旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

神奈川県

横浜・関内エリア三塔めぐり

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横浜・関内エリアの歴史的建造物をめぐる『横浜三塔めぐり』…これも三大とか七大とかの語呂合わせなんでしょうか(?) Pt↑)が「ジャックの塔」こと”横浜市開港記念館”す。1917年に横浜開港50周年記念事業として”開港記念横浜会館”として開館した建物です。1989年に関東大震災などで失われていたドーム屋根が復元され国の重要文化材に指定されています。時計塔の高さは約36mあります。
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「ジャックの塔」から徒歩3分ほどで、1928年に完成した「キングの塔」こと神奈川県庁舎です。1996年には登録有形文化財/建造物に登録されていますが、現役使用中ですので妥当な所でしょう。塔の高さは49mだそうです。 日本大通りに面したどっしりとした昭和初期に流行した帝冠様式建物で、まさに”キング”の風格があります。現役の庁舎なので土・日・祭はご覧のように入口は閉じられています。
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「キングの塔」から徒歩5分。緑色の帽子(ドーム)の「クィーンの塔」こと横浜税関です。関東大震災後の帝都復興事業に一環として1934年に完成しています。塔の高さは51mと意外と高く、こちらも2001年横浜市指定歴史的建造物に指定されています。税関資料展示室(クィーンひろば)が併設され不法密輸品等の資料展示室があります。この展示室けっこう楽しめます。
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クイーン(51m)、キング(49m)、ジャック(36m)の三塔が同時に見られる場所を探すのは大変で、そんなことから県庁分庁舎前・赤レンガパーク・大桟橋国際客船ターミナルの3つのスポットをめぐると”願いがかなう”とか象の鼻パークの三塔スポットは”恋愛祈願のスポット”とされるようです。 こんな馬鹿げた事を言い出したのは誰なんでしょうか(苦笑)。 Pt↓)は大桟橋テラスからド逆光を無理やり撮っています。
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鶴見・總持寺…(2)

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この「總持寺」は1911年に石川県輪島からこの地に移転して来ています。という事で、大祖堂、三門などの第二次大戦後に建立された鉄筋コンクリート造りと、大正から昭和時代前期にかけての木造建築が混在、このうち仏殿などの建築物の16件が有形文化財登録となっています。
Pt↑は、1965年に竣工した「大祖堂」です。Pt↓の「仏殿」の右側に位置し高さ36mだそうです。こちらには開祖・太祖瑩山禅師、高祖・道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめ歴代の禅師が祀られています。「三門」を経て「總持寺石柱」からここまで、たいそうな距離があります。
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下左)右の建物は、研修道場や各種セレモニーの会場として使用される「三松閣」です。
下中)総受付や売店のある「香積台」です。こちらには高さ約180㎝の木彫りの「大黒尊天」が祀られています。
下右)こちらが大正4年の竣工の「仏殿」です。「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」とも呼ばれ、「本尊釈迦如来像」が安置されています。140625_06140625_04140625_05


鶴見・總持寺…(1)

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横浜市鶴見区の鶴見が丘に曹同宗大本山の總持寺(そうじじ)があります。山号は諸嶽山(しょがくさん)。ご本尊は釈迦如来ですが、ご本尊の釈迦如来を安置する「仏殿」より、歴代の祖師を祀る「大祖堂」の方が規模が大きいのが特色とあります。明治44年に石川県能登よりこの地に移転、以来、諸堂を整備し、約10坪の広大な境内にさまざまな堂宇を建立されています。境内には鶴見大学などもあり兎にも角にも圧倒的な規模のお寺です。(Pt↑)は昭和44に落成した「三門」です。鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさなんだそうです。 確かにデカイです(!)。
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JR鶴見駅西口から横浜方面に徒歩10分弱で(Pt↓左)が「總持寺」の入口です。ここは入口で「仏殿」は遥か先です。緑豊かな参道を進むと「大本山總持寺」の石柱(Pt↓中)があります。参道左右は鶴見大学です。(Pt↓右)の門は「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた總持寺の総門です。
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川崎大師・平間寺

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神奈川県川崎市の【平間寺】は真言宗智山派のお寺で、山号は「金剛山」、院号は「金乗院」なのですが…。通称で【川崎大師】の方が一般的かと思います。正月の初詣参拝者数では上位に数えられいます。正月の大混雑がないと別のお寺ではないかと思える程ですが、これはこれで良い感じです。
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140611_02140611_03京浜急行大師線川崎大師駅から徒歩10分位です。表参道、仲見世を経て「大山門」に至るのですが、時間帯なのか人通りが少なく、見物たんきり飴の実演販売もやっておりませんでした。仲見世通りは実質200m弱と思われますが、”たんきり飴”と”だるま屋”の多いこと(!)流石に名物です。
右が「大山門」です。開創850年記念事業で昭和52年(1977)11月の完成だそうです。一見仁王像安置に見えるのですが、東の持国天・南の増長天・西の広目天・北の多聞天からなる四天王の像となっています。柵と網で見にくいのですが迫力満点の像が安置されています。
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140611_09140611_04大山門過ぎると正面に大本堂がデ~ンとあります。川崎大師・初詣の映像はこの大本堂、大混雑の模様が使われます。ご本尊は弘法大師像で、創建は1128年(大治3年)とあるので鎌倉幕府以前です。1813年/文化10年にときの将軍・徳川家斉が厄除けに訪れたことから「厄除け大師」と広まったようです。京急川崎駅からの大師線は1899年に開業、京浜急行のルーツとさています。元々川崎大師への参詣客の輸送を目的に建設されたのですが、参拝客の増加による予想外の収益と大ヒットとなり、各地の私鉄会社へ影響を与える事なったと云われています。本当なんでしょうかねぇ?
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記念艦「三笠」…(4)

mikasa_7mikasa_8 時代をへて船(戦艦)としての役割は終っていますが、明治35年のイギリス生まれ、旧日本海軍・連合艦隊の旗艦として日本海海戦で大活躍した栄光の戦艦には違いありません。1992年には『世界船舶基金財団の海自遺産賞』なるもの(知りませんが‥)まで受賞していいるようです。5月27日(金)には記念艦「三笠」復元50周年記念式典が行われます。行かれた事のない方は是非この機会に‥。
「狭い」だの「小さい」だのと書いてきましたが、旧式の戦艦であっても実際にデッキに立ってみると、その姿はとても美しいと思います。まさに”戦うための機能美”そのものです。
石川県加賀市の「日本元気劇場」なるところでは、原寸大の戦艦三笠を再現しているそうです。TVドラマの「坂の上の雲」の撮影に使用される三笠はそちらです。
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右の写真:JR横須賀駅前の海上自衛隊基地に数隻が停泊していました。
左: 3508=練習艦「かしま」 4050t 143m  中: 3516=練習艦「あさぎり」 3500t 137m
右: 124 =護衛艦「みねゆき」 2950t 130m  因みに「三笠」は 15140t 131mです
何時の頃からか旧海軍と同様に「愛称」が付いて、さらに艦の識別№があるので判りやすくなっています。
‥護衛艦「ひゅうが」・「いせ」や輸送艦「おおすみ」・「しもきた」はどう見ても”航空母艦”にしか見えませんね‥

記念艦「三笠」…(3)

mikasa_5mikasa_6写真左、戦艦三笠の主砲です。どう見てもレプリカなのですが‥。
40口径30.5センチ連装砲で艦前方と後方に各1基計4門あります。三笠は元々はイギリス製で1900年に完成していますが、この時代では大口径の主砲だったのでしょう。旧海軍では長門型40センチ、大和型46センチと大口径になっていくので、どうしても貧弱な感が否めません。艦の側面には40口径15.2センチ単装砲が両舷で14門、40口径7.6センチ単装砲が両舷で20門あります。魚雷発射管4門はコンクリートの下のようです。この時代ではまだ対空兵装はないようですね。主砲の後部が艦橋、ガラスの部分が操舵室。更にその上が司令塔(写真右:人がいる場所)です。例の有名な絵はここでの情景で、司令官、館長、参謀などあれだけの人数がここで指揮をして場所です。実際に立って見るとかなり”狭い”です。
時代が時代なのですが、どうしても装備も兵装も貧弱な印象を受けます。さらに艦全体が再塗装されていて映画のセットの様な感も”やや”ありますが、やはり”鉄”と”歴史”の持つ重みは重厚です。

記念艦「三笠」…(2)

mikasa_4mikasa_3記念艦「三笠」へは京浜急行横須賀中央駅下で車徒歩15分くらいです(JR横須賀駅ではかなり遠くなります)。艦右手の建物で入館券を購入します(無人島”猿島”方面フェリーはこの裏から発着します)。
戦艦三笠は日露戦争後1905年に佐世保港で乗員の不注意により爆沈しています。1908年に現役に復帰、第一次大戦に参戦したのち廃船となっています。その後の保存運動により横須賀に保存され、戦後(財)三笠保存会が発足、記念艦として展示されています。記念艦三笠の船底や下甲板はコンクリートで固定され、実際に見学できるのは上甲板と中甲板までです。後部階段から上甲板に上がり順路に従い進みますが、”戦艦”ですからラッタル(階段)が狭いのと急角度なので充分に注意が必要です(!)中甲板は資料室(写真右)に改装され、ここには日清・日露戦争時の海戦の模様が展示されています。写真左の後部地区の士官室区画辺りの丁寧に復刻された地区を除けば「戦艦の艦内」という印象には乏しいようです。。展示品の中で興味を引いたのは”日本海海戦時のT字戦法・東郷ターン”のジオラマで、実際(?)の艦隊の動きが展示してありました。‥このT字戦法(東郷ターン)は小説で読むと解り難いのですが、目で見ると「なるほど」と思います‥
三笠の乗員は860名とされていますが、それにしても艦内は”小さくて狭い”という印象です。

記念艦「三笠」…(1)

mikasa_1mikasa_25/27(金)に記念艦「三笠」復元50週年記念式典が行われるそうです。なるほど(!)この5/27-28日は1905年に日本海海戦があった日なのです。この海戦で日本海軍はロシア帝国・バルチック艦隊に対して世界の海戦歴史でもまれな一方的勝利を収めました。この大勝利がその後に日本海軍が迷走していく原因ともなってしまうのですが‥。
今年はTVで司馬遼太郎の「坂の上の雲」が放送されていますが、司馬遼太郎の原作は日本海海戦を日本側からの視点で描がいています。吉村昭の「海の史劇/新潮文庫」ではバルチック艦隊が故国を出発して喜望峰を廻って7ヶ月に及ぶ大航海の末、大敗していく様が克明に描かれています。海戦で負傷し捕虜となった艦隊の司令官ロジェストヴェンスキー提督は戦後の裁判で官位剥奪の判決を受け失意のうちに亡くなり、第3太平洋艦隊のネボガトフ少将は死刑(実刑要塞禁固10年)の判決、旅順要塞陥落のステッセル将軍はシベリアに追放されたなどの史実にも触れています。
さて記念艦「三笠」‥。記憶にある三笠公園はうらぶれていて戦艦三笠などはガタガタだったのですが、いつの間にやら驚くほど綺麗に整備されていました。観覧料一般¥500は充分許せる範囲です。
それにしても排水量15,140t(65,000t)、全長131,7m(263m)、全幅23,2m(38.9m)‥※( )は戦艦大和。
意外なほど小さいのに驚いてしまいます。広島県・呉市の大和ミュージアムの「戦艦大和」は模型ですが、こちらはあくまで本物(!)重量感が違います(笑)
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