旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

群馬県

前橋・總社神社…(2)

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Pt↑)は天保3(1832)造られた拝殿です。入母屋造りで左右の入口扉には十二支の彫刻があり破風や欄間には見事な彫刻が施されなかなかの風格です。上野国の国府近くに造られ、時代ともに周辺環境が変わっても、江戸幕府から約400年、明治からは僅か150年、その遥か以前からこの地に鎮座していた古社なのです。
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拝殿は古社の風格ですが、後方の本殿は極彩色に改修されています。江戸慶長年間に造られた本殿の形式は「三間社流造」。伊勢神宮の神明造りから発展した形式で正面側の屋根の庇が長く伸びています。代表的な例では上賀茂・下鴨神社ですが、なんでも全国的にはこの形式が最も多いのだそうです。そうですかねぇ?
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本殿の屋根の部分です。菊花紋章の使用は上野の国総本社(社紋は三つ鱗)ということで、この「流造」には屋根の強度確保が目的の千木や鰹木のが無いというが特徴です。
三間社流造の三間は間口が三間(柱が3本)あり、2柱神が祀られているという事になります。
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Ptには写りませんが拝殿の彫刻はお見事で、修復なった本殿の彩色も細部まで丁寧になされています。
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本殿の背面には松の絵が描かれています。慶長年間の造営ながら桃山時代の建築様式もみられるようです。
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拝殿横には「太々御神楽」と額を掲げた神楽殿があります。
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流石の古社だけあって総社神社には市の天然記念物の大木が6本あるそうです。確かにデカイです。
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本殿裏手の木製鳥居からの参拝口からは【神社は裏側が面白い】の通り總社神社の本殿裏にも三峯神社や養蚕の神「蚕影大神」や道祖神など多くの摂社が並んでいます。この稲荷社にあった「願掛けきつね」は願をかいて収めるという形式でしょうがきつねの数だけのお願い事とは多いのか少ないのか微妙です。

前橋・總社神社…(1)

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群馬県前橋市元総社町の「総社神社」は「上野國總社神社」とも称します。JR前橋駅から徒歩20分(Taxi ¥630)、総社近辺には「元総社」の地名が多々残っており広大な神域の神社だったようです。総社とは中央からの国司が任地内の神社巡拝を効率化するため国府近くに国内の神を合祀した神社をいいます。
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「上野国々府」の場所は今でも特定されてないようですが、府中大國魂神社と同様に国府と神社は隣接だったのでしょう。交通手段に乏しく現代のハイキングコース的な街道では移動は大変な任務で、ましてや上野国国司拝命なんてのは中央からすれば未開の僻地ということで。生きて帰れそうもない閑職そのものです。
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創建は崇神天皇48年(紀元前50年)豊城入彦命の東征の際「経津主命」を祀った事によります。安閑天皇元年(531年)に上毛野君小熊王による社殿の改築を創建とする説もあるそうです。当時は『蒼海明神』と称し、天平10年(735年)に上野国549の神社を合祀し「総社明神」と称したともされます。まぁ良く判らんという事です(苦笑)。
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現在の祀神は群馬県の重要文化財指定の『上野神名帳』=神々の名簿=を神体として天津神の経津主神(香取神宮・軍神)・磐筒男神・磐筒女神(日本書紀では経津主神の子供)・国津神の宇迦之御魂神(稲荷神)・須佐之男命を祀り、相殿に神名帳記載の上野国内の鎮守十社を祀っています。
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元々の神社は数百mほど離れた宮鍋という地にあったようですが、永享年間に上杉氏のより築かれた蒼海城内に取込まれ、その城も時の流れに消えて神社だけが残ったようです。その
蒼海城跡地図の掲示がありました。現在の神社は城のほんの一角のすぎず実際の蒼海城はかなり大きな城だったようです。
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上野・一之宮貫前神社…(3)

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総門から先「楼門」へは石段を下ります。入母屋造りのこの楼門は重要文化財で平成21年~25年の平成の大修復により朱塗りの美しい姿になっています。貫前神社の社地は平坦な部分が少なく本殿のすぐ後方は崖です。下り宮の社殿配置は良く造ったなとので感があります。そうなると「何故この場所なのか?」との疑問が湧いてきます。
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続いての(?)はご祀神についてです。ご祀神は二柱で「経津主神(ふつぬしかみ)」は日本書紀にのみある神で物部氏の祖神とされています。もう一柱の「姫大神(ひめおおかみ)」は一説には養蚕の綾女庄神とされ元々は主神だったようです。そのせいか本殿の千木が女神の「内削ぎ」になっています。ご祀神の素性が良く判らないのようです(苦笑)。
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創建は安閑天皇の時代に物部氏が氏神の経津主神を祀ったことによります。一大勢力だった物部氏とは判らんでもないですが。江戸時代には徳川家の庇護を受け、国の重要文化財の本殿・拝殿・楼門・回廊は三代将軍家光による造営で、五代将軍綱吉により極彩色の社殿に改築されています。将軍二代に渡っての手厚い庇護とは異例なのではないでしょうか?
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敷地の関係でしょうか。拝殿に対して本殿の向きが「神明造り」ではなく「大社造り」のような外観です。Webによると「貫前造り」という独特な造りで、2階構造の内部の上段に神座が据えられ「雷神小窓」が付けられています。実に見事な極彩色です。埼玉県の国宝・妻沼聖天並みの美しさです。群馬県下仁田近くにこんな神社があるとは…。
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楼門には縁起物のカエルが並んでいます。この「無事かえる」は貫前神社所蔵の重要文化財「白銅月宮鑑」にあるかえる」と戦時中の出征兵士やその家族の参拝者らに「勝ってカエル・勝ちカエル」のお守りとして、高度経済成長期には「無事かえる」と姿を変えてお守りとし授与されています。
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拝殿・本殿に左側に小さめの摂社が鎮座しています。「抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこ)」は、ご祀神の「経津主神」の子供で安閑天皇の時代に元々鎮座の場所から明治38年に現在地に遷座したとありますが、どうなんでしょうか?
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神域には樹齢1000年超えの巨木が多数あります。さすがにコンデジでは難しいのですが、天然記念物だけでもPt↑)で門の左には大銀杏、右のダジイは推定樹齢が1000年超、いずれもの富岡名木10選の天然記念物です。総門裏手には「勝ってかえる、勝かえる」の由来となったタブノキや本殿の裏には樹齢1200年を超える藤太杉と呼ばれる大杉があります。Pt↑)の広場は12年毎に行われる式年遷宮時の「仮殿敷地」です。
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「総門」の位置からは「楼門」が見えるものの拝殿・本殿は見えません。
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「楼門」から「総門」を見上げます。登って登って下っての「下り宮」は出雲大社くらいしか知りません。
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「神楽殿」と参拝者休憩所です。勝手ながらこの色合いの方が落ち着く様なきがします。。

上野・一之宮貫前神社…(2)

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「一之宮貫前神社」は鳥居or神門より拝殿・本殿が下方に造られている「下り宮」です。下り宮で知られる宮崎・『宇土神宮』や東京国立市・『谷保天満宮』などは下る一方で、登って更に下る神社は知る限りでは『出雲大社』以来です。上州一宮駅から徒歩15分。旧道沿いの「国幣中社貫前神社」の社標から坂道を300mほど登ります
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坂道を登って終りではなく、さらにこの鳥居まで石段を100段ほど登ります。汗だくで振り返ると上州の山々が…。
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大鳥居を過ぎると同平面の200mほど先にあるのが総門です。両脇にある銅の灯籠は市指定文化財だそうです。これで参拝かと思うととどめの一撃がこの先に待っています(笑)。
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総門を抜けると下方に楼門や拝殿・本殿、社務所などが見えます。つまり社標の旧道から坂道を登る。更に石段を登って大鳥居。200m先に総門、石段を下って楼門です。
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総門左側、12年ごとの式年遷宮の仮殿敷地と末社です。社領内の神社を纏めた長屋のような「二十二社」、「日枝神社」、「伊勢内宮・外宮」があります。なんと「伊勢神宮」が末社です。更には天然記念物の巨木が…。
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石段の下、左側に末社「月読神社」があります。明治時代に近在4社を纏めたとありますが、天照大御神・
月読命・素戔鳴命は兄弟神ながら月読命は記紀にもあまり登場せず実績や性別すら不明な神です。月読命を祀る神社は珍しいといえます。
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坂道を登りきるとこの場所です(笑)。石段上の大鳥居先の総門前に駐車スペースはあります。
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別名「不明門/あかずのもん」の「勅使門」。以前は天皇からの勅使参向時のみ開門されたそうです。
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創建は古くは清和天皇の時代。Ptの社額は明治6年の有栖川宮幟仁親王によるものです。

上野・一之宮貫前神社…(1)

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台東区上野(ウエノ)ではありません。群馬県は上野(コウズケ)です。遥々高崎から初めての上信電鉄で「上野・一之宮貫前(ヌキサキ)神社」へ行ってまいりました。下車駅は「上州一ノ宮」あの世界遺産登録で有名な「富岡」の少しばかり先です。
貫前神社と云っても判らんでしょうが、例の上州かるたにも【ゆかりは古し貫前神社】とある神社です。下車駅の「上州一ノ宮」はご覧ような無人駅、食堂、売店一切なし、コンビニまで徒歩15分です。
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高崎~下仁田間の上信電鉄はJR高崎駅で乗換です。JR改札を出て上信電鉄乗車まで7-8分必要です。1時間に2本程度しかないのでトイレは済ませるなど乗換時間の考慮が必要です。スイカなどは使えません。ラーメンの券売機のようなのが2台並んでいます。
「上州一ノ宮」は所)45分・運賃が910円。世界遺産富岡製糸場は所)39分・810円の上州富岡駅下車で徒歩10分です。
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列車編成は2両のワンマン運行、Pt↓)の全路線はこれだけです。無人駅と有人駅があり上州一ノ宮駅は無人駅なので下車の際は一両目の先頭に移動して乗車券を渡します。下手すると降りそこないます(苦笑)。帰路は一両目先頭で待たないと乗りそこないます。この電車は上下左右に良く揺れます。消化には良いでしょうが寝てられません(笑)。久々のローカル線利用、ラッキーな事に乗継ぎが実に上手くいきました。
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上信電鉄の高崎~下仁田間の路線図。社内広告の地方色も良いもんです。
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上州一ノ宮駅。飲料自販機がポツンとあるだけの無人駅です。北海道ローカルにあるような…。
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JR高崎駅は初めて降りたような気がします。駅舎が大きな分乗換え時間が結構かかります。

館林・茂林寺

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東武伊勢崎線・館林駅の1つ手前の「茂林寺前駅」より徒歩700m(館林駅から約3㎞)に曹洞宗・茂林寺があります。日本昔話に登場する『分福茶釜』で有名と言った方が判りやすいかも知れません。 =多くの人が”ぶんぶくちゃがま”でなく”ぶんぶくちゃまが”と言ってしまうようです= 流石に”狸”で有名なお寺だけあって総門から山門までの参道には約20体の狸の像が建っています。1体毎に造作が異なり戯れ唄などがあって結構楽しめます。その昔、館林在住のペン・フレンド(死語ですね)の女の子とデートしたのが、つつじの季節に茂林寺から花山でした。茂林寺の狸たちも今ほど狸像がカラフルでなく、もっと大きかったような気がするのですが…。
左)山門から総門方向です。狸が動員されてお出迎えといった感じでしょうか。こちらは”分福茶釜伝承”で”狸囃子”の證誠寺は木更津市です。
中)本堂です。昔は狸が飼われていたような記憶があるのですが…曖昧です。
左)茂林寺前駅。狸親子が出迎えです。茂林寺までの道すがら昔話が13枚のパネルが造られています。
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館林・つつじが岡公園

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群馬県は館林市つつじが岡公園へ行ってまいりました。この「つつじが岡公園」は日本でも有数の”躑躅”の名所で、日本一どころか世界一だとのたまう研究者もいらっしゃるようです。歴代の館林城主や市民に保護され、季節には樹齢800年を超える高さ5mのヤマツツジや50品種以上約10,000株のツツジが咲きほこります。昭和9年には国の名勝に指定されています。…「つつじが岡公園」は新旧の園を合わせると5haあります。確かに年々整備されてはいるのですが、遥か以前の方が”花のトンネル”などはもっと迫力があったような記憶があります。 花の盛りが過ぎているので”絵”になる場所探しは大変でした…。 ↓中は館林駅前に設置された温度計です。この時点の気温が24℃。”熱中症に注意ボード”によると、この温度は”注意”の下限にあたります。館林は真夏日は当たりまえ猛暑日の全国最高記録をしてしまう街として今年の夏も賑わしてくれることでしょう。 
右は館林第二資料館で、旧上毛モリスン㈱の事務所の建物が資料館となっています。同資料館付近には文豪・田山花袋の旧居や記念文学館、向井千秋記念子ども科学館なんてのもあります。歴史的、文化的見所が多い街なのですが…。暑いのは勘弁ですね!
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群馬・太田市・冠稲荷神社

f_1f_2妻沼の聖天さまから車で30分程、群馬県は太田市の『冠稲荷神社』です。HPに「日本七大稲荷」の一つとあります、胡散臭さは確かめねばなりません。で、立寄ってきました。=古墳時代六世紀より1500年の間、義経公 冠奉安を始め、祭祀祭礼が行 われてきた宮の森。冠稲荷神社は平安時代の天治2年(1125)新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公創建とされ、伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつといわれています。承安4年(1174)源義経公は奥州下向の折、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠の中に勧請(かんじょう)してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。また、時を経て、新田義貞公は元弘3年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願されたと伝えられています。この故事にちなみ、いつしか冠稲荷大明神と人々から呼ばれるようになりました。=写真は本殿と、本殿に施された「白狐」の彫刻です。妻沼聖天にも劣らない作品です。

f_3f_5「源氏縁の地」・「源義経の鎮祭」・「新田義貞の戦勝を祈願」…というような事もあったのでしょう。それはともかく、思いの外”感じの良い神社”です。結婚式場もあります。幼稚園も併設されています。小さな子供たちが元気に走り回っています。「故郷のお宮様の杜」という感じに満ちています。この感じけっこう好きです。境内社の「実咲社」は実にユニークはきつね達が並んでいます。「子宝きつね」・「縁結びきつね」・「安産きつね」・「子育てきつね」と、様々なお願い事ならなんでもOKの懐の大きい神社さんのようです。

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