旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

北区

王子の駅そば・そば処…(2)

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【2023.11.22】王子駅での乗り換え時に立ち寄ったのが「王子駅そば そば処」。今回も「紅しょうが天そば」です。なんでも紅しょうがのかき揚げは関西では普通ですが、関東は珍しの部類になります。確か荒川区のジョイフル三ノ輪商店街には紅しょうがかき揚げの総菜店がありました。未確認ながら赤羽の富士そばには紅生姜天そばがあるそうです。
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【2023.03.31加筆】桜見物の前に中央改札脇の「そば処」で前回の「紅生姜天そば」に続き今日は「春菊そば」です。若いころは新橋あたりで出社前に食べたものですが、久しぶりに食べる春菊そばは懐かしいよりあれっなんか違うなっ」という感じでした。
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昨年9月以来のJR王子駅『そば処』です。桜の名所で知られる飛鳥山には渋沢栄一関連博物館もあるのですが、それはさて置き老舗駅そば店に向かいます。JR王子駅はホーム構造がやや面倒で『そば処』は中央改札となります。今日はPt)のこの店ならではの「紅生姜天プラそば」です。紅生姜天や春菊天は普通の蕎麦屋ではあまり見かけず立食いそば店ならではと云っても良いでしょう。
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厨房側のケースにはトッピングの天ぷらが並んでいます。桜えび天、ごぼう天、かき揚天、紅生姜天が¥140と横並びで、げそ天が¥170、春菊¥180です。天プラは1日の揚げる枚数が決まっている限定品で、その旨の掲示がみられます。、旨いかと聞かれても極々普通に予想通りの味です。「紅生姜天ぷら」は珍味の部類ではないでしょうか(笑)。
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食券発券機の1台が交通系IC対応になっていました。前回より微妙な価格変更があるようです。それにしても『紅生姜天ぷらそば』が¥400で、かけそば・うどんは¥260ですからねぇ(笑)、JR系駅そばと比べても良心的な価格設定です。「おそば屋さんのカレーライス ¥380」もお店のお勧めらしいのですが…(苦笑)。
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赤羽駅 大江戸そば

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JR赤羽駅は京浜東北線・宇都宮線・高崎線・埼京線が停車するターミナル駅です。電車の乗換時に小腹を満たすことも良くありました。気が付いたのは京浜線ホームから隣の3・4番線ホームを見ると、長いこと機械関係の故障とやらで休業していた「大江戸そば」が復活していました。早速食べに行ってみます(笑)。
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隣のホームからの遠目では営業中か否かは良く判りません。人の気配がするので大丈夫のようです。「大江戸そば」もJRcrossのチェーン店です。位置的にこの店の真下あたりに値段に高い蕎麦専門の「そば一」があるのも面白いです。注文は「蕎麦屋の 中華そばセット ¥730→ ¥650」です。今だけ¥80お得に惹かれます(笑)
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「ミニカレー+中華そば」の全貌がこれです。実はカレー嫌いで自宅でも外出先でもカレーライスは数年に一度程度、旨いか否かの判断できません。ボリューム的には満足なのは言うまでもありません。ミニカレーが味噌汁碗で出てくるのはなるほどと思いました。
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日本人の多くはカレーが好きだそうで、多くは学校給食の影響もあるようです。「当店お勧めのそば屋のカレー」とあるので食べてみましたが組み合わせの微妙さは否めません。ホームでの中距離電車の乗車する訳でもなく急ぐ必要はなのですが、電車の到着時間を気にしな駅そばの醍醐味でしょう。
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赤羽駅には駅中に商業施設がありパンやケーキや惣菜店的な店舗があるのですが、飲食店が並ぶ一角は短期間に軒並み閉店してしまった状態です。冒頭の路線が停車する駅で乗降や乗換え旅客は少なくないでしょうが、異様な光景が見られます。

赤羽駅 ”そば一”は大丈夫か?

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駅そば事情はおじさんサラリーマンの世界から進歩(?)しているようです。所詮は高級化粧品を使ってもブランド品で着飾って「駅そばは駅そば」なので高級店指向(?)は理解できません。特に「そば一」はJRcrossの傘下でありながら『蕎麦』に特化し『うどん』のメニューもなく、「安い、早い、オヤジの駅そば店とは違うぞ」の展開です。「大江戸そば」系よりは「やや旨い」のは確かですが…。
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赤羽駅エキュートの「そば一」は赤羽店がJRcrossの1号店だそうで、神田駅や新宿駅の改札内、池袋駅の改札外で見かけた事があります。値段は他の系列店より「やや高い」のですが、許容できる範囲でしょう。赤羽駅でどうしてもうどんが食べたいなら階段を駆け上がれは1分もかからずに「大江戸そば」があります。
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工場で茹でた「茹でそば」を店で温めるのが「そば処 中仙道」・「大江戸そば」・「清流そば」系で、屋号は違っても中身は同じです。「いろり庵きらく」と「そば一」は生麺を使用です。麺を茹るタイミングとその設備があるか否かの違いです。
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赤羽駅の商業施設”エキュート”の東京寄りの連絡通路には数軒の食事施設がありました。乗換時に何度か食事をした事もあったのですが、なんとコンビニと床屋を残して一斉閉店となりました。右側はカレーショップ、左側は長崎ちゃんぽん跡です。
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右側がスパゲッティの「ナポリの旋風」、左が豚丼の「浜とん」、JRcross傘下の飲食店です。赤羽駅もコロナ禍で運営計画に狂いもあったのでしょうが全店舗の一斉廃業とは何なんでしょう(笑)。
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ここはベッカーズの跡です。駅構内のそこそこ人気のバーガー&サンドウィッチの店が閉店とは聞いたことがありません。この通路は広い構造なので終電後の駅舎の閑散とした感じとなりました。それにしてもひどいもんです。
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「tokyo 豚骨 base」は人気店のはずですが、お見事の共倒れです(笑)。閉店のinfoには理由も今後の予定も書かれていません。この通路は赤羽駅の構造上、テナントの出店条件は良くありません。家賃優遇もあるであろうJRcross系でこの状態なので賑わいが戻るのは難しいでしょう。

霜降銀座商店街から駒込駅

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旧古河庭園からJR駒込駅へ向かう途中、北区西ヶ原に『霜降銀座商店街』があります。ここは内田康夫氏による『名探偵★浅見光彦』関連の町として知られています。小説での浅見光彦の本業はルポラーターで何故か名探偵というお話です。度々TVドラマ化もされていて、その主人公が暮らす街の設定ですが…。
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主人公は平塚神社の駐車場から平塚亭で団子を購入して本郷通りの坂を下り霜降商店街の自宅へ帰るのですが、これをホントに歩いたら10分以上かかります。まぁお話はお話という事ですが…(笑)。本郷通りから脇に入る商店街は、個人商店が並ぶ昭和年代にはごく普通にあった商店街の感じを残しています。
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『霜降銀座商店街』は200m程度しかありません。商店街を進んで行くと「かさはら豆腐店」で『染井銀座商店街』に変わりま。さらに「西ヶ原銀座」と「ふれあい通り商店街」と4ツの商店街が隣接しています。住宅密集地で大型スーパーが進出し難い街なのでしょう。江戸時代は染井と呼ばれ花卉・植木の生産地であり「染井吉野」の発祥地とされます。
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エゾヒガンザクラ」と「大島桜」を交配して駒込の染井村で造られたのが「染井吉野」です。済州島原産など馬鹿をいう国があるのには呆れかえります。JR駒込駅には隣接して「染井吉野桜記念公園」があります。駅の郵便ポストはそれを記念するように桜色です。
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このポストを最初に見た時は、日当たりが良すぎて退色しているのかと思いました。ポスト裏側には発祥の地である旨が表現されています。桜の盛りが過ぎた公園には「染井吉野櫻発生發祥之里 駒込」の碑もあります。
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北区・旧古河庭園…(3)

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3年ぶりに「都立9庭園共通年間パスポート」の手続きに旧古河庭園へ行って来ました。このパスポートは都立9庭園で有効で上野動物園(東京動物園協会)や新宿御苑(環境省)では使えません。金額的に元を取るのは大変なのです(苦笑)。
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旧古河庭園は石造りの洋館とバラ園で有名ですが、流石に時期的には早くバラ園は整備中でした。洋館部分から斜面を下りきった日本庭園の心字池では意外にデカイ水鳥がエサを啄んでいました。
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大正8年に完成した「池泉回遊式庭園」は京都の造園家・小川治兵衛の作品で様式庭園との対比としても贅を尽くした設計になっています。旧岩﨑邸は迎賓館なのに対し古河邸は個人の住まいなのですから、金持ちは違います。
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陸奥宗光の別邸を古河財閥が引き継ぎ、洋館と洋風庭園はジョサイア・コンドルの設計により大正6年に完成しています。傾斜地形を生かして最上部が住居建物、一段下がって幾何学模様配置のバラ園、さらに下って日本庭園の構造になっています。
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この洋館の管理は東京都ではなく「大谷美術館」が行っています(別料金)。かなり以前この洋館は長い年月放置されていて、野良猫が住み着くような荒れ放題でした。その頃を知っている身とすればよくここまで復元したものだと思います。

2023 王子神社・東京10社

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飛鳥山・音無親水公園とくれば王子神社はすぐ隣の地に鎮座しています。関東稲荷稲荷惣司を掲げる王子稲荷と混同しがちですが、稲荷社はここから10分ほど離れています。さらにその先には回遊式庭園の「名主の滝公園」もあり王子駅の近辺には見どころが結構あります。
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神社の祭祀に際して天皇家から勅使が遣わされる神社を「勅祭社」いい、明治維新以後に東京で主だったから神社から「勅祭社」に次ぐ「准勅祭社」として選ばれたのが東京10社で、王子神社はこの1社に名を連ねています。現在は制度時代がありませんが、いずれもが格式の有る神社です。
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王子神社は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉男命、事解男命を総称する王子大神のことで古くは「王子権現」であり、創建年は不明とされ、神社はかっては熊野信仰の拠点であり、紀州熊野から三所若一王子が勧請され、地名も旧岸村から王子村に改められたという歴史があります。
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王子神社には「関神社」という髪の毛に特化したご利益のある珍しい神社があります。「かつら」造りに携わる関係者によって昭和36年に建立された「毛塚塔」があります。王子駅と大塚駅は「東京トラム」となった都電荒川線に隣接する駅です。三ノ輪から早稲田までの路線には見どころも多く1日乗車券の購入でお安く東京の1日を楽しめます。
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親水公園から神社への脇参道の途中に今の季節には目立たないのですが銀杏の古木、それもかなりの巨木があります。都内でも有数な巨木で昭和14年に都の天然記念物に指定されています。幹廻りは約6.5m、高さは約20mあるそうです。
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2023 音無親水公園の桜

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飛鳥山から明治通りを挟んで僅かな距離の「音無親水公園」です。石神井川(音無川)の渓谷を模した公園でコンパクトながら櫻花が美しい公園です。飛鳥山から僅かな距離で王子神社との中間ですが、明治通りを横断するには思いのほかの遠回りとなるので穴場と云えば穴場なのです。
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昔から春の桜、秋の紅葉で知られる景勝地でしたが、昭和30年代に音無川の流れを飛鳥山地下トンネルへと流れを改修し、元の流れに沿って作られたのが音無親水公園です。日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園、昭和記念公園と並んで都内での「日本の都市公園100選」に選ばれています。
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飛鳥山と王子神社との間の渓谷の地で、改修工事で造られた設備も上手く隠されていて関心させられます。上に見える橋は音無橋で、この橋の右手が北区々役所と王子神社の一之鳥居です。
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Ptだと判りにくいのですが、音無橋から見て人が立っている場所がの渓谷です。緑の木々と桜木を上方から見られる景色は意外と珍しいかも知れません。
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飛鳥山のアスカルゴ駅からはこんな感じです。下の道路が明治通りでここを都電が登ってきます。桜木がある辺りが音無親水公園で、その向こうの緑が王子神社です。
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JR王子駅からの渓谷へ向かう道です。正面の崖上が王子神社、右の建物あたりは落語王子の狐に登場する「料亭扇屋/跡」ですが、現在は名物の卵焼きを売るこじんまりとした店があるだけになりました。
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2023 飛鳥山の桜

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300年ほど前に徳川8代将軍吉宗(あばれんぼう将軍)の命により造られたのが桜の名所「飛鳥山公園」です。飛鳥山と云っても「山」ではなく上野から赤羽へ続く馬の背台地の一角で標高は高くありません。染井吉野が中心に650本が植えられています。
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桜見物の前に中央改札脇の「そば処」で前回の「紅生姜天そば」に続き今日は春菊そばです。若いころは朝の出社前によく食べたものですが、久しぶりに食べる春菊そばは懐かしいと言うより、「あれっなんか違うなっ」という感じでした。
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三ノ輪から早稲田まで都電荒川線(東京さくらトラム)が坂道を登っていきます。この景色は飛鳥山ならではの景観です。JR改札近くからは飛鳥山頂までほんの数十mの緩いモノレールがあるのですが流石美に大混雑模様となっていました。
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花見の規制が緩いのか満開の飛鳥山公園は宴席が賑やかです。流石に歌え踊れの花見客は見かけませんが、ここ数年は東京の花見は「桜を愛でながら止まらず歩く花見」だったので新鮮な感じすらします。天候もあるのでしょうが上野公園に比べて満開の桜に勢いがあるように感じます。
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飛鳥山と云えば時の人(?)渋沢栄一の住まいがありました。そんな縁で近くの郵便局には「渋沢栄一仕上げ」にのポストがありました。これ「珍しい郵便ポスト」に分類するほどではありません。飛鳥山には北区の博物館、紙の博物館、渋沢栄一資料館と3ッの博物館があり「桜」以外でも楽しめます。
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王子稲荷神社の狐たち

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JR王子駅近くには由緒のある神社が2社あります。1社が東京十社でもある『王子神社』。もう1社が歩いて10分程の落語の『王子の狐』でもあ知られる『王子稲荷神社』です。創建は平安時代以前と云われ、ご祀神は宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神の3柱。社殿の建物は11代将軍・家斉の寄進とされます。江戸時代には『王子稲荷』は関東三十三ケ国の稲荷惣司【ここでの関東三十三か所は京都より「東」という意味】を掲げていました。
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「関東稲荷稲荷惣」を巡っては、湯島の「嬬恋稲荷神社」と訴訟関係となり、結果「王子稲荷神社」は敗訴、「関東稲荷惣司」称号使用を剥奪されています。現在「嬬恋稲荷神社」はかなり衰退しておりこんな歴史は全く感じられません。他にも鉄砲洲の「鉄砲洲稲荷神社」や早稲田の「水稲荷神社」では紛らわしい”関東稲荷惣領職”を掲げており、いずれも参拝者の集客手段だったのかも知れません。
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『王子稲荷神社』には大晦日の夜に諸国のキツネ達が神社近くの”榎”の下で装束を整え『王子稲荷神社』に初詣するという伝承でがあり、装束を改めたのが「装束稲荷」で、その伝承を元に平成5年大晦日から」その伝承を元に「狐の行列」の行事が復刻されました。歌川広重の「名所江戸百景」の『王子装束ゑの木大晦日の狐火』」はよく知られています。徳川家からは社格200石という破格の扱いを受けて、江戸時代には人気の神社だったのでしょう。
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『王子稲荷神社』は幼稚園を併設しているため、平日は神門側からの参拝路は施錠されています。地形的には赤羽まで続く馬の背状の大地の中腹にあります。江戸時代なら眼下に田畑が眺める場所のようで、人の数より狐のほが多かったのでしょう。それでも桜の名所の飛鳥山~音無渓谷~王子神社~王子稲荷神社は江戸時代は人気のスポットだったのでしょう。
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内拝殿の天井には色彩豊かな天井絵があります。社殿の右奥に社務所、さらには江戸時代から伝わる「願掛け石」は願いごとを唱えながら石を持ち上げると、叶う願いなら石は軽くとの伝承です。さらに奥にある「狐の穴跡」は落語「王子の狐」の舞台なのですが。残念ながら今回は工事中のため立ち入り禁止になっていました。
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施錠されていますが幼稚園側の「神門」です。妙な違和感を感じて調べてみました。この門の姿は「薬医門/」やくいもん」形式と称し、主柱と控柱に支えられた屋根の棟を主柱からずらす建 築形式で、矢を受け止める“矢喰い門”が転化したものとも言 われるようです。現在は神社の神門でこの「薬医門」形式は珍しいそうです。
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北区‥王子装束稲荷

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JR王子駅から国道122号線を5分ほど歩き、大通りから30m位入った地に『装束稲荷神社』はあります。祀神は『王子稲荷神社』と同じ祀神です。ここは毎年の大晦日の晩に関八州(京都より東の意)の狐たちが集り、関東総司の王子稲荷神社へ初詣に出かけるという伝承があります。このての「伝承」にツッコミを入れるのはどうかと思うのですが、思違いや記憶違いの絡んだ糸を解いていこうと思います。
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かって付近には榎の大木(装束榎)があり狐たちはこの榎の根元で衣装を改めたとされ、安藤広重の浮世絵にも描かれています。時代をへて榎は失われ場所もやや移動し今は榎があった場所に装束稲荷神社と「榎の碑」が造られました。つまりは狐たちが集合して装束を改めたのは「榎の大木」であって稲荷神社の神域ではないという事です。
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位置関係は「王子稲荷神社」は崖の中腹、「榎の大木」は平地となります。王子稲荷と装束稲荷の距離は(JR線路を挟んで)直線で数百mしかありません。この場所に数の関八州(京都より東の意)の狐が集まって、装束を着替えるとなると大変数の狐のひしめく様子が思い浮かびます(笑)。近年、地元の有志より平成5年からは伝承を元に「狐行列」が復活したようですが伝承同様に賑わうようになると良いのですが…。
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「装束稲荷神社」には、スマートな体系をしたブロンズ製の「鍵」と「玉」を咥えたきつね像が左右一対にあります。石造りとは質感が異ってもても良い作品だと思います。王子には狐の行列に纏わる伝承があります。落語にも「王子の狐」という演目がありますが、話の内容もらしき伝承も両者のは関連性はなく全く別の話となります。
諸々のグッズ関連は神社向いの商店で扱っているようです。
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新参者の王子駅そば

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最近、JR駅のみどりの窓口が次々と閉鎖縮小しているようです。予約発券システムの電子化により店舗の必要性が減っているのでしょうが、余剰社員が民営化の時と同様に駅そば店等に配置転換させられる事例がまた生じるのでしょうか?。JR王子駅もみどりの窓口が縮小され、コーヒー店と駅そばが同居するシュールな複合店になり、「おおじ小路」となんとも間抜けな名称になっています。
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察しの通りJR-Crossの駅そば店の「いろり庵きらくそば」です。会社Webによると新兵器の「そばロボット」を導入して調理の時短化や接客の効率化を図るとありますが、どうなんですかねぇ(笑)。王子店では茹で上げから、盛り付けトッピングまで機械化とあるのですが、どう見ても店員が茹で&盛り付を調理をしているようです。ご自慢の「そばロボット」は見えない場所にあるのでしょうか? [ロボット様が調理したお蕎麦をありがく頂く] とは変な気持ちです。
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いろり庵系の券売機では購入からして「そば」・「うどん」⇒「温」・「冷」⇒天ぷらやタヌキなどと選択が多彩です。注文データは厨房に送られ調理の進捗はモニターに掲示され完成を待ちます。一定の年代には抵抗はないでしょうが多くの年配客層には過酷です。この店には券売機が1台しかなく、前の方は購入まで3分以上で挙句に発注間違いとなっていました。これからは店側の都合による押し付けシステムを理解しなければならないことになるのでしょう(笑)。
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いろり庵、そば一、大江戸そば等の
JR-Cross系の「駅そば」は、値段は高めで味は平均点です。ハズレがないだけマシですが、東京では小田急、東急の私鉄系の駅そば店よりレベルが下がるとの仲間うちでの評価です。納得です!

王子の駅そば・そば処

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JR京浜東北線の王子駅近辺で有名なのは王子稲荷、王子神社、桜の名所の飛鳥山、渋沢栄一関連等などが思い浮かびます。以前はJRから地下鉄南北線や都電荒川線の乗換え駅として利用していた事もありました。そんな王子駅に”なんで今まで感”の王道の駅そば店がありました(笑)。中央改札を出て左が飛鳥山、右が都電荒川線、ほんの数秒にその店はあります(笑)。
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「立喰い そば処」・「そば処」の文字が目立ちますが、入口に「きそば」とあるのでこれが屋号なのでしょうか? 釈然としません(笑)。手動の扉を開けてお店に入るとこれぞ王道の駅そば店です。どうです!この天ぷらそば。濃い目の御汁、小麦粉多めのかき揚げ風天ぷら。写真に床が映り込んでしまうほどのカウンターの狭さ、若いころから慣れ親しんできた駅そば店の記憶が蘇ります。
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左に3名、右に3名ほどの立席カウンターの割には電子マネー不可の券売機が2台(2台必要なんでしょうか?)。行ったのが15:00過ぎの事もありお客は1人、厨房は年齢も含めてかなりのベテランさんが1人でこなしていました。営業時間を見ると平日 6:30-20:00、土 7:00-19:30、日・祭 7:00-15:30とかなりの変則営業です。このJR王子駅は北、中央、南の改札位置が変則でこの店を利用するのは都電からJRへの乗換え客らの中央改札利用者に限定されます。
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旨いかと聞かれれば旨いとは言い難いのですが、駅そばは元々そういうものでそれでいいのです(笑)。このお店には台東・足立・北区で比較的ポピューラーな「紅しょうが天ぷらそば/うどん ¥390」とうエッと絶句した「ゲソ天そば/うどん ¥410」がメニューにあるではないですか!「おそば屋さんのカレーライス ¥370」も気になるところです。さすが王道の駅そば店、極まれりです。

赤羽・作徳稲荷大明神

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昨今の「北区・赤羽商店街」の変貌ぶりには驚かされます。昔は旧軍の火薬庫や被服工廠がや駐屯地があり近年は大手の印刷工場がある街で、マックから入る「1番街」は印刷工場の夜勤明け工員が朝から飲める居酒屋がありました。なんという事でしょう!居酒屋文化は滅びるどころか「千べろ=1000円でベロベロ」の流行で昼酒OKの店が増え商店街の様相も変わっています。真昼間から若いねえちゃん達が酔っているのですから(苦笑)。この国は大丈夫でしょうか?
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1番街を進みます。巨大な”おはぎ”で有名な伊勢屋の少し先の屋上(Pt↑)に「作徳稲荷大明神」は鎮座しています。TVなどにも登場しますが社殿がとんでもない場所にあり「近づけない!」で有名な神社です。7/11の上に「作徳稲荷大社」の看板があり参道(?)に神社のご由緒(Pt↓)が掲げてあります。昭和5年に鍵屋染物店の当主が建立、昭和34年のビル建設時に屋上に遷座したと書かれています。立入禁止や要許可の表示はないので階段を登り屋上に出ると稲荷社は鎮座していますがお社は少し下がった隣のビルにあり金網越しでの参拝となります。銀座辺りでは屋上の稲荷社は珍しくはないのですが「お社に近づけない神社」とはこういうことでした。道路から望遠で追っても神社の一部と旗しか見えません。
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就職達成・亀ケ池弁天

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北区赤羽西の「亀ケ池弁天」です。昨今人気の"朝っぱらから酒が飲めるで"人気なのは赤羽駅の東口側で、亀ケ池弁天は駅の西口側になります。東口に比べて西口は商業ビルが2軒とイトーヨカードと特徴の薄い駅前感です。赤羽付近は昔から工場が多く夜勤明けの人達の”朝から一杯”の文化があったのですが、数年前から真昼間から若いねぇちゃん達が酔っぱらう街となったようです。TV放映が後押しする街の姿ってのはどうにも違和感があります。赤羽駅西口側は大きな変貌を遂げた街で上野からの馬の背状大地の終りあたりで坂道の多い街でした。付近には旧軍の火薬庫や被服工廠があり近衛工兵大隊や第一師団工兵大隊の駐屯地がなど軍施設が沢山あったようです。
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軍施設があった街なら料亭や遊郭があったのでしょうが、今はその面影すら見つけることができません。恐らく「亀ケ池弁天」への参道はバス停の「弁天通り」にかろうじて見つけられました。関東大震災以前にはこの弁天通りに面して大きな池があったそうです。昭和58年10月吉日とある案内板には近くの静勝寺より勧請したとあります。案内板には特別記載がなかったのですが、「新卒者が希望業種への就職を祈願」つまり「就職達成」のご利益があるとされていますが、どこがどうしてそうなのか手掛かりすらありません。Ptのように町屋の囲まれたこじんまりとした弁天堂ですが池には亀(外来種多数)いるなど、時代は変遷していっても大切にされてきた様子です。
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北区・旧古河庭園…(2)

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北区西ヶ原の「国指定名勝・旧古河庭園」です。都内屈指の薔薇園として知られ季節には様々な種類の薔薇の花が咲き乱れます。Ptは4/22なのでまだ”咲き始め”といった感じです(花は躑躅)。最盛期には薔薇の数より人の数の方が多い状態で、おちおち薔薇を楽しむなんて余裕なんんざぁありません。誰も人が映り込まない写真などはまず不可能です。旧古河庭園については以前に触れていますが、元々は陸奥宗光や古河財閥(足尾銅山の創始者)の邸宅で、旧軍のやイギリスに接収を経て国有財産となり、それを借り受けて東京都が運営しています。
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ただし洋館部分は(財)大谷美術館の管理で見学料も別途となります。大正6年完成の洋館は明治年間にお雇い外国人としてイギリスから招聘され、日本人の著名な建築家を養成した「ジョサイア・コンドル」の晩年の作品です。階段状の傾斜地に建ち、上段が住宅、中段がイギリス風薔薇園(コンドル作)、下段が日本庭園となっています。洋館が国から東京都へ管理が移管されたのが昭和31年。諸般の事情で30年間放置された幽霊屋敷状態が続き、平成元年に7年の月日を費やして見事に復元解放されています。
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平塚神社と三毛猫

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なんと関東地方は6月末に”梅雨あけ”となり、北区の平塚神社で見かけた猫もこれから過酷な日々が続いていくことでしょう。もともと猫は体温が高く汗をかく機能が足の裏にしか備わってないので風の通りが良い涼しい場所が好きです。Pt↑)の御仁も平塚神社の摂社の社で寝ていました。カメラ目線になってくれないのは野良さんだからなのでしょうか?現実には野良の子猫の生存率は5匹に1匹くらいで幸運にも生き延びたとしても寿命はせいぜい4年(!)そんなもんなんです・・。
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JR京浜東北線の大船~大宮間で最も知名度の低い駅となると『上中里駅』でしょう(?)。駅から本郷通りへ向かう右側、切り通し上に平塚神社(旧平塚明神社)があります。創立は平安後期で、八幡太郎源義家が奥州征伐の途中にこの地の領主に鎧一領を下賜され、のちに領主が自分の城の鎮守として社殿を建て義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀ったとあります。ご祀神は『八幡太郎源義家命・賀茂次郎源義命・新羅三郎源義光命・豊島近義命』とあり、失礼ながらあまり馴染みがありません。平塚神社の本郷通りに面して有名な団子屋の「平塚亭・つるおか」があります。内田康夫氏の小説「名探偵★浅見光彦」に登場する団子屋です。昼過ぎのには”完売”となかなかの人気店です。小説の主人公も良く買って霜降銀座の自宅へ帰るのですが結構距離があります。
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七社神社と一里塚

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上野の西郷像あたりから京浜東北線に添って馬の背状に赤羽の埼玉県境まで大地が続きます。この様な地形には古代の集落遺構が多く、有名ではないものの由緒ある神社仏閣が点在しています。北区西ヶ原(飛鳥山公園隣)にある『七社神社』もその一社でしょう。ご祀神は 1.伊邪那岐命(イザナギノミコト) 2.伊邪那美命(イザナミノミコト) 3.天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 4.伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)  5.市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)  6.仲哀天皇(チュウアイテンノウ) 7.応神天皇(オウジンテンノウ) と神社名のように七柱の神様達です。元々は現在の古河庭園のお寺境内に創建され、明治年間に現在は摂社となっている『一本杉神明宮』の地へ移り、本社と摂社が入れ替わっているのですが、神社縁起としては珍しい事ではありません。本郷通りから滝野川警察暑脇を入りますが、警察暑前にある「西ヶ原一里塚」は日光御成街道の2番目の一里塚で、国指定の遺跡となっています。
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東京都北区防災センター

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玄関を入るといきなり”東京にM7程度の地震があった場合の居間”のシュミレーションにはドキッとします(苦笑)。東京都北区防災センターは、恐らくは京浜東北線最低の乗降者数を誇る「上中里駅」から5分ほど滝野川消防署の隣にあります。なんでも昭和59年オープンで、国の「防災基地モデル建設事業」の一環として、防災公園でもある滝野川公園や消防署・警察署・病院が周囲を固める災害拠点として建設されています。東日本大震災、阪神淡路震災、普賢岳の噴火などの写真なども展示されているのですが、トータルとして”やや古めかしい施設”の感じは否めません。・・・AM09:00~PM17:00・月曜&特定日休み・入場料無料・・・です。まぁ古河庭園がすぐ近くなので、ついでに寄ったという感じがよろしいかと・・。
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お札と切手の博物館

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JR王子駅から徒歩5分程、国立印刷局王子工場横の『お札と切手の博物館』です。外観はどこぞの信用金庫の支店といった感じです。元々は1971年に大蔵省印刷局創立100周年を記念して市ヶ谷防衛庁の隣に開館され、2011年に現在地へ移転してきたものです。こちらではお札の印刷工程が見られる訳ではありませんが、博物館としては小ぶりでありながら、お札の歴史や偽造を防ぐための技術の変遷や世界のお札の展示等々に特化していて充分見ごたえがあります。・・・【AM09:30~17:00・月&特定日休み・無料】・・・館内は撮影禁止ですが、展示物のうち「一億円が持てる体験コーナー」は撮影OKです。
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2階の展示スペースで2016.12/20~2017.3/5の日程で『印紙・証紙-小さなグラフィック・デザインの世界』のタイトルで収集家の”下邑政弥氏旧蔵の貴重なコレクション”と併せて国立印刷局ならではの収蔵品が展示されています。印紙・証紙・酒の証紙・ゴミの券・車検のステッカー等々実に面白い展示です。入館料を取る割には立派なのは建物だけという目白の某博物館とはエライ違いです。
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北区・旧古河庭園…(1)

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北区・西ヶ原の『旧古河庭園』は蔵野台地の地形を利用して北側の丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、低地には日本庭園を配した造りとなっており、洋風庭園のバラ園は”古河庭園”の代名詞にもなっています。洋館と洋風庭園の英国人ジョサイア・コンドルの設計です。コンドルは旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などの設計をしており日本建築界の多大なる貢献者なのですが、私邸の設計などの小銭稼ぎ的仕事も結構あります。古河庭園は明治の元勲・陸奥宗光の別邸で、後に古河家の所有となっています。煉瓦造・地上2階・地下1階、外壁は真鶴産の安山岩を使用した洋館部分は大正6年の竣工で、コンドルの晩年の作です。
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古河家が去った後は当時の中国・南京政府の要人・汪兆銘が隠れ住んだり、太平洋戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収されたり、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されるなど数奇な歴史を有しています。バラ園の下方には、京都の庭師・小川治兵衛の造りによる日本庭園がありますが、近くの駒込・六義園に比べるとどうしても見劣りします。庭園は「税金未払いによる物納」で国へ所有権が移り、東京都が国から無償で借り受けて一般公開されています。大正初期の庭園の原型を留める、和洋の調和した庭園として平成18年に文化財保護法により国の名勝指定も受けています。以前からファッション関連のモデル撮影場所として知られていましたが、以前は建物は荒れ果て朽ち果てる寸前、庭園も雑草だらけと、とんでもない状態でした。よくぞ現在の状況に戻せたと思います。現在、洋館部分は「財団法人大谷美術館」なる団体が管理し、予約なしでは建物内を見学することができません。東京都が管理する施設でありながら、一部を財団が”占拠”するなど不可思議な管理構造です。
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