旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

品川区

品川区・鈴ヶ森刑場遺跡

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前項の「涙橋」から旧東海道を進みます。旧道が第一京浜と交差するあたりが江戸時代の『鈴ヶ森刑場跡』です。慶安4年(1651年)に作られ江戸北方の小塚原刑場に対して江戸南方の鈴ヶ森刑場となるのでしょう。広さは小塚原刑場の幅108m、奥行54mに比して、鈴ヶ森は幅74m、奥行16mとの記録があり、やはり広大なという感はありません。明治4年(1871年)に廃止されるまでの約220年間で10万~20万の罪人が処刑が執行されたとありますが、罪人だけに実数は不明のようです。処刑された者には慶安の変(由井正雪の変)での丸橋忠弥や平井権八、天一坊や八百屋お七の名があげられます。この地は現在は隣接の大経寺の境内になっていますが、多くの慰霊塔や磔刑用の柱をたてた台石などが残されています。
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品川区・立会川

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京浜急行・立会川駅近くの商店街、”立会川繁栄会”はTVメディア等を賑せたことがあります。立会川にボラの大群が押し寄せた事件(?)。そしてNHK大河ドラマ「竜馬伝」が2010年に放送された時です。江戸時代にはこの付近に土佐藩の下屋敷があり、若き日の坂本龍馬と関わり合いがあるに違いないという話を拠り所に盛んに町興しがされました。「龍馬の足跡パン」やら土佐藩縁の「砲台そば」なんかが登場し、駅近くの児童公園には叩けばボコボコいう龍馬像まで作られました。こんな時流に便乗した話も在ったのですが・・。Pt↑)は立会川に架かる浜川橋で、渡る道が旧東海道です。この橋を渡り7分程進むと、江戸時代に南千住の小塚原刑場とともに設置された「鈴ヶ森刑場」がありました。処刑される罪人はこの橋を渡る際に秘かに見送りに来た親族らと涙を流しながら別れたという事から『涙橋』と呼ばれていたようです。
児童公園の坂本龍馬像の襷には「龍馬と進める火災予防」とあり、キャンペーン活躍中です(爆笑)。
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【東京十社】‥品川神社

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東京十社、品川区北品川にある『品川神社(しながわじんじゃ)』です。後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して品川大明神と称し後に品川神社と改めました。明治5年(1872年)郷社に、昭和50年には東京十社になっています。東海七福神の1社として大黒天が祀られ鳥居脇には大黒天の像があります。京浜急行「新番場駅」下車、第一京浜沿いに一の鳥居が見えます。石段を登る途中には「富士塚」がありますが傾斜がかなり急です。一の鳥居は登り竜、下り竜の彫刻が施してある珍しい造りとなっています。江戸時代は徳川家の庇護をうけ、宝物蔵では「葵のご紋」が施されたお神輿などが収蔵されています。江戸時代この辺りの東海道は海沿だったのですが、今は当時の面影を全く感じることはできません。
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下左)京急新馬場駅前第一京浜沿いに鳥居が見えます。珍しい鳥居なので一見の価値があります。
下中)急な階段を上ると本殿までは意外と広いスペースで、境内社が数社並んでいます。
下左)神社隣ですが、板垣退助の墓所があり、例の「板垣死すとも~」を刻んだ碑が建てられています。
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海雲寺(千躰荒神)

kaiunn「トイレの神様」というどう考えても一発限りのヒット曲がありましたが、こちらの品川区南品川の海運寺は台所を火災から守る「かまどの神様/千躰荒神様」と呼ばれ、江戸時代から信仰を集めていたそうです。ともかく火事の多かった江戸の街で品川宿の海運寺付近は偶然にも大きな火事に遭わなかったそうで、となれば「なにかある!」という話が「品川宿には防火の神様がいるらしい‥」となり「防火は千躰荒神様」と噂が定着して、それが信仰へとなっていったそうです。一笑に付すよりも江戸の庶民からの信仰ってこんなことが始まりなんだろうと却って納得できます。千躰荒神様自体は神仏混交そのものの神様で、大日如来、文殊菩薩、不動明王が姿を変えて三面六臂の表情で悪魔降伏を司る神様なんだそうです。どうにも凄まじい神様のようです。

品川宿・海徳寺

kaitoku1kaitoku2品川宿は新宿、板橋、千住と並んで「江戸四宿」と称され、現在の北品川駅から青物横丁駅付近は色町としても大変賑わっていました。この「海徳寺」は色町ならではの女性達の信仰を集め、時代を経て女性病、子授けにご利益があるとされたようです。創建は大永2年(1522年)とされています。現在の寄棟造りの本堂は寛延4年(1751年)に再建され、風雪や災害に耐えて現在に至っているとの事です。写真右、本殿正面の向背部分には「力士が本堂の梁を肩で支えている」という、なんとも不思議な彫刻が施されています。

荏原神社(南の天王さん)

ebara1ebara2品川神社=北の天王さんに対して、荏原神社は”南の天王さん”と呼ばれています。品川には2つの天王社があり(”荏原”といっても住所は品川区北品川です)この両社は徒歩5分程度しか離れていません。旧社格は准勅祭社・郷社で旧称を天王社、貴布彌大明神といったそうです。この拝殿は弘化元年(1844年)に再建されたとありますが、拝殿を巡らす数々の彫刻の見事さには驚かされます(写真はその一部)。この拝殿自体が正面のひさしに向拝、棟に千木と堅魚木を設けた典型的な『春日造り』の本殿形式になっています。

ebara3ebara4拝殿の正面ひさしの両側に参拝者を恫喝するように「龍の頭」が突き出しています。ゴジラ映画に登場する”キング・ギドラ”の様な感じです‥。それにしても社格の割には、建築や彫刻など大変凝った造りがされています。江戸時代の宿場町・品川宿(現在の北品川駅から青物横丁駅付近で、JR品川駅付近ではありません)の繁栄を今に伝えているようです。

品川神社(北の天王さん)


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shina3"北の天王さん”こと品川神社は京浜急行・新番場駅下車、第一京浜国道に面して鎮座しています。神社の歴史は鎌倉時代初期まで遡り、江戸時代は徳川家との関係も深く”関が原”への出陣では家康自らが必勝祈願をしたそうです。明治以降も「准勅祭神社」と特別な格式を得て、今でも「東京十社」の一社として親しまれています。写真の鳥居には「龍の姿」が柱に絡みつく彫刻が施されています。虎ノ門・金毘羅宮の鳥居は中国でいう四聖獣が刻まれていますが、この様な意匠が施されてた鳥居はかなり珍しいです。

shina2shina4第一京浜国道から龍の彫刻がある一の鳥居をめけ約50段急階段を登ります。途中には富士山信仰の模擬富士山への登山道入口があります。一合目から山頂へ登りは結構急傾斜ですから、自信のない方は止め方が良いでしょう。右の写真が本堂です。境内は決して広くはないのですが舞殿、本殿、社務所などのがバランスよく並んでいて、表現が微妙ですが‥『なんとも居心地の良い神社』だと思います。

shina5shina7境内社の稲荷社が2社あります。写真左は本殿に並んで鎮座していますが、ここからやや下った場所にある写真右の『阿那稲荷』の方が大物のような感じです。社の隣「一粒万倍」と称する泉があり、こちらで鎌倉の銭洗い弁天のように紙幣や印鑑を洗って商売繁盛を祈願したされています。お金は門前の商店ですぐに使えとありますが、なんなんですかねぇ。この泉の水を溜める部分には葵のご紋が施されており、それなりの由緒はあるようです。



『竜馬伝』の夢のあと

ryou4ryou1京浜急行・立会川駅で下車しました。一昨年(?)ですか、この立会川がTVの『竜馬伝』に便乗してアピールしていたのは‥。改札口を出ると左の看板がありますが”ゆかりの地”とは微妙な表現です。幕末の黒船来航時にはこの付近に土佐藩の藩邸があり、防衛の為の砲台を築く工事に際して若き竜馬も工事に携わったという”話”です。これを”ゆかりの地”と言い放つにはかなりの無理があるのですが‥。TV局も一時的に話題になればこぞって放映しますが”旬”を過ぎると見向きもしません。全く罪作りなモノです(苦笑)

ryou3ryou2悪意を持った写真ではありません。平日の昼下がりですが、どなたもいらっしゃいません(!)パン屋さん=足跡パンは健在でした。蕎麦屋さん=砲台蕎麦(海老がデカイ)は店頭に幟があるのでまだ健在なのでしょう。カメラ位地後方の”竜馬らーめん”も健在のようで、正直なところもっと”夢の跡”的状況になっていると思っていました。ごく普通の商店街として健在です。当時『商店街に人が来てくれるのが嬉しい‥』と語っていた某商店の婆ちゃんはお元気でしょうか?

旧東海道・品川宿

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寒い日が続いていますが‥今回は恒例の勉強会兼研修会で「旧東海道・品川宿」を歩いてきました。京急線・北品川駅に集合、青物横丁駅までの行程です。北品川駅から旧東海道まではすぐ近く。ここから…問答河岸の碑=土蔵相模跡=利田(かがた)神社/鯨塚=御殿山下砲台跡=品海公園/日本橋より二里の碑=品川宿本陣跡と進みます。新番場駅から第一京浜を横断して品川神社(写真)へ向かいますが。品川神社下では見上げる石段に一瞬、”エッ”と云う気持ちになりますが、上まで登って眺めれば江戸時代はすぐ眼下まで海であったことなどが偲ばれます。‥品川神社は別項「東京十社」で掲載予定です‥ここから…東海寺=旧東海道へ戻り=荏原神社=海徳寺=品川寺=青物横丁駅で終了。全行程約2時間、4㎞位のコースとなりました。「旧東海道・品川宿」は整備がすすんでおり、旧跡の碑や説明案内板、トイレ、コンビニについては何らの問題はありませんが、参加人数が多い場合の「休憩場所」がどうかが、少し気にはなります‥。寒い時期の研修会は、北風が吹かない日であればそうは苦になりません(笑)
※写真は品川神社です。ここには東海七福神の大黒天が祀られています。
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