旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

上野公園

上野・西郷どんの犬

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いろいろと騒がしい日々となってしまいましたが、上野公園の花見も花見宴会が自粛となってしまい例年とは様子が異なっています。”見るだけ歩くだけ”となってしまっても青空に映える満開の桜は良いものです。
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何回となく記事項としてきた上野公園の西郷隆盛と薩摩犬ツンの”犬を連れての兎狩りの像”ですが、仁科邦夫氏の”犬たちの明治維新・ポチの誕生”に面白い話が書かれていました。他の資料と総合すると西郷像は西南戦争のほとぼりも冷めた明治31年(1898)に完成しています。人(西郷)は高村光雲、(犬・ツン)は後藤貞行と皇居前の楠木正成&馬と同制作者によります。国家反逆者の西郷像については色々とあったようですが、本来の構想は鹿児島と同様に軍服姿だったのが途中から「丸腰姿」の変わったようです。以前から見慣れた銅像ですが遠近法(?)による西郷の体と頭のバランスに違和感は感じていましたが…。
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実際の西郷の身長は当時としては大巨人の約180㎝でこの像の身長は約370㎝と倍の高さとなっています。これに対し薩摩犬・ツンは原寸なのです。超が付くほどの写実主義者の後藤貞行は『犬の大きさ倍にしてくれ』との依頼を断り原寸にこだわったようです。像は足元から見上げるを前提で造られており、少し離れた場所からみると犬の大きさとのバランスが悪く感じるのはこんな理由です。製作には息子の菊次郎、弟の従道、従弟の大山巌や西郷戦死を見届けた河野主一郎氏が監修しているのでリアルな像となっているようです。
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東京国立博物館で…。

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東京国立博物館で開催中の『日本書記成立1300年 出雲と大和』なる特別展にいってきました。出雲と大和を並べたタイトルからして一般狙いなのでしょうが重要文化財がゴロゴロの特別展です。「出雲コーナー」は出雲大社の発掘された「心御柱」や高さ48mの古代出雲大社の模型から始るのですが、いずれも現地の出雲大社博物館で見ていますが「大和コーナー」に入ると”これは これは”の連続となります。残念ですがこの館内照明照度では解説の文字や仏像の細部が見えにくいのです。という事で「図録」を購入(厚さ2.5㎝・¥2500)となるのですが、逆説的にはこれがあれば人混みをかき分苦労して展示を見なくても内容がわかってしまう…。という感じになります。以前は博物館内での販売でしたが、今は博物館外のショップでも売られています。1)館外ショップで図録(¥2500)を購入 2)内容をみて入館(¥1600)の是非を考えるの順の方が良いのかも知れません(笑)。
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東京国立博物館・特別公開

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令和の即位に伴う儀式で10月22日の新天皇が即位を公に表す「即位礼正殿の儀」で使われた「高御座と御帳台」が上野の「東京国立博物館」で特別公開されることとなりました。同じ国立でも昨日は「競技場」今日は「博物館」と忙しい日が続きます。当日、開館の40分前には博物館入口には寒空に約200名(?)のが並んでいました。特別公開は高御座関連の見学のみは無料でその旨のタグが支給されます。展示期間は12月22日から1月19日(休館日あり)まで。博物館本館の2部屋を使い1部屋には「高御座と御帳台」が展示され1部屋には装束やお道具の数々が展示されています。
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「即位礼正殿の儀」はTV放映され記憶にもありますが「高御座と御帳台」が目の前で見られるとは…。展示室への入場人数の制限はあるようですが、人の頭越しでも見ることはできました。例によっての「スマホ撮影隊渋滞」は著しく操作に不慣れで渋滞に拍車がかかるようです。ガラス越しの撮影は映り込みに苦労しますが充分な光量はあるのでフラッシュ機能は止めましょう。無料配布されるパンフレットが珍しいほどの出来で是非ともの入手をお勧めます。
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お狸様大暴れ…【令和】

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上野恩賜公園内に徳川家康・吉宗・慶喜公を祀る上野東照宮は、平成26年に4年に渡る改修工事も完了し重要文化財としての煌びやかな姿を見せています。この地は江戸初期藤堂高虎の屋敷で、東照宮は危篤の家康公の遺言により元和2年(1616)に藤堂高虎が創建したものです。社殿に向かう回廊に唐突として『栄誉大権現』が祀られています。この神様は「お狸様」「夢見狸」と呼ばれ、江戸時代にはるばる四国からやってきた四国八百八狸の総帥で江戸城で大暴れして追放され、その後も安置された大名、旗本諸家を次々と潰した大悪狸なのです。Pt↓)がご神体の大狸さまです。
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明治以降は鳥越神社に鎮座するものの災いは続きいたようで、大正年間にこの地に落ち着くと一転して「ありがたいお狸様」に。「他を抜く」という縁起から強運開祖や受験の神様として信仰されたようです。柳森神社の福寿狸大神として崇められ、こちらのお狸様は四国からいらっしゃった(蜂須賀家?)たのに何が気に障ったのか江戸の街で大暴れして追放の憂き目とは扱いがあまりにも違います。この場所に鎮座したのは大正年間とのことですが、賽銭箱や屋根の部分には葵の御紋が付けられるなど徳川家の守護神として認められたようです。そうなればお狸さまも悪い気はしないでしょう。
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国立科学博物館で…。

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上野・東京都美術館での『奇想の系譜展』に続いて国立科学博物館で開催中(31.3/.3迄)の『明治150史周年記念・日本を変えた千の技術博』へ行ってきました。「特別展」と云う事で¥1600/大人で通常展示も見られるのですが、正直この¥1600/大人は「国立」の展覧会としては納得金額なのかは微妙なところです。医療や工業技術など明治年代からの技術には興味深い内容が多々展示されています。展示スペースが限られているのは判りますが解説ラジオ(¥550)を併用しないと解説パネルだけでは理解が難しいと思われます。これだけ各分野に渡る展示が一堂に集められると会場限定販売の「図録・¥2160」を購入すれば完璧ですが、この図録があればわざわざ照明が暗く見学者で混雑する会場を見なくても良いのではないかと思ってしまいます(苦笑)。
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東京都美術館で…。

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上野公園の東京都美術館で(31.4.7迄)開催中の『奇想の系譜展・江戸絵画ミラクルワールド』に行ってまいりました。このところ”是非見たい”と思っている作品展は見逃すということが多く、今回は早い時期にという感じです。この作品展は1970年代に刊行された辻惟雄氏の「奇想の系譜」で紹介されている伊藤若冲、歌川国芳、岩佐又兵衛、狩野山雪、曽我蕭白、長沢芦雪、白隠慧鶴、鈴木其一らの重要文化財を含む作品が展示されています。いずれ劣らず個性的な作品で、西洋絵画にはない想像力や表現は感動もので、作品展自体も大混雑ではないにしても大層な人気のようです。
Pt↓)は会場内限定販売の分厚い図録です。作品の細部までが収録され”買って良かった”の内容です。
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池之端・五条天神と花園稲荷社

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上野・池之端の『五条天神』です。修学旅行なのでしょうか?子供達の姿が見えます。天神社=菅原道真=学問の神様で参拝なのでしょうが、五条天神の場合は少しばかり異なります。天神社縁起によると【日本武尊の東征の際、この地で医・薬祖神の大己貴命と少彦名命を祀った】とあります。いずれも出雲の神々ですが、大己貴命とは大国主命の事で少彦貴名命(背が極端に低い神様で”一寸法師のモデルで温泉療法や百薬の長の酒をもたらした神)と協力して国造りに携わったといわれます。大己貴命(大国主命)が「因幡の白兎」で重篤の兎の治療をした謂れから両神が医・薬祖神となっています。菅原道真が合祀されたのは寛永18年と約350年前にすぎません。因みにご五条天神は東京の古社にはありがちな遷座を繰り返し、この地に遷座したのは昭和3年の事です。
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東京にも数か所、伏見稲荷の鳥居を思わせる稲荷社があります。赤坂日枝神社の稲荷社、根津神社の乙女稲荷神社。ここ花園稲荷も人気のようです。本殿脇に鉄格子で閉ざされた社があります。立入り禁止ではなく”ちゃんと閉めましょう”と書いてあるのですが、外国人には読めないでしょうね(笑)。この社が「お穴様」で、むかし上野の山に住んでた「弥佐衛門なる狐」が【寛永寺ができると住む所がなくなって困る】と天海僧正に直訴して立退きの条件(?)として祀ってもらったという伝承があります。彰義隊上野戦争時には”穴稲荷門の戦”として大激戦の地となったそうですが‥。上野戦争は一方的な殲滅戦なので”激戦地”と言われても?です。また呼称の変遷が多い稲荷神社で「忍岡稲荷」や「お穴様/穴稲荷」と呼ばれ、明治の再興時に「花園稲荷」と改名したとの流れのようです。
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旧寛永寺五重の搭

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上野動物園の敷地内の重要文化財の『旧寛永寺五重の搭』です。残念ながら動物園内なので見るには動物園の入場料を支払わなければなりません。もともとは上野東照宮に付随して寛永8年(1631)に造られていますが火災により焼失、寛永16年(1639)に再建されています。高さは36.4mあり明治年間の神仏分離令により東照宮から寛永寺に管理が移り、1911年に重要文化財に指定され現在は東京都の管理となっています。法隆寺の五重塔とは異なり1階の屋根から最上階の屋根の面積が同じ(法隆寺は上層階に従って屋根の面積が縮小)となっています。見ようによってはバランス悪く感じられます。これ以上搭にはは近寄れないので残念ですが龍の彫刻や極彩色の十二支は良く見えません。
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国立科学博物館・零戦

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上野国立科学博物館地球館2階にかなり以前から展示されている零戦(レイセン)21型改です。1972年ニューブリテン島沖の海中で発見された機体で、『改』とは通常の機体を複座(2人乗)に改造しています。ラバウル基地で中島製零戦に複数の機体を組み合わせて偵察用として使用されたようです。零戦には500機程度生産された複座の練習機がありますが、現場での必要性から造られた機体です。
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国立科学博物館内は原則写真撮影OKですが、この機体は宙吊りになっていて通常の姿では見えない部分も見え、エンジンのカウリングが外してあるで「栄エンジン」の構造が良くわかります。Pt↓)は福岡県大刀洗平和記念館の「零戦32型」です。旧陸軍飛行場跡に海軍機の展示は妙ですが貴重な32型の機体です。つぎは2012年に里帰りした時の「栄エンジン」登載の飛行可能な52型です。エンジンがすでにポンコツで展示とエンジン音デモだけでした。さらに、8月1ヶ月限定オープンの山梨県の某博物館の21型です。灰白色に塗装された零戦は美しい姿をしています。
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上野公園・五条天神社

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上野公園不忍池に隣接した『五条天神社』です。摂社の「花園稲荷」の鳥居や赤の幟の方が目立っていて外国人には人気のようです。五条天神社は日本武尊が東征の折に「大己貴命」と「少彦名命」をこの地に祀ったのが創建とされ「菅原道真」は江戸時代に合祀されたようです。「大己貴命」と「少彦名命」は医薬祖神様とあり、相殿には学問の神様が祀られていることから、医薬系志望の受験生に人気が高い神社だそうです。天神社は時代の変遷や寛永寺の拡張により何度かの移転をしていますが、江戸元禄年間には現在のアメ横の線路沿い、ヨドバシカメラに隣接して「旧社地跡」を示す碑があります。天神社は正月の1日、2日、3日と初天神の25日の「鷽替え神事」でも有名ですが、今年は3年に1度の例大祭「大神輿の渡御」が5月25日に行われます。その旨を告知する幟が氏子内の上野公園から上野広小路一帯に掲げられています。
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亀井堂と始祖鳥せんべい

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2017年6月11日までの期間上野・国立科学博物館で開催中の『大英自然史博物館展』へ行ってきました。連日の大混雑との報道ですが、GW明けのこの時期は適度な混雑状況でした。ロンドンの大英自然史博物館所蔵の”厳選された至宝”を一挙公開!というのがウリとなっているようで、大人¥1600(常設展込)はこんなもんでしょう。展示内容は華やかさこそありませんが、ジワジワと「これすげぇ」感が湧いてきます。笑わせてくれるのがショップで売られている品々です。化粧缶入りのクッキーやドロップ、あの「亀井堂」とコラボした始祖鳥がデザインされた”せんべい”には感心させられます(Ptで見る限り売れています)。
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それはともかく、大英自然史博物館展初の国外巡回展だそうで、進化の歴史や自然史では超有名な品目が含まれています。展示内容はガキや中坊にはレベルが高く、幼児には到底理解不能なものばかりです。Pt↓)は、鳥類と恐竜のの中間的な「始祖鳥」のタイプ標本(基準となる標本)、世界に10数点しかないものでロンドン標本は日本初公開でしょう。「旅行鳩」は、北アメリカに生息し20世紀初めにアメリカ人が乱獲しつくした鳥。1930年代に絶滅したと思われる「タスマニアタイガー」辺りはとっつき易いでしょう。
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祝・国立西洋美術館

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2016年7月17日に上野の「国立西洋美術館の本館」が、ユネスコの世界遺産にタナボタ登録されました。元々西洋美術館の作品群は、現川崎重工業の松方幸次郎氏が20.世紀初めにフランスで収集したコレクション(松方コレクション)を基としています。第2次世界大戦終了後、フランス政府は松方コレクションを敵国資産として没収してしまいます。1951年、サンフランシスコ講和会議の際に吉田茂首相らの交渉によりコレクションのうちフランスが返還に応じなかったゴーギャンやゴッホなど数点を除き、絵画、素描、版画、彫刻、書籍など370作品が『美術館を建設して展示する』という条件付きで返還(フランス側は「寄贈」と主張)されました。1954年建物の設計を20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエに依頼することとなり、1955年(昭和30)11月には巨匠本人が最初で最後の来日として、建設予定地や京都、奈良を8日間視察して帰国。後に届けられた基本設計案、実施設計案をもとに弟子にあたる日本人の実施設計により建てられたいます。なんか釈然としませんが、ここは「世界遺産登録おめでとう」と言っておきます。
ロダン作『地獄の門』は世界で7ヶ所で展示されています。作品の一部が『考える人』となっています。
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国立博物館・鳥獣戯画展…(Ⅰ)

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前回の開催が何年前だったのか忘れましたが…。東京国立博物館では『鳥獣戯画展』が現在開催されています。今回はサブタイトルに「京都高山寺の至宝」と銘打って展示内容がスケールアップされています。このスケールアップが”曲者”でした(苦笑)。6/17(日)までの開催ですが、5/17(日)以降で展示内容の変更があるようです。そんな訳で”4時間もあれば観られるだろう”とタカをくくって出かけたのですが…。
AM10:00頃に平成館の列の最後尾に並びました。案内係りの待ち時間表記が2段書きとなっていて、上段が平成館に入るまでの待ち時間(1)で下段が鳥獣戯画展示室に入るまでの待ち時間(2)を表します。兎やら蛙やらの戯画にたどり着くまでに(1)+(2)の待ち時間(約130分)という事です。展示室に入っても人越しにチラッと見えるだけで、更には(国宝なので致し方ないのですが)照明がやや暗く細部が判りにくくなっています。残念ながらここで時間切れとなり解説本(¥2700)↓を購入して帰りとなりました。悔しいことには、この本は博物館外の売店でも販売していました。
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現存する戯画のすべてが展示されるのが今回の”ウリ”っです。国立博物館や個人収集家の所有の『断筒』…コマギレ…までが展示してあり、これはこれで貴重です。¥2700で購入した鳥獣戯画や高山寺の収蔵品の解説本は充実した内容となっています。
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桜・国立博物館庭園

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上野国立博物館では3月17日(火)~4月19日(日) 10:00~16:00の日程で「博物館でお花見を」と題して、博物館の本館北側に広がる庭園の”春の庭園解放”されています。入館料は通常展と同じ金額(大人¥630)が必要ですが、このお庭は元々寛永寺の根本中堂の庭だったと思われ、池を廻ってお茶室が配され数種類の桜花(説明によるとソメイヨシノ・オオシマザクラ・ショウフクジザクラ・枝垂れのエドヒガンザクラ・、緑がかったギョイコウザクラなど10数種)が咲いています。上野公園となると広小路側の桜通路=花見のメッカが有名ですが、今年は忌々しい中国人・韓国人が大挙して押し寄せています。連中はだいたいが入場料の必要な場所には近寄りませんから、この博物館北庭は穴場と云えると思います。 (Pt↑。これでは”何処”と特定できませんが、間違いなく北庭で撮影しています)
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上野・黒田記念館

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Pt↑)は黒田清輝筆の『湖畔』です。実物です。フラッシュ無しなら撮影可でした。隠し撮りではありません(笑)。2015年1月2日に上野・黒田記念館がリニューアル・オープンオープンしました。今までは、週のうちの特定日の限定公開だったのですが、今回のリニューアルで、以降は東京国立博物館と同様週6日(原則)の公開となりました。また嬉しい事に、現在は彼の代表作が「特別展」として新年・春・で各2週間、無料公開されます。因みに今春の公開は4/5(日)までとなっています。↑の『湖畔』は明治30年(1897)の作品で重要文化財です。
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続いては、『智・感・情』の三部作。明治32年(1899)の作品です。他の特別展としては『舞子』・明治26年(1893)・重要文化財や明治24年(1891)の作品『読書』が展示してあります。驚いてしまうのは、これだけのビック・ネーム作品が柵もアクリル板も無しで目の前にデンと展示したあります。思わず「いいんかぃ?」と呟いてしまいました。
日本近代洋画の父・黒田清輝は、亡くなる際、自身の遺産を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。その遺言により昭和3年(1928)年に竣工したのが「黒田記念館」です。記念館の設計者は、当時の東京美術学校教授の岡田信一郎氏(1883-1932)、前歌舞伎座・ 明治生命館・関東大震災後のニコライ堂再建など数々の作品群で知られています。この建物は、中世ヨーロッパの 貴族の館をイメージしたと云われています。
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寛永寺根本中堂

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歴史は時としてに"イタズラ"を仕掛けます。埼玉県川越市の喜多院には「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」が今も残っています。寛永15年の川越大火で喜多院が全焼してしまい、将軍家光は江戸城紅葉山の御殿の一部を移築するように命じ、資材を運ぶ為の河川の整備までがなされます。後年江戸城が全焼となり、結果として川越の街に江戸城の遺構が残る事になりました。後年、歴史はさらに”イタズラ”を仕掛けます。Pt↑)は上野寛永寺の根本中堂ですが、旧寛永寺は彰義隊戦争でほとんどが焼失してしまいます。この建物は明治12年に川越喜多院の本地堂を移築したものです。この根本中堂は本来の寛永寺の建物ではなく場所も異りますが、入口の”額”は、旧寛永寺の額を使っているようです。
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根本中堂裏手です。右側の建物内の書院に徳川慶喜が蟄居していた”葵の間(蟄居の間)”が保存されています。鳥羽伏見戦に敗れ、軍を見捨てて江戸へ逃げ帰り、この地で2ヵ月ほど蟄居、慶応4年4月21日に江戸を離れて水戸へ向かいます。彰義隊戦争はこの後で勃発します。多くの作家達が”徳川慶喜”に付いて書いていますが、この方ほど理解しにくい方はおりません。根っからの”お殿様”には間違いないようです。
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Pt↓)記憶違いでなければ竹林の奥が”葵の間”です。Pt↓中)徳川霊廟勅額門です。この奥に5代綱吉公(常憲院殿)・8代吉宗公(有徳院殿)・13代家定公(温恭院殿)・天璋院殿(13代正室)の墓所があります。TVの影響なのでしょうか、天璋院の説明板はキッチリしています。今年も寛永寺では、日付限定で「徳川歴代将軍霊廟の特別参拝」がおこなわれています。
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博物館動物園駅

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Pt↑)は上野公園の『博物館動物園駅舎』です。昭和8年の京成本線の開通に合わせ、当時の帝國博物館、科学博物館、東京音楽学校、東京美術学校、上野動物園の最寄駅=とは云っても京成線沿線ですが=として開業しています。時代を経て乗降客の数が減少し、駅舎も老巧化したため平成16年に廃止となりました。薄っすらと記憶がありますが、駅全体が薄暗くホームの長さも寸足らと、とても長い編成の電車が停車できる駅ではありませんでした。反面、現在の機能性重視の駅舎とことなり、当時ならでは意匠がこらされた駅舎でした。今も駅のホームなどは壊されていないハズなのですが、地上部分の駅舎は少しは手を入れて欲しいものです。
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Pt中)は旧正門を表側からみています。昔の写真を見ると門左右のレンガ建ての部分(切符売場?)の上の傘状の建造物が乗っかっていました。  表門前の郵便ポストは動物園ならではの”パンダ”をイメージした塗り分けになっいます。郵便局員が集配にきており、ポストとしてチャント機能しております。
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上野動物園の大物達

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上野動物園は=正式には東京都恩賜上野動物園=都立の動物園で公益財団法人東京動物園協会が管理運営しています。1882年の開園で日本で最も古い動物園で、西園と東園を結ぶモノレール(90秒/¥150/大人片道)も日本で一番古い設備となるようです。 Pt↑)の門は旧正門として使われていた門で、パンダ舎を右に進んだ方向にあります。上野動物園の表門は何度か改装され、この門は明治45年~昭和08年まで使われた2代目の門のようです。
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こちらが現在の表門です。正門ではなく”表門”と呼称するところが面白いです。昔も今も子供連れで賑わっています。旧正門とは200mほど離れているので門自体を移築したより、この位置に門を造り直したと思う方が自然かもしれません。上野動物園は大人が出かけても意外と楽しめます。五重の塔がどうのとか、藤堂孝虎がどうのとか云ってるよりだらけきった動物を見ている方がほのぼのします(笑)。

有名な話ですが…。左のパンダ(だらけた寝方です)・中のオカピ・右のこびとカバの世界珍獣会の巨頭が同じ動物園に所属しているのは日本ではここ上野動物園だけです(!)。いずれ劣らぬ希少価値の絶滅危惧種です。
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上野の山の不思議な関係

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上野動物園入口付近に小松宮親王=正式名を小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)=の騎馬像があります。小松宮は戊辰戦争(1868年)での上野戦争や会津戦争・佐賀の乱(1874年)・西南戦争(1876年)等の内乱鎮圧に正規軍の象徴として従軍した皇族です。彰義隊戦争ではこの像の付近にあった寒松院が彰義隊の本陣だったようなのでこの場所が選ばれたのでしょうか?この戦争で彰義隊側は北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう)が指揮を執ったとされています。形だけの指揮官として祭り上げられたのでしょうが、二人の宮様は実の兄弟なのです。つまりは上野戦争は宮様兄弟による戦争だったのです。皮肉と言えばこれ以上の皮肉はありません。
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上野戦争は蟄居恭順した徳川慶喜を警護するという大義名分で結成された「彰義隊」を、大村益次郎指揮の西軍が攻撃した戦争です。戦い自体は1日で終了し、彰義隊戦死者は埋葬もされず放置されたままでした。紆余曲折の後、この場所に墓所が造られたのですが、なんと前方50mに憎っくき薩摩の西郷隆盛が丸腰状態で犬1匹連れて背中を向けています。恨みを晴らすにはこれ以上のチャンスはありません。
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これが考えられた配置だったら恐れ入ってしまいます。一時は国家への反逆者となった西郷ですから軍服なのの正装という訳にはいかなかったのでしょうが、背中から「てめぇ、西郷!」と睨みつけられ、更にその後ろから「彰義隊も西郷もいい加減にしろ!」と小松宮が睨んでいるのですから、たまったモンではありません。実際はこの三者は一直線上にはないのですが、これすらワザとなのかも知れません。

上野公園の銅像…(Ⅲ)

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戊辰戦争時、西軍による旧幕府軍・彰義隊への包囲殲滅戦(上野戦争)により寛永寺伽藍一帯は焼野原となってしまいました。1870年、医学校と病院を建設する際この辺りも候補地とされたのですが、上野の山を視察したオランダ医である「ボードウィン博士」により”上野の自然が失われることを危惧して、一帯を公園として残すように”政府に提言がされました。『上野恩公園』として1873年に指定されたことで「ボードウィン博士」は上野公園の生みの親として業績を顕彰する銅像が造られました。 笑ってしまうのが…以前はPt↑の中央の【アゴ髭&ハゲ頭】がボードワン博士像として堂々とあったのですが…。いつの間にやらPt↑左&右の若々しい銅像に変わっています。2006年10月に造り直されたのですが、なんとヒゲ&ハゲの像は博士ではなく博士の弟だったのです。像を造る時に渡された写真が間違っていたそうなんですが…。そんなの”あり”ですかねぇ(笑)。
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佐久間大膳亮勝之が寄進した石造の灯籠で「寛永年辛未孟冬十七日」の刻字があります。燈籠は高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。「お化け燈籠」と呼ばれ京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに”日本三大燈籠”に数えられるそうです。案内板の”OBAKE-DORO”がいいですねっ。
Pt右) 上野動物園入口に設置されたパンダ・ペイントの郵便ポストです。

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