旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

足立区

足立区・西新井大師…(2)

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足立区指定有形文化財の「西新井大師總持寺山門」です。西新井大師は「フーテンの寅さん」の候補地でもあったようです。確かに柴又帝釈天と雰囲気が似ています。時の流れと言えばそれまでですが「フーテンの寅さん」を知らない若い人が増えています。西新井大師は2014年以来なのですが、山門前が妙に小奇麗になっていました。2017年に保存修理工事がされその際に山門の位置が6mほど移設されたそうです。門前が広く感じたのはその為でした。
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平日&自粛で休みの店も多いようです。門前の草団子屋の両巨頭清水屋と中田屋(休み)は健在でした。草団子は日持ちがしないので試食で充分なのですが試食したら購入せざるを得ません(苦笑)。参道の商店も商売替えや建替え等で記憶とはかなり違ったものになっています。それでもPt↓)の様な店もまだ残っています。そういえば大師駅前の雑居ビルには居酒チェーンの「養老の滝」がありました。懐かしい限りです。
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足立区・西新井大師…(1)

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足立区西新井の山号「五智山」寺名「五智山遍照院總持寺」の真言宗豊山派のお寺というより「西新井大師」の方が知名度があるでしょう。最寄駅は東武西新井駅から1駅だけの支線「大師前駅」で下車、2014年6月以来の再訪です。”厄除け”の付く弘法大師(空海)を祀る寺院は「関東厄除け三大師」の西新井大師、川崎大師、観福寺大師堂で、”厄除け”が付かない「関東の三大師」は元三大師を祀る佐野厄除け大師、前橋の青柳大師、川越大師となります。
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仏教知識の乏しい身としては、弘法大使・空海が中国から持ち帰った真言密教は難解な宗派です。曼荼羅・印・護摩法・即身成仏云々超人的な神通力の世界となると難解の極みです。この西新井大師は弘法大師が西新井を通りかかった際に観音菩薩の神託を聞き天長3年(826)に寺院を建立したことに始まるようです。Pt↓)《四国八十八箇所お砂踏み霊場》=四国霊場巡りの簡易的体験ができます。《弘法大師立像》四国行脚時のお姿で錫杖を突けば池やら温泉やらが。
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北千住の氷川神社

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氷川神社』は、さいたま市の「武蔵一宮・大宮氷川神社」を総本社とする神社で、埼玉・東京・神奈川で約200社以上もあるとされています。景行天皇の代に出雲からの氏族が『須佐之男命/スサノウノミコト』を祀ったことが始まりとされ、出雲からの氏族が土着氏族を駆逐して築いたのが「武蔵野国」で、社名の「氷川」は出雲地方の「簸川/ヒカワ」に由来するとの説などは興味深いものがあります。埼玉県南や東京都の荒川流域に氷川神社は多数ありますが、珍しいことには北千住駅を起点とした徒歩10分圏内には4社もの氷川神社があり、総本社の大宮近辺以上の数なのですが・・。今回の氷川神社は季節がらもあるのでしょうが、落ち葉落ち放題と掃除されている気配がありません。何とはなしに古くからあるだけで、地域で大切にされている感に乏しいようです(苦笑)。そんなことは『陽だまりの猫には関心のないことです。
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【千住本氷川神社】・・北千住駅からは一番近い氷川さんです。珍しいことに社殿が二つありPt↑)は旧社殿の方です。徳治2年(1307)の創建とされ千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期に現在地に移っています。昭和45年には新社殿が造られPtの旧社殿が末社として残されています。こちらのほうが龍や鳥類のなどの彫刻が施されるなど凝った造りで、経年変化の妙(?)で趣きのある社殿となっています。
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【四町目氷川神社】・・単に氷川神社となっているので便宜的に「四丁目氷川神社」の呼称なのでしょう。眼病に霊験のある「めやみ地蔵尊」で知られる長円寺のお隣です。明治の神仏分離までは長円寺が別当時の関係だったようです。とりたててどうのといった氷川さんではありません(苦笑)。大宮や川越の氷川さんは例外的で、多くの氷川さんは、こんな感じで地元の鎮守さんといった体です。
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【大川町氷川神社】・・北千住駅から15分程度歩きます。創建は永仁年間(1293ごろ)で、現社殿は鉄筋コンクリート造りで拝殿・幣殿・本殿の権現造りの構造となっています。この近辺は昔から「紙漉き」が盛んだったようで、境内には天保年間に幕府に紙を献上した記念碑が残っています。社殿横には江戸後期に造られてた足立区の文化財に登録の「富士塚」がありますが、もともと紙漉きの碑と富士塚は荒川放水路流域にあり、ここへ移されてきたものです。Ptでは判りにくいのですが”ギンナン”が落ち放題です。
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【仲町氷川神社】・・千寿七福神の1つ「弁財天」が境内社として祀られています。延喜年間(901頃)に離れた地に創建されし、元和2年(1616年)に現在地へと移ってきています。ついでながら『千住七福神めぐり』は千住氷川神社(大黒天)・大川町氷川神社(布袋)・元宿神社(寿老人)・千住神社(恵比寿)・八幡神社(毘沙門天)・川原町稲荷神社(福禄寿)・仲町氷川神社(弁財天)となっています。

橋戸稲荷と伊豆長八

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千住大橋を荒川区から足立区方向へ渡って、左へ200mほどにある『橋戸稲荷神社』です。前回の訪問は2012.4月からは”うらぶれ感”が進んでいるように感じます。創建は延長4年(926)とも1490年(延徳2年)とも云われ現在とは場所が違うようで、隅田川の流れの変化により移転を余儀なくされたようです。千住が宿場町として栄えると共に多くの人たちの信仰を集るようになったといわれます。現在の本殿は「土蔵造り」となっており、拝殿の前扉には”狐の夫婦の漆喰絵”が描かれています。文久3年(1863)頃に鏝絵の名工として名高かった「伊豆長八」の作で伊豆長八の作品として貴重な遺作だそうです。実物は公開されていませんが、Pt↓)の拝殿前に雄狐と子狐を抱いた雌狐の姿のレプリカが飾られています。社殿前左の狐象はかなり痛みが激しくなっていますが神使のきつね像は珍しい”飛翔系の姿”となっています。
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隅田川・千住大橋

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『千住大橋』は、墨田川に架かる橋で荒川区南千住と足立区千住橋戸町を日光街道(国道4号)が結びます。初代の橋は文禄3年(1594)の完成で隅田川に最初にかけられた橋です。当初は現在より200mほど上流で長さ120m、幅7mの橋で、当時の規模からすると大工事だったのでしょう。完成時には隅田川に他に橋が無く単に「大橋」と呼ばれ明暦の大火以降、両国橋などの完成により「千住大橋」と呼ばれています。この橋を渡って奥州、佐倉、水戸街道が続い行きます。現在の橋は関東大震災の帝都復興事業の一環として昭和2年(1927)に鉄橋が架橋され、交通量の増大に伴い昭和48年に新橋が造られています。
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千住大橋の荒川区側の橋のたもとに「八紘一宇」の石碑があります。今の東京では珍しい部類の石碑で、この地と旧軍との関連が良く判りませんが碑には「陸軍大将林銑十郎書」とあります。陸軍大将→陸軍大臣→第33代内閣総理大臣を務めた方ですが、天皇陛下の勅裁を受けずに朝鮮派遣軍を満州に越境展開させた張本人です。昭和12年の総理大臣在職中には理由なく衆議院を解散させるなど評判のよろしくない御人です。
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奥の細道旅立ち論争

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都内には台東区と文京区での「樋口一葉縁」の奪い合いや、生誕地と関係のない墨田区役所内に建つ「勝海舟」なんてのもありますが、荒川区と足立区の「松尾芭蕉・奥の細道旅立ちの地」の論争はある意味で笑えます。元禄2年3月、松尾芭蕉と弟子の河合曽良は深川の自宅(江東区)を出発、隅田川を舟で上り「千住で舟を降り日光街道を歩き始めます」。ここが争点で上陸地点が南岸なら荒川区南千住、北岸なら足立区北千住となります。ここへ「イヤイヤ旅立ちなら深川の自宅だろう」という意見も加わっての論争は三つ巴のようです。記念碑や芭蕉像などのパブリシティは足立区が大きくリードしていましたが、荒川区も負けてはいないようで(笑)。素盞雄神社の文政3年(1820)に建立の「奥の細道矢立初めの句碑/行く春や 鳥啼 魚の目は泪」では弱いと見たか平成27年に南千住駅前(小塚原刑場跡地前)に松尾芭蕉ブロンズ像(Pt↑)を建立しました。
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推測ですが・・。出発の前日には深川の自宅でスポンサーやら弟子やらとで壮行会が行われ、何人かは船で千住まで同行したでしょう。古社である「素盞雄神社」近辺には弟子やら知己も多く住んでおり、名残を惜しみ素盞雄神社を参拝して千住大橋を渡ったて日光街道と考える方が自然だと思われます。いずれにしろどうでも良い論争ですが・・(苦笑)。Pt↑)北千住側の千住市場にある芭蕉像です。Pt↓)は荒川区の街灯。千住大橋足立区側の句碑などです。
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西新井大師・總持寺

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通称【西新井大師】で知られていますが、山号は”五智山”、寺名は”五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)”と称する真言宗豊山派のお寺です。正式名称まで意識する必要はありませんが、何宗のお寺なのかくらいは知っておきたいものです。最寄駅は東武大師線大師前駅ですが、今回は日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅で下車してみました。これが大失敗で環七通りを延々徒歩30程かかります。この駅に”西新井大師”の名称を冠したのは”いい度胸”だと思います。Pt↑の参道の雰囲気は柴又を彷彿させますが、西新井も寅さん映画の候補地だったそうです。
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140605_02140605_05弘法大師により826年により創建された古刹で、本堂の西側に加持水の井戸があり「西新井」の地名の元となったそうですが、まぁ良しとしておきましょう。この山門は実に立派です。十二支の動物達の彫刻などが施してありますが、経年変化の色合いで見逃しがちの干支もあります。この山門の手前の両側に有名な草団子屋があり、両店で客引き合戦の体をなしているのですが、この日は一軒がお休みでした。毎度のことではありますが…、関東三大師と云われていますが、表現が微妙であって弘法大師(空海)を祀る真言宗の寺院で「関東厄除け三大師」この場合は西新井大師、川崎大師などとなり、「関東の三大師」と”厄除け”が付かない場合は、天台宗の寺院(佐野厄除け大師、川越大師など)となるそうです。
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Pt左)当然と云えば当然の「弘法大師」像です。台座に”東京千住睦”の文字が右から書かれています。
Pt中)本堂裏手に弘法大師御降誕1200年記念に再建された、鎮守の社「出世稲荷明神」です。きつね氏は最近流行(?)のブロンズ製でした。
Pt右)「第20回BELLCA賞ベストリフォーム部門表彰物件」なる平成20年完成の本殿です。こんな「賞」があるんですねぇ。
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西新井・氷川神社

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足立区区西新井本町1丁目の環七通りに面した【西新井・氷川神社】です。繰り返しですが、氷川神社は東京・埼玉・神奈川に約で200社あり、埼玉県の県南&足立区近辺にも多くの『氷川神社』が鎮座していています。寛永3年(1626)に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市の総本社の大宮・氷川神社)から、ご祀神の「素盞嗚尊」を勧請して創建され、江戸時代には西新井村の鎮守とされていました。1967年の環七通りの建設のおりに、境内の整備を行うとともに、環七通りに面した現在の入口が設けられ社殿も東向きに変えられたそうです。
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【西新井大師】への道すがらに寄ったのですが、他の氷川神社と同様にとりたてての特徴がある訳でもなく、いわゆる”きらびやかな神社”ではありません。創建は西新井大師(826年)よりずっと後なのですが、地元の人々の暮らしに寄り添ってきた神社という感じです。
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墨田川架橋を巡る(Ⅰ)…①

hashi_01hashi_02隅田川に架かる橋を歩いて巡るというご苦労な企画です。第1回目の出発は京成・千住大橋駅から浅草・吾妻橋まで…。写真右、「足立市場」入口脇には”松尾芭蕉”の像が建っています。この前を北千住方面に進む道が旧の日光街道となり、「江戸・千住宿跡」の雰囲気を残すといわれています。この旧宿場町を散策しても、もっともらしく復元された見どころはけっこうあります。

hashi_03hashi_04『千住大橋』…写真の旧橋は全長約91m、昭和2年に関東大震災の復興事業として完成しています。交通量の増加に伴い昭和48年に新橋が完成、現在は上下線になっています。足立区側には「奥の細道~」や昔は江戸の出入り口として大名行列や物流で賑わった旨を紹介するモニュメントがあります。
芭蕉は現清澄庭園近くの自宅を出発、大橋付近まで舟で遡上して、この地から歩き出した(!)で、”矢立初めの地”とは…。

hashi_05hashi_06左が『千住汐入大橋』…全長約158m、平成18年完成。右が『水神大橋』…全長約157m、平成元年完成です。河川敷はよく整備されていますが、申し訳ないですが人数合わせの”水増し補欠”のようなものです。名所探訪であれば千住大橋~南千住駅(千住回向院)~泪橋(明日のジョー)を廻ったほうが賢明でしょう。墨田川架橋には違いありませんが…。近年に新しく完成した橋はどうしても”風格”に欠けるようです。

hashi_10hashi_09『白髭橋』です。現在の橋は昭和6年の完成で全長が約168mあります。この白髭橋は元々は地元の方の募金によって完成したという歴史を有し、後、経営の行き詰まった結果、当時の東京府に買い取られ、さらには関東大震災復興事業として現在の橋が造られています。前の2橋に比べると風格が異なり、重厚な造りです。写真左は「台東区」になります。足立区を出発、荒川区を通って台東区まで来たことになります。
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