「白山神社・伊弉諾命、伊弉冉命」の神々が祀られています。面白いのがPt↓の「宮目神社」で玉敷神社がこの地に遷座するまではこの地の地主神であったようです。大宮・氷川神社と同様に久伊豆神が先住神の住まいに遷座したという事です。神道では珍しいことではありませんが世界的には珍しい事なのです。
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加須の騎西城

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騙された訳でもないし怒る事もできませんが、なんと表現すれば良いのでしょうか(苦笑)。歴史的には騎西城は寛永9年(1632)に廃城となっています。この時代であれば天守閣を持つ城郭構造はなく精々砦的な城の縄張りのはずです。実はこの天守は旧騎西町が1975年に町制施行20周年を記念して建築した3重3階の模擬天守で発掘調査で出土した品を展示する「郷土史料展示室」となっています。
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現在は休館中との事で見学はできませんが、根古屋城とも呼ばれた平城の騎西城があったのは事実で、その辺りを承知で作った城なので《しょうがないねぇ!》としか言いようがありません(笑)。Pt↓)の一本の木と石碑が建っているのは城遺跡の土塁です。建物は加須の福祉センターの建物です。こうしてみると極々普通の城址公園に見えますが、これを子供達にどう教えるのでしょうか?
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埼玉・加須でうどん

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東武スカイツリーラインなる路線も春日部を過ぎると景色が変り、久喜(くき)を過ぎるとほぼ群馬・茨城感が色濃くなってきます。加須市ってのは「鯉のぼり」の生産量が日本一だそうで、さらには米と小麦の作付けが多く「加須の手打ちうどん」が有名ですが…。始めて降り立った加須駅には駅に隣接で大丈夫かよ?の「東武ストア」があるだけで、駅前にあるべき商業施設は何もありません。それでもこの看板を見れば誰だって期待するでしょう(苦笑)。
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市内には約50軒のうどん店がありこの看板は「加須手打うどん会」によるモノです。案内板には距離も所要時間の記載がありませんが、実際は駅前や駅近くには1軒もありません。調べると最寄りで徒歩10分はかかり、ひどいのは車で20分(!)。騙された訳ではないのですが腹が立ちます(笑)。道すがらに『千方神社/ちかたじんじゃ』という古そうな神社がありました。ご祀神は『興玉命=サルタヒコノカミ』・『神日本盤余彦命=神武天皇』・『藤原千方命』とありますが、藤原某は別としてなんでこの名称なのでしょう?敷地面積は446坪と広く境内社には浅間神社・恵比寿大黒社・八坂神社・稲荷社があるのですが広場を囲むように配置されなんだか妙な感じがします。
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特筆なのは神域にある『石敢當/せきかんとう』と呼ばれる魔よけ信仰の石碑があります。この信仰は九州地方のもので関東に存在するのは極めて珍しく昭和31年に加須市の指定有形文化財に指定されています。(名ばかりの)駅通り商店街の街灯につけられてた幟には《なにかあるかゾ?》とあり駅前広場には特産の《鯉のぼり》が泳いでいました。
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川口・川口神社

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川口市は「ほぼ東京」などと標榜しているそうですが馬鹿なことを言うものです(笑)。「サッポロビール工場」は移転、川口駅前の「丸井」は閉店撤退、「ヨーカ堂」は更地、「そごう」は近々閉店、西川口のソープ街を根絶したら「怪しい外国人」の住み家と化し、老朽化したUR住宅には外国人ばかりが住む街になっています。【映画キューポラのある街⇒昭和37年公開⇒吉永小百合】なんてのは遥か昔々の事です。
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川口は鋳物工業地域で粉塵まみれの空気の汚い街でした。マンション街へ変貌して多少はマシになったでしょうが、その元々鋳物工場地帯の金山町に鎮座しているのが『川口神社』です。ご祀神の素盞嗚尊は氷川神社の祀神、宇迦之御魂命と保食命は五穀豊穣の稲荷神、菅原道眞公(天神社)は学業成就、金山彦命は金属工業の神々です。940頃に「氷川社」として創建され、後に他の神々が合祀されて社名を『川口神社』に変え地域の総鎮守となったようです。
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参道の大鳥居をから昭和18年(1943)に造られた神門を過ぎると火災で焼失後の昭和4年(1929)に再建の隅々まで気配りされてた本殿と幣殿があります。大きすぎて撮影できなかったのですが神域には多くの巨木があり、特に市指定の「すずかけの木」はビルの4階ほどの高さ16mもあるそうです。これなら神々の依り代としてもわかり易いでしょう。神域には明治年間以降に合祀されてきた境内社が多くあり、別宮として特産の鋳物の守護・金山神社。菅原道真を祀る「梅の木天神」。英霊を祀る「川口護国神社」。氷川信仰とは別系統で素盞嗚尊を祀る「八雲神社」などがあります。良く判らんのが神門右方向の浅間神を祀る富士塚がありますが低すぎて富士山らしくはありません。
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越谷・香取神社

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東武スカイツリーラインの北越谷駅下車、徒歩5分ほどに「越谷・香取神社」が鎮座しています。下総の国一ノ宮香取神宮を総本社とし埼玉県120社ある子社の1つです。神社横は県道49号線、草加バイパスが国道4号になった事で降格した道です。昔は大沢宿とされ奥州街道・日光街道でだった時代から神社は時の流れを見てきた事でしょう。
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ご祀神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)またの呼名を伊波比主命(いはひぬしのみこと)と称し、日本神話の「出雲の国譲り」に出てくる神様です。神社創建の年は不明ですがおよそ500年の社歴があり、街道を行き来する旅人の休憩地としても賑わった様が想像されます。一の鳥居から二の鳥居を経て本殿迄は200mほどの距離があり、かつての神域はかなり広かったと思われます。子授け、安産成就、家内安全、商売繁盛、厄除け、交通安全が神徳とありました。
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越谷・久伊豆神社

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沿線にスカイツリーが有るからといって「東武スカイツリーライン」はないでしょう(爆)。着飾っても化粧しても東武伊勢崎線は伊勢崎線です。そういえば大宮~野田の東武野田線が「東武アーバンパークライン」だと!。こんな愛称なんて東武(田舎)鉄道は恥ずかしくないのでしょうか(笑)。沿線に南越谷・越谷・北越谷と駅が並びますが、この久伊豆神社は越谷市内だけで8社が鎮座しています。氷川神社以上に地域限定神社で、加須市の『玉敷神社』が「久伊豆明神」と称し総本社とされていますが、元荒川流域にだけに分布しての鎮座となっています。
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伊勢崎線沿線には縁はなく以前に訪れた「岩槻・久伊豆神社」と同程度だろうと思っていました。越谷or北越谷駅から徒歩15分程度ですが交通の便は良いとは言えませんが、埼玉にこんな神社があるのかと思うほどの神社でした。季節には「藤の花」が有名だそうです残念ながらハズレです。神社の社紋が「立葵」になっており、江戸時代に鷹狩りの訪れた徳川将軍から賜ったものらしいのですが、ご祀神は大己貴命との直接の関係はないようです。「葵」のご紋が許された神社はそうはありません。Pt↑)の足に縄が巻かれた狛犬は遊びに惚けた家人を家に呼び戻すというご利益があるのだそうです。
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神域はとても広く壱の鳥居から本殿迄は300m以上あり木々に囲まれた参道はなかなかのものです。三の鳥居は平成5年の伊勢神宮遷宮の折に材を拝領したもので平成7年に建立されたものです。
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深谷のミニ東京駅舎…(3)

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上野方面からJR高崎線普通電車で向かうと深谷の1つ手前の「篭原」止まりの電車があります。これに乗ってしまうと1駅の乗継ぎに30分以上待たされる羽目になります(苦笑)。さすがほぼ群馬の空気感が漂う深谷なのです。それにしてもこの駅舎は良くできています。東京駅ステーションホテル高額部屋外観の感じなんか笑えます。駅舎から見渡すとすぐ近くに『瀧宮神社』の杜が見えます。徒歩2-3分の距離なので立寄って見ました。
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『瀧宮神社』には天照大御神・豊受大御神・彦火火出見尊が祀られています。線路に向かっての傾斜地のヘリに建っており、神域には湧水(自粛中)と水に恵まれ古代には集落があったようです。『瀧宮神社』が鎮座しこの地に深谷城があった時代には城の鬼門守護として崇敬されたようです。けっして豪華絢爛の神社ではありませんが、この雰囲気は得難いものがあります。♪ 村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭日 ♪ 小学校唱歌の世界です。
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深谷のミニ東京駅舎…(2)

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深谷出身の大物といえば明治年間に各種の会社設立に参画、日本実業界の指導的役割を果たした「澁澤榮一」でしょう。その澁澤翁の生誕地が現深谷市血洗島という場所です。「血洗島」とはなんだか恐ろしい名前ですが深谷の駅からはエラク遠い場所にあります。生誕地には翁の資料を展示する「渋沢栄一記念館」がありますが、北区王子には旧渋沢邸跡地に「渋沢資料館」があり、タイトルだけ聞くと紛らわしさを感じます。
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2021年のNHK大河ドラマ予定など渋沢栄一の名前を聞くようになりますが、何よりは2024年(令和6年)予定の新壱萬円札の肖像に決まった事です。ゆかりの駅だけあって駅前には翁の銅像があり盛上的展示物が散見されます。実のところは『お札の肖像の選定基準は「功績が有ったか否か」ではなく「万人が知っていて偽造が困難」が優先され、最終決定は財務大臣が決定』。つまり肖像人物=歴史上の偉人という事ではありません。渋沢翁に異存はありませんが、樋口某の作家や最近の評価が変わってきた野口先生でも良い訳です(笑)
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深谷のミニ東京駅舎

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『深谷市』といわれても全く馴染みも何もありません。埼玉県の北部も北部で殆ど群馬県なんですから。あの暑さで有名な熊谷の隣町、冬になれば赤城降ろしの季節風(苦笑)。それでも近々壱万円札に登場の澁澤榮一、角がネギのゆるキャラ・ふっかチャン、ガリガリ君の赤城乳業、そしてこのミニ東京駅。なんのこたぁない結構の役者が揃っています。
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深谷駅は1883年(明治16年)に私鉄の日本鉄道の駅として開業しています。1898年には深谷を特色つける「日本煉瓦製造」の専用線が造られ1906年(明治39年)に国有化されることになります。もう忘れられた話なのですが昭和40年代に深谷を地元とする荒船清十郎なる衆議院の先生が運輸大臣在任時に地元の深谷駅に無理やり急行列車を停車させるという騒動がありました。後に岐阜羽島駅に新幹線を停車させた騒動の先駆けとなった様な話です。
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東京駅丸の内駅舎の煉瓦が深谷市の「日本煉瓦製造」で造られ東京駅に運ばれたとの縁で1996年(平成8年)の駅舎改築に際して東京駅を模して建設され、1999年(平成11年)には関東の駅百選に選ばれています。最近手直し工事が完了したとの事で「自粛」の隙を次いで出かけてみました。さすがに世の中は自粛中で人はおらず駅前は閑散状態です。実際は総煉瓦造りではなく煉瓦が張り付けられた構造で駅舎も線路を跨ぐ構造になっています。駅近くからの全景もなかなか良い感じです。
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さいたま市・見沼通船堀…続

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訪れた季節が悪かったのでしょうが、「国の史跡指定」の割には”なんかなぁ”という雰囲気で笑)。水路に流れはなくゴミこそ捨てられていないにしても残念な景観になっています。西縁一の関(猫殿のいた場所)に至っては立入禁止となっていました。ここ浦和から大宮へ続く見沼田圃は現在でも関東有数の広大な田園地帯なので、”見沼””の名が付く公園も多くあります。その全域を管理していくのは容易なことではないで”しょうが、この国史跡の通船堀にしても数年に一回、極々稀に閘門通行の実演が行われる時以外はほったらかしなのでしょう。
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なかなか良い感じの竹林が続きます。数百mにわたって遊歩道が造られています。”竹の子を盗まないでください”の旨の看板は興ざめです(苦笑)。
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大宮の氷川神社を一宮とする氷川さんですが、見沼田圃周辺には須佐之男命(おやじ)を祀る大宮、大己貴命(子供)を祀る中氷川神社、奇稲田姫命を祀る氷川女體神社があり、この「附島氷川神社」には奇稲田姫命が祀られています。鎮座地はやや高台で見沼田圃が見渡せたことでしょう。
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江戸時代に見沼干拓事業に参加し、完成後は積荷や船頭の配置などの割振り業務を担当した鈴木家の文政年間に造られた国の史跡指定をもつ「鈴木家住宅」です。
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鈴木家住宅の先、八丁堤脇の「水神社」です。河川仕事従事者の水難防止を祈願した神社なのでしょう。絵に描いたように荒れ果てています。河川運搬事業が衰えるとともに信仰する人達も減ってしまったのでしょう。
竹林に潜むのは”虎”なのですが、通船掘りの竹林にはなかなかの貫禄のねこ殿が潜んでいました。
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さいたま市・見沼通船堀

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学校教科書にもあった『見沼代用水の閘(こう)門式運河跡』です。高低差の異なる河川を往来できるように造られた運河で、同構造の「パナマ運河」より前に造られていました。=運用方法は省略= 江戸時代中期の享保年間に造られた見沼代用水に「通船堀」が造られたのは享保16年で当時の産業物流に大いに役立ったようです。昔は【日本最古の…】のタイトルだっのですが、他からも”日本最古”の名乗が続き【日本最古の部類…】に変わっています。
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江戸から明治中期となると物流手段が変わり船のよる物流は廃れます。昭和初期には役目を終え昭和6年(1931)に通船堀は廃止となっています。通船堀は昭和30年(1955)に埼玉県の史跡に指定。昭和57年(1982)には国の史跡に指定されました。現在の通船堀は復元されたものですが、平成6年からは段階的に整備計画が進捗しているはずですが…。
PT1)当時の浦和市長・中川健吉氏による「見沼通船堀」の碑です。黒い塊はこの近辺を仕切っている”ねこ殿”でどいてくれません。 PT2)閘門近くは運河幅が広いようです。絵は撮りようでこうなります。
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跳んで川口駅前…(補)

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「川口生まれの聖火台」は別の一基が市内の青木町公園に展示されています。駅前展示の聖火台はこれを移したと思っていたのですが違っていました。2mを超える大型鋳物作品を数ヶ月で納品との依頼を受けた鋳物工場では、大変なご苦労の末この一号機を完成したのですが事故により破損してしまい、次いでの2号機が納品され旧国立競技場に設置されたそうです。破損した1号機は修理され青木町公園にレプリカではない兄弟機が設置されたようです。
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こうしてみるとかなりの迫力はあるのですが表現としてはイマイチ感があるような…(苦笑)。ご覧のようにビルの屋上にデンと置かれ獅子吼状態で、調べてみると全長は25mもあるそうです。元々は入居していたパチンコ店のオブジェだったようですが栄枯盛衰の果てに「百獣の王は残った」ということです。
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川口市内にはとにかく銅像などのアート作品が数多く展示されています。これは駅2階の連絡通路にある「人魚の親子像」です。『まことの幸福は人助けから』とあるので、これがタイトルなのでしょうか?

跳んで川口駅前…(2)

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こちらは川口駅西口側です。川口駅の開業は明治43年9月10日とあり結構古いようです。駅前には「川口総合文化センター リリア」がデンとあり、遥か以前にVentures公演を観たような記憶があります。昔々は駅前に大きな工場があったのですが今はマンショ群となりました。東口側と異なって商業施設や商店街はなく駅前は川口西公園(リリアパーク)という広い公園となっています。夜は寂しそうです。
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東口には川口のシンボルともいえるビルの屋上の巨大な「ライオン像」です。このビルには元パチンコ店で謂れは知りませんがシンボル的に造られたようです。時を経てパチンコ店は閉店となりライオン像だけが撤去される事なく残っています。確かに撤去費用だけで莫大な額になるのでしょうねっ。
以下は”花と彫刻の川口西公園”の銅像数点です。銅像は全14点あります。抽象的なモノやらなんやら多彩ですが、あまり興味がないので「裸の姉ちゃん」としました。作者はいずれもが有名な作家とありますので、そうなんでしょう。
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タイトル=「纏う女」作者=笹戸千津子 ブロンズ製

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タイトル=「裸のリン」作者=佐藤忠良 ブロンズ製

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タイトル=「風の交差点」作者=市村緑郎 ブロンズ製

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タイトル=「渚」 作者=船越保武 ブロンズ製

跳んで川口駅前…(1)

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映画”跳んで埼玉”では東京都との県境の荒川岸には関所があったようですが、実際はありません(笑)。JR川口駅前に2020年3月迄の限定で忽然と現れたがPt↑)の1964年東京五輪の聖火台です。この聖火台は1958年のアジア大会に向けて川口の鋳物師・鈴木万之助氏らが造ったものです。東京五輪でも使われ旧国立競技場解体後は撤去され宮城・岩手・福島の東日本大震災の復興支援で活躍の後61年振りに故郷の川口へ戻り、後新国立競技場の東ゲートに展示されるようです。
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川口市はかつては「鋳物の川口」といわれるほど鋳物産業が盛んでした。その流れで川口駅付近にはやたらと銅像がみられます。Pt↑)は「働く歓び」という作品名で昭和49年(1974)の富田匠美氏の作品です。駅前再開発以前はこの場所ではなかったのですが、鋳物製造過程の湯汲という作業の模様ですが「肥溜めを汲上げる男」という感です。
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吉永小百合氏を一挙に有名にした映画が1962年公開の川口を舞台とした「キューポラのある街」です。白黒暗い感じの映画としか記憶にありません。今ならあまりに陳腐な話で呆れるでしょう(苦笑)。Pt↑)がそのキューポラです。要はシャフト型の溶解炉です。小型版が「甑/こしき」でこちらの方が有名です。
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久々なので、まだあるのかいかと思ったのですが、りそな銀行の前にある妙な郵便ポストです。昭和40年頃までは川口市内の鋳物工場で丸型の赤い郵便ポストが製作されており地場産業の鋳物を知って頂くために制作されたそうです(苦笑)。
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「なんじゃこれっ」と思ったのが川口駅舎にあった横断幕です。『本当に住みやすい街大賞2020【あるんかそんなの】第一位川口』…知りませんでした。地場産業が衰退しマンションばかりが林立、元が工業地域だけに空気が悪く、商店街は衰退し「そごう」も撤退のような、西川口ソープ街を廃絶したら中国人やらに乗っ取られあらゆる中華料理が食べられる街に、東京駅まで30分弱といってもJR川口駅の通勤時間帯は積残しの連日の大騒動。新駅を造って中距離電車を止めろ要求とは…。馬鹿いうでないっ!
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うさぎの神社の酉の市

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浦和の街(さいたま市)は旧中山道の宿場町として栄えた街にしてはこれといったお祭りがありません。唯一といっても良いのが12月12日に調宮/つきのみや=(断じて調神社/つきじんじゃではありません)=行われる「十二日まち」なのです。例年なら北風が吹く時期ですが、なんとまぁ今年の暖かいこと!これなら露天商の面々も楽々でしょう。それにしてもタピオカやら広島お好み焼きやら中津唐揚げやら宮崎牛やらと具体名の屋台が増えていますね。
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本当に混雑するのは日が暮れてからですが、早い時間ならではの乳母車軍団が目立ちます。この時期は昔なら中高校の期末試験があり学校からは「なるべく行くな!」のお達しがありました。運の悪い奴らは補導員に捕まって説教されて(苦笑)。Pt↑)は調宮の入口です。何度か触れては来ましたが、調宮には「鳥居」がありません。狛犬がなく神社入口には神使の「うさぎ」が一対置かれています。神使=うさぎは全国的にも珍しく干支の兎年は大大混雑です。
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神社の裏手には酉の市ならではの「熊手」を商う店が並んでいます。古い熊手を持参して、新しい熊手と交換して、無病息災・家内安全のシャンシャンシャンがお約束でした。昭和・平成・令和と変わらない習慣なのでしょう。昔はお茶碗やらの食器類などの生活必需品の露店もありました。今はいつでも買える時代ですから無くなっていますが…。
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2日前は大宮・氷川神社で酉の市が行われます。氷川さんは広い神域ですが浦和調宮はさほど広くなく狭い神域にお店が密集しています。子供のころから見慣れたモノなので不思議に思ったことはないのですが、冬空のこの季節に何故か「お化け屋敷」が出店(!)します。ずっと昔からありました(笑)。蛇女やらなんやらと呼び込みはオドロオドロシイのですが、その先は言わない方が良いでしょう。
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