旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

山梨県

2022・河口湖自動車博物館…(3)

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自動館に比べて飛行館は大変に潔い建物になっています。たぶん8月はカーレースには向かない時期なので、8月限定での開館となったのでしょう。手前の赤い車両は消防車でボンネットバスは普通に展示のようです。ともあれ、昨年のように”気が付いたら9月”という事もなく2019年以来で訪れる事が出来ました。
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飛行館の入口には入館には見学の注意事項が掲示されています。カメラ、ビデオカメラ等での撮影は禁止で携帯電話やスマホでの撮影はOKとなっています(自動車館も同様です)。最も一人でやってくるオヤジ連中は間違いなく旧軍機オタクなので、鉄オタのような撮影ポジション争い等などの余計なもめ事は少ないでしょう(苦笑)。
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建物前に懐かしいトヨタのクラウンといすゞのベレットが置いてありました。この2台は売り物のようですが、2台とも”書類なし”になっていて購入しても後々が面倒なようです。旧f型クラウンはともかくいすゞは乗用車から撤退しているので部品の確保にも困難が予想されます。それにしても懐かし車両です。
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かと思えば敷地の片隅に「リンカーン・コンチネンタル」が置いてありました。案内板があるので展示車両と思われます。アメ車だけあってガソリンをぶちまけて走行するアホ車です(笑)。見るからに日本の風土には似合いません。
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浜松エアパークにあったブルーインパルス仕様のF86の機体番号は「966」でした。飛行館の程度の悪くなったF86は「960」なので同時期に運用された機体なのでしょうが、面白いことにはエアパークの室内に展示されているブルーインパルス仕様のF86の機体番号も「966」なのです。こんな事に注目する奴もいないでしょうが…(笑)。
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2022・河口湖自動車博物館…(2)

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「河口湖自動車博物館」には旧軍の復元機を展示する「飛行館/¥1500」と「自動車館/¥1000」の二つの施設があり、入館料も別々です。自動車に関しては「動けば良いっ」程度の興味しかなく全くの猫&小判状態です。自動車館の方が博物館らしく、展示車両も質&量ともに大変なものらしいのですが…(苦笑)。玄関屋根には空自のF-104が乗っています。
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自動車の歴史的変遷から始まるのですが、猫&小判状態でも”ホ~ッ”と思う車両が何気に置かれています。オーナーは日本のレーシング・カーの世界では大変有名な方ですが、自動車に限っても良く収集したものだと思います。Pt↑)自動車の歴史は馬車から始まるのだと妙に納得します。
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何年か前の『三丁目の夕日』の映画にダイハツ・ミゼットが登場していましたが、同年代の日本車が3台並んでいます。懐かしさはあっても興味深くはありません(苦笑)。
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MGって車両でしょう。ハリウッド映画では1930年代のギャング映画に出てきそうな車が並んでいます。どれもがマニアなら垂涎なのでしょうが猫&小判にはその価値は判りかねます。
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ある意味で有名なメルセデス・ベンツのガル・ウィングという変則的なドア閉開のするヤツです。今はなき小樽の裕次郎記念館本人使用のこれ見た時は高身長でないと似合わないと思いました。そういえば力道山も乗っていたような…。
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昔、”ロータスのなんちゃら”という若造が高級車で公道でレースを繰り広げる大間抜けな漫画がありました。ロータスやらフェラーリやらランボルギーニやらのスーパーカー・ブームなる現象もあったような…。pt↑)はそのフェラーリが並んでいます。猫猫&小判には形式も愛称も全く知りません。
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名前程度は知っている、ランボルギーニ・カウンタックて云うヤツです。小学高学年を連れた父親が熱心に解説していましたが、子供は興味がない様子です。恐らく飛行館で零戦をみても同じ反応なのでしょう。

2022・河口湖自動車博物館…(1)

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河口湖自動車博物館の「陸軍一式戦闘機 隼」の復元完了の情報は聞いていましたが、なにせ8月限定開館の博物館なので残念ながら昨年は行きそびれました。今年もら20日を過ぎてしまい頑張って出かけてきました。飛行館に入るとすぐに塗装がされていな状態でのキ-43「隼2型」と吊り下げられた状態での「隼1型」が展示があります。
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このキ-43 6750号機は陸軍飛行第77戦隊で使用された2型で、1944年にニューギニアで米軍に捕獲され性能調査が実施された機体とあります。各務原で展示されている三式戦飛燕と同様の無塗装状態は工業製品としての美しさが際立っているような気がします。上方の1型は主脚部分が欠落しているためこのような展示形式のようです。
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子供のころに読んだ書籍では零戦より隼の性能は劣るとの記憶がありました。現代に続く中島飛行機製作所の工業水準は、当時の軍用機製造としてはトップの会社で多くの軍用機を制作しています。1万機以上が造られた零戦にしても、その多くは中島の工場で造られとおり、特徴的な三菱零戦と中島零戦の見分け方はマニアでは有名なお話です。
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空母搭載機の塗装をされた21型の零戦です。レプリカを含め日本には零戦の展示が各地にありますが、大刀洗の32型以外の多くは52型なので国内(世界?)での21型の零戦はこの機体だけでしょう。博物館の案内では【中島飛行機製 零式艦上戦闘機 21型 91518号機 栄エンジン搭載 90%以上のオリジナル材を使用して復元した世界唯一の21型零戦】とあります。
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博物館資料には【中島飛行機製 零式艦上戦闘機 52型 1493号機 】とあります。エンジンカバーが外され、栄31型エンジンが見られるように展示されています。東京の靖国神社遊就館にも河口湖自動車博物館で復元された52型の零戦が展示されています。
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プラモデルの箱絵で親しんだ小松崎茂氏や高荷義之氏の名前が思い出されました。旧日本陸軍はB29を超える大きさで、富士山の別名の「富嶽」の名称の爆撃機を計画していました。富嶽を擁してアメリカ本土を爆撃作戦を構想したのですから、とんでない事を考えたものです。当然資料などはなく、小松崎氏や高荷氏のイラストから「富嶽」の姿を想像したものです。細かいことは判りませんが、なんと「富嶽」の模型が展示されていました。
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最初に博物館で「一式陸攻」を見たのは10年以上前です。当時は機種部分だけが「一式陸攻」と判別できる状態でした。月日は過ぎて風防ガラスや機体内部が復元され、水平尾翼と最後部の銃座までが復活しています。ここまで何年を要したか、この先は何年を要するのか?楽しみです。
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この機体は【三菱製 一式陸上攻撃機 22型 12017号機】とあり現存する世界唯一の展示機だそうです。爆撃機以外にも特攻機「桜花」の母機として運用されるなど、計2400機が製造されています。双発の航空機なのでこのまま復元作業が進んだらこと4建物には収まらないでしょう(笑)。

2019夏・河口湖自動車博物館

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年間で1ヶ月、それも8月だけの限定オープンの博物館が河口湖にあります。「河口湖自動車博物館」には2013年8月以来の訪問となりました。前回は時間の関係で「飛行館」のみでしたが、今回は「自動車館」含め約2時間キッチリと見てきました。それでもマニアの諸兄は”2時間では足りん!”と云う方も多いでしょう(笑)。Pt↑)は「飛行館」ですが「自動車館」もこれはこれで凄くて、1886-2000年代の車がビッシリ展示してあります。一世風靡したフェラーリやらランボルギーニやら…。こちらもマニアには堪らないでしょう。
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8月のみのオープンってのは厄介なもんで、夏休みやらお盆やらで気が付くと8月も終わり「来年こそ!」となりかねません。しかしまぁ少しは涼しいかと思った河口湖周辺は35℃もありました(苦笑)。この博物館には約束事があって、館内の撮影はスマホと携帯電話に限られ、他のカメラ類での撮影は不可なのです。スマホの解像度では細部まで写せないのですが、決まりは決まりという事で…。Pt↑)は零戦の21型の空母搭載用に翼端が折りたためるようになっています。明るいグレー塗装の零戦は珍しく、国内での実機はこれだけだと思います。
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前回と違うのは陸軍一式戦闘機・隼の展示が加わっていました。陸軍の隼と海軍の零戦の揃い踏みはワクワクしてしまいます。目の前で見る実機はペラペラ感が強く、極限まで軽量化された機体は”これで大丈夫なのか?”と思ってしまいます。隼の実機は知覧に映画撮影用の3型の実寸模型があるくらいで、恐らく日本ではここだけでしょう。
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どこにもマニアはいるもんで、全くの初対面の方と長々と話し込んでしまいました。8月1ヶ月しかオープンしていない博物館にわざわざ出かけてくるのですからかなり詳しい方でした(笑)。そうは云っても零戦.32型を見に大刀洗へ、紫電改を見に愛南町へ、飛燕を見に各務原へと出かけた身とすれば他人のことは云えません。Pt↑)は三菱の一式陸攻の爆撃機で現存する唯一の機体だそうです。機体譲上方にはロケット式特攻機「桜花」が展示してありますが、1200㌔超えの機体を吊り下げての飛行は相当の無理があったのでしょう。
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自動車館(別料金)も車マニアにとっては垂涎もの展示ばかりでしょう。お目当の飛行館には零戦21型、52型、キ43隼、一式陸攻で、他には93式中間練習機(赤トンボ)、F86ブルーインパルス塗装、ロッキードT33などなどと、博物館の規模などは各務原に譲りますが、個人でこの規模の展示収集には驚きの連続です。残念ですが旧軍機がお目当てなので自動車館は割愛します(笑)。Pt↑)のパンフレット写真とPt↓)で雰囲気だけでも…。
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甲州市・恵林寺

130829_1130829_2山梨県甲州市塩山の乾徳山・恵林寺は武田信玄、甲斐武田家の菩提寺として知られる臨済宗妙心寺派のお寺です。創建は1330年(元徳3年)とされ、武田信玄の墓所や国の名勝に指定された「庭園」をはじめ数々の重要文化財や県指定の文化財が残されています。町村合併で名称変更になっていますが甲州市より塩山市の方がしっくりくるのですが、とかくこの近辺から甲府、諏訪にかけては何かというと”武田信玄”が登場します。信玄公の隠し湯なんてその代表格で、信玄餅なんてのもそうかも知れません。閑話休題。恵林寺は写真の様に味わいのあるお寺です。特に恵林寺庭園の見事さは京都のお寺にも引けを取りません。左)恵林寺と書かれた石柱のある御門です。ここから右)国重要文化財の『四脚門』まで300mほどの杉の巨木の並木が続きます。

下左)県文化財の『三門』です。…安禅不必須山水 滅却心頭火自涼/あんぜん かならずしも さんすいをもちいず しんとう めっきゃくすれば ひもおのずから すずし…の有名な語句はやせ我慢の極地です。
下中)三つの門を過ぎると正面に『開山堂』があります。夢窓国師、快川和尚、末宗和尚の三像が安置されています。
下右)『乾徳山・恵林寺』です。前庭の石碑は当然のことですが”信玄公遺言”です。
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河口湖飛行館の零戦

130828_4130828_5年間を通してほんの一ヶ月しか開館していない博物館が河口湖にあります。『河口湖自動車博物館』は8月のみオープントいう稀な博物館です。左は自動車館の入口で、なんと玄関の上にかっての空自の主力戦闘機”ロッキードF104/複座なのでF104DJ”がデンと置いてあります。こちらには「自動車館」と「飛行館」があり、各入場料が¥1000となっていました。今回は『零戦』が目的なので自動車館はパス、写真右(屋根にF86が見えます)の飛行館のみです。入口には…携帯電話での写真撮影のみ可、一眼デジカメ、Iパッド等のカメラ関係は持ち込み禁止…との掲示があります。キビシイようですが影禁止よりマシです。中に入ると理由は”なるほど”と思います。10人中マニアが7人他が3人という感じで、浅い知識を声高々にひけらかす航空マニアに溢れています。これで3脚&フラッシュを開放したらとんでもないことになるでしょう。まるで体育館の様な館内には、52型&21型の零戦。93式練習機、復原中の零戦、1式陸攻の胴体、1式戦闘機の尾翼部分などが展示されています(靖国神社の零戦はここの出身です) …館内にもなにげに掲示がありましたが、日本にはキチンとした戦争資料館が存在せず、思い浮かぶのが「靖国神社・遊就館」と「知覧・特攻記念館」くらいとは残念な限りです…太平洋戦争中の日本はすべてが『悪』だとしてきた教育によるのでしょうが、思えば馬鹿げた話です。 *博物館は今年も8月31日を持って休館になるようです

左)52型零戦です。これは中島航空機製でした。カウル下方が外されエンジンが見えます。
中)21型零戦です。真珠湾作戦時の塗装になっています。翼端がたためる艦上戦闘機仕上げです。
左)手前が復原中の零戦の骨格。奥に見えるのは52型、A1の尾翼が21型の零戦です。
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