旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

番外編

Tokyo’66の記憶

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1966年6月29日…。50年も前の事で鮮明に覚えているわけなどありません。歌も演奏も下手でベースの音が異様にでかかったことと、観客は今のライブイベントと比べてら大人しいモノでした。半世紀の時間が過ぎても次から次と際限もなく資料的書籍が発表されあの日の出来事が語り継がれていくとは(!)…。Pt↑)は7月1日の夜の部の写真だそうです。4人の衣装は上下白(?)縦じま、Gだけ靴が黒、使われなかったコンボ・オルガン、注目なのが使用アンプが6月30日と7月1日のTV放送時と違っています。
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当時、日本テレビが収録して当日の夜に放映されたのは7月1日の昼の部の公演です。その後の再放送やオフィシャル・ビデオは出来の悪い6月30日が使われ7月1日はブート(一部オフィシャル)でしか見られません。Pt↑)は7月2日の昼の部と思われます。アンプがPt↓)のVOX AC-100ではありません。
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見慣れた6月30日です。ドイツ公演を終え台風の影響で日本到着が遅れてコンディションも何も最悪だったのでしょう。曲は短くアレンジされ、全曲Keyが半下げ(?)と早い話が手抜きだったようです。日本の観客が静かなもんで下手な演奏が丸聞こえで焦ったことでしょう(笑)。リハなしの一発勝負だったのかも知れません。アンプはVOX AC100(スーパービートル)使用です。緑のスーツ上下、Gがリッケンの12弦、コーラスマイクにJ&Pとなると曲名は…(笑)。
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武道館公演での使用アンプを整理すると公表映像では6月30日&7月1日はVOX AC-100を使用しています。電圧の関係で出力不足なのか単に調子が悪かったのか7月1日の夜の部から横型のVOXアンプが変わっています。ちなみに直前のミュンヘン・サーカスクローネではこちらのVOXアンプです。Pt↑)は7月2日夜の最終公演(?)です。判りにくいですがJがサングラスをかけています。
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1966年の東京公演の6月30日と7月1日の音源ブートは数多く売られています。お勧めは尾藤イサオ、内田裕也、ブルーコメッツ、望月浩、ドリフターズ等の前座まで収録された「Tokyo Highway 66」でしょうか。最近、エド山口氏のUtube・「エド山口のOh!エド日記」にはこの時代の大笑いしまうエピソードが掲載されています。面白いです!

Ventures Live In Japan…(5)

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The Venturesには超々が付くほどのファンがいるので”蛇の道”に立入るとエライ目にあいます(苦笑)。Pt↑)は赤坂日枝神社で撮られた『ベンチャーズ・イン・ジャパン(実況録音盤)』のジャケ写のアウト・テイク(Best盤に採用あり)です。調べると、1)持っているサンバーストのモズライトは65年1月の来日公演で使われています(7月の来日は白のモズライトも)。2)1965年1月の彼らの滞在中に東京で雪の日は6日(朝)と11日(昼)だけでした。1/6は名古屋公演の当日で撮影は不可能なので、この写真は1/10の新宿厚生年金会館でのライブ収録の翌日の1/11に撮影されたと思われます。3)1/11はオフ日とあるので東芝音楽工業を訪問、徒歩圏内の日枝神社で赤坂の芸者さんを呼んで撮ったものと思われます。
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『The Ventures On Stage』はスタジオ録音に歓声とMCを被せた疑似ライブ盤です。アメリカでの発売は1965年6月ですが日本の発売は10年以上遅れます。『ベンチャーズ・イン・ジャパン(実況録音盤)』が1965年7月発売なので競合を避けたのでしょう。東芝から3曲入りのコンパクト盤(Pt↓の黄色ジャケ)でアメリカ・イギリスでのライブという名目で発売されますが、当時はすっかり騙されていました。
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『イン・ジャパン』の裏ジャケの写真でのアンプはフェンダー・ショーマン(?)と思われますが、MCはグヤトーンのアンプ(恐らく45Wのブラック5・GA-95?)と言っています。7月の来日ではPt↑)の黒ジャケのグヤトーンGA-1200(?)となります。ベースのスピーカーがデカイ!。アンプの提供は日本側だったのでしょうねっ。写真で見る限りは足元にエフェクターなし、返しのモニターなしです。サウンドの特徴リバーブ・ユニットすらありません。今の時代なら高校生バンド以下の機材セッティングなんですねぇ(笑)。

Ventures Live In Japan…(4)

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Pt↑)左はベンチャーズの本拠地シアトルでの『ベンチャーズ・ライブ・イン・シアトル・USA』です。ドラムはリオン。Gはノーキーがゲスト参加となっています。当然ながらベンチャーズ歌謡は1曲もありません(苦笑)。それ以上に演奏のテンションがまるっきり違っています。Pt↑)右は恐らくはブートのDVDRと思われますが『Ventures Live In 1984』です。入手についてはまったく記憶がありません。長年に渡るベンチャーズの来日公演でもノーキーとジェリーが共演したことは1984年7月ツアーだけだと思います。ボブ・ボーグルが急病で来日できず、急遽ジェリーがBassとして加わっています。Yesterdayでは二人のアコギでの共演、さすらいのギターと雨の御堂筋ではジェリーがリードGに廻ります。Pt↑)下はこれも珍しの部類でしょうが製作意図が判らないCD+DVDです。1965年からの東芝音源と映像ですが一貫性がまるで判りません。サブ・タイトルこそ「来日40周年記念盤」とあるのですが…。
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ありそうで意外とないのがベンチャーズのブートです。PT↑)はピエロ・マークと¥1000の奴です。ピエロその1)は6枚組で1987.06&10と1989.01のサンタクルーズのライブでGはジェリーです。ジャケが1960年代でそれもノーキーとは馬鹿ですねぇ(苦笑)。ピエロその2)は2018.01の2代目ベンチャーズ。¥1000ブートは1981.05のライブです。日本以外でのライブってのが取り柄といえば取り柄です。
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ついでといってはナンですが、ベンチャーズのCD音源は大きく東芝系とM&Iがありますが、ブートではないのですが数年前に日本でP-Vine Records から『ウルトラ・レア・トラックス/In The Vailts』がなる企画で5集まで出ていました。Pt↑)の帯付きは輸入CDに日本語解説と帯を付けたCDで、帯なしがAmazon通販での価格差が¥1000近いというシロモノです。内容はかなりのレア・トラックらしく、噂ではベンチャーズ側が発売差止め訴訟をしたという話もあります。訴訟天国のアメリカのことなので有りそうな話です。レアというからにはレアなんでしょう(笑)

Ventures Live In Japan…(3)

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1999年はめでたくもVenturesの結成40周年!。1月にはのノーキーGで福岡と大阪で公演が行われます。M&Iカンパニーとの契約がなり往年のヒット曲の再録音盤「V-Gold」が発売され、1月のブルー・ノート大阪でのライブは『V-Gold Live!』として発売されます。同年の6月にはジェリーを擁しての全国ツアーを開始、冬=ノーキー、夏=ジェリーでのツアーが始まります。2000年にはジェリーGでの『The Ventures In Japan-Live 2000』が2枚組CDで発売。久々に29曲 TTL100分に及ぶ大作です。『V-Gold Live Ⅱ』は1月の「冬ツアー」でGはノーキーです。なんだかえらく忙しそうです。認めたくはないのですがノーキーの衰えを感じてしまいます。
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2003年の発売の『Ventures In Japan Live-2002』は2002年夏ツアーでGはジェリー・マギーです。この時代のジェリーの安定感はさすがです。元々演奏スタイルが違う二人を比べるのは無意味ですが、コードからのメロディの崩し方はジェリーと思います。『Ventures Summer & Winter Live!』は2003年9月のジェリーGでの中野サンプラザ、2004年1月のノーキーGでの日比谷公会堂の収録です。1枚のCDに各自10曲とは…。せめて2枚組にできなかったのでしょうか? 療養中のボブ・ボーグルに変わり2006年夏ツアーからボブ・スポルディングの参加が『Ventures Live In Tokyo 2006』です。この時は彼がベンチャーズの名跡を引き継ぐことになるとは思いませんでした(苦笑)。
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2009年1月19日六本木ヒルズのビルボード東京で収録されたのが『ベンチャーズ・50周年記念ライブ』です。結成から50年、来日は57回目!なんというジジイ達でしょう。6月には闘病中のボブ・ボーグルが亡くなります。ベースGでありながらG的なフレーズを弾く珍しい人でした。このじいさん達は翌2010年の春の叙勲で「旭日小綬章」を受賞します。【日本の音楽文化の向上・発展及び日米両国の友好親善に寄与した功績】異存はありません。見落としや勘違いがあるやも知れませんが『Ventures In Japan 2010』の2枚組CDで一段落です。それにしてもブート以外でこれだけライブ盤を出しているバンドはないでしょう!実はとんでもないバンドなのです(笑)。

Ventures Live In Japan…(2)

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『ベンチャーズ・オン・ステージ ’74』は川越市の「川越市民会館」での収録です。1973年の2つのベンチャーズ騒動の翌年はKeyがディブ・カーに変わり女性ボーカルのリーシャ・ケイリーが参加しています。ノーキーはテレキャスター。ボブがフェンダー・プレッシジョン。ドンがジャズ・マスター使用でした。衣装もラフになり長髪スタイルと彼らなりのイメージ・チェンジでした。『ベンチャーズ・オン・ステージ '75』はKeyがジェフ・ビンセントに変わり札幌厚生年金会館ホールと大阪フェスティバル・ホールの2か所からの収録です。ここまでが1992年発売のLive Boxからです。東芝時代の日本公演の一部は紙ジャケ復古されましたが1974,1975年は復刻されていません。『ベンチャーズ・オン・ステージ '76』は1976年9月1日の渋谷公会堂での収録です。この作品は単体のLP(CD)として発売されました。1976年はリーシャとジョネル・カレンダーと二人の女性ボーカルが参加してロック・ショーより歌謡ショー的になってきます。実のところベンチャーズの人気は1965年がピークであとは安定人気時代なのです。ノーキーの神ががった演奏やモズライトGの伝説は1960年代のものです。それでも情報の少ない時代に日本全国のどこでも演奏会に来てくれるグループは貴重な存在でした。
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冷静にみると彼らの日本での人気は1965年をピークとして低空飛行のから下降期へと移ります。1966年ビートルズの来日うやGSの台頭でインストバンドは時代遅れとなり、ガキどもはあの超絶テクすら馬鹿にするようになります。それでもライブ・バンドとしての存在感は圧倒的で地方都市の会場は満員御礼でした。1977年(?)に日本でのレーベルが東芝からキング・レコードに移り来日公演ライブ盤は1977・1978・1990年はLPでの発売はあってもCDでの復刻はかないません。テクノに挑戦した超名盤「カメレオン」時代の『スーパー・ライブ 80』ですら復刻にならないのは残念です。Pt↑)は未CD化のLPです。キャラバン収録のマキシシングルなんてのも発売されていました。
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『ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン '1990』
は1990年9月9日の「松戸市民会館』での収録です。ここから時代はCDフォーマットになります。追加メンバーなしの4人編成で収録時間が長くなり24曲と大サービスです。ジェリーのサムピック奏法は泣けてくるような音色でギターはフェンダーECモデル、アンプはローランドのJCを使用しています。この作品からCDと映像(ビデオ)が同時発売だったような…。『ライブ・イン・ジャパン '93』は結成35周年記念(1959~1994)と銘打たれたツアーの1993年9月の新宿厚生年金会館でのライブです。人気は低空飛行でも1991年の大晦日にはNHKの『紅白歌合戦』に出演したり、1992年には芦原すなお原作の「青春デンデケデケデケ」の映画も公開されます。ジャケ写で確認するとボブの後ろにはピービーとマーシャルが並び、赤のジャズ・ベー。ジェリーはメイプルネックのストラトとJC120(?)。ドンはJCとピービー(ヘッド不明)でジャズ・マスター使用です。リードGより音がでかいリズム・ギター(!)32音符の全弦刻みをガキども奏れるもんなら奏って見ろ!(笑)。東芝EMIの最後のLive In Japan『ワイルド・アゲイン・コンサート・ライブ '97』は1997年9月7日の新宿厚生年金会館でのコンサートです。1994年の『コンサート・ライブ 94』はレザーディスクのみの発売でCD音源はないようです。1996年の日本公演中にメル・ティラーが体調を崩し8月に肺癌のため亡くなります。元々Venturesはドンとボブの会社で他は契約社員(要は誰でも良い)なのですが、後任にはメルの息子のリオン・ティラーが参加となります。手癖からなにからミッチリと某氏により叩き込まれてオヤジそっくりなドラムデビューとなります。ロックの時代にジャズ系のドラマーなんていませんもんねぇ。

Ventures Live In Japan…(1)

信じようと信じまいと1960年代の日本の洋楽の歴史を変えてしまったのは「The Ventures」といっても過言ではないでしょう。彼らの人気が沸騰した1965年から日本独自の「Live In Japan」のCD(LP)が残されています。
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Pt↑) 1965年の日本でのVeturesの人気が沸騰してきた時期のライブ盤です。本国ではローカル・ダンス・バンドに過ぎなかった彼らの日本公演ライブ盤の発売は1995年の事です。この年Venturesは1月と7月に日本公演を行い1月のライブが「おやじベンチャーズ・バンドのバイブル」の『ベンチャーズ・イン・ジャパン(実況録音盤)』です。LPが高額の時代に50万枚以上と売れに売れたそうです。ジャケ裏にはFenderアンプがパイプ椅子に乗った写真ですが、司会者は「グヤトーンのアンプ、イチバ~ン」と言っています。テケテケテケにはリバーブを使っていませんが、グヤトーンの新製品にはついていなかったのでしょうか?返しのモニターはなし、ドラムセットは超シンプル、このセッティングはヤバイです(笑)。
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1965年7月の来日では全国28都市のコンサートで17万人(!)を動員しています。この公演から『All About The Ventures/ベンチャーズのすべて』の2枚組LPとダイジェスト盤の『Ventures In Japan Vol 2』が発売されました。1年に2回の来日&2回のライブ盤製作なのです(!)。この1965年ライブが1995年に外国で発見されUS盤CDとジャケ違いの『コンプリート・ライブ・イン・ジャパン '65』で再発となります。全曲が曲順となりMCのコメントが編集が異っています。もしかすると年7月コンサートはアメリカのスタッフの録音かも知れません。
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ベンチャーズ・ライブ・ボックス 第1集収録の『ベンチャーズ・オン・ステージ・アンコール』は1966年7月から9月までのの5度目の来日公演ですが多くはスタジオ・ライブでしょう。加山雄三の曲や映画化までされた「二人の銀座」が演奏されています。翌1967年7月来日時のライブ盤『ベンチャーズ・アゲイン~北国の青い空』です。使用ギターがモズライトのセミアコ・アベンジャーに変わます。翌1968年の日本公演では大事件が起きました。ノーキー・エドワーズが脱退、Gはジェーリ・マギーに変ります。オルガンのねぇちゃんまでいるのですから驚きの連続でした。新編成でのライブが『ベンチャーズ・イン・トーキョー』です。ジャケ写から判りにくいのですがギターはモズライト・アベンジャーのようです。1969年はアメリカで「ハワイ・ファイブ・オー」が大ヒットで皆勤賞は途切れ、次の来日の1970年の『ライブ!ザ・ベンチャーズ』では楽器がレスポール・へフナー・SGと変りモズライトとの関係は切れます。ドラムがセンター位置になりツーバスになったり1970年のライブでは「京都の恋/歌:渚ゆうこ」が登場し司会者(日本人)と意味不明の会話があります。この気持ちの悪い司会者同行の時代は暫く続きます。そんな時代です(笑)。
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『ベンチャーズ・オン・ステージ ’71』は1971年8月20日の新宿厚生年金会館ホールでの収録です。この年はジェリー・ドン・ボブ・メルと裏ジャケに姿が見えるジョン・ダリル(Key)の5人の編成です。Keyが入って演奏の厚みが広がりが、ゲストの渚ゆう子が「京都の恋~京都慕情」をする変化はみられますが1965時代のイメージが薄まります。『ベンチャーズ・オン・ステージ '72』はLP2枚組で発売されました。ジェリー・マギーが来日できず臨時にノーキー・エドワーズがゲスト参加となり「ノーキーが帰ってきた!」は大層な話題でした。ベンチャーズ歌謡では「雨の御堂筋」の欧陽菲菲がゲスト参加しています。『ベンチャーズ・オン・ステージ '73』は1973年7月の東京郵便貯金ホールでの収録です。メル・ティラーが脱退しドラムがジョー・ダリルに変わっています。この年は脱退したメル・ティラーを中心としたグループ「メル・ティラー&ダイナミックス」が日本ツアーを展開します。Gがなんとジェリー・マギーでKeyのジョン・ダリル、若き日のボブ・スポルティング。なんのこたぁない『ほぼ ベンチャーズ』です。《続く》

Those were the days…(11)

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◆”フロム バンクーバー カナダ! バックマン・タナー・オーバードライブ”のコールから「ハイウェイをぶっ飛ばせ」いやはやキャッチーなリフをかます【B.T.O Japan Tour】です。ガタイのデカサ加減から”カナダの木こり軍団”なんて呼ばれましたが、確かにストラトやリッケンが小さく見えるので大男には違いありません。カナダ出身ながらアメリカ的なバンドでKISSよりポップだと思うのですが(苦笑)。1976年11月4日の武道館ですが同時期の「スティタス・クオー」が中野サンプラザです。この差はなんだったんでしょう(笑)。
◆スージークワトロのライブアルバム【Live and Kickin'】は1977年5月27日/6月12日の中野サンプラザ公演からです。当時は日本とオーストラリアの限定発売。さもありなんです(笑)。ヒット曲がヨーロッパでだったので勘違いされますが、本人はアメリカのデトロイト生まれです。黒のレザースーの小柄な姿でFenderベースは恰好よかったです。今聴いてみると歌も演奏も大したことありません。「お笑いウルトラクイズ」のエンディング曲の『ワイルド・ワン』は覚えています。
◆メタル系は苦手です。ルドルフ・シェンカーが1965年に結成したスコーピオンズはメンバーの交代が激しく誰が誰やら状態です。この1978年4月24・27日の中野サンプラザの公演は【Tokyo Tapes蠍団爆発!スコーピオンズ・ライブ 】とのなんともなタイトルとなっています。日本語で歌われる滝廉太郎の『荒城の月』は意外と味わいがあります(笑)。
◆リトルフィートには「ウェイティング・フォー・コロンブス」という傑作ライブ盤があり評価が難しいのが1978年7月5日からの中野サンプラザでのライブ盤【On The Eastern Front】です。FM放送用の音源ですが83分と長尺です。特筆はコロンバスと同時期でグレート義太夫ならぬローウェル・ジョージが参加していることです。麻薬中毒が進行中で翌1979年にはリトル・フィートを解散、直後に亡くなっています。そういう意味では貴重なライブです。
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◆アメリカ・ルーツ系ミュージックってやつで、ライ・クーダとかデビット・リンドレーなんかの方向です。エイモス・ギャレットの弾くギターの音色は彼独特のトーンでとてもじゃないがマネのできない音です。最初に聴いたのはポール・バターフィールド・ベターディスだったかな?片やのジェフ・マルダーも有名どころで、この二人の1979年3月18日の新宿ロフトでのライブです。なんでもそれ系のファンには貴重盤だそうです。
◆顔でギターを弾くBBとは双璧の「ゲイリー・ムーア」の1983年1月24・25日の厚生年金会館での【Rockin’ Every Night】です。ピンクのストラトのハード・ロック期のものです。ドラムはイアン・ペイスだったんですね(!)。こちらも日本限定の予定がしたが出来の良さに世界展開となったようです。ハード・ブルース期の方が好きなのですがこれはこれです。この日の完全版を復刻してもらいたいものです。
◆前記事にもあったのですが、限りなくブートに近いと思われる「Alive The Liveシリーズ」からのQueenの1985年の
フレディ在籍最後の日本公演【クィーン ライブ・イン・ジャパン1985】代々木体育館でのライブです。当時のNHKで放送されレザーディスクやDVDとして販売された音源です。なんでもQueenは1975年の初来日から50回を超える公演をやっているそうです。映画の影響もありフレディ死しても大人気は大したものです。
◆このジャケ意外と好きです。国旗をこんなことしたら日本では(苦笑)。日本のみで発売された2002年10月24日のシェリル・クロウの【Live at 武道館】です。ヒット曲が続いた登調子のころのライブなので悪い出来ではありません。この発売の頃から所謂「Live In Japan盤」があまり発売されていません。情報の速度が速くなり「日本独自の」の意味が薄れたのかも知れません。ブートCDの出来や内容が飛躍的に進み「Live In Japan」はブートのシフトしていきます。
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大物を忘れていました。1991年12月のジョージ・ハリスンのECのバンドを引き連れての【ライブ・イン・ジャパン】です。1966年の武道館以来の東京ドーム最終日の12月17日。ジョージがステージにいるだけで感激ものでした。ECの弾く”この曲なんだ?”イントロから始まる「サムシング」。ギターはEMG搭載の「ロイ・ブキャナン・ブルース・マスター」。話が長くなりそうです(苦笑)。このライブではECの部分がカットされ音もかなりいじられています。そこはブートの世界で(笑)日本公演の全日程をどれだけ集めたことでしょう(!)。

Those were the days…(10)

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◆CD棚から『Live In Japan』関連のCDを探してきました。最初は1965年1月の新宿厚生年金会館での【ベンチャーズ・イン・ジャパン/実況録音盤】です。日本のロックの歴史を変えた作品と云っても良いでしょう。雪模様の赤坂日枝神社で撮影のジャケ写は彼らの象徴ともなるサンバーストのモズライトです。
◆1966年1月6日の「太陽の彼方」が大ヒットした【アストロノウツ・イン。ジャパン】の東京・文京公会堂での音源です。海のないコロラド州ボルダー出身のグループがサーフ・ミュージックとは?です。ベンチャーズに比べて演奏もアマチュアレベルです。大人気の彼らも日本滞在時の素行が悪くベンチャーズにその座を奪われたそうです。
◆1966年1月13日の大阪サンケイホールでの【ビーチ・ボーイズ・ライブ・イン・ジャパン '66】は当時のNHKでラジオ放送された音源ですがマニア以外にはお勧めできません。6月のBeatlesより先の日本公演でした。ブライアン来日せずBassはブルース・ジョンストンです。この極東ツアーの間にブライアンは一人で『Pet Sound』を製作していたとは…。
◆数年前に「幻の日本公演のテープが発掘」なんて感じで登場した。ピーター・ポール&マリーの1967年1月17日の京都会館での【Live In Japan 1967】す。当時のネェチャン達に絶大な人気がありました。このライブは今聴くと居住まいが悪く気持ち悪く感じてしまいます。当時のコンサートってこんな感じなんでしょうがどこが良かったのか疑問さえ感じます。
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◆スエーデン出身のインスト・バンド【スプートニクス・ライブ!ジャパン 1966 &】の1966年2月の大手町サンケイホールでのライブです。歪系のベンチャーズに対してクリーン・トーンのスプートニクスは日本人うけしました。トロイカのメロディが出てくる『霧のカレリア』は有名曲です。コスチュームが宇宙服もどきだったのもお笑いです。【スプートニクス・イン・トキョウ】はライブ盤ではなく日本的な楽曲ですが『空の終列車』が収録されています。
◆なぜ呼んだのか釈然としない、1971年7月の新宿厚生年金会館での【ショッキング・ブルー・ライブ・イン・ジャパン】です。これも数年前に復刻されたものですが「ヴィーナス」1曲程度の一発屋でレパートリー不足からか「ヴィーナス」を2回演っています。演奏は呆れるくらいお粗末です。
◆同じ1971年2月の大手町産経ホールでのB.B・KINGの初来日のライブ【B.B King・Live In Japan】です。1971年、B.Bは46歳(?)聴きごたえ充分、B.Bのライブ盤でも屈指の作品だと思います。音数の少ないのが特徴のB.Bが結構弾いているのが笑えます。日本製のアンプ(Ace Tone?を)使用したようですが、アメリカ製だろうが日本製だろうがB.Bが弾けばBBのトーンになってしまいます。そうなんだよねぇ(笑)。
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◆1972年6月2日。カーペンターズの日本武道館での【ライブ・イン・ジャパン 1972】です。大阪フェスティバルホールの2年前、前年の世界歌謡祭参加で初来日に次いで2回目の来日公演です。NHKでの放送音源でTVショーのレーベルからの発売です。音源自体はブート+程度なので当時に思い入れのある方以外には勧められません。
◆1972年7月22日の後楽園球場でのエマーソン・レイク&パーマーの【ライブ・イン・ジャパン 1972】です。これもラジオ・ショーレーベルからで当日のTVで放送音源で数年前に出回ったブートと同内容です。ムソルグスキーの「展覧会の絵」が楽しみでした。どうにもELPとかYESってのは苦手でこの系列のコンサートには一度も行ったことはありません。
◆鮮明に覚えているコンサートが1973年11月8日のリオン・ラッセルの武道館公演【ライブ・イン・ジャパン 1973】です。20名近いバンドをコントロールする姿やアンコールでグランド・ピアノの上で長髪を振り乱してレスポールを弾く姿(!)唖然としてみていました。同時期にロングビーチの3枚組ライブがあったので武道館はダイジェストですがCD化ではヒューストン1971のライブが追加されています。
◆いまは開催終了となりましたが東京は日比谷の野外音楽堂で「ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル」というイベントが開催されていました。それ以前の1975年3月芝の郵便貯金ホールでの【ジュニア・ウェルズとバディ・ガイ】のジョイントライブです。当初徳間ジャパンのバーボンレーベルからLPで登場、後にCD化されたものです。これ宝物です! 何時の年だったか大雨の日比谷野音フェスで近藤房之介がチビまる子ちゃんのヒットで『これでご飯が食べられるようになりました!』と絶叫したのを今でも覚えています。ブルース・コンサートなんてそんなモンでした。
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◆長年の活動期間で数多いPurpleのライブでも最低・最悪なのは【ラスト・コンサート・イン・ジャパン(紫の燃焼)】・1975年12月5日の武道館ライブといわれ、Purple側も「出すんじゃなかった」と後悔したようです。Gのトミー・ボーリンは全く弾けておらず、カバデイル&グレン・ヒューズは、実に適当、頑張っているのはジョン・ロードとイアン・ペイスという金返せ状態!です。この音源に後年7曲を加えてのデジタル・リミックスの2枚組【This Time Around Live In Tokyo】で再発されると同じテープからかと思うほど改善(別モノ)されています。という事は当時のワーナーのエンジニア(日本人?)がど下手なだけだったという事でしょう。Gのトミー・ボーリンは若くして死んでいますが、日本のファンには下手くそGと思われています。当時このリミックス盤内容で発表されていたら評価は違っていたことでしょう。

Those were the days…(9)

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東京近郊というものの田舎町の住民には外タレ公演へ簡単に出かける機会はそうありませんでした。コレクションを探してみると『Live In Japan』なる作品って思いの外ありました。半年から1年後の発売といった感じでしたが、コンサートの後追い体験としては楽しめたものです。新興レーベルだったCBS/SONYからはChicago、BBA、Mountain、SantanaのLive盤が次々と発表され、他社からも名盤評価やキワモノ的な作品も思いの外あったようです。
◆1978年2月28日&3月1日の武道館での『ボブ・ディラン』タイトルも【武道館】は、ディランの初来日のライブです。正直ディランは苦手です。ディランに影響を受けたなんてほざく輩たちに英語圏の人間でも難解な歌詞内容が日本人に理解できるとは思えません。この公演での曲のアレンジは著しく、馬鹿かこいつは思ってものです(苦笑)。
1978年10月の【チープトリック At 武道館】一部は大阪厚生年金会館ですがチートリ初来日の模様です。世界的人気でもないポット出バンドが福岡・名古屋・大阪・静岡・東京と全国ツアーとは今でもよく判りません。この日本限定のライブ盤は売れに売れ世界人気に広がります。まぁ単に運だけはよい連中だったのでしょう。
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◆1974年6月の【カーペンタース・ライブ・イン・ジャパン】は大阪フェスティバルホールでのライブ盤です。所属のA&Mレコードの稼ぎ頭でカレンの日本語歌やガキのコーラス隊などあざとい演出が見られます。カレンの歌は上手いし兄貴の才能も大したものですが次第に方向性を見失い、結果として悲劇的な結末になってしまいました。
1977年6月の【ロイ・ブキャナン・ライブ・イン・ジャパン】郵便貯金会館でのライブです。ブキャナンの日本限定ライブなんて信じられません。LP、カセット、ショボイ音のUA盤を保有していましたが、紙ジャケも即購入しました。
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◆世界中のファンが血眼になって探したスティタス・クオーの【ステイタス・クオー・ライブ・イン・ジャパン】サブタイトルが『Tokyo Quo 烈火のハード・ブギー』です(笑)。1976年の11月17日中野サンプラザのライブですが、11月4日にはバックマン・タナーが武道館でやっています。イギリスでの国民的バンドが中野サンプラザとは面白い時代です(笑)。これでもかのブギ一一辺倒の潔さ!このライブ盤はクオーの歴史では初めてのライブ盤の事もあり注目を集めました。
◆ウィシュボーン・アッシュの1978年11月10、15日の厚生年金会館の【ライブ・イン・トーキョー】です。ツインリード・ギターが売り物でオリジナルメンバーでの来日でした。Allmansとは異なるツインGですが音楽センスは抜群でした。『Live Dates』という超名ライブがあり本作は地味な印象は否めませんが海外での人気は高いようです。
◆出ました。1974年の新宿厚生年金会館/渋谷公会堂での【ランナウェイズ・ライブ・イン・ジャパン】です。まぁキワモノの一発屋ですねっ。金髪のねぇちゃんが下着姿で大股開きで歌うのが話題だったくらいですから(笑)。今聴いてみると文化祭なみの演奏ですが、メンバーのジョーン・ジェットとリタ・フォードは後年そこそこの活躍をします。この時点では全員が「未成年」だったと思います。

Those were the days…(8)

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1970年代に来日公演を行った外テレ(死語)は【Live In Japan】なる作品を残しその多くは後年CD化や紙ジャケ化されています。Pt↑)LPが1974年5月発売の【サンタナ:ロータスの伝説】です。1973年7月の大阪公演でLP3枚組でジャケは22面という飛んでもないシロモノ。イラストは横尾忠則氏でした。この頃からサンタナは宗教色が強くなってきたようです。CBS/SONYレコードは高額で大変でしたが、当時の彼女が勤めていた関係で社販で買ってもらった記憶があります。初CD化ではプラケの2枚組、初紙ジャケ化ではサイズはCD並みでオリジナル・アートが復刻。次の紙ジャケ化(2017)では7インチに拡大し未発表曲が数曲追加されます。そりゃ買いますわな!
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Jeff BeckがLove Callを送り続けるものの自身の交通事故で延期。回復後に結成されたのがヴァニラ・ファッジのリズム隊カーマイン・アピスとティム・ボガードとのBBAです。Pt↑)Beck初来日となる1973年5月18.19日の「大阪厚生年金会館」でのLiveです。LP時代はBeckが日本での発売しかOKしなかったので世界的に貴重盤とされていました。当時はとんでもない連中が組んだと思っていましたが、予想外に凄まじいリズム隊にお山の大将Beckは我慢できなかったのでしょう、バンドは短命に終わっています。紙ジャケ(2013)はサンタナ・ロータスと同様に【Live盤 発売40周年記念】として7インチサイズで復刻しました。数曲の欠落曲があるものの当日の演奏順に並び替えられたのは嬉しい限りです。
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続いては1972年12月のDeep Purpleの【Live in Japan/Made In Japan】です。同年8月の初来日公演から東京と大阪でのライブです。この収録は日本側からの申し入れで 1)日本のみの発売  2)出来が悪ければボツ  3)録音でテープの権利はバンド側。となめた条件が付けられています。 結果あれよっの大ヒット!このヒットがなければPurpleなんざぁZepの2番手で終りだったでしょう。Stones同様Perpleも『何回同じものを買わせるんだっ!』の再発が繰り返されます。その割には【72年日本公演全曲演奏順3日間】は発売されてずブートの出番となります。某曲でのリズムカウントのやり直しではGは観客の手拍子ではなくVoに合わせています。言い出したのは誰なんでしょう(苦笑)。
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今回の記事にした作品は 1)シカゴ・1972年9月 2)Purple・1972年12月 3)BBA・1973年10月 4)マウンテン・1974年2月 5)サンタナ・1974年5月が時系列の発売順です。4作が当時のCBS/SONYの勢いだったのでしょう。Beckに日本でのライブ盤を納得させ、Chicagoには陳腐な日本語の歌詞(カタカナ)を歌わせるのですから…良い時代でした。

Those were the days…(7)

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Walker'sに続いての『モンキーズ』は1966年当時のBeatlesへの対抗としてアメリカのTV局が番組制作の為にオーディションで集めたメンバーで構成されたポップ・グループです。400人を超える応募者から選ばれたと云われますが、実際は最初からの出来レースだったようです(苦笑)。放映内容はコメディでそれなりに楽しめた記憶がありますが、造られてたグループの悲しさTVシリーズ終了後には人気は先細っていきますが、今でこそよく練られたグループだったと思います。レコードでの演奏はスタジオ・ミュージシャンが担当し『恋の終列車』のギターはVenturesのジェリー・マギーが弾いています。楽曲提供者はボイス&ハート、キャロル・キング、ニール・ダイアモンド、ポール・ウィリアムスなどそうそうたるメンツが担当しています。現代にも通用するアイドル・グループの方法論です。60年代のファンたちは造られたアイドル・グループでもそれなりに人気があったものです。実際日本公演までしています…。
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いまも耳にするヨーカ堂のCM曲の忌野清志郎の「ディドリーム・ビリーバー」はモンキーズがオリジナルでジョン・スチュワート(キングストントリオ)の作曲です。この日本語版のアレンジ内容のとてもCM曲には適さないのですが、製作代理店のセンスが疑われます(苦笑)。Pt↑)はRHINOレーベルからの4枚組のBoxです。小ぶりなBoxで英語解説は充実していますがBoxに造りはショボイです。Pt↓)の1~5作目までのOriginal Album Seriesはさらにショボイ造りです。¥2000もしなかったので車載用に購入しました。何曲かは今でも歌えます(笑)。
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Those were the days…(6)

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若い音楽ファンは知らないかもしれませんが1966年~1968年ごろの日本でBeatles並みかそれ以上の人気だったのが『ウォーカー・ブラザーズ / The Walker Brothers』です。日本武道館でのコンサートはBeatlesが最初で、2番目はこのWalker'sでした。当時世界的人気のベイシティ・ローラズでさえできなかった武道館を満員にした事でも有名でした。スコット、ジョン、ゲイリーのWalker'sは本当の兄弟ではなく英国で人気がでたロサンゼルス出身のアメリカのグループです。1967年の初来日のTV放送ではスコット・ウォ-カーは日本の学生服を着てバッハをイントロとした『イン・マイ・ルーム』や『ダンス天国』を口パクで熱唱(!)。この放送後に日本での彼らの人気は爆発しアッいう間にお菓子屋(不二家)のCMにまで登場する異常事態となりました。
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初来日直後の1967年春にグループ解散しますが、日本での人気は衰えず莫大な金額提示で無理やり一回限りの日本公演をさせたのは有名な話です。Ptは1964-1968年の活動期間の発表作とBest盤です。フィルスぺクター的な分厚いサウンドと全く異質な声のスコットとジョンのコーラスは魅力的です。1975-1978に再結成時代され『後悔なし』なんて作品を残して自然消滅。ソロ活動に転じスコット・ウォーカー(本名スコット・エンゲル)は多くの作品を残しています。記事にあたり確認すると残念ながらスコット・ウォーカーは2019年3月に76歳で亡くなっていました。

Those were the days…(5)

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1969年デビューのマウンテン、デビュー直後でWoodstockに登場ですから只者ではなかったような(笑)。実質的活動期間は2年半程度ですがCreamのプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディの仕掛けということで期待しました。フェリックスのベースのリフに沿ってアドリブが展開していく手法は斬新で、ガタイの割には繊細なギターのレスリーとの組み合せはいまでもお気に入りのバンドです。Pt↑)は2008年に再発のマウンテンの紙ジャケシリーズです。発売告知時に入手しています。後年、悲劇的事件となるのですがパッパラルディの奥さんのイラストの質感も含めさすが日本製の紙ジャケです。レスリー・ウェストの【ソロ】・有名曲ばかりの【クライミング】・【栄光のマウンテン】そして【ナンタケット・スレイライド】。最終作の【雪崩】はあきらかに失敗作でしょう(苦笑)。
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【Fillmore East Last 3 Nites】のBoxです。ここのでの音源がオフィシャル盤【悪の華】となっています。音はブート並みですが、ボツ曲が含まれフルの演奏のようです。「ロール・オーバー。ベートーベン」から「ミルクと蜂蜜の夢」へ続くメドレーではレスリーが様々な奏法を駆使しています。ベースのブイブイ感、コーキーのリム・ショットなどたまりません。このBoxには他にもそうそうたるバンドが登場しています。
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Ptの上段はオフィシャルライブ盤【暗黒への挑戦】での「ナンタケット・スレイライド」は17分の長尺となっています。このライブ作品は各地での寄集め音源ですが、近年の「1971.12.14 NewYork公演」ブートにはナンタケ(17分)以外の全曲が収録されているようです。下段はマウンテン解散後に「レスリー・ウエスト、ジャック・ブルース,、コーキー・レイング」の3人で来日公演の予定が寸前でジャックが逃亡。日本公演は急遽マウンテンの再結成となりました。この時の日本制作のライブ盤が【異邦の薫り】、ここでのナンタケは32分(LP2面分)となっています。某評論家により『音の拷問』と評価されましたが、巨漢のレスリーが持つレスポールJrはとんでもなく良い音で「拷問のごの字」もありませんでした。体調がヘロヘロだったのはご愛敬です。この日本制作のライブ盤は、2008年の紙ジャケでは「ナンタケ」の位置がオリジナルLP順でプラケのUS盤ADDCDではコンサート順となっています。
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マウンテンは同様「ウエスト・ブルース&レイング」も短命でした。同時代の「ブラインド・フェイス」、「BBA」、「KGB」などのスーパー・グループは1作での分裂や解散に比べればWB&Lの3作発表はよくもったものです。レスリー・ウエストは70歳を超え糖尿病により足を切断するなど昔の感じではありませんが、まだまだ現役のようです。PT↓)は実態がよく判らない部分もある「オフィシャル・ブートレグ」というシリーズです。Woodstock のデビュー・ライブやレスリーのソロ・ライブを含むCD16枚があります。「オフィシャル・ブートレグ」というのもマウンテンが早かったような気がします。このシリーズを集めるのには5年以上かかりました。最近ではアメリカのラジオ番組King Biscuit Flower Hourからの1973年12月のライブが出ましたが、「ナンタケ」は短く編集され物足りない編集となっています。
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Those were the days…(4)

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自粛の毎日で出かけることも儘ならずネタ切れの日々が続きます。時間は充分あるので若かりし頃に聴きまくった楽曲を聴きまくっています。『マイク・ブルームフィールド』地味といえば地味のブルースマンです。Cream/ECのサーカス的なライブ演奏に比べるとなんと聴きやすいブルースだったでしょう。ヘビロテで聴いていました。Pt↑)はCD盤面に2006の記載があるブルームフィールド専門レーベルからの1971.1974.1977とヘロイン中毒の進行時のブート3点です。意外なことには「専門レーベル」があったのです。ご本人は残念なことに37歳で亡くなっています。
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オフィシャルの【Live At The Old Waldof】とブート盤のジャケ写はテレを持っていますが音はレスポール&P90だと思います。名盤の【永遠のフルモア・ウエスト/A】は、収録時メンバーのニック・グラベニテスの【マイ・レイバース/B】収録の10曲中6曲がA収録時の演奏でタイトルはBでも内容は実質的にAということになっています。次いで人気薄とみえて廃盤状態が続いていた【KGB】です。メンバーはレイ・ケネディ(Vo)、バリー・ゴールドバーグ(Key 元エレクトリック・フラッグ)、カーマイン・アピス(Dr 元ヴァニラ・ファッジカクタス)、リック・グレッチ(B 元ブラインド・フェイス)とそうそうたるメンバーですが、この連中が続く訳などなくアッという間に吹っ飛んでしまいました(笑)。

Those were the days…(3)

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後年、ジェファーソンのジョマの友人だった奴から聞いた話ですが…。薬物中毒でボロボロになったマイク・ブルームフィールドはサンフランシスコの病院の駐車場で自分の車の中で死んでいたそうです。Pt)はアルクーパーとの【スーパー・セッション】と【フィルモアの奇蹟】です。バンド枠にとらわれない【スーパー・セッション】は当時の地方の高校生には斬新そのものでした。特に【フィルモアの奇蹟】でのポール・サイモンの『59番街橋の歌』の堪らないギター・ソロはぶっ飛びモンでした。これがレスポールの音と知るのはずっと後年です。CBS/SONYレコードが市場にシカゴやS&Gで参入してきた時代でしたが、他がLP ¥1800-2000の時代に¥2200とやや高額だったと記憶しています。
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ブラス・セクションを前に出した『Blood Sweat & Tears(血と汗と涙)』のデビューが1968年で『Chicago Transit Authority(後にChicago)』が1969年です。ジャズぽいBST、ロックぽいChicagoどちらかというとChicago派の方が多かったかなぁ(笑)。テリー・キャス以外は全員が音楽大学出という事でポイントが高かったようです。両バンドともCBS/SONYレーベルでLPはやや高額の上にChicagoに至っては3作目迄が2枚組、4作目のライブは4枚組なんてとんでもない事になっていました。日本公演ライブでさえ2枚組で、なんと2曲ほどカタカナ日本語歌詞で歌わせています。よくChicagoの連中がOKしたものです(笑)。カーネギー・ホールのライブ盤は上野駅の線路下の「畜光堂」でUS盤を買いました。ライブ4枚組なんてそれまであったのかなぁ?Chicagoはバンドとして50年続いていることになります。いまでは初期作品集は格安のBoxでウソのような価格になっています。
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今思えば当時のヒット曲やバンドは見境なく聴いていたようです。「聴いたか?あのバンド!すんげぇぞっ」の連続だったのでしょう。サイモン&ガーファンクルはダスティ・ホフマンの映画「卒業」を見てのサントラが最初でしょう。【サウンド・オブ・サイレンス】はかなりのオーバーダブがされているのは後に知りますが、個人的にはポール・サイモンの アコギ1本が好きです。LP作品としては【明日に架ける橋】が有名ですが、老人たちの孤独をテーマとした【ブック・エンド】の方がこの歳になると感じ入ります。==過ぎ去った日々 それは素晴らしい日々だった 無邪気な 日々自信に満ち溢れた日々もうずっと昔の事。 ここに写真があります 思い出は大切にとって置くことです それはあなたが失ったすべてのもの==そうはいっても17.8のガキにわかるような歌詞ではなかったのですが…(苦笑)。

Box setはお買い得?…(6)

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諸般の事情により自宅でCDを聴きながらの作業が増えています。そんな今日この頃に西新宿方面で嬉しいブツが登場しました。オールマンマン・ブラザース・バンド生残りメンバーによる2020.03.10.のマディソン・スクエア・ガーデンの50周年記念コンサートライブ盤(3CDR+1BDR)です。コロナの猛威がふるうニューヨークで3時間を優に超えるライブとはいやはやです。グレッグ死してオリジナル・メンバーはジェイモだけなり、チャック・リーベル参加はよしとしてもディキー・ベッツの不参加は残念と言えば残念です。逝ってしまったデュアン、グレッグ、ベリー、ブッチ、ラマーや時代を築いてきたダン・トーラー。ジャック・ピアソン。ジミー・ヘリングらの多くの兄弟達。バンド名がなんと”The Brothers"だなんてこれだけで涙ものです。

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Pt↑)は購入時期がCreamのGoodbye Tou Live 1968と被ったこともあり、未聴だった2020年2月発売の【The Allman Brothers Band・Trouble No More: 50th Anniversary Collection 5CDBox】=PtはWebより流用しました=です。Allman'sは2017年にグレック・オールマンの死去でバンドとしての存続は難しいでしょうが、結成50周年の節目に1969年のTrouble No Moreから2014年のTrouble No Moreまでバンドの歴史がこのCD5枚に収められています。Allmann'sにはインスタント・ライブや数々のFM音源などブート屋殺しの多くのライブ盤がありますが、意外な事に歴史網羅のBoxセット【1989 Dreams 4cd】以来です。今でも1971 Fillmore Eastのデュアンの演奏の信奉者が多々おられますが、デュアン亡き後に乗っ取り屋のチャック・リーベルに魂を売ることもなく、ディッキー・ベッツを「ギターが下手」との理由でFAX1枚で「馘」なんて…。バンドとしてのレベルを維持していくのは大変だったでしょう(笑)。歴代のギターにしてもダン・トーラー。ジャック・ピアソン。ジミー・ヘリング。デレク・トラックス。ウォーレン・ヘインズ。そしてディッキー・ベッツとデュアン・オールマン。稀にグレッグ・オールマンと結構なメンツが揃っています。ベースもメンバー変遷が多いのですが、なにせツイン・ギターが売りものなのでギターに目が行ってしまいます。
このBoxセットには1973年ニューヨーク州ワトキンスグレンに60万人を集めたコンサートでのMoutain Jamがあり、Allman'sとDeadのメンバー+ロビー・ロバートソンという超々貴重な音源なのですがグダグダの大外れでした(笑)。他にはジミー・ヘリングとデレク・トラックスのツイン・ギターは珍し音源の部類でしょう。それにしてもCD5枚はヘビーです(笑)

1950年代~1960年代に

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最近は”YouTube”を見る時間が増えています。どハマリしているのがエド山口氏(1948年・東京生・71歳)の「エド山口大江戸日記」です。1950年代に生まれ1960年代にRockの洗礼を受けてきた人間には笑い転げて、涙が出て、そうだったのか!…の話ばかりなのです。武道館でのビートルズ公演は会場で見たファンならでのは話です。実際に1965年前後の日本では一番人気のあった洋楽は「ベンチャーズ」であり「ビートルズ」は今のジャニーズ的で、ストーンズなどは駆け出しバンドだったなんてとても信じられないでしょう(笑)。
現在も氏は「エド山口&東京ベンチャーズ」の活動を続けられていますが、先日のYouTubeでは1992年での大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ」のバンド音楽指導をやった話は初耳でした。この映画は1960年代に四国の田舎でベンチャーズバンドを結成した高校生の話ですが、原作は芦原すなお氏の1991年に直木賞を受賞した小説です。Pt↑)黄ばんでしまった文庫本2冊は、左が芦原氏が最初に書かれた版で短く編集して直木賞を受賞したのが右の本です。芦原氏はどうしても元々の作品として発表したかったのでしょう。確かに私家版エピソード部分が多すぎる様な気がします。この小説(直木賞版)を読んで映画を見て「あれは俺たちのことだっ!」と思ったバンド少年が日本にどれだけ居た事でしょう。
同年代の音楽関係者にはよく「ビートルズの抱きしめたいを聞いて衝撃を受けた」などいう輩がいますが、後出しでカッコつけているだけで絶対にウソです(笑)。本当に衝撃だったのはテケテケテケのベンチャーズになのです。

まさかイザベラ・バードの…。

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昨今のTVドラマや日本映画の原作は漫画作品が元になっているものが沢山あります。話としては逆ですが、驚いたのがイザベラ・バードの『日本奥地紀行』を元とした漫画があるんですねぇ。【イザベラ・ルーシー・バード】は19世紀のイギリスの旅行家&探検家で驚くほどの行動力を持った女性です。著書『日本奥地紀行』は明治11年6月~9月に日本人通訳兼従者一人を伴って東京~粕壁~日光~会津街道~新潟を歩き,最終的にアイヌ文化を訪ね北海道まで続きます。本に描かれた日本人でさえ知らない明治初期の一般日本人の生活模様にはいろいろと驚かされたりします。
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明治初期頃には多くの外国人が好奇の目を持って日本滞在記を表していますが、多くが横浜や神戸での生活が描かれ、明治維新の混乱も消えぬ時代に日本人ですら関心のなかった日本人の生活が描かれた女史の著作は異質です。イギリス人女性らしい上から目線も見られますが、後年に訪れた『朝鮮紀行』の記述に比べれば日本人の生活文化は好意的に書かれています。漫画【ふしぎの国のバード】ではバード女史は若い女性として通訳兼従者もイケメン風に描かれています。北海道までの『奥地紀行』は女史47歳の時なのですが、中年のおばさんと胡散臭い通訳兼者では絵(漫画)にはなりませんので、これは良しとしましょう(笑)。まさか『日本奥地紀行』が漫画になっているとは思いもよりませんでした。明治11年10月からの伊勢、京都、大阪、神戸編に続くと面白いのですが、女史が最低最悪の都市とした1894年頃のソウルの『朝鮮紀行』となると悲惨なことになりそうです(笑)

森アーツセンター・ギャラリーで‥。

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港区は六本木ヒルズ森タワーの森アーツセンター・ギャラリーで開催中の『新北斎展』へ行ってまいりました。連日の大盛況で1時間、2時間待ちは当たり前とのことでしたが、この日は朝から雨で10時半に到着したら待ち時間は何と5分。ガイドラジオ(¥550)を借りて会場へそれでも30分もすると混雑模様となってきました。北斎のデビュー作、初公開、里帰り作品などなど500点近い作品が一挙に展示されています。これだけの作品群となると国や都の主催ではとても無理は話ではないでしょうか?『すんげぇ~』としか言いようがありません。31.3.24迄。必見です!
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平成最後の…(3)

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続いてはレディ・ガガ主演の『アリー/スター誕生』を見てまいりました。予想通り『スター誕生』は1937年版が最初で1954年にリメイク、1976年にPt↑右)のバーブラ・ストライザンドとクリス・クリストファーソン(ジャニス・ジョプリンの”ミー・アンド・ボビーマギー”の作曲者)主演で再度リメイクされ、今回が2018年版となります。1976年版から主人公が映画スターからロック・スターに変わり2018年版もそれを踏襲、記憶が曖昧な部分もありますが、1976年版を完コピしています。映画が始まった途端にストーリーも結末も判ってしまったのですが、バーブラ・ストライザンドとレディ・ガガは顔だちも似ているようです。ラストの追悼コンサートシーンでのバーブラの壮絶な歌唱はいまでも記憶に残っていますが、この作品でのレディ・ガガの歌唱はさらに感動的です。インストでもいいので前作のポール・ウィリアムスの『スター誕生愛のテーマ/Ever Green』があればと思っていたら、酒場のシーンで流れるの曲は、あのAllman Brothers bandではありませんか(笑)。思い入れがある映画としても「よくできたロック映画」より観賞料を払った価値はあったようです。
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