JR両国駅から徒歩10分弱、回向院の後方の首都高速小松川線を越えてすぐに『江島杉山神社』があります。江戸時代は「本所一ツ目弁天社」と呼ばれた神社で弁財天である市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)と杉山和一総検校の2柱が祀られています。ご利益には、福徳円満・芸能上達・学業成就・鍼灸按学術上達とあります。鍼灸按学術上達とはあまり例のないご利益ですが、神社創建の歴史を知ると納得がいきます。
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江戸元禄年間、鍼治療の創始者とされる「杉山和一」が5代将軍綱吉公の病気治療にあたり無事に治癒した功により本所一ツ目に土地を賜り、杉山和一はこの地に世界で初となる視覚障害者教育施設の「杉山流鍼治導引稽古所」を開設して鍼灸按学術上を広めていきます。これは18世紀とされるヨーロッパでの盲人教育の始りより「杉山流鍼治導引稽古所」はそれより100年ほど前に鍼治講習所が開設されていたのです。
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将軍綱吉公は江島弁財天を信仰し参詣を続ける杉山に配慮して弁財天の勧請を認め「本所一ツ目弁天社」とも呼ばれる「江島神社」が創建されたのは元禄6年のことです。慶応2年には杉山が修行した江の島の岩窟を模した岩屋が造られ弁財天と神使の白蛇が祀られています。明治政府は江戸幕府からの拝領値の多くは接収しますが、この地は接収を免れ「江島神社」と改称し境内には杉山和一を祀神とする「杉山神社」が創建されます。この2社が昭和27年(1952)に合祀され、現在の「江島杉山神社」に改称されています。
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境内にある「杉山和一記念館」は杉山生誕400年に杉山検校遺徳顕彰会によるもので、江戸期以降の鍼治療の文献や資料等が展示され鍼灸マッサージの「杉山鍼按治療所」も併設されているそうです。ヨーロッパでの盲人教育の始まりより100年も前に鍼治講習所を造られていたことはさすがに知りませんでした。
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大正13年には杉山和一の業績が認められ、正五位が追贈されています。これを記念して作製されたのがPt↑)社殿の鳥居脇の「贈正五位杉山検校頌徳碑」の碑で、碑文は「点字」で造られた世界に1つの点字石碑だそうです。徳川綱吉公から「欲しい物は何か?」と問われ「一ツでよいから目が欲しい」と答えたことから、『本所一つ目』に約12,000㎡の土地が与えられたとの逸話もあるようです。
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江戸元禄年間、鍼治療の創始者とされる「杉山和一」が5代将軍綱吉公の病気治療にあたり無事に治癒した功により本所一ツ目に土地を賜り、杉山和一はこの地に世界で初となる視覚障害者教育施設の「杉山流鍼治導引稽古所」を開設して鍼灸按学術上を広めていきます。これは18世紀とされるヨーロッパでの盲人教育の始りより「杉山流鍼治導引稽古所」はそれより100年ほど前に鍼治講習所が開設されていたのです。
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将軍綱吉公は江島弁財天を信仰し参詣を続ける杉山に配慮して弁財天の勧請を認め「本所一ツ目弁天社」とも呼ばれる「江島神社」が創建されたのは元禄6年のことです。慶応2年には杉山が修行した江の島の岩窟を模した岩屋が造られ弁財天と神使の白蛇が祀られています。明治政府は江戸幕府からの拝領値の多くは接収しますが、この地は接収を免れ「江島神社」と改称し境内には杉山和一を祀神とする「杉山神社」が創建されます。この2社が昭和27年(1952)に合祀され、現在の「江島杉山神社」に改称されています。
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境内にある「杉山和一記念館」は杉山生誕400年に杉山検校遺徳顕彰会によるもので、江戸期以降の鍼治療の文献や資料等が展示され鍼灸マッサージの「杉山鍼按治療所」も併設されているそうです。ヨーロッパでの盲人教育の始まりより100年も前に鍼治講習所を造られていたことはさすがに知りませんでした。
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大正13年には杉山和一の業績が認められ、正五位が追贈されています。これを記念して作製されたのがPt↑)社殿の鳥居脇の「贈正五位杉山検校頌徳碑」の碑で、碑文は「点字」で造られた世界に1つの点字石碑だそうです。徳川綱吉公から「欲しい物は何か?」と問われ「一ツでよいから目が欲しい」と答えたことから、『本所一つ目』に約12,000㎡の土地が与えられたとの逸話もあるようです。