旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

江東区

豊洲市場に新施設…(続)

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正面の3棟の同様なマンションの裏が旧築地市場です。築地・豊洲間は車なら10分程度の距離なのです。本来なら左側の空地に『千客万来』なる日帰温泉や食のテーマパーク施設があるはずでした。この出店には某寿司チェーンが名乗りをあげ、後に断念。紆余曲折の末ようやく出店業者が決まり着工の運びとなったのですが、こんどは某女知事が「築地は守る豊洲は生かす」として築地市場跡地に「食のテーマパークを造る」との構想をぶち上げました。僅か2.5㌔に場所に同様な施設では両者に商業的成功は望めません。出店業者は計画の白紙撤回をほのめかすなど両者スッタモンダの結果、豊洲千客万来は未着工のまま市場開業となりした。昨年は暫定的なイベントとして毎土曜日限定で炎天で海鮮バーベキュー(アホの極み)などのイベントが行わていました。こんな漫画のような経緯の後「江戸前場下町」は3年間の期間限定の開業となったようです。まさかこんなこととはねぇ(笑)。
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豊洲市場に新施設

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豊洲市場を訪れる観光客が圧倒的に勘違いしているのは「新鮮な魚介類が安く買える」と「旨い鮨が安く食べられる」です(笑)。残念ながら豊洲市場はディスカウント・ショップでも「道の駅」でもありません。観光客の時間帯では魚の姿を見ることさえ稀なのです(笑)。「旨い鮨を安く」など冗談を言ってはいけません。「旨い鮨は高い」ものなのです。そんなこんなの開業から一年の豊洲市場に2020.1/24にようやく観光客(一般客)がマグロや水産加工品などを購入したり食事をしたりできる施設『江戸前場下町』が開業しました。開業に至る道のりは漫画みたいな経緯があるのですが、それは別の機会にしましょう。ゆりかも「市場前駅」直結のような立地で全21店舗が出店しています。諸般の事情から3年間の限定施設となるのですが、果たして豊洲市場開業以来の大赤字の手助けになるのでしょうか?案内MAPによるとマルシェゾーン・物販棟・中庭・屋外バーベキューゾーン・レストラン棟・飲食棟となっていますが、『えどまえじょうかまち』とはなんと抜けなネーミングなのでしょう(苦笑)。
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豊洲・市場前駅から

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2016年度の統計では東京23区閑散駅ランキングの輝く第1位は「ゆりかもめ・市場駅前」だったそうです。次の統計では豊洲市場の開業とともに押し寄せる”観光客”で1位の座の返上は間違いなしでしょう(笑)。ゆりかもめの路線には他にも日の出駅、東京国際クルーズターミナル駅、新豊洲駅などが閑散駅にランクインしています。この「有明テニスの森」も見事に第7位に輝いています。Pt↑)のテニスの森駅から200mほどにあるコンビニは”なんと”現在は豊洲市場に一番近いとされるコンビニです。豊洲市場から徒歩で20分くらい、ゆりかもめで一区間乗ってさらに歩いた場所にあります。(31.4)。広大な広さの豊洲市場にコンビニは一軒もなし売店や自販機すらないに等しいのですから、つまりは最寄りと云う事です(笑)。駅付近では2020年オリンピックでのテニス競技会場だあり、体操競技会場が建設中でさらに有明テニスの森公園の整備計画が進行中なのですが、駅舎からの見渡せる景色は「大丈夫かよっ?」の一言です。
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豊洲Oishii土曜マルシェ・初日

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四文字熟語に「羊頭狗肉」というのがあります。羊の頭で目を引いて実際は犬の肉を売るという意味で見かけと実際が一致しないたとえです。
今日(1/12)から3月末までの毎土曜日の予定で豊洲市場内で市場で取り扱われる食材を活用したイベント始まりました。『豊洲市場・新鮮な食材・食べられる』いずれも耳障りのよいフレーズです(笑)。まぁそう思い込むのは当方の勝手でしすが、前宣伝の割には大人の事情で「千客万来」の予定地が使えないのでしょうが、広大な豊洲市場の一角も一角、犬の運動場くらいのスペースとはお笑いです。Pt↑)で青いテントが物販部分ですが豊洲らしいのは青果市場の店と若干の魚介鍋の店舗しかありません。
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多くのスペースを占めていたのが、あのキッチンカーという輩、いつもならビジネス街での店開きですが、企業が休みの土曜なら豊洲へ出張れるってことでしょう。提供食材は『豊洲』で仕入れていますとでも言いたいのでしょうが、イギリス名物の揚げ物屋なんか何しに来たという感じです。まぁ今日が初日ということもあり、知事や江東区長なども駆けつけておりました。TVのニュースでは「新鮮な魚介鍋料理に笑顔の家族連れ」なんて映像が使われるのでしょうが、担当のイベント屋の間抜けさが目立つ初日です(大笑)。
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豊洲新市場・千客万来は?

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開業2ヶ月を過ぎた豊洲新市場、土曜日の昼前後は浅草仲見世もかくやの大混雑です。まだまだ一般さんには豊洲が観光施設ではなく市場だということに気が付いてないようです。その豊洲市場観光の目玉として期待されるのが『千客万来』と称する施設です。ご多分に漏れずもろもろ事情により温泉施設などの運営は「万葉倶楽部」の事業と落着いた件です。市場6街区の一角にはその建設企画の概要が掲示されています。【地上11階、地下2階、高さ44.80mの建物に物販店舗、ホテル、公衆浴場、飲食店、駐車場、事務所、託児所、集会場】とあります。着工予定が2017年3月(!)のはずなのに、現在の建設予定地はPt↓)の状況です。なんでも2年後に工事着工4年後の完成と変更されたようですが、大丈夫なんでしょうか(笑) 4年後の開業となると、その頃には誰一人豊洲市場なんざぁ見向きもしなくなっているのが確実に予想されます。 Pt↓1)開業予定を告知する看板が笑ってしまうほど目立たなくされています。Pt↓2)6街区側の予定地は業者用の駐車場になっています。Pt↓3)青果棟側の予定地は見事に何もありません(笑)。
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豊洲新市場・水神さま

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魚河岸の守護神と知られる『水神社』は弥都波能売命(みづはめのみこと)をご祀神とし、淤加美神(おかみのかみ)と共に”水の神”として有名です。水神社は徳川家康の江戸入府と共に摂津の国・佃村より移住してきた人達により創建された「大市場交易神」を祖とし、明治34年には神田明神境内に「水神社」が造られています。関東大震災後の魚河岸の日本橋より築地への移転に伴い、築地場内市場に「遥拝所」が造られ今般の豊洲移転により遷座となりました。
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遥拝所は【この地から神田明神に鎮座する神々を遥拝する】という解釈で良いのかと思います。なんでも築地から豊洲への遷座行事についてもすったもんだの騒動があったようですが、無事「6区・水産仲卸エリア」の一角に鎮座していました。この水神さまの場所は関係者以外の一般客の立ち入り禁止地区あり、豊洲市場のパンフレットにも掲載されておりません。魚河岸の神様『水神社』を参拝するのに立ち入り禁止もあったもんではないと思うのですが(苦笑)。社殿と狛犬は質感が違うようなので新造でしょう。鳥居は恐らく築地から移したと思われます。
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人気はいつまで?豊洲新市場

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構想20年、すったもんだの挙句『豊洲市場』が移転開業となりました。歴史と実績の築地市場と開業早々の豊洲市場を比較するのはどだい無理な話なので、ここでは【観光的要素】から気が付いたことをしたいと思います。前提として忘れてはならないのは【豊洲市場は市場であって観光施設ではない】という事です。築地(場内)市場も観光地がではなかったのですが競場、卸売場、魚河岸横丁がコンパクトにまとまって場内市場を形成し、一般商店街の場外市場が加わることで【観光地的な築地】を構成していました。このイメージをもって豊洲市場を訪れると異った状況が見えてきます。
 1)とにかく広い!築地23万㎡に対し豊洲40万㎡あります。水産仲卸売場棟、水産卸売場棟、管理棟、青果棟が独立し、屋根のある連絡道で繋がっていますが、建物に配置上、行きつ戻りつになり、全棟見たら2時間以上必要です 2)コンビニ、売店などはありません。自販機はないに等しく、水産仲卸棟内の「魚河岸横丁」で売られているものは限りがあります。
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 3)業者の仕事場と見学者(観光客)のスペースが完全に分かれています。競場も窓越しに見るだけで工場見学を彷彿させます。仲卸業者も窓越しで店舗の屋根しか見えません。 4)人気の”食事場所”は仲卸売場棟に22軒、管理棟に13軒、青果棟に3軒の38軒(食事処以外含む)しかありません。仮に1軒20席として760席、これが1時間に2.5回転として1900人しか食事ができない事になります(あくまで計算上)。万単位の観光客が訪れれば2時間、3時間待ちは当たり前です。コンビニ&売店はなく施設内は料飲禁止となれば食事難民が溢れます(笑) 5)観光バス&一般車両の駐車場はありません。一般観光客は「ゆりかもめ」の利用を推奨し、観光バス利用の旅行会社ツアー客は無理にこなくともよいようです。
私的見解では、【社会科の工場見学】【食事難民】ではブームの終焉はそう遠い日ではないでしょう。。2年後に着工、4年後完成で「千客万来」なる、寿司屋と風呂屋で利権を争ったヤツが完成すれば観光に特化もできるでしょうが、この施設が完成する事は恐らく無いでしょう。繰り返しますが【豊洲市場は市場であって観光施設】ありません。旧築地市場のイメージで訪れると”アララッ”と思うこと確実です。

よく判らない松尾芭蕉

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清洲橋と新大橋の間、江東区深川に”松尾芭蕉が延宝8年(1689)頃に江戸日本橋より移り住んだとされる一角があります。芭蕉はこの地を拠点として創作活動に励んだとされ、『江東区芭蕉記念館』や江東区側のテラスには句碑が紹介されています。清澄橋を望む史跡庭園には芭蕉像が置かれ「松尾芭蕉と清洲橋」というイマイチな景観になっています。Pt↓)は隅田川支流の小名木川に架かる『萬年橋』です。中々の美形でTVドラマの撮影にも使われているようです。この橋からの清洲橋の景観が「ケルンの眺め」として知られています。
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松尾芭蕉はこの付近の自宅から(スポンサーの家からの説もあり)元禄2年(1689年)に岐阜までの2400㌔の旅を開始しています。その自宅にしても元禄年間以降は町の姿も変わり芭蕉の住居も不明となったようですが、史跡庭園付近から芭蕉が愛好した(?)「蛙像」が出土、この場所と芭蕉の旧宅と想定し芭蕉稲荷を祀ったとあります。なんとも根拠に乏しいめちゃくちゃな話です。その「奥の細道」の旅立ちにしても、初日は隅田川を舟で千住大橋付近に上陸、”歩きだし地”として千住青果市場に芭蕉出発の地の銅像(最近は南千住駅前まで銅像を造って参戦)があります。つまり【家から出発】と【歩出しの出発】が数か所ずつあることになります。
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【東京十社】‥亀戸天神社

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東京十社の『亀戸天神社』は通称亀戸天神・亀戸天満宮・東宰府天満宮等とも呼ばれています。ご祀神は学問の神様として親しまれる”菅原道真公”です。受験シーズンには道真公の加護を求めて訪れる受験生も数多く訪れるので有名な神社です。江戸の正保年間(1644年頃)菅原道真の末裔であった九州の大宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐により、1661年に江戸の本所亀戸村に元々あった天神の小祠に天神像を奉祀したのが始まりとされるそうです。4代将軍家綱により振袖火事からの江戸復興事業の地として幕府より土地が寄進され、社殿・桜門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営されています。 1月の「鷽替神事」、2,3月の「梅まつり」、4月下旬の「藤まつり」、秋の「菊まつり」など季節を変えての花に関する「まつり」の多い神社です。
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左)2011年2月の撮影です。東京スカイツリーが建設中でした。
中)一の鳥居脇に「新東京八名勝・亀戸天神」の石碑がありました。”新東京八名勝”とはなんでしょう?
右)季節がら藤棚は冬枯れ真っ最中です(笑)。本家大宰府天満宮はここまで造園されてなかったような…。
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旧弾正橋(八幡橋)

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富岡八幡宮のすぐ裏手、八幡堀遊歩道にかかる『八幡橋』があります。元々は現中央区宝町の楓川にあったもので、江戸時代には”島田弾正”の屋敷があったため「弾正橋」と呼ばれました。後に新しく「弾正橋」が架橋され、こちらは「元弾正橋」と改称しています。大正12年の関東大震災での帝都復興事業で廃橋となりますが、現在地へ移され名称も富岡八幡宮にちなんで『八幡橋』となっています。橋自体は明治11年に工部省赤羽分局により制作・架橋されたもので、日本最古の”鉄橋”として国の"重要文化財”に指定されています。
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移設当時は橋下は八幡堀という河川でしたが、埋め立てられて現在のような人道陸橋となっています。昭和52年に国の重要文化財に指され、平成元年には日本ではじめて”アメリカ土木学会”により…(そんなのあるんですねぇ)…「土木学会栄誉賞」が贈られているそうです。141208_00141208_02141208_03

【東京十社】‥富岡八幡宮

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江東区富岡の『富岡八幡宮』です。深川八幡とも称され、東京都最大の八幡神社として知られています。江戸・寛永年間に深川の干拓工事が難航したため、建久年間に源頼朝が現横浜市富岡に勧請した「富岡八幡宮」を分霊したとのが創建のようです。八幡様となれば祀神は”応神天皇”です。徳川時代は将軍家の保護を受け、名所としてしられた広大な庭園は江戸庶民にも人気で「深川の八幡様」として親しまれたそうです。また、大相撲発祥の地とされ、境内裏手には「横綱力士碑」「力持碑」など多くの相撲関連の石碑などがあります。鳥居脇の江戸時代の測量家である「伊能忠敬の像」は、忠敬が深川界隈に住居を構え測量の旅に出かける際は安全祈願のためにに必ず参拝に来ていたことから、2001年に境内に銅像が建立されています。
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社殿は1683年に火災により焼失。元禄年間には地震により損壊。1923年の関東大震災でも損壊。さらに空襲でも被害を受けるなど繰り返し、現在の社殿は1956年(昭和31年)に造られた鉄筋コンクリートの「重層型準八萬造り」となっています。Pt↑)八幡宮の社額です。この鳥居は銅製と思われますが、上部が”屋根付き”となっています。なんという形式なのでしょうか?
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左)伊能忠敬銅像は鳥居を入ってすぐ左にあります。 中)同右には「大関力士碑」があります。 右)本殿裏手にある「横綱力士碑」です。71代「鶴竜力三郎」までの横綱名が刻まれています。
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富岡八幡・相撲・伊能忠敬

江東区富岡の「富岡八幡宮」は古くから「深川の八幡様」と親しまれ“観光名所”で、8月に行われる深川八幡際は日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並んで「江戸三大祭」と称されていたようです。永代通り門前仲町の商店街からほんの少し奥まっており、歴史を感じる石碑があちこちに見られます。特に神輿蔵に展示されているお神輿は”佐川急便”の寄贈による日本最大のお神輿だそうで、重すぎて担ぐことができないなんて話もあるそうです。

江戸時代の勧進相撲の発祥地としても知られ勧進(銭集め)を目的とした場所が境内で開催されていたそうです。特に明治以降は幕府の加護を失った相撲界が神道的行事として展開を強調してきたため現在でもその名残りがあります。正面から鳥居を抜けた右に「大関力士碑」や本殿裏手には歴代の横綱の名前を刻んだ「横綱力士碑」など相撲にまつわる数々の石碑があります。

敷地内には江戸時代の測量家である「伊能忠敬」の像があります。伊能忠敬は深川界隈に住居を構え、測量の旅に出かける際は、富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年に境内に銅像が建立さています。が…、「伊能忠敬記念館」は出身地である香取市佐原にありますし、日本地図測量の起点となったのは港区芝公園近くのはずなので『旅に出る前の安全祈願にお参り…』と云われても、なんか変です。
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東京ゲート・ブリッジ遊歩道

gb_04gb_05左)若洲昇降口は若洲公園駐車場(普通車1回500円)からは徒歩3分ほどの距離です。フェンス右はキャンプ場の敷地です。トイレはこの先の昇降塔下にもあります。右)昇降口EVです(これは8F)9Fには展望ホールが設置されています。EVは1回26名が利用できますが、混雑時は列ができそうです。階段での上り下りもできますが何せ8階までです。その後に”徒歩区間”が待っていますから、体力は温存しましょう。入場料・利用料等は一切無料です。
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gb_06gb_07左)案内板には海面から約30mとあります。現在は反対側の「中防昇降口」は利用できませんので、ここから橋を歩いて折り返して帰還することになります。右)展望ホールから海浜公園側を見ます。駐車場まではこの程度の距離です。この東京ゲート・ブリッジは原付バイク&自転車は通行禁止です。さらにこの遊歩道は自転車不可となっています。海面から30mは結構高く感じます。風が強かったりすると遮蔽物が何もなくフェンスもやや低いのでかなり危険と思われます。

ゲートブリッジ・都バス時刻表

gb_01久々に『東京ゲート・ブリッジ』へ行ってきました。春休みも終わっての平日なので、大した混雑ではなかったようです。5月連休に向けて(?)駐車場の整備をしていましたが、当然大混雑が予想されますね。遊歩道に上がるEVホールに都バス深川自動車営業所による『若洲キャンプ場前・東陽町駅前行・木11甲』という路線(シ=新木場行)の時刻表が掲示してありました。バス乗り場はキャンプ場駐車場入口の先にポツンとあります。帰りのバス時刻を確認する問合せが多かったのでしょうね。バス停付近では客待ちタクシーも数台停車していましたが、ここから最寄りの新木場駅まではとても歩ける距離ではありませんね…。

gb_02EVホール入口に利用の注意書きモロモロが掲示してありました。
・ペットを連れての入場は禁止です(籠に入れての入場は可だそうです)
1.休みがありました…毎月第3火曜&12月の第1火曜(祝日時は翌日)
2.遊歩道の通行時間…10時AM~17時PM(7/1~9/30の金・土曜は20時PMまで)
・最終入場は閉鎖時間の30分前まで
3.遊歩道は通行できない場合があります ア.強風時、又は強風が見込まれるとき。 イ.雪・凍結がある場合。 ハ.雷注意報が発令された場合。ニ.地震が発生した場合。 等 とあります。…当然と云えば当然です。当日がこんな天気だったら素直に諦めましょう(笑)
遊歩道までのEVは乗車定員が26名乗りが1基゚だけです。観光団体が集中したら大変な事になるでしょうね。

東京ゲート・ブリッジ・・・・?

gate1gate22012年02月12日開通予定ということで『東京ゲート・ブリッジ』を見て来ました。とは言うものの、まだ未開通なので最寄の若洲海浜公園から眺めてきただけですが‥。この橋は年々増加するコンテナ輸送の道路混雑を緩和するため建設され、中央防波堤と若洲地区を結び全長2,993m海面からの高さは最大で87,7mとなり、新たな東京の観光スポットとしても期待されています。実際行って見ると”単なるデカイ橋”で風が吹いていたらかなり寒いです。晴れて穏やかな日ならともかく雨天時は大変でしょうね。この沖合いから見る太田~品川~港~中央~のビル群の景色はとても新鮮に見えます。東京もまだまだ捨てたモノではありません(笑)。
開通以降、旅行会社による「羽田空港国際線見学から舞浜方面へ開通したばかりの東京ゲート・ブリッジを通過して‥」が商品企画が氾濫するでしょうが、とんでもない”大渋滞”は必至です。若洲海浜公園のキャンプ場には売店、トイレ等の施設は充実しているわけではありませんし、有料駐車場で収まりきらない車両はどこに路上駐車させるつもりなんでしょうか‥。橋の遊歩道に上るエレベーターも大渋滞‥(汗)。旅行会社の企画担当者は現地の状況を予想しているでしょうか?現場で対処する若い添乗員はさぞ苦戦するでしょうねぇ(笑)

亀戸・香取神社と稲足稲荷

katori_1katori_2スポーツ振興の神様「亀戸・香取神社」です。神社にはスポーツで勝つを始め受験勉強の合格祈願、無病息災、病気平癒の病気との闘いにもご利益のある『勝守』が用意されています(この旨、神社入口の看板に堂々と明記されています)。香取神社の由来は、平将門が関東で反乱を起こした際、追討軍の俵藤太秀郷が香取神社に参拝して戦勝を祈願したとされ、この古事により以後武将達や武道家達の篤い崇敬を受けたといわれています。ここから”スポーツ振興の神様”となったと云う事です。判り易いですね。
1850年頃にはこの付近で大根が盛んに栽培され特産品とされていました。境内には栽培発祥を記念した亀戸大根の碑がありますが、大根にしては巨大で戦艦の主砲弾のような感じです。
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境内御末社には‥天祖神社(入神明宮)・福神社・熊野神社・三峯神社・水神社・稲足神社が鎮座しています。稲足神社は稲荷社なのですが、狐像(写真右)がちょっと面白い石像です。正面左の狐の足元には子狐がおり、右の狐は玉を踏んでいます。両者とも太くて立派な尻尾を持っています。口は「ア」と「ン」ですが顔立ちがなんとなく犬に近いような気がします。
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