旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

渋谷区

休日の朝 明治神宮…(2)

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休日の朝でもここまで訪れる人は少ないでしょう。本殿の西神門を抜け、広大な緑の広場の先に「 明治神宮宝物殿」があります。平成29年から修復工事により休館、令和3年より期間限定で公開されています。宝物の多くは令和元年に開館した「明治神宮ミュージアム」に移管されているのですが、あれとこの「宝物殿」を同列にするのは大間違いです。
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2011年に重要文化財に指定された「明治神宮宝物殿」は明治神宮道営局の大江新太郎氏により、明治天皇所縁の品々を展示する施設として大正10年の完成しています。明治神宮は伊藤忠太氏の設計と理解していたので意外な事実でした。高床式の校倉造りを基調として鉄筋コンクリート造りながら和風意匠の重厚で美しい建物です。
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中央の中倉に展示されていた品々は「明治神宮ミュージアム」に移されていますが、明治神宮の創建時からのパネル展示には見るべきものがあります。光量不足で残念ですが、奥側壁のステンドグラスや湾曲構造の天井にはデザインされた和紙が貼られています。この見事さは自分の目で確認することをお勧めします。
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明治神宮社殿の造営に携わった「伊藤忠太氏」に関する展示です。若いころの写真は初めてみました(笑)。伊藤忠太氏の神社作品には明治神宮、橿原神宮、宮崎神宮、築地本願寺、弥彦神社など多数あり、西洋建築学を基礎とした日本建築の大家です。自然との調和云々や板切れ張り付けて和風と表現するお方とは違います。
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大正期の建物なので空調設備は充分ではないのは無理有りません。高床式の建物も高温多湿に対する考えでしょう。開閉が可能な天井付近のステンドグラスや館内各所の床に設けられた外気を取り入れる設備にも納得なモノがあります。
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以前は歴代天皇の肖像画や明治天皇が日常的に使っていた品々の展示があった記憶があります。それはともかく建物だけでも一見る価値は充分にあります。宝物殿という施設より神社そのものと云う感がします。当時の天皇に対する崇敬の念が今とは異質な想いだったのでしょう。
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これも「神門」なのでしょうか、宝物殿を構成する施設の一部として「正門」が造られています。鉄の扉には意匠が施され、扉脇には「履物の汚れを洗い落す」設備がありました。石柱と梁の構造も独特です。Pt↑)で石柱上部に魔性(?)を意識した魔除けの面が付けられています。
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これがその魔除けの面ですが、面白いのは大きく開けた口の内に鎖が数本下がっています。風が吹けば鎖が揺れる音が生じ、魔性が近づかないという謂れなのかも知れません。
「明治神宮宝物殿」は限定日の公開で、公開日についてはHPに記載があるそうです。
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休日の朝 明治神宮

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休日の朝08:00の明治神宮。さすがにこの時間に訪れた記憶はありません。高さ11mの2022年07月に建替えられた一の鳥居あたりも参拝者の姿はチラホラです。
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明治神宮神域の案内板も作り直したのでしょう。参拝者の心得が日本語、英語、中国語、韓国語で掲示されています。
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一の鳥居を過ぎると参道は緩い傾斜の下り坂になっています。出雲大社ほどではないのですが、参道が下り坂の神社は割と珍しい形式です。
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奉献された216個の酒樽展示は外国人に圧倒的な人気のようです。確かにカラフルです(笑)。反対側にはワイン樽も並んでいます。
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木製の「明神鳥居」では日本最大とされる、高さ12mの二の鳥居です。昭和41年に落雷により破損、昭和50年に再建されています。日本にはこれほどの檜材は存在せず台湾産の材を用いています。
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参道は二の鳥居で曲がり300mほどで本殿に向かって再度曲がります。Pt↑)での角にニヤリとする仕掛けがあるのですが、気付かないは当然です。
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この角は90°ではなく約88°の角度で曲がっているそうです。「末広がりを意識して」と云われても・・・。
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2016年11月に完成した三の鳥居」正式な名称は「南玉垣鳥居」です。参道を原宿駅の一の鳥居から歩くと7・8分かかります。この時間の参拝者の姿は少ないのですが、駐車場の関係でバスでの参拝団体はこのルートを通りません。
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本殿には南、東、西と3ッの神門があります。この南神門は昭和20年の東京空襲で焼失することもなく大正9年の創建時のままで現存しています。
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団地客はバス駐車場から北山門~東神門から本殿に向かいます。ざっと見ですがこのPtに写る参拝者の80%以上は外国人です。この後、時間を追って外人観光客が押し寄せてきます。明治天皇、昭憲皇太后も微笑ましく見ているかも知れません。さすがに本日は涼しくTシャツ、短パンの姿の無礼者はいません(笑)。
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代々木方面の北参道の鳥居です。この鳥居を抜けると徒歩5分ほどでJR代々木駅です。休日の朝、まだ参拝者の少ない明治神宮。圧倒的な”緑の杜”は思いの外いいもんです(笑)。

百年の杜・明治神宮…(2)

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原宿駅方面から参道を進み、明治神宮文化館隣の駐車場だった場所に2019年10月にオープンしたのが「明治神宮ミュージアム」です。耐震構造の関係で閉館した宝物展示室の代わりとして明治神宮鎮座百年記念事業の一環ともなっているようです。展示物の撮影は禁止、建物内外のコントラストの関係でロクなPtがありませんが、展示品の殆どは明治神宮のHPにあります。というよりもそれだけしかありません(笑)。入館料は1階のみが¥300、2階の常設展示含めると¥1000です。2階の展示室には明治天皇・昭憲皇太后の肖像画や六頭曳偽装車等々があり「オッ」と思いながら隣の宝物展示室に進むと…。これで終わりです(苦笑)。これで¥1000とは笑うしかありません!。年表に使われている絵は「聖徳記念館」の絵画を複写流用しているなど、確かに貴重な品々なのですが旧宝物展示室に比べると…。
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このミュージアムはどことなく根津美術館の雰囲気が漂います。やはり「見てくれは良いが安っぽい」の御仁の設計なんだそうです。お得意の「木っ端を張り付けた」ような感じはありませんが、箱根の高級旅館といった感じで由緒ある神社の施設としては建築学科の1年生でも考えそうなデザインです。黒い外壁は実はトタン(?)張りで内装材は合板です。確かに1階のや2階ロビーからの神宮の杜は開放的で良い感じですが。建物を出た瞬間「¥1000は高い!」と思ってしまいます。そういえばあの御仁の設計施設は入館料割高なのは気のせいでしょうか?
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百年の杜・明治神宮

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70万㎡と広大な面積の「明治神宮」は明治天皇と昭憲建皇太后が祀られています。明治天皇は大正元年(1912)7月30日に満59歳で糖尿病による合併症で崩御され遺言により京都伏見桃山陵に葬らますが、明治天皇を崇敬する人々の「東京にも神宮を」との運動により彦根藩下屋敷であった代々木に神宮が造営されます。造営は大正4年(1915)に始まり全国から青年団の勤労奉仕により日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が植えられ、広大な鎮守の杜は建立から100年後に自然林となることをを想定して設計されています。つまり2020年の今が当時の人達が想定した『自然の杜』なのです。
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社殿の多くは戦災で焼失し再建されていますが、オリジナルは明治から昭和期の建築家「伊東忠太」の作品で、氏の作品としては樫原神宮・平安神宮・宮崎神宮・弥彦神社・靖国神社遊就館や神門、高麗神社・築地本願寺・湯島聖堂などがあります。神社建築の形式なのでしょうか明治神宮・宮崎神宮・弥彦神社は構造や配置がそっくりでなのは驚きです。
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明治神宮の大鳥居(二の鳥居)です。形式は明神鳥居、高さ約12m・柱の径1.2m・重さ13tあるそうです。初代は大正9年(1920)の造られています。昭和41年(1961)に落雷により破損、再建するにはこれだけの大鳥居を造る檜材は日本にはありませんでした。再建された鳥居は材木商を営む某氏の奉献によるもので、初代大鳥居の檜材と同じ台湾の丹大山の樹齢1500年超えの檜を大変なご苦労をもって運ばれたもので昭和50年(1975)に完成しています。因みに落雷で破損した初代の檜材は大宮氷川神社の二の鳥居となっているそうです。
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神門手前が明治神宮・南玉垣鳥居(三の鳥居)です。6年の歳月をかけて2016年10月に竣工したものです。建替えは清水建設が担当し基礎を除いての木造で高さ約8mあります。オリジナルは二の鳥居と同様に台湾産の檜材でしたが再建では木曽の王滝村からの檜材を使っています。
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鳩森八幡宮と将棋会館

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JR千駄ヶ谷駅から徒歩5分ほどに千駄ヶ谷の総鎮守「鳩森八幡宮」があります。「八幡宮」ですからご祀神は応神天皇と神功皇后となります。以前に訪れたのは「富士山世界遺産登録」のころで社内にはある寛政元年(1789)に造られた都内最古とされる「富士塚」を見に来ました。Pt↑)がその「富士塚」で解像がよろしくありませんが、登山道があり山麓には浅間神社、山頂には奥宮が造られています。富士浅間神社への信仰は江戸時代に盛んとなり富士山を模した山が江戸の街あちこちに造られました。時代や環境が変わっても都内には数か所の富士塚が残っています。
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鳩森八幡の富士塚は「千駄ヶ谷の富士塚」として江戸時代には「江戸八富士」の1つとして知られ、今は東京都の結家文化財に指定されています。昨今は神社お隣の「将棋会館」が注目されるようになったようです。多くの将棋のタイトル戦はここで行われています。お隣同士の関係からか鳩森八幡には日本将棋連盟から奉納された将棋堂があり将棋の大駒が収められています。応神天皇神功皇后を祀る八幡社は時代が下ると武家にも信仰が広まり”戦いの勝利を祈願”の信仰と変わってきたようです。全国的には稲荷社に次いで数が多くよく見かける神社となっています。
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國學院大學・大嘗祭

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5月からの「践祚」・「即位儀」と続いた皇室行事も先日の「大嘗宮の儀」をもって一段落感となりました。メディアでの一連の報道で新天皇が初めて行う「新嘗祭」の規模を拡大して行われるの「大嘗祭」との違いは明確になったようです。大嘗祭のための「大嘗宮」は祭祀が終わると直ちに壊されるのが通例でしたが、今般は取壊しを遅らせ「大嘗宮」が一般に公開されることとなりました。そうなると例年の「秋の乾通り」以上に多くの見学者が予想されます。
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という事で渋谷の國學院大学博物館で公開中の『企画展・大嘗祭』…11.01~12.15…へ行ってまいりました。JR渋谷駅新南口から15分程度歩きますが博物館は道路に面しすぐに見つかります。國學院大学。さすがに神道系の神職養成機関として造られた学校だけあって大嘗祭関連の展示ばかりではなく他の展示についてもレベルの高さは驚きです。展示内容を理解していくには膨大な知識量が必要でしょうが大嘗祭関連の展示だけでも充分に楽しめます。多くの展示は撮影禁止ですが数点はOKです。Pt↑)は大学所蔵の近世大嘗宮ですが一般的には表からなので裏からを撮ってみました。
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Pt↑)は博物館で購入できる資料集です。神道系の大学だけあってかなり濃いです。実はこの他に教授による講義集があったのですが、さすがにそこまでいくと理解するのには一筋縄ではいかないようです(笑)。

宮益御岳神社・狼

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生活圏ではないので殆ど訪れる事のない渋谷ですが、かえって行くたびに街の変貌ぶりには驚かされます。工事中の渋谷駅などはJR、私鉄、地下鉄間の乗換えは迷路その物です。渋谷区渋谷の1丁目に鎮座する『宮盛御岳神社』はそういった街の変遷を見守っていた事でしょう。昔の渋谷は伊勢原への「大山街道」が通り、宮益坂の地名も「お宮さんのご利益にあずかりたいから」と命名されたとの逸話もあるようです。時代の変遷により宮益町が味気ない渋谷1丁目との表記になっても「宮益坂」の名前だけは残っています。
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現在の社殿は東京空襲で焼失した後の再建ですが、創建は室町時代の元亀元年(1570)とされ奈良吉野山金峰山寺から蔵王権現を勧請したことによります。ご祀神は日本武尊・火之迦具土神・大国主命・菅原道真公が祀られ、境内社の不動尊は「炙り不動」として信仰を集めています。御岳神社の神使は「狼」で、こちらの日本狼は実に美しい姿をしています。オリジナルは延宝年間(1600後期)の作品と思われ、経年の損傷により現在はブロンズ製の複製となっています。狼は「阿吽」の形式でやや肉付きがよいいのですが、犬とは異なる荒々しい姿をしています。
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渋谷氷川神社

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金王八幡宮から歩いても7分程、國學院大學の近くに『渋谷氷川神社』があります。ご祀神は素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神とお馴染みの神々が名を連ねています。古くは氷川大明神と呼ばれこの近辺の総鎮守だったようです。大宮の氷川神社(武蔵一宮)を総本社とする神社グループなのですが、創建の謂れは微妙に異なったりしています。景行天皇の代に出雲の氏族が素盞嗚尊(須佐之男命)を奉じて関東に移り住んだのが始まりは共通しています。一の鳥居から参道を進んで左に江戸時代からの相撲場があり、神社例祭では江戸の昔から「渋谷の相撲」「金王の相撲」と開催され多くの見物人が集まったようです。
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玉造稲荷社と豐榮稲荷神社

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なんでも金王八幡宮摂社の『玉造稲荷社』は誰が言い出したのか、都内有数の金運パワースポットなんだそうです。玉造るから金造るとかいうのではないでしょうが・・。一般的には五穀豊穣、商売繁昌、金運の神さまとして崇敬されている稲荷社ですが、玉造稲荷社のそのパワーが強くこちらだけ参拝して帰る人もいるらしいのですがまさに『違うだろぅ~』です。
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金王八幡宮に隣接し道を隔てて『豐榮(とよさか)稲荷神社』が鎮座しています。この稲荷社は昭和36年(1961)に渋谷のいくつかの神社が合祀されたもので、辿ると道玄坂にあった「豊澤稲荷大神」が渋谷川沿稲荷橋付近の「田中稲荷大神」が合祀、街の変遷により巡り巡ってこの地へ移ってきたようです。扁額には「田中稲荷大神」「豊澤稲荷大神」併記され境内の庚申塔は田中稲荷にあった江戸時代のモノです。
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渋谷・金王八幡宮

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渋谷区渋谷の『金王八幡宮』です。山手線と湘南新宿ラインのホームがやたらと離れている駅ですが、新南口なる改札からだと徒歩5分程度でした。創建は寛治6年(1092)頃、豪族渋谷氏の祖である河崎氏が築いた「渋谷城」に八幡宮を勧請したのが始まりのようです。渋谷城が廃城となり八幡宮だけが残ったという事で、金王八幡宮の「金王」は平安時代末期に源義朝に従い、後年は源頼朝の時代に活躍した「渋谷金王丸」に由来しています。Pt↑)ではビルの谷間感にみえますが八幡宮は思いの外広いようで、春日局により寄進されたという社殿に施された虎や獏の彫刻は実に見事です。
・社殿前には「一重と八重が混じって咲く」いう妙な渋谷区天然記念物の金王丸桜が植えられています。新宿円照寺の右衛門桜、文京区白山神社の白旗桜と金王丸桜を称して江戸三大桜だそうです(苦笑)。 ・何故かパワースポットなんだそうですが渋谷城の砦石です。 ・境内社には日本武尊を祀る「御嶽神社」、「玉造稲荷神社」や渋谷金王丸縁の「金王丸御影堂」などがあります。
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原宿・東郷神社

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渋谷区神宮前の「東郷神社」の神社です。お盆時期の原宿なんて近寄るものではありません(!)。若い女子供で溢れ返っています。で、ありながらも神社神域はそれなりの雰囲気に満ちています。ご祭神は日露戦争・日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を壊滅した連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥です。創建は昭和15年の5月27日(海軍記念日/日本海海戦の日)で、日露戦争の旅順攻防戦での将軍・乃木希典が乃木神社として創建されたのに対し海軍軍人により東郷神社の創建が計画されたそうですが、海軍と陸軍、さらには乃木・長州に対して東郷・薩摩の対抗意識も否めません。東郷元帥は自分が死後「神」として祀られるのを嫌がっていたそうです。神様になりたくなかった神様にお参りするのもなんとなく妙な感じがします。
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ちょうどこの日は神社内で夏休み特別展示「東郷平八郎元帥展」をやっていました。東郷元帥となると、どうして日本海海戦の勝利を思い浮かべますが、この企画展の内容はなかなかのものがあります。Pt↑)の東城鉦太郎画伯の有名な「戦艦三笠艦上の絵」は、左の絵の構図がオリジナルだそうで、右の絵の構図はオリジナルが関東大震災で焼失した後に書き直されています。微妙に構図や位置関係が異なっています。
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古賀政男音楽博物館

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渋谷区上原の『古賀政男音楽博物館』は小田急線(千代田線)代々木上原駅から徒歩5分程の場所です。昭和の日本音楽界の巨匠の博物館は興味深い展示も多々あるのですが、隣が権利関係には五月蝿いJASRACがあるくらいですから、著作権には厳しいようで館内は残念ながら撮影禁止です。記念館内には古賀氏の自宅の居間や書斎、レッスン室を再現した展示、愛用のギターなどが展示してあります。好きな方は好きなんでしょうあまり興味が湧きません。むしろ昭和・平成の有名作曲家達の展示の方が面白いかもしれません。個人的にはワイルド・ワンズの加瀬邦彦氏愛用ギター、ヤマハのブルージーン・カスタム(12弦)の展示には驚きましたが・・・。お勧めは地下1Fには演歌を中心とした日本歌謡曲史の約8000曲のライブラリーが個人ベースで聴きまくりができる設備があります。現代のお経みたいな歌詞に比べたら遥かにマシな作品群です。
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明治神宮・宝物殿

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位置的には明治神宮の北側ですが、神宮の敷地が広大なので場所の説明が困難です(笑)。更には土曜・日曜・祝日(他に特定日あり)の開館なので、意外と見学された方は少ないかも知れません。館内には、明治天皇ゆかりの御物(…という事は国宝、重要文化財ではない)や日常ご使用の机、書籍、ご乗車の馬車(六頭曳儀装車)などが展示されています。宝物殿は明治神宮創建の翌年、大正10年(1921)の竣工、奈良の正倉院の校倉造りを模した日本国初期の鉄筋コンクリート建築で平成23年に重要文化財に指定されています。実は、時代や内容が内容だけに館内に冷房設備が一切無くこの季節は難行苦行です。館内の天井の造作の見事さや『六頭曳儀装車』と称する馬車の実物、歴代天皇の肖像画など…興味深いものが多々あります。原宿駅よりの「宝物展示室」も共通拝観券となっているのですが、2つの館の距離があまりにも離れていて…(苦笑)
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明治神宮の杜

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良く知られるように、広大な面積を有する明治神宮には明治天皇と昭憲建皇太后をご祀神とする『神宮』です。明治天皇は崩御(糖尿病による合併症・満59歳)後、伏見桃山陵に葬られていますが明治天皇を崇敬する人々から「東京にも神宮を」との運動により、代々木の彦根藩井伊家の下屋敷であったこの地に神宮が造営されました。造営は大正4年(1915)に開始され大正9年(1920)に鎮座祭が行われています。境内のほとんどが全国からの青年団の勤労奉仕により造苑整備され、現在の深い杜の木々は日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられています。広大な鎮守の杜は人工的に計画造成された杜で、神社の建立から100年後の完全な自然林化となること想定して設計されているのですが、2020年の100周年を迎える前に、想定された『自然の杜』になっているようです。
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東京ジャーミィ…Ⅲ

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体調も徐々に回復し(苦笑)、今日は某旅行会社のなんともマニアックな都内めぐりに同行してきました。湯島天満宮(梅祭り)…築地本願寺(浄土真宗本願寺派)…カトリック築地教会…聖路加チャペル…御茶ノ水・ニコライ堂と見学し、最後が代々木上原の『東京ジャーミィ・トルコ文化センター』です。天神様・仏教・カトリック・ロシア正教・イスラム教の施設を巡りです。”築地市場を散策して寿司食べて的”ありきたり企画とは大いに異なります。

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Pt↑)は15:00のお祈りが終わった直後の模様です。正面の方向が”メッカ”になります。東京ジャーミィへは数回訪れているのですが…。今日は実に多くの”見学者”が訪れていました(背名を向けているのは殆どが一般見学者です)。ツアー団体や都議の後援会などで、昨日はTV局の取材もあったようです。時節柄と云っても良いのでしょうが”イスラム教について知りたい”と言う意識が高まっているのでしょうね(!)
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東京ジャーミー・トルコ文化センター( 東京都渋谷区大山町1-19) 小田急線「代々木上原」下車・徒歩5分です。

渋谷税務署隣に…

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渋谷税務署隣(NHK放送センター前)に『226事件慰霊像』があります。長い年月ここが処刑された将校の墓所跡だと思っていたのですが、実際は処刑がおこなわれた「旧陸軍刑務所」の跡地でした。昭和11年2月26日に発生した”クーデター未遂事件”は2月29日の鎮圧され、首謀者の決起将校たちは「一審、上告不可、弁護人なし、非公開」の陸軍軍法会議…死刑判決の為の形式的裁判です…により7月5日に死刑判決を受け7月12日に15名の銃殺刑が執行されています。この煉瓦塀が旧陸軍刑務所の塀だったのでしょうか?写真のように今でも献花に訪れる方がいらっしゃるようです。
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碑文には”刑死した20名と自決2名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合わせ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件30年記念の日を期して~”とあります。もっともらしい文ですが、単なるクーデター未遂事件に”意義”などあるのでしょうか?
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初詣は明治神宮で…

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あけましておめでとうございます。東京は元旦から”まさにお正月”といった感じの穏やかな日が続きましたね。
ところで、今年も関東では明治神宮が初詣参拝者数のトップだそうです…。都会にあって広大な神社の”杜”があり繁華街の渋谷や新宿にも近く、”初詣がてら”となると、やはり明治神宮ですかねっ。遥か昔の高校時代には深夜に参拝。「渋谷の終夜営業の喫茶店で朝を待つ」が定番で、大学時代は「道玄坂の坂上地区で朝まで…」となっていました。思い返せば「正月料金」の高かったこと(!)。恥ずかしい事には、明治神宮にはどなたが祀られているのかすら知りませんでした。『明治天皇』と『昭憲皇太后』をご祀神としているのですが…。参拝者で混雑する本殿前を見ると”ご祀神が誰かを知らない参拝者はどれぐらいいるのかなぁ”とフトッ思ったりしてしまいます。まぁ正月ですから良しとしましょうか(笑)
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左&中)拝殿が混雑していないのは、このエリアの入場規制がされているためです。このように本殿が写り込む撮影は不可の場合があるのですが…。正月はOKなのでしょうか(?) 右)厄年一覧の横断幕です。ご参考までに…(笑)
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東京ジャーミィ・トルコ文化センター

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東京ジャーミィ礼拝場のドーム天井です。表の天候が良かったのでステンドグラスの”青”が、かなり違って見えます。アジアともヨーロッパと一味違う色彩はこれだけでも一見の価値があります。
東京ジャーミィ・トルコ文化センターはイスラームの文化を広く紹介することを目的とし、誰でも訪れることができます。特に圧巻なのは礼拝堂の色彩は美しいとしかいいようがありません。館内の写真撮影は禁止されておらず、むしろ奨励さえしてくれます。とは云うものの、イスラームの文化に対しの然るべき”敬意”は払わねばなりません‥。
《こんな輩がおりました‥イスラームのお祈りの時間、礼拝場では信者の方が祈りを捧げています。我々は後方に座して静かに見ていました。そこへ何処からか若い豚女が2人迷い込んできて、小声でなにやら会話を交わすわ、写メでカシャーンと‥(!)さらには若造が1匹まぎれ込んでお祈り中の写真を取りまくって、そのまま退散‥》
お祈りの最中だというのに写真撮影もおしゃべりもないでしょうに‥。ここは"来た・観た・帰る"の観光地ではないのを理解しているのでしょうか‥?

明治神宮

meiji2meiji1 初詣では日本一の参拝者を集める「明治神宮」です。明治天皇と昭憲皇太后を祭神とし1915年に官幣大社として創建されました。かつては彦根藩井伊家の下屋敷跡で明治維新時に政府に献上された地だそうです。神社の敷地はかなり広大で70万㎡あるそうですが、原宿駅から歩くと写真右の「大鳥居」でやっと半分の距離です。鳥居を抜けて左側に「明治神宮御苑」・(入園料¥500)の入口があります。話題になった”井戸の写真を携帯の待ちうけ画面にするとご利益がある”という”あの清正の井戸”のあるのはこの御苑内です。都会では珍しい湧水井戸には違いないのですが、パワー・スポットと云うには??です。
拝殿前の広場。ここも広いですねぇ。初詣の時期には巨大な賽銭箱が置かれる場所です。時節柄、拝殿は耐震補強工事をしていました。初詣の時期はこの場所が参拝の人でビッシリなのですから‥。それにしても誰にお願いごとをしているのかご存知なのでしょうか(?)明治天皇にそれほどのご利益があるとは思えないのですが。
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この明治神宮も『東京五社』に名を連ねています。歴史的背景も祭神も違いすぎるのに‥。よく判りません。

代々木八幡宮・代々木出世稲荷

yoyogi81yoyogi82渋谷区代々木の「代々木八幡宮」は明治神宮の裏手にあたり、最寄駅は小田急線代々木八幡駅(千代田線代々木公園駅)から、どちらの駅も徒歩5-6分ほどです。小高い丘の上という感じの地に神社が鎮座しています。ご祭神は八幡様ですから「応仁天皇」ということになります。創建は鎌倉時代初期といわれ、規模では明治神宮に及びませんが遥かに歴史のある八幡宮です。敷地内には昭和25年に発掘調査がなされ渋谷区の史跡に指定されている『代々木八幡遺跡』‥縄文時代の住居跡が復元されています。柵で囲まれ覗き見ることしかできませんが、約5000年前には神社のある丘陵周辺には縄文人の集落があったことになります。当時も住むには条件の良い地だったのでしょう。拝殿右側に昨今有名になったパワースポット・『代々木出世稲荷大明神』があります。東京大空襲の折にこの付近で焼け残った稲荷社を集めてお祀りしたそうです。そのせいか古びて満身創痍状態の狐像も見受けられます。なんのパワースポットなのかは良く判りませんが、稲荷社が人々の暮らしに寄り添うように存在していたことの証なのでしょう。
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