旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

北海道

2023 秋 北海道…(終)

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北広島の「エスコンフィールド HOKKAIDO」には”ありゃあ”と思いました。これだけスケール感のある施設は関東周辺では無理でしょう。明治天皇とクラーク博士ゆかりの旧島松駅逓所は今まで縁がなくようやっとという感じです。
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新千歳空港での松尾ジンギスカンも恒例になりました。松尾ジンギスカンは都内にも出店していますが、空港で搭乗前に食べるのがお気に入りです。どこの店舗も小奇麗になって昔の記憶は一切感じません。以前に食べた旭川の松尾があの雰囲気を残していて一番良かったようです。
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新千歳空港内のフードコートには様々な店舗が出店しています。空港の物産展や飲食店の多さは国内でも指折りです。土産店では毎年「新名物商品」なるものが登場しますが、TVなどで紹介され全国区になっていくのは一握りです。
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JR札幌駅前のラーメン共和国は消滅しましたが、空港の「北海道ラーメン道場」は大盛況で健在です。ラーメンが国民食となり意味不明な評論家などが注目される馬鹿な時代となりました。味の好みは千差万別でも不味いラーメンはそうはありません。空腹時に食べるラーメンこそが旨いラーメンです。
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松尾ジンギスカンの単独店舗です。フードコート店より高額です。松尾ジンギスカンは滝川が本店で最盛期は道内の各所に支店がありました。あの頃のジンギスカン定食が¥500程度だったのが、今は定食が¥1400超えになっています。年月を考えれば至極当然なのでしょうが…。
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何時ものように別館の日帰り温泉で時間を調整します。この日の搭乗便はこの時点で35分遅れ、羽田到着は1時間遅れでした。今回も6日間ほ日程で走行距離が約1200㎞(!)。疲れはれながらも無事帰着できました(笑)。

2023 旧島松駅逓所

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駅逓所(えきていしょ)は、徳川末期から昭和初期の北海道において旅人の宿泊、運送、郵便の中継業務の役割をする施設で、北海道の開拓には重要な役目を担い、最盛期には約600軒以上の施設が存在し、駅逓所制度が完全廃止となるのは昭和22年の事です。廃止後は多くが取り壊されますが、旧島松駅逓所については保存状態も良く国の史跡に指定されています。
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島松駅逓所は、明治天皇の北海道行幸の際に昼食兼休憩施設として立寄る旨の命を受けます。明治14年9月2日、札幌を出発した天皇行幸は島松の中山久蔵宅に到着、休憩昼食となります。Pt↑)で建物の板張り部分はこの時に新築した部分です。
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この部屋が明治天皇が昼食を摂られた部屋です。現在では考えられ話ばかりですが、昼食立寄を担当したことで皇室からは新築料として300円、紋付き袴、銀盃、慰労金25円が中山久蔵に下賜されますが、実際はかなりの大赤字だったようです。
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現物を見るのは初めてでしたが、この畳の縁の意匠は天皇が使用する部屋の畳に使われる意匠で使用には宮内庁の許可を必要だったようです。これが明治天皇の目に留まったか否かは判りませんが、ここまでの気遣いは想像以上です。
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こちらは昼食後の休憩をされた部屋です。明治天皇は在位中に全国各地へ行幸されています。明治5年に九州・西国。明治9年に東北・北海道。明治11年に北陸・東海道。明治13年に甲州・東山道。明治14年の山形・秋田・北海道。明治18年の山口・広島・岡山と巡幸しています。これらの巡幸の記録はすべては公文書として保存されてます
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島松駅逓所主の中山久蔵は仙台藩士から明治以降は北海道開拓に従事します。明治6年に北海道初となる寒冷地米の「赤毛種」を栽培することに成功し道内に米作を広めます。現ゆめぴりかは赤毛種の進化系なのです。さらには自宅は旧島松駅逓所を拝命し、明治天皇北海道巡幸の折は天皇一行の御座所を依頼される名士と島松のなります。
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裏庭の紅葉が見事でした。クラ―ク博士別れの地は駅逓所敷地内にあります。島松の別れは1877年の事で、明治天皇行幸は1881年の出来事です。

島松の別れ 1877

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1877年5月、クラーク博士は札幌農学校での日々終え帰国の途に付きます。別れを惜しむ教え子達は島松駅逓所まで博士を見送り、この地で恩師と別れとなり、あの有名な言葉はこの地での事と伝わります。そんな事でこの地にも博士の記念碑が造られています。以前からこの地は訪れたいと思っていました。
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ウィリアム・スミス・クラークはアマースト大学で教え子新島襄(同志社大創始者)の紹介で1876年7月に札幌農学校で教鞭をとる事になります。僅か8ヶ月の在任期間に専門学以外にも学生達に様々な教育を施した偉人とされます。そんな博士の功績により羊ヶ丘の展望台、北大構内や別れの地の島松にも記念の碑が造られています。
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英語もロクに理解できない学生達に僅か8ヶ月で何ができたというのでしょうか?土地を開墾、種をまき、手をかけて収穫。これが8ヶ月で教え、帰国後も博士の教え子をアメリカから招いて…。実際のところは他のお雇い外国人と同様に高額な報酬に目が眩んでの来でしょう。帰国時、博士は島松で教え子と別れて函館から東京経由で帰国ではなく、大阪に足を伸なして長崎まで行っています。帰国ついでの観光旅行ってやつです。
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アメリカに帰国後は事業家に転身、共同出資者には騙され、更には鉱山業投資にして失敗して破産の道を辿ります。没年は1886年。日本から帰国して僅か9年後です。文献資料を調べるうちに「少年よ、大志を抱け この老人の如く」は創られた情景のようです。
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以下が当日の情景のようで納得できます。【先生をかこんで別れがたなの物語にふけっている教え子たち一人一人その顔をのぞき込んで、「どうか一枚の葉書でよいから時折消息を頼む。常に祈ることを忘れないように。では愈御別れじゃ、元気に暮らせよ。」といわれて生徒と一人々々握手をかわすなりヒラリと馬背に跨り、"Boys, be ambitious!" と叫ぶなり、長鞭を馬腹にあて、雪泥を蹴って疎林のかなたへ姿をかき消された。】

北広島の野球場…(2)

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野球場、商店街、マンション等の複合施設と聞いても、東京ドームの複合施設イメージしか浮かばなかっのですが、見事に大外れです。誘致に積極的な北広島市による様々な優遇措置がるあるにしても、失礼ながら何もない北広島市に、こんなスゲェ奴を造ったのは改めて驚きです。

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JR北広島駅からの1.5㎞は近くに新駅を造る事が解決のようです。現時点では新球場のある公園区域は約17万㎡、商業施設が造られる公園害は約14万㎡あります。某大学の移転も決定しているようで、ここに野球場を中心とした都市ができるという事です楽しみですが、懸念はその時までプロ野球人気は続いているのでしょうか??
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現在は球場へは車利用となるのでしょう。駐車場は数ヶ所ありどれもが広大です。野球開催日は出庫する時間の混雑は凄まじいようです。軽自動車専用スペースがかなり広く取ってありました。やはり地方のことなので自家用車の保有は一家に1台ではなく1人に1台でそれだっけ軽自動車が人気なのでしょう。
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日本ハムファイターズの選手なのでしょう。50年前の北海道でプロ野のテレビ放送は巨人戦しか放送されず、道民は圧倒的に巨人ファンでした。日本ハムが本拠地を札幌に移り、Jリーグのクラブありで、その状況も変わっているのでしょう。
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球場に入ってすぐの場所です。とにかく造りがゆったりしています。東京ドームに様に阿漕とも思える売店の姿がありません。かえって大丈夫かいなと心配になります。試合のない平日でもかなりの見学者が訪れています。
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この席の観戦料がいくらなのかは判りません。ガイヤ側とはいえ視界は充分にあります。この席は前席との間隔は広く、座面も簡易的なクッション使用で、あの隈ってしまう国立競技場とはエライ差があります。
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北広島の野球場…(1)

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北海道は北広島市の「Fビレッジ」、2023年より北海道日本ハムファイターズが本拠地としいる屋根開閉式の屋内型野球場の「エスコンフィールド HOKKAIDO」へ寄って見ました。何かと話題の施設でもあり新千歳空港への途中でもあるので興味はありありです。まぁいろいろと手こずったのですが…。、
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実際は「北海道ボールパークFビレッジ」は野球場、ホテル、レストラン、商業施設、マンションなどを含む総合的な施設名称で、まだすべてが出来上がっている訳ではありません。野球場と一部の施設が先行稼働という事です。「エスコンフィールド HOKKAIDO」は企業の命名権によるもので、知らん事とはいえ混乱します。
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プロ野球にはあまり関心はなく東京ドーム、神宮球場、札幌ドームくらいしか知りません。これらと比べるのは無理というものですが、あの隈ってしまう国立競技場を遥かに凌駕します。車載のナビのうまく設定がでなかったり、駐車場がやたらとあっても関係者専用だったりで苦戦しました。
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丁度この日にJR駅の新設が決まったのですが、現在はJR駅から遠いのとゲーム後の駐車場からの出庫大渋滞が問題のようです。Pt↑)では屋根は空いている状態です。上方の構造物がスライドして屋根となる仕掛けです。
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なんたらいう特別席のようです。笑うのは温泉施設が造られており温泉に入りながら野球観戦もできる本末転倒な楽しみもあるそうです。野球の試合がない日は無料で見学ができます。レストランも完備なので新しモン好きな北海道人で賑わっている事でしょう。
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球場施設の有料ガイドツアーはかなり人気のようです。このツアーではあのきつねダンスの娘たちが案内してくれるようです。何人かは押さえたのですがコート着用であの姿ではありませんでした。
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2023 秋 旭山記念公園

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今年の旭山記念公園は曇り空です。公園の入口に歓迎できない「クマ出没注意」の注意書きがありました。数年前にクマ出没で立入り禁止はありましたが、それに次ぐですかねぇ。最近公園付近で目撃情報があったようです。駐車場には犬の散歩の人達がいます。犬がビビらないのは近くにクマがいない証のようです。
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聞いた話では、麻酔銃を連射が利かず確実に当には距離は10m程だそうです。確実に動物の皮膚に針が刺さる訳ではなく、大型獣では薬剤効果が生じるのに数分かかります。クマちゃんが怒り狂って逆襲してきたら逃げるのは無理な話で、よくて重症悪ければ即死です。麻酔銃で眠らせて山へ帰すは実際は至難の事なんだそうです。
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旭山記念公園の駐車場は夜間は~20:00までですが、レストハウスの閉店後は閑散としています。トイレのドアは動物が入れないよう横スライド式です。札幌駅からでも車で20分程度で環境と夜景は素晴らしいのですが、鹿やらキツネならともかくクマ注意となれば冗談ではありません。
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ニュース報道ほど「雪むし」の飛翔はヒドくはありませんが、外国からの観光客はあの状況は驚きでしょう(笑)。毎の訪れていれば、照る日、曇る日、雨の日、はては「クマ注意の日」までありました。今年は紅葉は早いのでしょうか?
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年々歳々札幌駅方面には商業ビルや高層マンションが次々と完成しています。昔から札幌の地盤は固く地震が起こり難い云われてきましたが、これも聞いた話では札幌市の一部であって全体ではないようです。
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137mの旭山展望台からは札幌の中心街が一望です。観光的には藻岩山の方が有名ですが、藻岩山はロープウェイ、有料道路とも費用が高額で、かつ札幌中心街の展望は左に寄ってしまいます。
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2023 北海道ボツ写真…(3) 

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大通西13の「札幌資料館」を背にするのは「若い女の像」です。佐藤忠良氏の作品で1983年に建てられています。こんな所に裸の像がと近寄ったら、残念(?)な事にジーパンを穿いて上半身が裸という作品でした。
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曇り空で距離があるので判り難いのですが、銅像が2体建っています。右が薩摩の北海道開拓使の黒田清隆、後の第2代総理大臣です。それなりに功績もありますが汚職疑惑や酒乱による妻殺し疑惑で有名です。左のホーレス・ケプロンは黒田が連れてきたお雇い外国人です。北海道開拓の功労者という事で…。
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「虹と雪のバラード」の札幌オリンピックは1972年の事でした。冬季オリンピックの再誘致を目論んだのですが断念することになりました。この五輪マークも誘致事業の一環だったのでしょうか?東京オリンピックでのJOCと電通のあの事件のあとでは市民人気も薄れるというものです。
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エゾ鹿・エゾフクロウ・ハシブトカラス・エゾウサギ、これでキタキツネとヒグマが居れば揃い踏みですが…。札幌ロータリ・クラブが会の理念を表現する像とした1982年に寄贈したしたもので、タイトルは「奉仕の道」です。深追いはしません!
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文字通りの「開拓紀念碑」です。大通りで最も古い記念碑で1901年にこの地へ移設されてきました。碑面の文字が「記念碑」ではなく「紀念碑」です。この表記は勅撰若しくは国家の公式の記録として制作された場合はこの表記だそうです。知りませんでした!
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ジュース類の自販機やけ夜景文化発祥地 札幌という事で、藻岩山・大倉山・JRタワーからの夜景・旭山記念公園・テレビ塔から大通公園の夜景写真がプリントされています。唐突ですが「探偵はBarにいる」の1作目、エンドロールのカルメン・マキの”時計を止めて”で写るすすき野の夜景シーンが今でも好きです。
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タイトルは「漁民之像」だそうで、故郷の漁村を離れ札幌に住む若者を励ます意味が込められているそうです。北海道漁協婦人部連絡協議会が創立10周年と北海道100年を記念して建立とあります。そうですかっ(笑)。
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漁民之象の近くだけあってカラスが群れています。カラスにはハシブトとハシボソの2種類がいて、全国どこでも見られる珍しい鳥ではありません。ハシボソ君は農耕地などに住み、ビル街で人と共存しているのはハシブト君です。
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10月ならではの「新 そばフェス」なるイベントをやっていました。この後で「駅そば ひので」を予定していたのでパスしました。道内のそばの思いの外そばの名産があって東京の北海道物産店でも一部が購入できます。
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大通西13丁目 札幌資料館

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札幌資料館…① 札幌大通公園は「日本の道100選」「日本の都市公園100選」「都市景観100選」「日本の歴史公園100選」と多くのタイトルが付いています。ここから約1500m先に札幌テレビ塔があります。
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札幌資料館…② 再現された札幌控訴院の法廷。
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札幌資料館…③ 被告席側からの裁判官側
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札幌資料館…④ 廊下はこんな感じです。
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札幌資料館…⑤ 当時の二重窓構造でしょう。
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札幌資料館…⑥ オリジナルの照明具?。
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札幌資料館…⑦ おおば比呂司氏の経歴。
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札幌資料館…⑧ ANA旅客機イラストなどが。
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2023 札幌大通西13丁目

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テレビ塔が大通り公園の始まりなら西13丁目の「札幌資料館」終点です。このあたりまで来る観光客はあまりないでしょう(笑)。館内に入ると以前に来た事があるのを思い出しました。20年ほど以前に近くの札幌地裁へ民事訴訟の手続きに来てたことがあり立ち寄った事がありました。
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そんな業務出張でなければ西13まで来なかったでしょう(苦笑)。この建物は大正15年に函館から移転した「札幌控訴院」として造られ、後に「札高等裁判所」として使用された建物で、1997年に北海道初の国の登録有形文化財に登録、2020年には国の重要文化財に指定された由緒ある建物です。
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建物は石山軟石(札幌軟石)と呼ばれる石材が使われています。この石材は加工が容易で明治・大正・昭和期の建築材として多用されていました。近年は資源の枯渇が進み使用はなくなり現存建物も老化が進んでいます。札幌市内では軟石で造られた倉庫を改装して居酒屋などを良く見かけます。
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玄関上には「札幌控訴院」の文字が見えます。特殊な字体なので見逃しがちでしょう。札幌高裁移転後は「北海道文学館」や「札幌市考古資料室」などで使われています。国の重要文化財の指定された建物は札幌市内では、1970年の札幌時台(旧札幌農学校演武状)以来50年振りに2件目の指定です。
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玄関エントランスは大正/昭和期の建物としては良く見る設計ですが、管理状態は良く玄関正面の螺旋形の中央階段、寒冷地らしい二重窓枠などいい感じです。館内にはANAの旅客機イラストで有名な「おおば比呂司記念室」や「まちのの歴史展示室」や再現された「掲示法廷展示室」がありました。

2023 札幌テレビ塔

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いつでも来れるからそのうちに…。の法則により札幌テレビ塔もその機会を逸していました。寒い季節に大通りの夜景を見に上がった記憶はあるのですが、日中に上がるのは初めてかも知れません。天気も良く目視では遠望も利くのですがデジカメの限界で窓ごしの撮影はピンが手前にきてしまいます。
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テレビでは「雪虫」のニュースが報道されています。羽虫のような小さな虫が大量に飛翔し視界すら怪しくなり目や口に入ると厄介です。「雪虫飛翔」から2週間ほどで雪の季節が始まります。札幌はまだ日中は20°の日が続き初雪は遅れるのでしょう。
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内藤多仲氏の設計により昭和32年に完成した札幌テレビ塔は札幌のシンボルと云っても過言ではないでしょう。時代というのは残酷なもので、札幌テレビ塔も東京タワー同様に次々に完成する高層ビルに囲まれ「背の高い構造物」ではなくなりました。驚いたのは展望台への入場料は大人¥1000です。時代を考えればしょうがないのでしょうが…(苦笑)。
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それでも修学旅行旅行の学生や外人客の姿もチラホラ見えます。売店ではゆるキャラはモチロン記念メダルや多種のお土産品が用意してあり。祀神は不明ながらも「てれび 父さん」なる神社があり、お御籤まで用意されていました。東京タワー方式の縮小版といった感じです。
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大通り公園はここから西14丁目まで続きます。さす歩き通すのはキツイので、地下鉄で西11丁目まで行ってそこから大通りをブラブラとする事にします。札幌へは毎年きているのですが「何年振りに訪れる」ばかりなので笑えてきます。
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2023 北大銀杏並木

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たまたまその日が抜けるような快晴で人も少なく紅葉が真っ盛り! そんな幸運な日は都合よくはありません。ましてこの日は天気予報は午後から曇り…。今年は北大の銀杏並木の紅葉は遅れ気味のようです。暖かな札幌の朝でやや厚着なのは中韓ベと札幌市民、内地からの観光客まだ薄着です(笑)。
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北大銀杏並木…①
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北大銀杏並木…②
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北大銀杏並木…③
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北大銀杏並木…④
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北大銀杏並木…⑤
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2023 北大ポプラ並木

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以前「北大ポプラ並木」は札幌でも著名な観光スポットで観光記念絵葉書(笑)にも必ず収められていたものです。さしたる理由はなく距離的にも200mほど逸れるだけですが、実は40年以上訪れた事はありませんでした。
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最初に訪れたのは大学3年の時。早朝に札幌駅に到着、夜行で旭川に向かう僅か1日の札幌滞在時です。記憶が曖昧になったとは云え「こんなんだっけ?」思いました。迂回路はあるものの並木自体は立ち入り禁止、並木道の長さもかなり短くなっていました。
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北海道ではポプラ並木は珍しくなく、今は立ち入れない月寒ポプラ並木の方がスケール感はあります。元々は札幌農学校時代の明治36年に植えられたのですが、ポプラがそうは強い樹木ではないらしく、昭和29年、34年、平成16年の台風により被害を被り現在は樹木の養生を兼ねて立入り禁止となっています。
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ポプラ並木に隣接した北大植物庭園の遊歩道から柵越しにポプラ並木が見られまする。スケール感は失われ、札幌では時計台と並んで残念な観光地は納得です。それでも「さっぽろ ふるさと文化百選」だそうで笑ってしまいます。現在は若木を植えなどの養生中ですが復活の日はあるのでしょうか…。
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この銅像は2004年まで5000円札の新渡戸稲造です。後任が夜逃げ女王の樋口一葉とは新渡戸氏も思わなかったでしょう。北海道大学が札幌農学校時代の第2期卒業生で農学部の教授でもあった方です。北海道大学の偉大なる先輩なのですが、それにしてはポプラ並木脇にポツンは可哀そうな気もします。
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2023 朝の散歩に北大へ

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宿泊ホテルから徒歩5分ほどなので北大へ恒例の朝散歩です。ニュースでは「雪むし」の大量発生が報道されています。この日も札幌は暖かく10月下旬とは思えません。市内の紅葉も遅れ気味なのでしょう。学生達の登校時間にまだ早く静かな学内です。
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北大構内…①
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北大構内…②
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北大構内…③
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北大構内…④
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北大構内…⑤
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北大構内…⑥

味噌ラーメンは何年振り?

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僅か1年でJR札幌駅付近は劇的に様変りしています。札幌駅高架下の商店街は閉店し隣接のエスタ(旧そごう)も地下商店街やビックカメラ、上階のラーメン共和国もすべて消えてなくなりました。そんな事を思っているうちに何故か苦手な味噌ラーメンを数年振りに食べたくなりました。
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昔からある地下街の「寶龍」は老舗のラーメン店です。薄野店では食べた事はあるのですが駅地下街は恐らく初めてでしょう。「寶龍」は道内の各地で見かけるラーメン店ですが、ほぼフランチャイズで直営店は少ないようです。
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「昭和32年創業 札幌薄野総本店」、「北海道知事賞受賞味噌使用」との看板が目立ちます。札幌は薄野ラーメン横丁、もぐら横丁、狸小路地区と時代時代で人気店が推移してきました。昭和32年創業はなかなかの人気店の証です。
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注文は味噌ラーメンです。外国人に人気の薄野界隈ではカニやらが乗って高級ラーメンも人気ですが、夕食までの繋ぎでラーメンを食べていた旧子供には¥1000超えると抵抗があります。ラーメン評論家やマスコミの紹介のラーメン店の多くは約3年で先細りが例です。札幌で60年続くラーメン店はご立派です。
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2023 北海道ボツ写真…(2) 

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浦幌神社の由来が書かれています。明治年間に入植した人達が故郷からお連れした神様を一ヶ所の合祀るした歴史が書かれています。気まぐれ的偶然がなければ訪れる事はなかったでしょう。意外な事に出川哲郎の充電旅は訪れていました。
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「十勝のおっぱい神社」となれば興味を曳くのは必然です。こちらには「乳神神社」の由来が書かれています。元は老婆の思い込み的な信仰だったようですが。ご祀神の「乳授姫大神」は老婆の伝承から生まれたのでしょう。興味深いお話です。
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日本の神様は、伊勢系、出雲系や渡来神ばかりではなく「乳授姫大神」のように人々の生活に寄りそう土着神も大切にされています。こちらが「乳授姫大神」のご神体なんですかねぇ。
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えりも岬「襟裳神社」の祀神は保食神という事は稲荷神社です。この神社の祭礼が激しくて、地元の男衆が泥酔状態で神輿を担いで海に入って行くというものでした。さすがに逃げました(笑)
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えりも岬のクリフハウス柳田旅館の看板犬「コロ」です。どうしたはずみか先代の看板犬と混同して「タマ」と呼んでいました。気を悪くしたと見えて意地でもカメラ目線にはなってくれません。
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様似町の日高耶馬渓と呼ばれるあたりです。そびえる岩崖がユーラシアと北米プレートの接点と云われても判りません(苦笑)。この付近は天候次第で海から高波が押し寄せ最徐行で通過した記憶があります。
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日帰り入浴施設のアポイ山荘は時間の制限がなく平日は空いています。海が荒れる漁師のおっちゃん達で賑わい、日高地方は競馬馬の産地という事もあり競馬予想で賑やかになります。隣の浦河には場外馬券場もあります。
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長万部山中の二股ラジウム温泉で産出される特徴ある「石灰華」を使って温泉効果をあげています。この施設にはよく訪れていたのですが、初めて二股ラジウムの石灰華使用を知りました。
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静内駅にJRが来る事はもうありません。災害により本線は寸断され復旧することもなく廃止となりました。今は路線バスの停留所となっています、緑の道南バスは札幌行の都市間バスです。
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「ししゃも」で有名な鵡川町、「道の駅むかわ四季の館」へ到達しました。札幌は2時間ほど先です。温泉施設や宿泊施設もあり温泉は利用した事もあります。最近は郊外に高速道路ができたので立寄る事も減りました。
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2010年にノーベル化学賞を受賞した鈴木 章北大名誉教授は鵡川町の生まれという事で、記念館が造られていました。そういえば2002年には鵡川高校が良く判らない21世紀枠とかで選抜甲子園に出場していましたねっ。

地球学の宝庫 様似町

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その昔高校の授業に「地学」というのが有りました。悠久の時空間やその規模の大きさからどうにもピンと来なかった授業でした。北海道様似郡様似町は新千歳空港からえりも岬への国道336号線で幾度となく通過していたこの町は地球学の宝庫のような町なのです。
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様似海岸線の案内板にはこの地が地質学的での「ユーラシアプレート」と「北米プレート」の境界である旨の説明がありその境界が見られます。人口4000人あまりの様似町は2015年に町全体が「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されていて、日高耶馬渓、エンルム岬、幌満峡そしてアポイ岳等々実はなかなかのエリアでした。
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江戸時代に砂金採取の和人が住んだのが様似開拓の始まりのようです。えりも方面への海岸巨岩壁は街道の難所で現在の国道はトンネルですが、脇道には昭和年代、大正年代、それ以前のトンネルが並んでいる場所があります。最初のトンネルなどは人が屈んでようやく通れるような手掘りのトンネルです。
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いつもなら様似まで来ればえりもは近いと認識する町でした。何気ない町にも開拓の歴史があるものです。右のトンネルが昭和期で中央が大正期のトンネル、左の小屋の後方にそれ以前の手掘りトンネルが残っています。現在のトンネルはさらに岩崖の中というで4本のトンネルがある事になります。
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浦河方面にある巨大な岩山がエンリモ岬で様似の海岸線からえりも岬方面までが見渡せます。中央の標高810mのアポイ岳は、山が「かんらん岩=幌満橄欖岩」で構成された標高の割には高山植物が多く、1952年に「アポイ岳高山植物群落」として国の特別天然記念物に指定されています。
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北海道の日高地方の失礼ながら人口4000人たらずの町なのですが、ユネスコ世界ジオパークとして、特別天然記念物の
アポイ岳高山植物群落としての自然に恵まれ言うなれば地球の玉手箱の様な町です。
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エンリモ岬からの様似漁港です。聞いた話では今年のえりも岬沖を通過する鮭漁は近年稀なほどの不良だそうです。総水揚げはやや減りなんだそうですが、これも夏の暑さの理由なのでしょうか?

2023 様似にて…。

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緑と紅葉と太陽を反射する海の景色!至福の時間に「今年も来たぞ!」と呟いてしまいます。
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ほぼ毎年の繰り返しでも飽きる事のない景色です。この景色は500円で見られます(笑)。
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平日の昼間は入浴客すら疎らです。入口に置いてあるのは「二股ラジウム温泉」の例のやつです。
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温泉効能をよく見たことがなかったので、二股ラジウム温泉効能とは気が付きませんでした(苦笑)。
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数時間もすれば正面右方向に夕日が沈みます。温泉・紅葉・海&夕日…なんとまぁ贅沢なことか(笑)。
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温泉&サウナ後の食事は塩ラーメン。塩加減が丁度よくこんなシンプルな塩ラーメンが好きです。
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駐車場からの特別天然記念物の山の姿です。浴室からはこの景観は見ることはできません。

2023 えりも岬にて

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ここ数年のえりも岬に滞在中は風は弱く暖かく穏やかな日ばかりです。岬に向かう坂道を走ると夕日が目に入ります。「あ~っ 夕日がキレイ!」で分離帯に激突した馬鹿がいたそうです。笑えません。
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えりも岬…①
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えりも岬…②
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えりも岬…③
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えりも岬…⑤
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えりも岬…⑥
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えりも岬…⑦
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えりも岬…⑧
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えりも岬…⑨
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えりも岬…⑩
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えりも岬…⑪

えりも岬へ 44㎞

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ナウマン街道を広尾までやってきました。えりも岬へあと44㎞、何とか日没には間に合いそうです。広尾~えりも岬へは海岸線を走る伝説の難所「黄金道路」が28㎞続きます。大学生の頃に初めてえりも岬を訪れた時は難所難所の連続でした。年月を経て今は快適な国道336号線となっています。
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広尾・えりも間の道路建設工事は昭和2年に着工、8年の歳月を費やして開通したのですが、工事に費やされた金額が莫大となり「黄金を敷きつめた道」から通称「黄金道路」と呼ばれています。2011年には4941mの「えりも黄金トンネル」が完成して工事の完成をみています。
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多数の日高山脈の岩崖をくり抜いたトンネルや海岸沿いの覆道で快適な国道が完成しましたが、切り立った巨大な岩崖や荒波の海岸線が見られなくなりました。4941mのトンネルは照明がやや暗い対向車線なので日没目前に通過しないと危険です。
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もう一つの「危険」が日没時に遭遇する鹿達です。ちょうど発情期で動きが活発な時なので姿をよく見かけます。”鹿注意!”の看板があったところで、鹿と激突すれば車は確実に大破です。日没の時間帯では早めの点灯、スピードを控えめに、前方の鹿注意は必須です。*距離はありますが立派な角をもった牡鹿です。
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エゾ鹿やキタキツネはよく見かけますが、ヒグマを近くに感じたこと(強烈な動物園臭)はあっても遭遇経験はありません。今年は北海道や東北地方で熊による事件が多発しています。「駆除するのは可哀そう」との非難の声もあるそうですが、「近くにヤツが居る」の恐怖体験をしたら…。相手は可愛いくまちゃんでは決してありません。

Ph10のうらほろ留真温泉

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浦幌神社で「車なら遠くはない」との情報を得て町内の「うらほろ留真温泉」へと足を伸ばしました。留真=るしんと読みます。アイヌ系の言葉では無いようですが難読地名です。地元の人との見解相違は生じるもので20分程度走っても到着しません。やっとの分岐からもさらに4㎞先です。
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ようやく「うらほろ留真温泉」に着きました。山間にポツンとの情報イメージとは違い平成23年にリニューアル・オープンとなった洒落た建物です。施設付近の環境、建物や館内施設は日高の静内温泉に似ています。料金500円は標準的です。移動中の温泉は疲れがドットくるのですがローカル温泉は止められません。
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平日の昼ごろで入浴客はごく少数でした。北海道屈指のPh10のアルカリ性泉質と掲示され、お湯はさほど熱くはなくお湯は「肌つるつるの感触」です。食堂や休憩スペースも充実でこれで料金500円は安いと思いますが、ともかく浦幌町は広大で町の中心部からはかなりの距離は感じます。
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風呂は熱暖の2ヶ所とサウナ、露店風呂や家族風呂があります。この家族風呂ってのは個室の銭湯を家族で楽しむレジャーで北海道と鹿児島では経験しました。今は滅びつつある家族レジャーだったのでしょう。別棟には10人用の貸切りコテージまでありました。
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これからエリモ岬まで4時間/150㎞を走らねばなりません。日暮れは16:30頃なのでノンビリしてはいられません。本来は大樹ナウマン温泉かヨーチン晩成温泉の予定が浦幌まで来てしまったので致し方ありません(苦笑)。
さらば、うらほろ留真温泉!また来ることはないと思います(笑)。
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