皇居東御苑の「富士見櫓」は旧江戸城遺跡で唯一現存する三重の櫓です。江戸城の天守閣は徳川初期の50年間しか存在せず明暦の大火(振袖火事)で焼失後は結果として天守閣の再建はされず「富士見櫓」が天守閣の代り月見、花見のなどの宴はこの櫓で行われていました。
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冨士見櫓は東御苑側と皇居内からの見える姿が全く異なっています。皇居内からだと思いのほか高い場所にあり、ビル群などない時代では品川の海が一望でき、遠く富士山の姿が見えたなどの解説は納得ができます。現存の三重櫓は万治2年(1659)に再建されたもので加藤清正の造営とされます。
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Pt↑)皇居内からの「冨士見櫓」の姿です。1657年の明暦の大火(振袖火事)で江戸城天守は消失し再建計画も結果中止となり再建された事はありません。松平健さんの「暴れん坊将軍」は8代将軍 吉宗の時代設定となっているので、この時代には残念ながら江戸城には天守は存在していません。
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皇居宮殿、北車寄せ付近からの冨士見櫓です。徳川幕府・江戸城の遺構と大手町のビル群。この取合せお気に入りです。
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冨士見櫓は東御苑側と皇居内からの見える姿が全く異なっています。皇居内からだと思いのほか高い場所にあり、ビル群などない時代では品川の海が一望でき、遠く富士山の姿が見えたなどの解説は納得ができます。現存の三重櫓は万治2年(1659)に再建されたもので加藤清正の造営とされます。
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Pt↑)皇居内からの「冨士見櫓」の姿です。1657年の明暦の大火(振袖火事)で江戸城天守は消失し再建計画も結果中止となり再建された事はありません。松平健さんの「暴れん坊将軍」は8代将軍 吉宗の時代設定となっているので、この時代には残念ながら江戸城には天守は存在していません。
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皇居宮殿、北車寄せ付近からの冨士見櫓です。徳川幕府・江戸城の遺構と大手町のビル群。この取合せお気に入りです。
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