旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

北区

赤羽・作徳稲荷大明神

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昨今の「北区・赤羽商店街」の変貌ぶりには驚かされます。昔は旧軍の火薬庫や被服工廠がや駐屯地があり近年は大手の印刷工場がある街で、マックから入る「1番街」は印刷工場の夜勤明け工員が朝から飲める居酒屋がありました。なんという事でしょう!居酒屋文化は滅びるどころか「千べろ=1000円でベロベロ」の流行で昼酒OKの店が増え商店街の様相も変わっています。真昼間から若いねえちゃん達が酔っているのですから(苦笑)。この国は大丈夫でしょうか?
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1番街を進みます。巨大な”おはぎ”で有名な伊勢屋の少し先の屋上(Pt↑)に「作徳稲荷大明神」は鎮座しています。TVなどにも登場しますが社殿がとんでもない場所にあり「近づけない!」で有名な神社です。7/11の上に「作徳稲荷大社」の看板があり参道(?)に神社のご由緒(Pt↓)が掲げてあります。昭和5年に鍵屋染物店の当主が建立、昭和34年のビル建設時に屋上に遷座したと書かれています。立入禁止や要許可の表示はないので階段を登り屋上に出ると稲荷社は鎮座していますがお社は少し下がった隣のビルにあり金網越しでの参拝となります。銀座辺りでは屋上の稲荷社は珍しくはないのですが「お社に近づけない神社」とはこういうことでした。道路から望遠で追っても神社の一部と旗しか見えません。
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就職達成・亀ケ池弁天

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北区赤羽西の「亀ケ池弁天」です。昨今人気の"朝っぱらから酒が飲めるで"人気なのは赤羽駅の東口側で、亀ケ池弁天は駅の西口側になります。東口に比べて西口は商業ビルが2軒とイトーヨカードと特徴の薄い駅前感です。赤羽付近は昔から工場が多く夜勤明けの人達の”朝から一杯”の文化があったのですが、数年前から真昼間から若いねぇちゃん達が酔っぱらう街となったようです。TV放映が後押しする街の姿ってのはどうにも違和感があります。赤羽駅西口側は大きな変貌を遂げた街で上野からの馬の背状大地の終りあたりで坂道の多い街でした。付近には旧軍の火薬庫や被服工廠があり近衛工兵大隊や第一師団工兵大隊の駐屯地がなど軍施設が沢山あったようです。
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軍施設があった街なら料亭や遊郭があったのでしょうが、今はその面影すら見つけることができません。恐らく「亀ケ池弁天」への参道はバス停の「弁天通り」にかろうじて見つけられました。関東大震災以前にはこの弁天通りに面して大きな池があったそうです。昭和58年10月吉日とある案内板には近くの静勝寺より勧請したとあります。案内板には特別記載がなかったのですが、「新卒者が希望業種への就職を祈願」つまり「就職達成」のご利益があるとされていますが、どこがどうしてそうなのか手掛かりすらありません。Ptのように町屋の囲まれたこじんまりとした弁天堂ですが池には亀(外来種多数)いるなど、時代は変遷していっても大切にされてきた様子です。
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国指定名勝・旧古河庭園

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北区西ヶ原の「国指定名勝・旧古河庭園」です。都内屈指の薔薇園として知られ季節には様々な種類の薔薇の花が咲き乱れます。Ptは4/22なのでまだ”咲き始め”といった感じです(花は躑躅)。最盛期には薔薇の数より人の数の方が多い状態で、おちおち薔薇を楽しむなんて余裕なんんざぁありません。誰も人が映り込まない写真などはまず不可能です。旧古河庭園については以前に触れていますが、元々は陸奥宗光や古河財閥(足尾銅山の創始者)の邸宅で、旧軍のやイギリスに接収を経て国有財産となり、それを借り受けて東京都が運営しています。
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ただし洋館部分は(財)大谷美術館の管理で見学料も別途となります。大正6年完成の洋館は明治年間にお雇い外国人としてイギリスから招聘され、日本人の著名な建築家を養成した「ジョサイア・コンドル」の晩年の作品です。階段状の傾斜地に建ち、上段が住宅、中段がイギリス風薔薇園(コンドル作)、下段が日本庭園となっています。洋館が国から東京都へ管理が移管されたのが昭和31年。諸般の事情で30年間放置された幽霊屋敷状態が続き、平成元年に7年の月日を費やして見事に復元解放されています。
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平塚神社と三毛猫

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なんと関東地方は6月末に”梅雨あけ”となり、北区の平塚神社で見かけた猫もこれから過酷な日々が続いていくことでしょう。もともと猫は体温が高く汗をかく機能が足の裏にしか備わってないので風の通りが良い涼しい場所が好きです。Pt↑)の御仁も平塚神社の摂社の社で寝ていました。カメラ目線になってくれないのは野良さんだからなのでしょうか?現実には野良の子猫の生存率は5匹に1匹くらいで幸運にも生き延びたとしても寿命はせいぜい4年(!)そんなもんなんです・・。
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JR京浜東北線の大船~大宮間で最も知名度の低い駅となると『上中里駅』でしょう(?)。駅から本郷通りへ向かう右側、切り通し上に平塚神社(旧平塚明神社)があります。創立は平安後期で、八幡太郎源義家が奥州征伐の途中にこの地の領主に鎧一領を下賜され、のちに領主が自分の城の鎮守として社殿を建て義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀ったとあります。ご祀神は『八幡太郎源義家命・賀茂次郎源義命・新羅三郎源義光命・豊島近義命』とあり、失礼ながらあまり馴染みがありません。平塚神社の本郷通りに面して有名な団子屋の「平塚亭・つるおか」があります。内田康夫氏の小説「名探偵★浅見光彦」に登場する団子屋です。昼過ぎのには”完売”となかなかの人気店です。小説の主人公も良く買って霜降銀座の自宅へ帰るのですが結構距離があります。
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七社神社と一里塚

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上野の西郷像あたりから京浜東北線に添って馬の背状に赤羽の埼玉県境まで大地が続きます。この様な地形には古代の集落遺構が多く、有名ではないものの由緒ある神社仏閣が点在しています。北区西ヶ原(飛鳥山公園隣)にある『七社神社』もその一社でしょう。ご祀神は 1.伊邪那岐命(イザナギノミコト) 2.伊邪那美命(イザナミノミコト) 3.天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 4.伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)  5.市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)  6.仲哀天皇(チュウアイテンノウ) 7.応神天皇(オウジンテンノウ) と神社名のように七柱の神様達です。元々は現在の古河庭園のお寺境内に創建され、明治年間に現在は摂社となっている『一本杉神明宮』の地へ移り、本社と摂社が入れ替わっているのですが、神社縁起としては珍しい事ではありません。本郷通りから滝野川警察暑脇を入りますが、警察暑前にある「西ヶ原一里塚」は日光御成街道の2番目の一里塚で、国指定の遺跡となっています。
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東京都北区防災センター

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玄関を入るといきなり”東京にM7程度の地震があった場合の居間”のシュミレーションにはドキッとします(苦笑)。東京都北区防災センターは、恐らくは京浜東北線最低の乗降者数を誇る「上中里駅」から5分ほど滝野川消防署の隣にあります。なんでも昭和59年オープンで、国の「防災基地モデル建設事業」の一環として、防災公園でもある滝野川公園や消防署・警察署・病院が周囲を固める災害拠点として建設されています。東日本大震災、阪神淡路震災、普賢岳の噴火などの写真なども展示されているのですが、トータルとして”やや古めかしい施設”の感じは否めません。・・・AM09:00~PM17:00・月曜&特定日休み・入場料無料・・・です。まぁ古河庭園がすぐ近くなので、ついでに寄ったという感じがよろしいかと・・。
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お札と切手の博物館

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JR王子駅から徒歩5分程、国立印刷局王子工場横の『お札と切手の博物館』です。外観はどこぞの信用金庫の支店といった感じです。元々は1971年に大蔵省印刷局創立100周年を記念して市ヶ谷防衛庁の隣に開館され、2011年に現在地へ移転してきたものです。こちらではお札の印刷工程が見られる訳ではありませんが、博物館としては小ぶりでありながら、お札の歴史や偽造を防ぐための技術の変遷や世界のお札の展示等々に特化していて充分見ごたえがあります。・・・【AM09:30~17:00・月&特定日休み・無料】・・・館内は撮影禁止ですが、展示物のうち「一億円が持てる体験コーナー」は撮影OKです。
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2階の展示スペースで2016.12/20~2017.3/5の日程で『印紙・証紙-小さなグラフィック・デザインの世界』のタイトルで収集家の”下邑政弥氏旧蔵の貴重なコレクション”と併せて国立印刷局ならではの収蔵品が展示されています。印紙・証紙・酒の証紙・ゴミの券・車検のステッカー等々実に面白い展示です。入館料を取る割には立派なのは建物だけという目白の某博物館とはエライ違いです。
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北区・都立旧古河庭園

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北区・西ヶ原の『旧古河庭園』は蔵野台地の地形を利用して北側の丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、低地には日本庭園を配した造りとなっており、洋風庭園のバラ園は”古河庭園”の代名詞にもなっています。洋館と洋風庭園の英国人ジョサイア・コンドルの設計です。コンドルは旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などの設計をしており日本建築界の多大なる貢献者なのですが、私邸の設計などの小銭稼ぎ的仕事も結構あります。古河庭園は明治の元勲・陸奥宗光の別邸で、後に古河家の所有となっています。煉瓦造・地上2階・地下1階、外壁は真鶴産の安山岩を使用した洋館部分は大正6年の竣工で、コンドルの晩年の作です。
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古河家が去った後は当時の中国・南京政府の要人・汪兆銘が隠れ住んだり、太平洋戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収されたり、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されるなど数奇な歴史を有しています。バラ園の下方には、京都の庭師・小川治兵衛の造りによる日本庭園がありますが、近くの駒込・六義園に比べるとどうしても見劣りします。庭園は「税金未払いによる物納」で国へ所有権が移り、東京都が国から無償で借り受けて一般公開されています。大正初期の庭園の原型を留める、和洋の調和した庭園として平成18年に文化財保護法により国の名勝指定も受けています。以前からファッション関連のモデル撮影場所として知られていましたが、以前は建物は荒れ果て朽ち果てる寸前、庭園も雑草だらけと、とんでもない状態でした。よくぞ現在の状況に戻せたと思います。現在、洋館部分は「財団法人大谷美術館」なる団体が管理し、予約なしでは建物内を見学することができません。東京都が管理する施設でありながら、一部を財団が”占拠”するなど不可思議な管理構造です。
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霜降銀座商店街あたり

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JR駒込駅から旧古河庭園方向へ本郷通りを下った『霜降銀座商店街』です。内田康夫氏の小説の主人公・本業はルポラーターで何故か名探偵の「名探偵★浅見光彦の住む町」と設定されています。何人もの役者が演じ、TVドラマシリーズも放送されていました。PT↑)が本郷通り側の「霜降銀座商店街」の入口です。「し」の字が日陰で見えませんが、中央のユルキャラは「しーちゃんマーク」だそうです。商店街自体はここから約250mとさほど大きくはありませんが、これを『銀座』と言い切ってしまうのはかなり大胆ですが、雰囲気的には「下町商店街的感」に満ちています。
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JR駒込駅寄り、女子栄養大駒込キャンパス近くの「妙義神社」です。「勝負の神、縁結びの神」として信仰されているとあり、日本武尊東征の際、陣営を構えたされる豊島区最古の神社だそうです。後に太田道灌が戦勝を祈願し勝利を収めたことにより勝負の神となったようです。日本武尊&太田道灌の両者は江戸時代以前からの東京の神社縁起には度々登場してきます。残念な事に昭和20年(1945)の空襲により社殿・社務所や太田道灌奉納の剣や道灌像などは焼失しています。
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さらにJR駒込駅寄りの妙義坂に面して「駒込妙義坂子育地蔵尊」が祀られています。失礼ながら地蔵尊となるとどうしても格下で道端で素朴に佇むという感じなのですが、この地蔵尊は立派なお堂が造られています。解説文を読むと寛文8年(1668)の創建とされ戦前には70坪の境内地で節分や縁日には賑わったとあります。珍しいのはセーラー服におかっぱ頭の二人の少女の供養碑があります。昭和8年(1934)に付近で交通事故で亡くなった少女を供養する為に建てられたものです。
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北区・王子稲荷神社

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この『王子稲荷神社』は、大晦日の夜に諸国のキツネ達が神社近くの”榎”の下で装束を整え『王子稲荷神社』に初詣するという伝承で有名です。創建は平安時代以前とされる古社で、ご祀神は「宇迦之御魂神」・「宇気母智之神」・「和久産巣日神」が祀られています。関東稲荷総社…【この”関東”とは東北も含めての東国三十三国をさします】…の格式を持つとされています。関東を治めた北条氏、そして徳川氏からは社格200石という江戸市中の他の神社にくらべても破格の扱いを受けています。江戸市民からも神社一番人気を続けたそうで、歌川広重の「名所江戸百景」にも「王子装束ゑの木大晦日の狐火」はよく知られています。 王子稲荷社は幼稚園を併設しているため、平日は幼稚園わきの坂道から入ります。本殿からさらに右奥に進むと、江戸時代から伝わる「願掛け石」があります。さらに奥にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。
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北区・名主の滝公園

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王子稲荷神社の先100mほどの「名主の滝公園」です。武蔵野台地の突端の王子近辺にはかって「王子七滝」と称する7つの滝があったそうですが、この「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっていますす。「名主の滝公園」は8mの落差の男滝(おだき)を中心として女滝(めだき)・独鈷の滝(どっこのたき)・湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝とケヤキ・エノキ・シイ、そしてヤマモミジが植えられた回遊式庭園となっています。江戸・安政年間にこの近辺の名主だった「畑野孫八」が開いたのが始まりで“名主の滝”の名前のこれに由来します。、明治の中頃に、貿易商の垣内徳三郎の所有となり、塩原(栃木県)の景に模して庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある趣のある庭園として整備ました。その後個人や企業のの所有をへて、昭和35年から東京都により公開されています。台地の斜面に造成された”回遊式庭園”なのですが、思いの外高低差があり落差8m程の「男滝」でも水量が豊富でなかなかの景観です。現在は「区立公園」となっており”桜やもみじ、野鳥や夏の蛍の観察会など、四季折々の自然が楽しめます”とありますが…。 ★入園は無料。09:00~17:00 (7/15~9/15は09:00~18:00)
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北区・酒類総合研究所

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北区滝野川2丁目の通称「赤レンガ酒造工場」・独立行政法人酒類総合研究所東京事務所です。明治37年(1904)に現在の独立行政法人酒類総合研究所の前身となる旧大蔵省所管の醸造試験所として建てられたものです。現存する名建築家『妻木頼黄(よりなか)』による設計作品で、平成26年12月には文部科学大臣より重要文化財(建造物)の指定を受けています。 さてさて、この【独立行政法人】ってやつは曲者で、これだけの歴史的背景があり貴重な建造物を有しながらも普通に一般見学はできません。HPには”一般の方も東京事務所の赤レンガ酒造工場を見学できます。なお、概ね5名以上20名以内の団体で1週間前までに申込が必要です”。これでは完全に拒否すると差し障りがあるからとの逃げ口上ですねっ。見学者への係員の配置や教育など煩わしい事が多くなるので”やりたくない”が本音なのでしょう。ご自分たちは「公官庁」ではなくなっているのに、多くの施設や職員は公官庁の立ち位置にいると勘違いしているのが【独立行政法人】の体質なのですが…。
建物北側は旧施設の敷地を整備して醸造試験所跡地公園となっています。Ptのトイレは公園の物です。
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北区・東書文庫

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北区栄町の「東書文庫」です。正式名称は「東京書籍株式会社附設教科書図書館東書文庫」、1936年に日本で最初にできた教科書図書館です。現在、教科書、板木、掛図、原画など約14万点が所蔵されています。Pt↑)の建物は北区の有形文化財で経済産業の近代化産業遺産の…また良くわからない分類の登場です…の認定を受けています。JR王子駅から徒歩15分程度なのですが、この付近は道が入り組んでいて大変に判りにくいです。しかも完全予約制・祝を除く水~金の開館とハードルが高くなっています。東京書籍の企業施設なので致し方ありませんが…。
Pt↓3)は向かい側の(株)リーブルテック(旧東京書籍印刷)の工場です。こちらも味のある建物です。
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北区・音無親水公園

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このブログで使用のPtの多くはCASIOのコンデジで撮っています。デジタル写真の欠点と云っても良いと思いますが…。微妙な空気感が写りません。例えばこの「音無親水公園」の画像では、今の時期の公園の”寂寥としたうらぶれ感”が出ていません。実際、桜の季節が過ぎ、川遊びをする子供の声も聞こえず、王子権現の大銀杏もない季節のはざまでは、唯のうらぶれた公園にしか見えません。この公園は小平市を源流とし西東京・練馬区・板橋区・北区と流れ隅田川に注ぐ長さ25kmほどの石神井川が流れを整備して造られた公園です。石神井川はこの付近では「音無川」と呼ばれ、桜や紅葉の楽しめる景勝地だったそうです。音無親水公園は、都内では昭和記念公園、日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園と同じくする「日本の都市公園100選」に平成2年に選定されているのですが、(社)日本公園緑地協会が選定する他の公園に比べると”おそまつ”は大変なものです。区としての整備管理の荷が重い(できない)のなら100選指定は返上されるのが宜しいかと思います。
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北区立中央図書館

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東京都・北区には15の図書館と分室があります。Pt↑)は十条台にある「北区中央図書館」です。この建物は明治38年に小石川より移転してきた陸軍兵器工場の煉瓦棟で、大正8年に完成の赤レンガ倉庫「弾丸鉛身場」の一部です。戦後は米軍の戦車整備工場や自衛隊の武器補給所として使われ、平成20年旧陸上自衛隊十条駐屯地275号棟を改装・改築「北区中央図書館」として生まれ変わりました。 でもですねぇ。「中央」を名乗る割にはJR王子駅から徒歩15分。JR十条駅から徒歩12分と立地はよろしくありません。北区以外の人から見れば”不便な場所の図書館”でしかないでしょう。愛称が「赤レンガ図書館」とは笑えるくらい陳腐です。館内は撮影禁止となっています。煉瓦棟の残滓は”饅頭の皮”だけで、内部は新たに造られた図書館スペース、そしてご多聞にもれず”カフェ”です。写真で見ると雰囲気が良く見えてしまうのは困りモンです(苦笑)。
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図書館の西隣には自衛隊十条駐屯地があり、駐屯地内にも赤レンガ倉庫の名残が記念に残されているのが見えます。最後尾のPtは「東京第一陸軍造兵廠十条工場旧254号棟」で造兵廠の変電所の壁です。自衛隊敷地ないなので近寄ることはできません。
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十条富士見中の煉瓦塀

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前項の「中央公園文化センター」に向かうにはJR埼京線・十条駅で下車、線路沿の道を進みます。道すがら”十条富士見中学校”の 煉瓦塀に行き当たります。煉瓦塀には北区教育委員会による由来が造られています。曰く…十条台1丁目一帯には旧陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造所が所在していました。この製造所は、日露戦争時の行われていた明治38年、小銃弾薬の増産を図るためにに現在の東京ドーム付近から移転してきた工場施設で、約10万坪の敷地に煉瓦造りの工場等が建てられていました。本校とJR埼京線の境界に現存する煉瓦塀は、その製造所の西側の敷地境界にあたり、煉瓦に残されている刻印から、葛飾区の金町煉瓦製造所の煉瓦が使われていることが判りました…とあります。
旧写真と比べるとかなり補強工事がなされています。ここから中央公園まではかなりの距離があり、東京砲兵工廠銃砲製造所の敷地がいかに広大だったのかが窺えます、公園と隣の”自衛隊十条駐屯地”の正門の煉瓦塀も昔の工場の塀だったのでしょうねっ。
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北区・中央公園文化センター

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北区・王子&十条近辺はかって「軍都」とも云われ今でも名残をとどめる建物が残っています。Pt↑)の「北区中央公園文化センター」は日露戦争を契機に現在の東京ドーム付近にあった陸軍造兵廠(兵器工場)がこの地に移転した際の「東京第一陸軍兵廠本部」の建物です。昭和5年に完成で左右対称の造りは威厳に満ちていますねっ。当初の外壁は茶色だったそうですが終戦後に建物を接収した米軍により外壁は白く塗り変えらています。ベトナム戦争時は野戦病院として使われ、昭和46年に返還され現在は区の文化施設となっています。
それにしても植込みの躑躅は伸び放題、樹木の剪定もなされず、通路もロクに掃除がされていません。Ptで見る限りはそうは見えないのですが、管理も手入れも悪い荒れ果てた施設廻りとの印象です。これではTVや映画のロケ地としては難しいでしょうねっ。中央公園自体は敷地も広く緑の多い環境に恵まれた公園なので、もったいない限りです。北区は貧乏区なのでしょうかねぇ?
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飛鳥山・兜稲荷社

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"春に3日の晴間なし”とは良く言ったもので、晴の日、雨の日がオセロ状態になっています。桜の季節も過ぎ、王子・飛鳥山は静かな公園へ戻りました。この公園内には公益法人渋沢栄一記念財団が運営する「渋沢資料館」と大正期の建造で渋沢栄一の旧宅、重要文化財指定の晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ) があります。青淵文庫は渋沢栄一の傘寿と子爵になったお祝いに贈られた鉄筋コンクリート造2階建ての書庫で、外壁は石貼り、庭に面した窓はステンドガラスで飾られて、建物内部1階は床面チーク材張りの閲覧室、2階は書庫となっていました。
青淵文庫の裏手の目立たない場所に、Pt↑)の「兜稲荷社」が「跡」として朽ち果てた感で残っています。元は日本橋兜町の第一銀行構内にあり、明治30年の第一銀行改築時に現在地に移築されたものです。老巧化により昭和41年に取り壊されましたが、日本橋・兜神社で触れたように、三井家の守護神を向島・三囲神社から分霊、勧請した神社ですから、この朽ち果て放置された状態はいかがなものなのでしょうか…?
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【東京十社】‥王子神社

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北区・王子の地名の由来となっているとされる、王子神社(旧称王子権現)です。東北線等の車窓から神社の杜見がえ「王子稲荷」と間違われますが、稲荷はここから徒歩7分ほど先です。大変に高い格式を持つ神社で中世に熊野信仰の拠点となった神社です。ご祀神は、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大神で相殿に事解男命、速玉之男命となっています。 境内には東京都指定文化財となった大銀杏があり、大正13年の実測で幹は6.36m、高さ19.69mだったそうですが如何せんデーターが古すぎます(!)。王子神社は『東京十社』の一社に数えられています。…東京十社とは、明治初年に明治天皇により定められた東京近郊の10の神社のことを云います。1868年 明治天皇は氷川神社(さいたま市)を勅祭社とし、近郊の主だった神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社としました。この制度自体は時代とともに変遷し、1975年。昭和天皇即位50年の際して、関係神社の協議により「東京十社巡り」が企画され今日に至っています…
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王子権現の毛塚

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王子神社(王子権現)の境内摂社に「関神社」が鎮座しているのですが…。この神社は珍しくも「髪の祖神」とされています。そんなこともあり神社を囲む石柱には「かつら店」や「床山店」の屋号で埋められ、本殿脇の「毛塚」には松竹、東映などの映画会社の記載が見られます。ご祀神は失礼ながら著名ではない神々なのですが、最初に”かつら”を考案したのが「蝉丸公」なる人物であり、滋賀県大津 の逢坂山に「関蝉丸神社」として祀られいており、江戸時代に「かもじ 業者」を中心として「王子神社」境内に奉斎した のが「関神社」の創始とあります。戦災により社殿は焼失するも、全国各地の人毛業界 やかもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師の各界の浄財により昭和34年に再建され云々が案内板いありますが、失礼ながら『なんじゃ そりゃぁ感』に満ち満ちています。
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