旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

墨田区

江戸博・徳川家康像

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両国の江戸東京博物館に隣接して「徳川家康像」が置かれています。この像は平成6年に江戸消防記念会が建立、東京都に寄贈したものとあります。あれだけ多方面でお世話になったのに東京都内に徳川家康公の銅像ってありましたっけ?台座+亀ではない動物+柱+銅像の高さは5mは確実に超える大作です。台座を支える動物はどう見たって「亀」なのですが、実は中国の伝承にある、龍が生んだ9頭の神獣のひとつで贔屓(ひいき)と云います。この9頭の神獣たちは、贔屓(ひいき)⇒亀に似る。螭吻(ちふん)⇒姿不明。蒲牢(ほうろう)⇒竜に似る。狴犴(へいかん)⇒虎に似る。饕餮(とうてつ)、蚣蝮(はか)、睚眦(がいし)、狻猊(さんげい)、.椒図(しょうず)と文字変換だけでも大変な子供たちで各々が得意分野を有しています。特にこの贔屓は「重いものを負うことを好む」とされます。なるほど家康公の生涯を思うと何となく理解できます。言い回しに「贔屓の引き倒し」という表現がありますが、像の状態から贔屓を引き抜くと全てが崩壊する様からきているそうです。なるほどです(笑)。
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両国の街散策…(2)

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『勝海舟』ってお方はどうにもこうにも困ったお方で、自身の著「氷川清話」には”嘘”とまでいかないにしても都合の良い自己表現に終始しています。それがこのお方の魅力でもありますが(苦笑)。吉良邸跡のほど近く両国公園(本所亀沢町)の一角に「勝海舟生誕の地」の碑があります。最近、勝さんの功績のボードが造られて、ようやく名所・旧跡らしくなりました。生誕の地から離れた墨田区役所の敷地内には「勝安房」の銅像がありますが158㎝のご本人とあまりにもかけ離れてた姿です。
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Ptは両国小学校のある「芥川龍之介」の文学碑です。芥川龍之介の生誕地は中央区の聖路加病院の敷地で奇しくも元禄時代には浅野内匠頭の屋敷があった場所です。母親の産後の肥立ちが悪く生後7か月で両国の芥川家に養子にだされています。とういことで龍之介が通った両国小学校に文学碑があるのは微妙に納得できます。現代だったらワイド・ショーで大騒ぎになるでしょうが、芥川の短編小説には某宗教の説話をパクった”蜘蛛の糸”や短編「鼠小僧治郎吉」と講談の「鼠小僧・雪の小仏峠」がほぼ同じとのパクリ疑惑があります。
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名所・旧跡とは異なりますが、両国と云えばの超有名店「キングサイズ洋品店・ライオン堂」です。【当店はKING SAZEの専門店です.。胸囲・胴囲=100㎝以上。首囲=46㎝以上。足のSAZE=27㎝以上】の表記があります。飾られたパンツの大きい事、流石に相撲の街を象徴するようで関取衆ご用足しの店だけあります。
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両国の街散策…(1)

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回向院から徒歩5分ほど、表通りに面してはいないのですが「本所松坂町公園」があります。ここが忠臣蔵で有名な吉良上野介上屋敷の跡です。現在はその一部が史跡公園として残されていますが、解説板によると吉良上野介義央の屋敷は敷地面積が2550坪(8400㎡)もあり、この「本所松坂町公園」はその86分の1だそうです。いくら隠居したとはいえ高家筆頭のお屋敷が狭いわけがありません。首洗いの井戸は眉唾モノですが、吉良公の像は穏やかな顔つきをしています。
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興味深いのは元禄15年12月15日の事件当日、犠牲となられた吉良家家臣の俗名の碑が造られています。「忠臣蔵」のTVや映画等は、事件の約50年後に書かれた「仮名手本忠臣蔵」をベースとしており日本人の感性に受けるように創作されています。‥【 ”忠臣蔵”は、傷害事件を起こし,法により死刑を執行された加害者の身内が、判決を不服として徒党を組んで被害者の老人を殺害したという事件 】ということです。事件については昔から様々な解釈がされてきましたが、これほど被害者が悪く言われる例も珍しいと云えます。
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両国・回向院…(1)

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陽だまりで毛づくろいをする猫の姿は穏やかそのものです。なかなかカメラ目線になってくれないのですが、この猫は”らっちゃん”という名前のようです。近くの注意書きによると「中性脂肪の数値が上限104のところ385あり”高脂血症”の診断を受けているようです。確かに持ち上げてみるとスッシリと手ごたえがあります。回向院はペットの慰霊も受けてもらえます。さしずめこの”らっちゃん”は猫のお坊様といったところでしょう。
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墨田区両国2丁目の”回向院”は同じ名称のお寺が南千住にもあるため”本所回向院”とも呼ばれています。1657年の江戸の街を焼き尽くした明暦の大火での10万人を超える焼死者を葬るために徳川家綱により造られた「万人塚」が始まりとされています。1781年以降には境内で勧進相撲が興行されるようになり今日の大相撲興行の起源ともされています。1909年には旧の両国国技館(後の日大講堂)が28万円(現75億円)をかけドーム屋根の13000人収容の施設が建設されました。
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回向院隣のマンションの駐輪場(写真のストライプがずれている場所)が旧国技館の土俵跡です。国技館は火災や東京空襲とご難続きで、第二次大戦後は米軍が接収、返還後は日本大学に講堂として使われ1983年に解体されています。その後は蔵前橋際に移転して「蔵前国技館」さらに今の場所に移転しています。回向院境内には相撲に縁のあるお寺との事で1936年に大日本相撲協会により「力塚」が建立されています。
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境内には”鼠小僧次郎吉”の墓があり、Ptのように墓の石材を削って持ち帰るとギャンブル方面に縁起が良いとされることから「欲にかられた人達」で賑わっています。映画や芝居だと千両箱を脇に挟みさらに肩に担いで屋根の上を走る姿が登場しますが冗談ではなく重すぎて腰が砕けます。鼠小僧次郎吉の墓は南千住の回向院にもあり、愛媛県松山市、岐阜県各務原市には恩義を受けたとされる人達により建てられた墓もあるそうです。

三囲神社の動物達

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墨田区向島の宇迦御魂之命を祀る『三囲神社』です。元和年間に社の改築の際”白狐にまたがる老翁の像”が見つかり、その時に白狐が現れて神像を三回廻ったことから『三囲神社』としたとされています。稲荷伸が白髪の老人の姿をしているのは伝承としたは珍しい話ではないのですが、言い伝えですから”そうですか”としか云いようがありません。久しぶりの訪れたのですが数年前に比べて良い感じになりつつあります。三囲神社の神域では神使(秘書官)のきつねや狛犬(ガードマン)など多彩な動物たちがその姿を見せていますが、Pt↑)は本殿の止瓦付近にあるきつね像です。屋根の四方に置かれているのですが木々に囲まれ写真には苦労させられます。
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本殿の前には「コンコンさん」と呼ばれるきつねの像です。実に穏やかな顔をしていて、目元など笑っているような感さえします。頭の上には烏帽子でも被っているのでしょうか突起があります。口元は『あ』と『ん』ですが『鍵』も『巻物』も咥えておらず足元は何も踏みつけていません。なにより直立した尻尾が実に立派です。実際のところ稲荷社のきつね像にはとんでもない種類があるのですが他の稲荷社では見かけないきつね像です。

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この三囲神社は三越(三井家)の縁のある神社で日本橋や銀座店の屋上には分社が鎮座しています。本殿裏の「三柱鳥居」というパズルか知恵の輪のような形状をした奇妙な鳥居は、三越の三井家が江戸進出にあたり守護神として崇めたと云われています。そんなことで本殿手前には閉店した三越池袋店にあった「守護神補佐としては役に立たなかったライオン像」が何故か1体だけ置いてあります。つぶれた店の名残りはどんなもんなんでしょう(苦笑)。
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墨田区・牛島神社

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浅草から隅田川の東岸、浅草墨田公園(水戸徳川家下屋敷跡)にある『牛島神社』です。神社縁起によると慈覚大師が貞観2年(860)に勧請した「須佐之男命」、後に「天之穂日命」が、次いでこの地所縁の清和天皇第七皇子「貞辰親王命」の3柱が祀られています。Pt↑)は牛島神社の大きな特徴でもある本殿前の鳥居です。これは三輪鳥居(みわとりい)と呼ばれる鳥居が3ッ組合わされた珍しい形状の鳥居で神域には他にも鳥居がありますが本殿前だけが三輪鳥居となっています。この形式の鳥居は埼玉県秩父の三峰神社と奈良県の大神(おおみわ)神社(神域の三輪山にあり撮影不可でした)で見た記憶があるだけです。
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葛飾北斎の絵では江戸期の牛島神社は三囲神社の隣にあったようです。大正12年(1923)の関東大震災では本所地区は壊滅的な被害を被り、その復興事業の一環として「墨田公園」へ遷座、昭和7年(1932)に総檜権現造りの社殿が完成しています。神社は東京大空襲の被害も免れ、現在は東京スカイツリーの氏神様となっています。
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浦和の調神社の神使は「うさぎ」でしたが、牛島神社の神使は「うし」です。この地は飛鳥時代は牛の牧場だったとの伝承やご祀神の「須佐之男命」が仏教集合では「牛頭天王」であったり、他にも牛関連の伝承があることから神使が「うし」なのでしょう。さらには「天満宮」で知られる病気快癒の「撫で牛」まで置かれています。他にも「牛の慰霊碑」などの「牛」もあり、牛だらけといった感じです。それにしてもこの神使は目つきがよろしくありません。
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亀沢・野見宿禰神社

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一般的には「相撲は国技」と云われていますが、これは(財)日本相撲協会の規定にあるだけで、正式には日本國には「国技」は昔も今も存在していません。伝承では日本最初の取組みとされるのが、約2千年前に第11代・垂仁天皇の時代に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのはや)との対戦で、これが相撲の始まりとされています。すみだ北斎美術館から1ブロックほどに祖である野見宿禰を祀る神社があります。元々高砂部屋があった場所に明治18年(1885)に創建したのが始まりとされます。神社は(財)日本相撲協会の管理で境内には歴代横綱の石碑が建立されています。新横綱が誕生すると神前土俵入りが披露されるのですが、これが10帖程度の広さしかなく”あの巨体が…”と妙に感心します。
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すみだ北斎美術館

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墨田区の両国駅近辺には小さいながらもユニークは博物館が点在しています。2016年11月にオープンの『すみだ北斎美術館』は展示内容、建物とも飛びぬけています。江戸後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎が生まれ生涯を送った縁ある街に建てられたという事ですが、誰もが知っている富嶽36景・赤富士や神奈川沖を含め、墨田区による約30年前からの構想し20億円を費やして収集した約1800点もの作品には、世界的に有名な浮世絵コレクターの所蔵品も含まれています。これだけの作品群が散逸せず集まったのはスゴイ事です。Pt↓)は・EVの扉すら”神奈川沖”です。・誰もが知る両作品です。・妹との作業風景ですが、巨匠ならではです。この人形たちは腕が動きますが、不気味です(苦笑)。
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江戸博特別展ねぇ・・。

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『すみだ北斎美術館』のついでに江戸東京博物館にて開催中の「没後150年 坂本龍馬」・(2017.4.29-6.18)・に立ち寄りました。観覧料は特別展だけが¥1350。+常設展で計¥1560となかなかの料金です(苦笑)。展示のみだまは、龍馬直筆の手紙や暗殺された際に携えていた愛刀「吉行」等なんですがぁ・・。ここまで実像と虚像がいり乱れたお方の企画展ってのは難しいんでしょうねぇ。「手紙」と「愛刀」などの他は殆どが「水増し状態」で、水割りやカルピスなら薄くて飲める状態ではありません。明治16年に高知の新聞に小説として掲載されるまでは、誰も関心なかった「坂本龍馬」が”Japan's Favorite Hero”に祭り上げられたのは司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」によるところ大なのですが、この様な企画展はどうしてもこのイメージに添っています。まぁ電車賃かけて行くほどのモンではありません(!)。
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ソラマチ・郵政博物館…(2)

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意外と「郵政事業」ってのは知らないものです。ましてスカイツリーに隣接してこの様な博物館があったとは・・です。あの胡散臭い豊島区の切手の博物館(総務省所管の一般財団法人)とは雲泥の差です。世界各国の切手の収蔵だけでも約33万種類(!)。これだけも丸一日かかりそうです。誰もが知っている「ラジオ体操」は郵政の前身の逓信省の発案で始まり簡易保険局、日本生命保険会社協会、日本放送協会が文部省の働きかけ郵便局員により全国に普及したそうです。ラジオ体操には第一、第二のほか幻の第三があるらしく、このあたり全く知りませんでした。さらにはゆうちょ銀行で松下奈緒と踊っている不気味なリス達は、郵政民営化で廃止される以前の郵便貯金のマスコットのシマリス「ユウちゃん」を継承していたとは・・(笑)。
正直、知らなくても困らない話ばかりなのですが、マニアでなくとも充分に楽しめる博物館です。
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ソラマチ・郵政博物館…(1)

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東京スカイツリータウン・ソラマチ9階の「郵政博物館」です。2013年に閉館した「逓信総合博物館」を引き継いで2014年3月の開館した施設です。東京スカイツリータウン・ソラマチというと中韓を筆頭とした貧乏外国人目当ての店ばかりと思っていましたが、この博物館はかなりレベルの高い施設です。惜しむらくはやや判りにくい場所にあることでEVで8階まで上がりEVを乗り換えて9階へあがります。下層階の商店街とは雰囲気がかなり異なります。前島密による郵政事業のあらましや、現場で使われた物品の数々。「簡易保険/ラジオ体操」やら「郵便貯金」の歴史。圧巻は33万種(!)に及ぶ世界各国の切手の展示には正直眩暈がします(笑)。館内アチコチに置かれた郵便ポストは「珍しい」を超越しています。
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墨田区・勝海舟銅像

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前項の続き的になりましたが、こちらは墨田区役所内(隅田川緑道3号)に建つ『勝安房(海舟)銅像』の銅像です。この像は生誕180年の平成15年(2003)7月21日(海の日)に「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区に寄贈されたものであり云々と謂れが描かれており、別に生涯年表も造られ詳しく功績が描かれています。ここ墨田区吾妻橋1-23-20は両国・回向院近くの両国公園で墨田区役所からかなり離れてますが、良しとしましょう。
区役所1Fには「勝海舟コーナー」なんてのもあるのですが、Pt↓)が展示のすべてとは笑いそうになります。本人の回顧録的な「氷川清話」はホントかよと思う話も多いのですが、資料集によるとこのお方のは身長156㎝との事で、肖像画や銅像のイメージとは”チョット違うかな”という印象です。因みに「フィラリアによる睾丸肥大の西郷吉之助(隆盛は本名ではありません)」は182㎝。梅毒による禿げ頭の坂本龍馬は170㎝。徳川慶喜は176㎝と江戸時代としてはかなりの高身長の方々です。
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東向島・東武博物館

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さいたま市の鉄道博物館の次項目としてはどうかと思うのですが、墨田区東向島の「東武博物館」です。東武鉄道創立90周年記念事業として平成元年(1989年)5月のオープン、東武鉄道で使われた各種の車両やバス、運転シュミレッターや東武鉄道の社歴の展示されています。入館料は鉄博1000円/大人に対して200円/大人と安く、東武伊勢崎線東向島駅(普通しか停まりません)高架下と便は良く(?)名勝「向島百花園」まで徒歩7分の地の利ですが…。
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正直、この施設は社歴90年を超す関東の大手私鉄企業の博物館にはとても思えません。客層を”乳母車の家族連れ”に想定しているのか車輛やその他の展示内容はお粗末です。まぁ東武のやることですから(笑)。東武鉄道には1㎝の思い入れはありませんが、スクラップ程度の車両、出来の悪いジオラマ模型等々。博物館としてのレベルの低さには逆に感心してしまいます。良い点を探してみると…。館内が空いていることでしょう。運転シュミレッターに長蛇の列もなく楽しめるのが唯一の利点ですかね(笑)。
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最悪の江戸博特別展

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徳川家康没後400年だそうで、それがなんの関係があるか判りませんが、記念の特別展『大関ヶ原展』が江戸東京博物館(以下江戸博)で開かれています。江戸博1階フロアでの”特別展”はだいたいが詐欺同然なのですが、今回は武具や合戦屏風等、いつもよりマシなような気がします。でもねぇ、デパートの企画展並みの広さの会場に”入場制限なし”での押込み放題状態ですからねぇ。「現在混んでおります」の紙キレ1枚(!)でアナウスもなし。入場券売場でもInfo一言もなしです。”切符さえ売ってしまえば、後は知らん”と言う事なのでしょう(笑)。大混雑時は”せめて”再入場くらい認めても良さそうなものなのにそれも不可(!)です。それでいて入場料は¥1350(!)。これだけの金額を取っておいて”見られません”ではボッタクリ詐欺です。展示が見れなければ、「写真集/¥3000?」を買えということなのでしょう。そういえば”イヤホン・ガイド詐欺”もありました。会場内でヘタリこんでいる年配者は数しれずで、背の低い年配者では120%見れません。難行苦行とはこの事です(苦笑)。皆さん展示はしっかり見れましたか? この気遣いの無さが”国立”との違いなのでしょうが、しょせん”東京都”はこと程度なんでしょう。竹内さん(!)そう思いませんか…?
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苦言ばかりではなく…。江戸博の常設展会場は3/28にリニューアル・オープンとなっています。時は春休み、更に3日間は常設展は無料。まぁ混みますわなぁ(苦笑)。なので特別展の案内が薄くなったとは言わせません。…特別展で時間を多く使ったので、常設展はチャチャと見ただけですが…。実際、展示内容が濃くなっています。常設展会場での企画展は5/10まで歌川広重の「名所江戸百景」展、これが実に良いのです。返す返すも”この時間は混み合っているので、常設展を先にご覧ください”の案内があってしかるべきでしょう。
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それでも隅田川七福神

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お正月ならではの『七福神巡り』ってのがあります。七福神は言わば「神様の多国籍軍」で1)日本神話の『恵比寿』、2)インド出身の『大黒天』・『弁財天』・『毘沙門天』、3)中国出身の『福禄寿』・『寿老人』が神様。唯一4)『布袋尊』は中国の実在の禅僧です。七福神が担当する七福とは…『寿老人』=寿命、『大黒天』=有福、『福禄寿』=人望、『恵比須』=清廉、『弁財天』=愛敬、『毘沙門天』=威光、『布袋尊』=大量と細分化されています。神道には「あちこちの神様にお願いごとをすると、どの神様も助けてくれなくなる」という考え方があるので七福神=格の低い神様と称されるようです。
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今回の【隅田川七福神めぐり】は、江戸の昔、墨東の風流人のあった佐原鞠塢(さわらきくう)が今から約200年前に墨東の地に「百花園」を開いた。たまたま福禄寿像を所持していたことから友人の太田蜀山人谷文晁らが七福神あそびを思いついた。つまり【隅田川七福神詣】は風流人の遊びに源を発し、いい加減なところもあるのです。それでも平成15年10月墨田区無形民俗文化財に登録されています。
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150106_03150106_02【三囲(みめぐり)神社/恵比須神&大黒神】…1300年代、近江の国三井寺の僧「源慶」が東国を巡礼、この地の荒れ果てた小祠を見つけ、源慶は自ら社殿の修復にとりかかる。埋もれていた壷から「白狐の神像」見つかり、どこからとも現れた白狐が神像の周りを三度廻ってどこかへ消えたという故事から「みめぐり」の名がついた。実はここ三囲さんは「稲荷さま」なんです。つまりお寺ではなく神社に恵比須&大黒天が祀られていることになります。恵比寿(大国神)は天照大神の兄弟とされ、豊漁の神様で、商業繁盛関係にも手を染めているようです。大国神(大黒天)はインドのヒンドゥー教の神から仏教の神となる。大国主命と同一視され、恵比寿とともに福徳の担当とされています
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150106_04150106_05Pt左の【弘福寺】は京都の宇治の“萬福寺の末寺で、本尊は釈迦如来。中国に近い禅宗として知られ唐風建築様式が見られるのですが…なんと本堂は工事中でした。祀られている(布袋尊)は、中国の実在した禅僧・契此(かいし)で、満面の笑みと、施しものを一つの袋に入れていたため、布袋さんと呼ばれていた。ドラエモンでいう”どこでもなんたら”の類でしょう。 Pt右は【長命寺】には弁財天を祀っています。ヒンドゥーの神から仏教の守護神となった川の神である弁財天は唯一の女性神で、音楽・弁舌・財福・知恵の神とされます。して慕われる。長命寺はむしろ「草もち」の方が有名となっていますが。天台宗延暦寺の末寺で、3代将軍家光が鷹狩の折、腹痛を起こし、境内の井戸水で薬を飲んで快癒したところから、家光はその井戸に“長命水の”名を与え、寺も長命寺となっています。
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隅田川七福神を三囲神社ルートから始めると長命寺あたりまでは近接しているのですが、この先は距離のある場所を歩きます。また隅田川七福神ならではの胡散臭さも漂ってきます(苦笑)。【向島百花園】…文化元年(1804年)佐原鞠塢により梅360株を植え梅園が開かれ、その後名花名草が集め『百花園』と命名されています。タマタマ福禄寿像があったので風流人と称する意味不明の方々が余興的に造成したのが隅田川七福神で神社仏閣でも百花園に福禄寿が祀られているのはこんな理由です。 福禄寿は、幸福・金銭・長寿の三徳を備える神。 次の白髭神社はさらに嘘臭さが漂います。白髭神社のご祀神は“猿田彦命”で道案内の主神です。白鬚神社の祭神が「白鬚」→白い鬚の老人→寿老人ということにしてしまいました。さすがに後ろめたさがあるのか「寿老」ではなく「寿老」となっています。 寿老神は、中国の伝説上の人物で、頭に頭巾、白髪、人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れています。 都内の七福神巡りは得てして1社のみがとんでもなく離れています。隅田川も例外ではなく、ここから毘沙門天/多聞寺までは約30分程黙々と歩くことになります。 【多聞寺】に祀られる毘沙門天はインド出身の神様で 仏教の守護神としての四天王(持国・増長・広目・多聞)の内、北方を護る多聞天と同一です。七福神として司るのは威光"とされています。 …さすがに天気晴朗なれどで、体調を崩してしまいました。七福神の威光はなかったようです… 
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隠れた絶景・墨田区役所

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『●●と煙は高い所へ』の4回目は墨田区役所です。例のアサヒービール”●●コ・ビル”のお隣です。敷地内には「勝安房」の銅像があり、1階ロビーには「勝海舟コーナー」や「葛飾北斎コーナー」などの展示や企画展が充実しているのですが…。今回は『●●と煙は高い所へ』=”ただで上がれる高い所”なのでパスとします。1990年に竣工の墨田区役所は地上19階、地下2階となっています。実は墨田区役所には”展望所”と称する施設はありません。14階までが区役所各部門が使用、15階以上が会議室や区議会施設となっており、14階までは咎められることなく入れます。14階でEVを降りてEVホールの真反対右側にPt↑)のホールがあります。同左側は職員の休憩室(?)になっていますが、写真…Pt↓1)…を写すということで入れてもらいました。
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1)休憩室側から、東武伊勢崎線(スカイツリー・ラインと間抜けな名称となりました)、旧水戸藩の下屋敷、牛嶋神社の杜が見えます。 2)お約束の東京スカイツリーです。この角度で見られる場所はあまりないかも知れません。さらに右側遥か遠方にゲート・ブリッジが見えました。 3)下降途中のEVからです。眼下は隅田川・吾妻橋。富士山はこの方向かと思います…?
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向島百花園・梅

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墨田区東向島の「向島百花園」では2/8~3/9の日程で”梅まつり”が開催されています。向島百花園は、江戸の文化・文政期に、骨董商佐原鞠塢(さはらきくう)が、遊び仲間の文人、墨客と一緒に、民営花園として開園したのが始まりです。豪商の屋敷でも武家屋敷でもなく”民間”というのが”ウリ”なのですが、どうにもこの”ぶんじん・ぼっきゃく/文人墨客”とは如何様臭さが漂います。この方々は「隅田川七福神」を選定する際に、白髭神社→しろい髭→爺さん→寿老神だとか、私物の福禄寿を神社仏閣でもない百花園に配するなどの荒技を多用しています。
こういうのを”粋”というのらしいのですが、暇人が集まってぐだぐだやっていただけとしか思えません(苦笑)。
それにしても今の向島百花園も基本的に「あるがままに任せよ」という方針なのでしょうか、冬枯れの季節には寂しい限りの庭園です。
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初場所・土俵造成

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初場所準備が真っ最中の両国国技館で土俵の造成を見学してきました。土俵は場所初日の5、6日前から3日間かけて”機械”を使わず、すべて”人力”で造るのだそうです。鍬やらつき棒、スコップやらの特殊(?)な道具を(細部の仕上げには”ビール瓶”まで多用)を使って”叩く”と”踏み固める”の繰り返しで姿にしていきます。この土俵造りは「呼出し」の仕事だそうで本場所、地方巡業、海外公演など、場所の土俵は呼出し全員で造る決まりだそうです。
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左)ひたすら、叩く、踏み固めるの延々繰り返しです。それにしても完成までに3日間とは…。驚きです!
中)手前にあるのが、土俵の”俵”です。この時点では土俵上の丸い俵囲いはありません。
右)線引きをして、溝を掘って俵を埋めていきます。
*これらの模様はNHKとアドマチック天国が撮影していました。放送はいつなんでしょうかねぇ?
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スカイツリーde縁起モノ

東京スカイツリーも開業して100日になります。行くたびに思うのですが、夏休み大混雑の印象がありません。よほど会社側のコントロールが上手く機能しているのでしょうか?開業当初は自転車でアイスキャンディを売り歩く人や自分で撮影した写真を額に入れて売る人(明らかに無許可)など、下町ならではの”すばしっこい人達”が居たのですが、さすがにスカイツリー敷地内では見かけなくなりました。
写真左:なんという正式名称のモニュメントかは知りません。勝手に”カニの爪みたいなモノ”と呼んでいます。
写真中:カニの爪の内に入り、見上げると”UFO着陸”になります。この『縁起物』は以前は撮影待ちの大行列だったのですが…今はどなたも並んでいません(笑)
写真右:かにモニュメントから2Fへの階段です。モデルは上階のフェンスから顔を出し、撮影者は階段途中からあおります。ここも『縁起物』だったのですが…人気とは虚ろい易いものです(笑)
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隅田川架橋を巡る(Ⅱ)…②

koma_01koma_02今回は橋全体が水色に塗られた『駒形橋』です。橋長は146.3m、橋幅22.9m、1927年(昭和2年)の完成です。東京都の管理となります。西詰めのモニュメント柵には写真の様な『馬』が並んでいます。チェスの駒ではなく駒形の駒の洒落なんでしょう。江戸時代にはこの場所には橋は架橋されておらず「駒形の渡し」があっただけでした。関東大震災の東京復興事業の一環としてこの場所に橋が架橋されています。

koma_04koma_03橋の名称の由来は、西詰めにある「駒形堂」に因んでいます。天慶5年、浅草寺観音堂を造営する際、馬頭観音をまつるためにこの駒形堂も建てられています。『江戸名所記』によると「浅草川を上下する時、御堂が白駒が駈けるように見えるので “駒かけ堂”といわれ、訛って駒形堂になったとそうですが、そう都合よく訛るとは到底思えません(!)さらには”コマガタ”ではなく”コマカタ”と濁らないそうです。こうなるともうどうでも良くなってきますね(苦笑)
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