豊かな水量の江戸川。♪連れて逃げてよ~♪の「矢切の渡し」です。紅白タワーあたりに人影が見えます。ここが松戸市側の渡しの到着場所でゴルフ場の敷地でした。徳川時代は江戸防衛のため河川の架橋は制限され渡船のよる往来が充実していました。伊東佐千夫による小説「野菊の墓」の舞台もここらです。
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「葛飾柴又寅さん記念館」は映画の世界観を再現展示する施設で1997年に開館しています。「寅さん」に依存度の高い街だけあってよくぞ造ったものだと感心します。自分ら年齢からは懐かしく感じるのですが、渥美清氏が亡くなられてから30年近くの年月が過ぎているのでからねぇ。時代も変わります。
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入館してみるとそれなりには楽しめます。特に「くるまや」やタコ社長の「朝日印刷所」のセットは2000年に閉鎖された松竹大船撮影所で実際の撮影に使われたセットのようです。「くるまや」は帝釈天参道の「とらや」がモデルで、比べるとなるほど感に溢れています。
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長年疑問だったのが寅さんのトランクの中身です。この展示で疑問が解決しました(笑)。着替えや裁縫セット、目覚まし時計、列車の時刻表はさもありなんですが、高島暦、香取線香、喉薬やら頭痛薬やらも見えます。
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寅さん記念館に併設して映画「男はつらいよ」での原作、脚本、監督を担当した山田洋次氏のミュージアムがあります。氏の監督作品には「幸せの黄色いハンカチ」や「学校」や「たそがれ清兵衛」から「釣りばか日誌」など記憶にある作品ばかりです。
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寅さん記念館のすぐ隣に浅草でカメラの部品製造の会社を経営していた山本栄之助氏の旧宅が「山本亭」として公開されています。元々の瓦工場の跡地に関東大震災で被災した山本家が移転してきたもので、1988年に葛飾区の所有となり、1991年から一般公開されています。
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2003年に「東京都選定歴史的建造物」に選定された山本亭は、具体的な建築年は特定できないようですが、明治、大正、昭和初期に造られて現存する建物は財閥系のお屋敷が多く、都内にこれだけの民家が残っているのは貴重です。玄関先からの座敷の広がり…。丁寧に保存されています。
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「葛飾柴又寅さん記念館」は映画の世界観を再現展示する施設で1997年に開館しています。「寅さん」に依存度の高い街だけあってよくぞ造ったものだと感心します。自分ら年齢からは懐かしく感じるのですが、渥美清氏が亡くなられてから30年近くの年月が過ぎているのでからねぇ。時代も変わります。
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入館してみるとそれなりには楽しめます。特に「くるまや」やタコ社長の「朝日印刷所」のセットは2000年に閉鎖された松竹大船撮影所で実際の撮影に使われたセットのようです。「くるまや」は帝釈天参道の「とらや」がモデルで、比べるとなるほど感に溢れています。
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長年疑問だったのが寅さんのトランクの中身です。この展示で疑問が解決しました(笑)。着替えや裁縫セット、目覚まし時計、列車の時刻表はさもありなんですが、高島暦、香取線香、喉薬やら頭痛薬やらも見えます。
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寅さん記念館に併設して映画「男はつらいよ」での原作、脚本、監督を担当した山田洋次氏のミュージアムがあります。氏の監督作品には「幸せの黄色いハンカチ」や「学校」や「たそがれ清兵衛」から「釣りばか日誌」など記憶にある作品ばかりです。
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寅さん記念館のすぐ隣に浅草でカメラの部品製造の会社を経営していた山本栄之助氏の旧宅が「山本亭」として公開されています。元々の瓦工場の跡地に関東大震災で被災した山本家が移転してきたもので、1988年に葛飾区の所有となり、1991年から一般公開されています。
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2003年に「東京都選定歴史的建造物」に選定された山本亭は、具体的な建築年は特定できないようですが、明治、大正、昭和初期に造られて現存する建物は財閥系のお屋敷が多く、都内にこれだけの民家が残っているのは貴重です。玄関先からの座敷の広がり…。丁寧に保存されています。
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