旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

航空機博物館

2019夏・河口湖自動車博物館

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年間で1ヶ月、それも8月だけの限定オープンの博物館が河口湖にあります。「河口湖自動車博物館」には2013年8月以来の訪問となりました。前回は時間の関係で「飛行館」のみでしたが、今回は「自動車館」含め約2時間キッチリと見てきました。それでもマニアの諸兄は”2時間では足りん!”と云う方も多いでしょう(笑)。Pt↑)は「飛行館」ですが「自動車館」もこれはこれで凄くて、1886-2000年代の車がビッシリ展示してあります。一世風靡したフェラーリやらランボルギーニやら…。こちらもマニアには堪らないでしょう。
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8月のみのオープンってのは厄介なもんで、夏休みやらお盆やらで気が付くと8月も終わり「来年こそ!」となりかねません。しかしまぁ少しは涼しいかと思った河口湖周辺は35℃もありました(苦笑)。この博物館には約束事があって、館内の撮影はスマホと携帯電話に限られ、他のカメラ類での撮影は不可なのです。スマホの解像度では細部まで写せないのですが、決まりは決まりという事で…。Pt↑)は零戦の21型の空母搭載用に翼端が折りたためるようになっています。明るいグレー塗装の零戦は珍しく、国内での実機はこれだけだと思います。
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前回と違うのは陸軍一式戦闘機・隼の展示が加わっていました。陸軍の隼と海軍の零戦の揃い踏みはワクワクしてしまいます。目の前で見る実機はペラペラ感が強く、極限まで軽量化された機体は”これで大丈夫なのか?”と思ってしまいます。隼の実機は知覧に映画撮影用の3型の実寸模型があるくらいで、恐らく日本ではここだけでしょう。
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どこにもマニアはいるもんで、全くの初対面の方と長々と話し込んでしまいました。8月1ヶ月しかオープンしていない博物館にわざわざ出かけてくるのですからかなり詳しい方でした(笑)。そうは云っても零戦.32型を見に大刀洗へ、紫電改を見に愛南町へ、飛燕を見に各務原へと出かけた身とすれば他人のことは云えません。Pt↑)は三菱の一式陸攻の爆撃機で現存する唯一の機体だそうです。機体譲上方にはロケット式特攻機「桜花」が展示してありますが、1200㌔超えの機体を吊り下げての飛行は相当の無理があったのでしょう。
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自動車館(別料金)も車マニアにとっては垂涎もの展示ばかりでしょう。お目当の飛行館には零戦21型、52型、キ43隼、一式陸攻で、他には93式中間練習機(赤トンボ)、F86ブルーインパルス塗装、ロッキードT33などなどと、博物館の規模などは各務原に譲りますが、個人でこの規模の展示収集には驚きの連続です。残念ですが旧軍機がお目当てなので自動車館は割愛します(笑)。Pt↑)のパンフレット写真とPt↓)で雰囲気だけでも…。
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靖國神社・彗星艦上爆撃機

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靖國神社遊就館の零戦52型展示ホールより館内へ入るのは久しぶりです。遊就館にはペリー来航から太平洋戦争の終結までの日本国が関わった戦争の歴史が展示してあります。徳川~明治の年間は長州史観による展示で納得できない部分も多々あります。昭和の戦争の展示は胸に迫る内容も多く奉納された「花嫁人形」などは涙を禁じえません。写真や手紙など個人による展示の多くは撮影禁止ですが、大展示室だけが撮影が許されています。
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この旧軍機は、「海軍航空技術廠」と「愛知航空機」による艦上爆撃機「彗星一一型」です。零戦や隼に比して知名度の低い旧軍機ですが、陸軍の「飛燕」と同様に水冷エンジン(熱田発動機)を搭載した画期的な機体で同型の「二式艦上偵察機」を含め2253機が造られています。資料によるとこの機体はテレビ局の企画により昭和55年にヤップ島から回収されて復元された機体です。平成28年に再度の修復工事が行われオリジナルに近づけています。旧軍戦闘機以外の艦上爆撃機の展示は珍しく日本唯一ではないでしょうか(?)
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吊り下げられている機体は、ロケット式推進機の「桜花」です。質感が判りづらいのですが恐らくレプリカでしょう。爆撃機の一式陸攻に吊り下げられての出撃模様の展示もありますが、10数回の出撃で桜花搭乗員55名死亡に対し親機の搭乗i員は365名が戦死しているそうです。出撃したら必ず死ぬ為に造られた航空機なんてあり得ない機体があったのです。「狂気」という言葉で終わらせるにはあまりにも悲しすぎます。 Pt↓)これも地味ながら貴重な「九七式中戦車」が展示されています。サイパン島から帰還した車両との事ですが、現在の陸自の一〇式戦車に比べるとトラクター程度にしか見えません。「桜花」と同様”必死兵器”の「人間魚雷・回天」の実物です。
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靖國神社・零戦52型…(2)

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九段の靖國神社。この『靖國』が神社名の正しい表記で『靖国通り』の表記とは異なります。つまりは靖國神社の『靖』のつくりの青の下は「月」ではなく「円」で、國は旧字を使っています。それはともかく、久々に靖國神社遊就館の零式艦上戦闘機52型を見てきました。九州・広島・愛媛・岐阜と旧軍戦闘機を見てきましたが振り出しに戻ってきた感があります。
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[2011.06]の稿でも簡単に触れていますが、この機体は旧ラバウル基地に放置されていた機体を昭和49.年に回収、傷んでしまった部品を他のヤップ島などで回収された機体の部品で補填、20年の歳月をかけて完成させたもので、復元制作者の河口湖自動車博物館より平成14年に寄贈されたものです。零戦は三菱と中島飛行機で1万機以上が造られ、この機体には三菱製である機体番号表記と三菱零戦の塗装がなされています。
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零戦には試作機の十二試艦戦・21型・22型・32型・52型等があり映画撮影用のレプリカを含めると各地に残存している機体は52型が多いようです。大刀洗の32型や河口湖の21型は貴重な零戦といえます。Pt↓)は機体番号表記と主脚部分には製造会社の検査表と取扱い要綱が貼られています。この辺りはマニアの世界に踏み込むことになるのでやめておきます。
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各務原航空宇宙博物館…(4)

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各務原航空宇宙博物館での大本命【陸軍三式戦闘機二型 飛燕】です。これが見たくて各務原まで行ったようなもんで、この形状で展示されている「飛燕」は世界で唯一の機体です。旧軍の戦闘機では唯一の液冷エンジンを搭載しドイツのダイムラー・ベンツのエンジンを国産化した「ハ140 冷却倒立V型12気筒」のエンジンが搭載されています。惜しむらくは当時の日本の技術水準では液令エンジンを充分に活用できず、飛燕も期待されたほどの結果を残していません。
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工場での完成時の状態なのでしょう塗装が施されていません。パッと見に違和感はあっても慣れるとこれはこれで飛燕の美しさをそこなっていません。飛燕は川崎航空機(現川崎重工)により造られ総生産数は一型、二型の計で約3150機です。生産数の少ない二型の一部は空冷エンジン搭載の「五式戦闘機」に転用されています。この機体は各所にある「6117」からキ61飛燕 二型増加試作機の第17号機と特定されています。大戦中は陸軍航空審査部の福生飛行場にあったようです。
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戦後は米軍に接収、横田の美軍基地に展示され1953年に日本に返還され日本航空協会の所属となっています。修復作業が行われ各地で展示された後、九州鹿屋の「知覧特攻平和会館」で展示されました。実はこの頃に知覧でこの機体をみているのですが、当時は迷彩模様が施されていました。2016年の博物館リニューアルと川崎重工業創立120年の記念事業として、この機体の生まれ故郷「各務原」の里帰りとなりました。
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各務原航空宇宙博物館…(3)

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これも各務原航空宇宙博物館の目玉展示(?)とも云えますが、吊り下げられた機体は「十二試艦上戦闘機」で所謂「零戦」試作機です。なんだって資料も写真も少ない試作機を造ったのかは良く判りません。故吉村昭氏の小説「零式戦闘機」によると、零銭試作機は名古屋の三菱重工(愛知航空ミュージアムあたり)で造られ飛行テストには各務原まで振動で狂いが出ないようノロノロの「牛車」で運んだそうです。当時の最新鋭機を牛車でソロ~リと運んだとは笑えます。博物館資料によると1939年4月に各務原で初飛行して試作の1号機とあり、機体ではプロペラは2枚仕上げ、搭載エンジンは三菱製の”瑞星”です。1万機造られた零戦は三菱重工の代表的戦闘機ですが、60%以上が中島飛行機で造られ。また旧軍に制採用された機種は中島飛行機のほうがはるかに多かったことはあまり知られていません。
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博物館に入って最初の部屋に転じてあるのが、世界最初の動力付き飛行機、ライト兄弟による「ライトフライヤー」と複葉機の方は「乙式一型偵察機サルムソン2A2」です。日本国は明治44年4月の所沢飛行場での国内初飛行以来、数十年で当時の世界最優秀気を造りあげました。この偉業に目をつぶって「若者が多く死んだ零戦の展示は戦争の肯定となる」とか「若い人に見せたくない」などという輩はどんな思考回路をしているのやら…。
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各務原航空宇宙博物館…(2)

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各務原航空宇宙博物館のリニューアルに要した費用は約49億円だそうです。地方自治体の管理運営する博物館としてはピカ1ではないでしょうか?博物館内のメインの展示場にはバリエーション豊かに勢ぞろいしています。お目当ては別にあるのですが、この会場を見るだけでも相当の時間が必要です。そんなことで宇宙関連はサラリと見ただけとなりました。
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航空自衛隊仕様のF-104はロッキード社から三菱重工業のライセンス生産です。西側陣営ではアメリカ・カナダ・ベルギー・台湾・デンマーク・西ドイツ・ギリシャ・イタリア・オランダ・ノルウェー・スペイン・パキスタン等で採用された名機中の名機です。並んでいるのは三菱重工は開発した国産初の超音速ジェット機の三菱T-2です。機体の塗装は”ブルー・インパルス”使用です。結果採用にはならなかったT-2から派生したCCV研究機や4発のジェットは航空宇宙研究所が開発した短距離離着陸実験機(STOL)の「飛鳥」です。実験機のため1機が造られたその1機です。
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各務原航空宇宙博物館…(1)

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岐阜県各務原市は100年の歴史を有する現存の日本最古の「各務原飛行場」がある日本の航空機産業発展の街として知られています。その歴史を展示する施設として1996年に「かがみはら航空宇宙博物館」が開設され、開設から20年過ぎた2005年にリニューアル、展示面積9400㎡の通称「宇宙博」として生まれ変わっています。市のHPによると実物の機体が37機と原寸大模型6機、国際宇宙ステーション関連の展示など日本最大規模の航空宇宙産業の博物館となっています。
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同じ傾向の博物館ということで「愛知航空ミュージアム」とのセット入場券なんてのも用意されていました。日本の航空博物館ではどうしても自衛隊仕様の航空機が多くなりがちですが。それにしても露天展示の機体の管理は大変なんでしょうねぇ。監視の目を盗んで部品を盗んでいく不埒なマニアもいるなんて話も聞きます。
屋外展示航空機群は、1)P-2J 対潜哨戒機 (石川島播磨重工のライセンス生産)2)US-1A救難飛行艇 (新明和工業/川崎航空機の国産)3)エアーニッポンのYS-11 4)KV-107ヘリコプター通称「しらさぎ」(川崎重工のライセンス生産)。
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愛知航空ミュージアム…(2)

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日本では旧軍機の保存に関しては恵まれていないようです。愛知航空ミュージアムで展示されていた「零戦52型」は三菱重工名古屋航空システム製作所資料室にロケット戦闘機「秋水」と一緒に保存されているようです。この機体は河口湖自動車ミュージアム(個人)が1983年にヤップ島で回収した機体をレストア後→三菱重工に返却→愛知航空ミュージアムで展示→返還となったようです。現在展示中の機体は2013年の映画「永遠の0」の撮影で使われ、佐賀の有限会社馬場ボディーで精巧に手を加えられた機体です。塗装やジェラルミンの質感など見事に中島飛行機製造と思われる零戦を再現しています。当時1万機以上作られた零戦の60%以上は中島飛行機の製造で、靖国の52型や大刀洗の32型は三菱製ですが他の国内に現存するの多くは「中島の零戦」なのです。緑色の塗料Noやスピンナーの形状が微妙に異なるとかの見分け方や、中島製は水平安定板(尾翼)の下方の塗りが斜めで三菱製は塗りが直線的、機体の日の丸縁取りの幅などがあります。実際はレストア時に変えられていることもあるようで確実とは言い難いようです。
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愛知航空ミュージアム…(1)

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名古屋駅前の”ミッドランドスクエア”前から、あおい交通バスで20分ほど、県営名古屋空港敷地内にある「愛知航空ミュージアム」です。中京圏の航空便の多くは「中部国際空港セントレア」に移り、現在は日本航空とフジドリームエアラインズなる格安航空会社だけの就航のようです。2017.年11月に旧国際線ターミナル跡地に開業したのが「愛知航空ミュージアム」です。建物に入った途端にデンとあるのがPt↑)の消滅した航空会社のMD90の模型です。あの故黒澤明氏監修のレインボーカラーと呼ばれた機体でデザイン違いの全7種の模型が展示してあります。この航空機に携わった身とすれば爆笑ものですが、会社が消滅してもここに姿を残しているのは良い事なのかも知れません。
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さすが三菱重工のお膝元だけに展示航空機の多くは「三菱製」のようです。ごく最近まで「零戦52型」の実機が展示されていたのですが三菱重工に返却されて現在は映画「永遠の0」で使われたレプリカに変わっています。実機の展示の際にはスッタモンダがあったようで、馬鹿県議からの『多くの若者が死んでいった零戦の展示は戦争の肯定』とか阿保な町長の「若い人には見せたくない」などの意見もあったようです。零戦はこの地での当時の工業技術の極致だったのは確かであり、こんな馬鹿県議や阿保な町長が後年登場するとは…。『幻の翼とともに炎の中に消えていった若者たち』が聞いたらなんと思うでしょうか?情けない思いです。それにしてもこのレプリカはジェラルミンの質感などよくできています。
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Pt)はご存じの純国産旅客機YS11の航空自衛隊使用の実機です。その他、三菱製のビジネスジェット(MU-300)や同社のヘリ(MH-2000)の展示なりで結構楽しめます。ショーケースで展示された日本の軍用、民間機取り混ぜたマニア作成の100機ほどの1/25スケール航空機模型は圧巻です。建物屋上からは名古屋空港が見渡せますが、駐機しているのはショボイ飛行機やヘリやらです。辛うじてフジドリームエアラインズがいましたが、ド派手な塗装と機体には”ちびまる子ちゃん”の絵が描かれ、なんだこれの極致です。
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所沢航空発祥記念館…(2)

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中島飛行機製の「陸軍九七式戦闘機」です。汚れ具合といい重量感といい良くできたレプリカです。もともとはテレ朝系で放送された「妻と飛んだ特攻兵」の撮影に使用された機体です。ドラマ自体は見ていませんが、九七戦で特攻とは大戦末期のお話でしょう。九七戦は福岡県筑前町の「大刀洗平和記念館」に日本で唯一の実機が展示されています。所沢は陸軍系の飛行場なので九七戦は不自然ではありませんが、撮影用のレプリカは不要でしょう。知覧では撮影使用された隼三型は屋外での展示でした。
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所沢で陸軍飛行学校設立され、フランスからの教育団の教材としてフランスから輸入、後には日本でライセンス生産された「ニューポール81E2」、Ptはその復元機です。この機体の脇には埼玉県出身の操縦士がランスから個人輸入し大正15年に比企郡都幾川村で破損し村の寺に70年間保存されていた残骸で、ここからこの機体が復元されています。第一次大戦中の複葉機は実に美しい姿をしています。
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ガラスケースに収められた残骸にしか見えない機体は、この記念館で最も重要な「九一式戦闘機」です。昭和6年(1931)に陸軍に正式採用された戦闘機で日本初の独自設計により中島飛行機により制作された機体で、現存する日本唯一の機体です。三菱による零戦は昭和15年(1940)。中島飛行機による一式戦(隼)の正式採用は昭和16年(1941)なので、九一戦から僅か10年で名立たる傑作機を製造したことになります。
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ワザとなのか旧陸軍の航空機模型の名称が見事に間違っています。マニアなら極々常識的なモノですが、どこぞの模型飛行機同好会からの寄贈ですが確認しなかったのでしょうねぇ?恥ずかしい限りです(笑)。この模型は三式戦(飛燕)の水冷エンジンの製造が間に合わなかったため、苦肉の策で空冷エンジンを載せたら好成績で「五式戦」として採用された機体です。四式戦(疾風)の実機は鹿児島・知覧にあります。
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どう見たってポンコツの粗大ごみばかりです。まぁ所沢は知覧の特攻平和記念館や大刀洗平和記念館と違い『特攻/平和』をウリにはできないのでしょうが、それにしてもお粗末な内容です。「ニューポール81E2」や「陸軍・九一式戦闘機」の方が余程貴重な機体なのですが・・。
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所沢航空発祥記念館…(1)

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所沢市の所沢航空記念公園内にある「所沢航空発祥記念館」に2012年秋の”零戦の里帰り”以来で行ってきました。前回は零戦が目的だったのですが、ごく一般的な航空マニアから見ても相も変わらず恐ろしいほど低レベルの展示施設です。事業の母体は埼玉県で、財)埼玉県公園緑地協会と財)日本科学技術振興財団グループともっともらしい財団の運営ですが入館料¥510/大人も払うような内容ではありません。流体力学とか飛翔の仕組みとかの展示もありますが、未就学児童には難しく小学生程度がフライトシュミレーションで喜ぶ程度でしょう。名称からして・・日本初の動力飛行は陸軍代々木練兵場で明治43年(1910)実施のはずで所沢は初飛行ではありません。・・その後、航空技術研究の目的で所沢に軍用気球研究会が設立されたことを持って「発祥の地」と称しているようです。まぁ良しとしましょうか(笑)。
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1階に展示されているのは、恐らくは業者ですら敬遠するであろう飛行機の粗大ゴミです。日本の航空機の発展史とは関連がありません。空自からの払下げで、手前の黄色は「ノースアメリカン・テキサン練習機」・・(昔の戦争映画では零戦の役です)・・。後方にはシコルスキーのS55、バートルV44やヒューズOHなんてのもあります。朝鮮戦争やベトナム戦争に使用された機体で殆どが1970年代に退役したポンコツです。しかも計器等は損なわれています。こんな粗大ごみでもいつの日か”世界で唯一の展示”になるかも知れません(爆笑)。これで「航空ファンの聖地」とは聴いて呆れます。
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国立科学博物館・零戦

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上野国立科学博物館地球館2階にかなり以前から展示されている零戦(レイセン)21型改です。1972年ニューブリテン島沖の海中で発見された機体で、『改』とは通常の機体を複座(2人乗)に改造しています。ラバウル基地で中島製零戦に複数の機体を組み合わせて偵察用として使用されたようです。零戦には500機程度生産された複座の練習機がありますが、現場での必要性から造られた機体です。
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国立科学博物館内は原則写真撮影OKですが、この機体は宙吊りになっていて通常の姿では見えない部分も見え、エンジンのカウリングが外してあるで「栄エンジン」の構造が良くわかります。Pt↓)は福岡県大刀洗平和記念館の「零戦32型」です。旧陸軍飛行場跡に海軍機の展示は妙ですが貴重な32型の機体です。つぎは2012年に里帰りした時の「栄エンジン」登載の飛行可能な52型です。エンジンがすでにポンコツで展示とエンジン音デモだけでした。さらに、8月1ヶ月限定オープンの山梨県の某博物館の21型です。灰白色に塗装された零戦は美しい姿をしています。
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愛南町・紫電改のタカ

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『紫電改のタカ』という”ちばてつや氏”の漫画がありました。調べてみると「少年マガジン」に1963年7月~1965年1月まで連載された作品で、太平洋戦争末期に本土防空戦のお話です。主人公・滝一飛曹の乗機が太平洋戦争末期に400機ほど生産された日本海軍の最強戦闘機『紫電改』です。現在はアメリカに3機と愛媛県南宇和郡愛南町に国内ではただ1機が保存されています。南宇和郡愛南町がどの辺りなのかさっぱり判りませんが、四国へ行くことがあれば何としても実機をみて見たいと思っていました。なにせ世界に4機です。
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この機体は川崎航空機(現新明和工業)が製作した水上機「強風」をもとに陸上戦闘機に改装したのが「紫電」、更に紫電の離着陸性能の向上のため中翼から低翼に変更したのが『紫電改=紫電二一型』です。『紫電改』は全長9.37m(9.12m)、全幅11.99m(11m) *()内はに零銭52型* と数値的には零戦とそう変わらないのですが、実機を見た感じは呉にあった零戦62型より大きく見えます。
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実機は松山の343航空隊に所属、昭和20年7月24日に豊後水道上空で交戦、未帰還となった機体と思われます。昭和53年11月南宇和郡城辺町久良湾の海底で発見され昭和54年7月に引き上げられ、ここ紫電改展示館に翼を休めています。プロペラは着水時に曲がったまま、他の部分も無理に復元したりせず”出来得る限の作業”といった感じで好感が持てます。
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こうした旧軍機の展示については”戦争礼賛”だのと訳の分からんことを言う輩や政党会派もおりますが、我々の先輩達が、当時の世界最高水準の戦闘機を造りあげていたことを誇りに思ってあげたいと思います。
この展示館には実機の他にも興味深い数々の展示があるのですが、実機の迫力の前には・・。この展示館1階フロアは冷房が効いていますが、2階部分まで冷気が届かず、2階に上がると途端にカメラのレンズが曇りだし撮影には苦労するほどの笑い事ではない高温多湿の極地でした。
・パネルには『紫電改』引き上げの模様や強風→紫電→紫電二一型(紫電改)の変遷の展示があります。・展示館の規模はさほど大きくなく『紫電改』だけが展示されています。白のフィットは今回の使用車です。
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大和ミュージアム…(2)

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「戦艦大和」と「零戦」はセットのようなもんでしょうか(?)。Pt↑)は大和ミュージアムに展示されている零戦62型です。他には「九三式酸素魚雷」・「特殊潜航艇・海龍」・「人間魚雷・回天」なども展示されていますが、どうしても零戦に眼が向いてしまいます。この機体は1978年に琵琶湖の海底から引き揚げられ京都の嵐山美術館に展示されていた機体で、機体後方は腐食が激しかったようで復元されています。他の旧軍機体と同様に紆余曲折ののちに大和ミュージアムにたどり着いてここが安住の地となったようです。
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零戦はこの62型(登載エンジンにより63型)が最終量産型で1000機程度が生産されています。胴体に250㎏~500㎏に爆弾を搭載可能として主に特攻機として使用されたようです。主脚付近には30㎏爆弾が装着可能で、火器は主翼に13mm機銃、20mmが各2機。機首には13mm機銃とかなりの重装備です。零戦の運動性能が優れていたとはいえ軽戦闘機に爆装させるとはかなり無茶なことを考えたものです。
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大刀洗・零戦32型

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大正8年(1919)完成の「大刀洗陸軍飛行場」は東洋一を誇る飛行場だったそうです。後、陸軍の飛行操縦教育の拠点(知覧は分校のひとつ)となり、戦争末期には本土防衛の基地となっていました。昭和20年3月。100機以上のB29の空襲により飛行場は壊滅してしまいます。大刀洗の分校があった知覧には「知覧特攻平和会館」があるのですが、本校の大刀洗には何もなかったことから、地元の個人により昭和62年(1987)に資料館が開館。その後、三輪町と夜須町の合併特例債を財源として平成21年(2009)「筑前町立大刀洗平和記念館」として開館しています。
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大刀洗空襲の資料や犠牲者の遺影、撃墜されたB29搭乗員の遺影などが展示してありますが、目玉は平成8年に博多湾から引き揚げられた世界で唯一機の旧陸軍97式戦闘機です。館内は97戦を含め資料関連は全て撮影禁止です。許可されているのは零戦32型だけですが、32型の実機はここだけなので実は貴重です。零戦32型はスピード・アップを図ろうと翼端を切り落とした形状をしています。生産は三菱のみで僅か343機です。
細かい話ですが…。大刀洗飛行場は陸軍さんの基地です。97戦はともかく海軍機の零戦は・・・許します(笑)。零戦の塗装(水平安定板の下)が中島の零戦です。日の丸の縁取りも・・・。32型にはこの組み合わせがあったかも知れませんが。
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Pt↑)の天井の針金細工のようなモノはB29の実寸です。零戦の実機と比べたらやはりデカイです。この記念館でも20分ほどの紹介ビデオが上映されています。お婆さんと曾孫が登場し「昔ここに陸軍さんの飛行場があって」から淡々と物語が進行していきます。東洋一の飛行場、賑わった街、空襲で死んだ友達、壊滅した街の記憶を曾孫に伝えるお婆さん。知覧での「お涙ちょうだい…」とは違った素敵な映像でした。
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特攻平和会館の違和感

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昭和16年(1941)12月知覧町に福岡の大刀洗陸軍飛行学校の分教所となる陸軍飛行場が完成、昭和20年4月からは陸軍の沖縄戦特攻出撃基地となりました。この「知覧特攻平和記念館」の開館は1985年。館内には大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料が展示してあります。特攻作戦で死んでいった多くの若者達の遺影、遺書、絶筆の数々には胸をうつものもあります。時間をかけてみていくと、お涙ちょうだい的な資料映像や展示内容も多く不快感が湧き上がってきてしまいます。戦争マシンとして訓練され、人格を破壊された彼らが何を思って出撃して逝ったのか?後年、戦争の悲惨さを象徴する存在として来館者の涙を誘う事など望んだでしょうか?。現代の物差しや価値観で過去を判断するのはと良いことではありません。昭和20年の日本にそうやって死んでいった若者がいたこと覚えていてあげれば充分ではないでしょうか。『知覧特攻平和会館』の施設名にある”平和”の表現は何か変です(苦笑)。
館内の資料、展示物はすべて撮影禁止です。Pt↓)は昭和55年に鹿児島県甑島手打港から引き揚げた零戦です。・映画「俺は君のためにこそ死にに行く」の撮影用の「隼」三型の模型です。・撮影禁止の為流用しましたが、展示の目玉「四式戦疾風」の実機です。この機は里帰りした年に埼玉県の入間航空ショーで実際に飛行する姿を見ています。紆余曲折の末、知覧に落ち着きますが、飛行不可能な状態になってしまいました160908_02160908_03160908_04

河口湖飛行館の零戦

130828_4130828_5年間を通してほんの一ヶ月しか開館していない博物館が河口湖にあります。『河口湖自動車博物館』は8月のみオープントいう稀な博物館です。左は自動車館の入口で、なんと玄関の上にかっての空自の主力戦闘機”ロッキードF104/複座なのでF104DJ”がデンと置いてあります。こちらには「自動車館」と「飛行館」があり、各入場料が¥1000となっていました。今回は『零戦』が目的なので自動車館はパス、写真右(屋根にF86が見えます)の飛行館のみです。入口には…携帯電話での写真撮影のみ可、一眼デジカメ、Iパッド等のカメラ関係は持ち込み禁止…との掲示があります。キビシイようですが影禁止よりマシです。中に入ると理由は”なるほど”と思います。10人中マニアが7人他が3人という感じで、浅い知識を声高々にひけらかす航空マニアに溢れています。これで3脚&フラッシュを開放したらとんでもないことになるでしょう。まるで体育館の様な館内には、52型&21型の零戦。93式練習機、復原中の零戦、1式陸攻の胴体、1式戦闘機の尾翼部分などが展示されています(靖国神社の零戦はここの出身です) …館内にもなにげに掲示がありましたが、日本にはキチンとした戦争資料館が存在せず、思い浮かぶのが「靖国神社・遊就館」と「知覧・特攻記念館」くらいとは残念な限りです…太平洋戦争中の日本はすべてが『悪』だとしてきた教育によるのでしょうが、思えば馬鹿げた話です。 *博物館は今年も8月31日を持って休館になるようです

左)52型零戦です。これは中島航空機製でした。カウル下方が外されエンジンが見えます。
中)21型零戦です。真珠湾作戦時の塗装になっています。翼端がたためる艦上戦闘機仕上げです。
左)手前が復原中の零戦の骨格。奥に見えるのは52型、A1の尾翼が21型の零戦です。
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所沢航空発祥記念館・零戦

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所沢の「所沢航空発祥記念館」に現存する唯一の飛行可能なオリジナル零戦が来日したと聞き行って参りました。『日本の航空技術100年展』の特別展の一環で2012.12.1~2013.3.31まで、この零戦が特別展示されています。しかしまぁ、ここまで陳腐(!)な展示はないでしょう。高校か中学校の学園祭並みです。パネル表現とチャチな模型。よくもまぁ大仰なタイトルを付けたモンです。調べると…所沢航空発祥記念館の運営母体は”日本科学技術振興財団”とあり、1960年に科学技術水準の向上に寄与することを目的とする民間の中枢機関として設立とあります。北の丸の科学技術館の運営母体とは、これならお粗末さも納得できます。展示航空機がノースアメリカン・テキサン、シコルスキー、バートル・ヘリなどは空自のボロ屑鉄(!)ですし、フライトシュミレ-ターなどPCゲームの方が高度です。何をどう展示して何を学んでもらおうという意図に乏しいようです。この程度の展示で『日本の航空技術100年展』などと、財団は恥ずかしくないのでしょうか?
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さて、零戦です。過去に数回里帰りして日本の空で雄姿を見せてくれた例の機体です。経年劣化で今後の飛行はできないかも知れないそうです。お粗末展示+零戦で入館料¥1000はギリ許してあげましょう(苦笑)。写真は撮り放題で、空いていれば三脚もOKのようです。それにしてもこの展示方法は…疑問です。カウリングを取って使用可能な『栄二一型』エンジンを見せてくれれば良いのに(!)この辺りにも財団の知恵のなさが漂います。航空マニアが何を見たいのか判っていません。『客寄せパンダの役割』を演じるこの零戦が哀れと云えば哀れになってきます。
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左)入口の大看板。零戦の展示がなければ、わざわざ出かける価値ありません。怒りより笑ってしまいます。
中)靖国神社・遊就館に展示の『三菱製』の零戦です(水平安定板下の塗装形状が異なります)。
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靖國神社・零戦52型…(1)

0sen_10sen_2靖國神社・遊就館1Fに「零式艦上戦闘機(零戦)52型」が展示されています。零戦は支那事変から大東亜戦争を通して使用された旧海軍の主力戦闘機で航続距離や運動性など当時としては卓越した戦闘機でした。この52型を含め1万機以上も製造されましたが、ごく僅かな機体しか現存しておらず、オリジナル状態で飛行可能な機体は現存しません(アメリカにある飛行可能な零戦はかなり手を加えています)。日本では現行法律をクリアして飛行可能にするにはかなり難しいようです。因みにこの零戦は平成14年に河口湖自動車博物館より献納された機体だそうです。

近くで見ると「兵器」特有の”美しい姿”をしています。三菱製の機体なので”三菱製を表す塗装”がされています。靖国神社で展示ともなると細部にまで考証を重ねているのでしょうか。=この辺りは”マニア”の範疇ですが‥=
吉村昭氏著の「零式戦闘機」によると、三菱名古屋工場で製造された機体は各務原飛行場まで”牛車”で運搬されていたそうです。他に輸送手段がないにしても、最新鋭の機体を牛が運んでいたとは‥驚きです(!)

靖國神社の「遊就館」は有料施設で見学には2時間程度必要ですが、この零戦の置いてある展示ホール(SLと野砲の展示、喫茶店、売店が有)までは無料で見られます。
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