旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

航空機博物館

2022・河口湖自動車博物館…(3)

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自動館に比べて飛行館は大変に潔い建物になっています。たぶん8月はカーレースには向かない時期なので、8月限定での開館となったのでしょう。手前の赤い車両は消防車でボンネットバスは普通に展示のようです。ともあれ、昨年のように”気が付いたら9月”という事もなく2019年以来で訪れる事が出来ました。
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飛行館の入口には入館には見学の注意事項が掲示されています。カメラ、ビデオカメラ等での撮影は禁止で携帯電話やスマホでの撮影はOKとなっています(自動車館も同様です)。最も一人でやってくるオヤジ連中は間違いなく旧軍機オタクなので、鉄オタのような撮影ポジション争い等などの余計なもめ事は少ないでしょう(苦笑)。
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建物前に懐かしいトヨタのクラウンといすゞのベレットが置いてありました。この2台は売り物のようですが、2台とも”書類なし”になっていて購入しても後々が面倒なようです。旧f型クラウンはともかくいすゞは乗用車から撤退しているので部品の確保にも困難が予想されます。それにしても懐かし車両です。
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かと思えば敷地の片隅に「リンカーン・コンチネンタル」が置いてありました。案内板があるので展示車両と思われます。アメ車だけあってガソリンをぶちまけて走行するアホ車です(笑)。見るからに日本の風土には似合いません。
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浜松エアパークにあったブルーインパルス仕様のF86の機体番号は「966」でした。飛行館の程度の悪くなったF86は「960」なので同時期に運用された機体なのでしょうが、面白いことにはエアパークの室内に展示されているブルーインパルス仕様のF86の機体番号も「966」なのです。こんな事に注目する奴もいないでしょうが…(笑)。
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2022・河口湖自動車博物館…(2)

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「河口湖自動車博物館」には旧軍の復元機を展示する「飛行館/¥1500」と「自動車館/¥1000」の二つの施設があり、入館料も別々です。自動車に関しては「動けば良いっ」程度の興味しかなく全くの猫&小判状態です。自動車館の方が博物館らしく、展示車両も質&量ともに大変なものらしいのですが…(苦笑)。玄関屋根には空自のF-104が乗っています。
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自動車の歴史的変遷から始まるのですが、猫&小判状態でも”ホ~ッ”と思う車両が何気に置かれています。オーナーは日本のレーシング・カーの世界では大変有名な方ですが、自動車に限っても良く収集したものだと思います。Pt↑)自動車の歴史は馬車から始まるのだと妙に納得します。
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何年か前の『三丁目の夕日』の映画にダイハツ・ミゼットが登場していましたが、同年代の日本車が3台並んでいます。懐かしさはあっても興味深くはありません(苦笑)。
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MGって車両でしょう。ハリウッド映画では1930年代のギャング映画に出てきそうな車が並んでいます。どれもがマニアなら垂涎なのでしょうが猫&小判にはその価値は判りかねます。
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ある意味で有名なメルセデス・ベンツのガル・ウィングという変則的なドア閉開のするヤツです。今はなき小樽の裕次郎記念館本人使用のこれ見た時は高身長でないと似合わないと思いました。そういえば力道山も乗っていたような…。
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昔、”ロータスのなんちゃら”という若造が高級車で公道でレースを繰り広げる大間抜けな漫画がありました。ロータスやらフェラーリやらランボルギーニやらのスーパーカー・ブームなる現象もあったような…。pt↑)はそのフェラーリが並んでいます。猫猫&小判には形式も愛称も全く知りません。
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名前程度は知っている、ランボルギーニ・カウンタックて云うヤツです。小学高学年を連れた父親が熱心に解説していましたが、子供は興味がない様子です。恐らく飛行館で零戦をみても同じ反応なのでしょう。

2022・河口湖自動車博物館…(1)

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河口湖自動車博物館の「陸軍一式戦闘機 隼」の復元完了の情報は聞いていましたが、なにせ8月限定開館の博物館なので残念ながら昨年は行きそびれました。今年もら20日を過ぎてしまい頑張って出かけてきました。飛行館に入るとすぐに塗装がされていな状態でのキ-43「隼2型」と吊り下げられた状態での「隼1型」が展示があります。
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このキ-43 6750号機は陸軍飛行第77戦隊で使用された2型で、1944年にニューギニアで米軍に捕獲され性能調査が実施された機体とあります。各務原で展示されている三式戦飛燕と同様の無塗装状態は工業製品としての美しさが際立っているような気がします。上方の1型は主脚部分が欠落しているためこのような展示形式のようです。
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子供のころに読んだ書籍では零戦より隼の性能は劣るとの記憶がありました。現代に続く中島飛行機製作所の工業水準は、当時の軍用機製造としてはトップの会社で多くの軍用機を制作しています。1万機以上が造られた零戦にしても、その多くは中島の工場で造られとおり、特徴的な三菱零戦と中島零戦の見分け方はマニアでは有名なお話です。
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空母搭載機の塗装をされた21型の零戦です。レプリカを含め日本には零戦の展示が各地にありますが、大刀洗の32型以外の多くは52型なので国内(世界?)での21型の零戦はこの機体だけでしょう。博物館の案内では【中島飛行機製 零式艦上戦闘機 21型 91518号機 栄エンジン搭載 90%以上のオリジナル材を使用して復元した世界唯一の21型零戦】とあります。
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博物館資料には【中島飛行機製 零式艦上戦闘機 52型 1493号機 】とあります。エンジンカバーが外され、栄31型エンジンが見られるように展示されています。東京の靖国神社遊就館にも河口湖自動車博物館で復元された52型の零戦が展示されています。
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プラモデルの箱絵で親しんだ小松崎茂氏や高荷義之氏の名前が思い出されました。旧日本陸軍はB29を超える大きさで、富士山の別名の「富嶽」の名称の爆撃機を計画していました。富嶽を擁してアメリカ本土を爆撃作戦を構想したのですから、とんでない事を考えたものです。当然資料などはなく、小松崎氏や高荷氏のイラストから「富嶽」の姿を想像したものです。細かいことは判りませんが、なんと「富嶽」の模型が展示されていました。
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最初に博物館で「一式陸攻」を見たのは10年以上前です。当時は機種部分だけが「一式陸攻」と判別できる状態でした。月日は過ぎて風防ガラスや機体内部が復元され、水平尾翼と最後部の銃座までが復活しています。ここまで何年を要したか、この先は何年を要するのか?楽しみです。
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この機体は【三菱製 一式陸上攻撃機 22型 12017号機】とあり現存する世界唯一の展示機だそうです。爆撃機以外にも特攻機「桜花」の母機として運用されるなど、計2400機が製造されています。双発の航空機なのでこのまま復元作業が進んだらこと4建物には収まらないでしょう(笑)。

浜松広報館・エアパーク…(雑)

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この日は松島基地から防府への飛行途中のブルーインパルスが給油と休憩を兼ねて飛来していました。滑走路が見える場所には大砲望遠を構える人がちらほら。カシオのデジカメでの対抗は無理と云うものです。遥か彼方に離陸する航空機が見えたのですが目イッパイの望遠側撮影です。これは川崎 T-4練習機でしょう。200機以上が造られ現役で運用されています。川崎重工(飛燕)、三菱重工(零戦)、富士重工(中島飛行機=隼)の3社が共同開発した機体です。
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室内に比べて室外展示期はかなりのご老体が並んでします。これはC-46輸送機で1955年にアメリカから供与された機体です。初飛行は1941年で総生産機数は3000機を越え、恐らくは世界の何処かで現役で飛んでいる傑作機です。所沢航空記念公園にも展示されていました。
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1944年就航のH-21はバオアセッキ社(後にバートル社)にタンデム型のヘリコプターです。この容姿から通称「空飛ぶバナナ」と呼ばれ日本では「ほうおう」の相性だったようです。この塗装での展示は他では見られません。所沢航空博物館で殆ど廃材状態での展示は確かバートルV-44に変わった機体です。
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これこそが”なんで?”なのですがナイキミサイルと発射台の展示です。アメリカ製の地対空ミサイルで日本ではその改良型をライセンス生産したモノです。地上からのレーダーによる追尾で目標に到達する仕組みです。Ptにはありませんがそのレーダーも展示されていました。
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流石に模型ですがナイキ・ハ-キュリーズの後継機、パトリオットミサイルの運用模型が展示されていました。以前のある時期に防衛省市ヶ谷台に配備されているのをほんの数10m近くで見たことがあります。戦闘服仕上げの自衛隊員の警備のものものしさには緊張したものです(苦笑)。
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エアパークでの食事は喫茶&軽食だけです。土産&記念品のショップは(PT↑)はありませすが、恐らくは民間の方の経営かと思われます。それにしても昔は¥500程度で楽しめたプラモデル・キットが今は数千円には驚きです。

浜松広報館・エアパーク…(3)

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お目当ての「零戦52型」さえ見ればあとはオマケみたいなモンと思っていたのですが、なかなかどうしてと言った感じです。かなり大きな格納庫状の展示室に機体の展示ほか揺れシュミレッターなどがあり、マニアにはたまらんでしょう。映り込みは避けたのですが同時刻に中学生とおぼしき団体が見学にきていました。そんな時代になったんでしょうか?
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時代が違うので実際はこの4機が並ぶのはあり得ない事です。手前の104号機の上空に零戦が空中展示されています。。地上に並ぶと実機の大きさの差が歴然となるのでしょうが、主脚に不備があって空中展示かも知れません。機体は手前からF-86D、F104J、三菱F-1,F-4が並んでします。
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ノースアメリカン社のF-86D型です。1955年からF型(旭光)は自衛隊の主力戦闘機として400機以上が運用されるのですが、この全天候型のD型(月光)は122機ほどで運用された期間も1958年から1968年の僅か10年間しかありません。意外と博物館などでの展示は珍しいの機体になります。
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玄関前にも同機体がありましたがロッキード社によるF104スターファイーター(日本では栄光)です。個人的には鉛筆みたいな姿はあまり好きではありません。空中戦が巴戦からミサイル攻撃の時代になりマッハ2のそ速度は強みだったのでしょう。当時の採用機候補はノースロップF5やF100スーパーセイバーだっのですが「日本には爆撃機はいらない」との妙な政治判断でF104が採用された話もあります。
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石川島播磨重工がライセンス生産のよりロールス・ロイスエンジンを搭載、機体は三菱重工が製造したT-2型練習機を発展させた戦後初の国産戦闘機がこのF-1です。「支援戦闘機」との分類ですが実際は「戦闘爆撃機」で守備範囲はかなり広いようです。総生産数は77機、1977年に運用が開始され2006年に全機退役しています。
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1960年から世界各国で運用されたマダネル社のF-4ファントムです。空母搭載の艦上戦闘機として開発されベトナム戦争での活躍以降は世界でのベストセラー機となりました。日本だけがライセンス生産が許可され、最終的には日本生産のF-4は本国での機体より性能が上回ったとの話があります。日本では2021年に退役しちますが、この展示期はF-4EJ改の名称で、F-4としては世界最後の生産の機体という珍しモンです。
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こちらはD型に対してF型ぬF-86セイバーで、塗装は初代ブルーインパルスの塗装がなされています。所属する基地は1960年から1981年までが基地基地で1982年以降が松島基地に移っています。我らの年代のブルーインパルスはこの塗装機体で旧オリンピックの時に東京の青空に描かれた五輪マークは忘れられません。
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突然学生団体が大挙してやって来ました。その影響でブルーインパルスの使用機の2代目のT-2(右)、3代目のT-4(左)の写真が乏しくなりました。1982 年11月の『浜松基地航空祭』に於いてT-2を使用したブルーインパルスの一機が墜落事故を起こしたいます。地元ではショックだったようで、今でも浜松でブルーインパルスの話をするとこの墜落の事故の話が登場します。
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派手に塗装された機体はバートル社が開発したV-107機です。1962年より川崎航空機でライセンス生産が行われ日本では海自。陸自、空自の自衛隊で運用されてきました。空自では1967年から運用が開始され、199年の後継機の導入から徐々に退役が始まり2009年に完全に退役しています。

浜松広報館・エアパーク…(2)

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今は廃止となった埼玉県の桶川飛行場の空を里帰りした「零戦」が雄々しく飛行する姿を見たのは1978年(昭和53年)の事でした。1973年(昭和48年)後年に心無い航空ファンにより飛行不能状態になった旧陸軍の四式戦「疾風」が埼玉県の入間基地の空を舞った事もありました。それから折あれば日本各地の保存された旧軍機を訪ねて来ました。そして浜松です…。
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2019 年に各務原の川崎「飛燕」に続いて浜松の予定で、思えば時間が空きました。零戦を展示する施設は日本国内には割と多くあるのですが、当然飛行可能な機体はありません。2012年に所沢に里帰りした零戦(1978年の桶川と同機体)は唯一オリジナル「栄」発動機搭載で事故ったら世界からオリジナル零戦が消える恐れがあり飛びませんでした。
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零戦が保管展示されているのは、東京は靖国神社遊就館、上野科学博物館は??、河口湖自動車博物館(8月のみの開館)には52型と貴重な21型。各務原には十二試艦戦のレプリカ、広島の大和ミュージアムには62型、鹿児島の知覧には残念至極な機体、福岡の大刀洗には超貴重な32型。これらプラス各務原の三式戦「飛燕」、知覧の四式戦「疾風」。河口湖には一式戦「隼」と「一式陸攻」、四国愛南町の「紫電改」があります。あらっ浜松を忘れていました(苦笑)。
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三菱重工名古屋の「大江時計台航空史料室」にも実機が保管されていますが、見学は完全予約制でビデオや撮影は不可とハードルは高めです。愛知航空ミュージアムには映画撮影用のできの良いレプリカが展示してあります。Pt↑)の解説板には本機が昭和38年にグアム島で発見され昭和39年に返還された最初の零戦で、三菱重工でリストア、各地で展示されて最終的にこの地に落ち着いています。塗装等は中島製ではなく三菱製にそった仕上げとなっています。
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天井から吊るされ展示方法で細部が確認できないのですが、一見して妙な違和感を感じるのは何故なんでしょう?どこがどう違うと言われても確証は持てないのですが、機体尾部の形状やプロペラ・スピンナーの形状が違うような気がします。まぁその辺りは航空(零戦)マニアに任せましょう(笑)。
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浜松広報館・エアパーク…(1)

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今回の目的は「浜松広報館・エアパーク」の見学でした。航空自衛隊の基地なので交通の便は良いとはいえません。HPには浜松駅方面からの交通が記載されていますが、浜松駅で確認したところ 1)浜松駅→路線バス/30分→泉4丁目下車→徒歩10分は⇒⇒実際の歩きは20分以上だそうです。2)一日1往復の直行バス便の浜松駅(10:10発)・エアパーク(12:40発)はエアパーク滞在が約2時間と通常の見学なら充分です。3)遠鉄曳馬駅からTAXI利用⇒曳馬駅は無人駅でTaxiはいないそうです。*結局浜松駅から無難な往復Taxi(片道約2600円)を利用しました。
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入館料は無料です。展示施設内の写真撮影はOKです。売店はありますが食事は軽食程度です。所要時間はザッとなら30分、普通に見てなら1時間、+ビデオならそれ以上と興味の度合いによります。偶然、松島から防府へ移動途中のブルーインパルスが以前に所属した浜松基地の来ていました。
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ここから展示機が続きます。コロナ騒動がなければ3年前の各務原航空宇宙博物館の次に来るはずでした。随分と月日が過ぎました。玄関前にはロッキードF104J(栄光)がお出迎え。F104は日本でもライセンス生産され1967年に配備されて、1986年に次世代機F15の配備により退役となっています。
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展示室はいきなりF35のパネルがありあます。現在のベストセラー機で多くの国で配備されています。姿や形は歴代の機体に比べ特異な姿をしています。ステルス性を高めるため”日の丸”でさえ迷彩仕上げとなっています。
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展示機体が多いためトットと進めて行きます。外観こそF16ですがこの機体は三菱重工により改装が行われた支援戦闘機 F1です。対航空機戦闘や対艦戦闘迄こなせる万能戦闘機で「平成の零戦」の異名も伊達ではありません。
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F2戦闘機は三菱重工が製造したT-2型練習機を発展させた機体で、太平洋戦争以降初の日本独自製造の支援戦闘機です。対艦戦闘に特化した性能を有していますが、後継機の配備のより2006年に退役しています。
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何故か毛色の異なる複葉機が展示されています。この機体はイタリア製の複葉機「アルサルド SVA9型」で、1920年にイタリアから飛来しイタリア政府から当時の日本陸軍に寄贈された機体です。という事はかなりのポンコツです。
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これは政府専用機の内部模型です。政府専用機の運行は航空自衛隊が行い、通常は(確か)千歳基地に置かれています。PTは
2019年3月まで使用されたB747-400の内部模型です。現在の政府専用機はB777が使用されています。
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所沢航空発祥記念館…(3)

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所沢航空発祥記念館を訪れたのは2018年2月以来、2012年12月の”里帰り零戦イベント”からすると10年ですねぇ。西武線航空公園駅から検索すると110年前に日本の空を飛んだ「アンリ・フォルマン機」実機の期間限定展示がありというので立寄ってみました。「所沢航空発祥記念館」は1993年4月開館の(財)埼玉県公園緑地協会と(財)日本科学技術振興財団の管理運営する埼玉県県立の施設です。日本での航空機の初飛行は陸軍代々木練兵場で明治43年12月の日野熊蔵大尉と徳川好敏大尉によるもので初飛行は約60mとされます。後にこの地に飛行場的なものが造られ所沢が「航空発祥の地」と称しています。
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このアンリ・フォルマン機は明治44年に徳川大尉の操縦により高度10m、飛行距離約800m、飛行時間80秒の飛行を記録しています。機体は太平洋戦争後にアメリカで保管された後日本へ返却、神田の旧交通博物館で展示、以後は航空自衛隊で保管されていました。令和元年から発祥記念館で展示され契約の終了とともに航空自衛隊に返却されるようです。どこか記憶にあったのですが旧交通博物館で展示されていたのは子供の頃に見た記憶があります(笑)。
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1910年のアンリ・フォルマンの飛行から1937年の零戦の試作機(十二試艦戦)まで僅か27年。技術力の推移をさしおいて置いて”旧軍の戦争道具の展示はけしからん”と情けない意見もあるようでです。数年振りの訪問ですが「航空発祥記念館」のポンコツさには変化ありません。パネル展示には工夫が見られるものの、全体としてのレベルがお粗末すぎます。展示された航空機は何年過ぎてもほぼ変化なしでは子供達は寄り付きもしないでしょう。
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展示機体は廃品処理業者でさえ引き取らないでしょう。黄色の機体「ノース・アメリカン・テキサン」は昔の戦争映画では零戦役で登場。自衛隊が使用したのは1950年代です。シコルスキーやバートルのヘリは、これも現役が1950年代でポンコツはおろか粗大ごみです。屋外で野ざらし展示のカーチスC-46に至っては初飛行が第二次大戦中のシロモノです。唯一の貴重な航空機は昭和6年に陸軍に正式採用された中島飛行機による日本初の独自設計による「九一式戦闘機」で、現存する日本唯一の機体ですが、ガラスケースに入ったまま。復元は無理としてもレプリカの模型ぐらいは…。
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3年ほど前に名古屋の「愛知航空ミュージアム」と岐阜の「各務原航空宇宙博物館」Pt↑)を訪れた事があります。49億のリニューアル予算をかけた各務原は旧軍の三式戦・飛燕をはじめ屋外、屋内の展示はす航空博物館としては日本最大でしょう。九州の大刀洗平和記念館や愛南町の紫電改ミュージアムなどは小規模ながらコンセプトが明確です。埼玉・所沢・公園協会もう少し何とかならないもんでしょうか?
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2019夏・河口湖自動車博物館

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年間で1ヶ月、それも8月だけの限定オープンの博物館が河口湖にあります。「河口湖自動車博物館」には2013年8月以来の訪問となりました。前回は時間の関係で「飛行館」のみでしたが、今回は「自動車館」含め約2時間キッチリと見てきました。それでもマニアの諸兄は”2時間では足りん!”と云う方も多いでしょう(笑)。Pt↑)は「飛行館」ですが「自動車館」もこれはこれで凄くて、1886-2000年代の車がビッシリ展示してあります。一世風靡したフェラーリやらランボルギーニやら…。こちらもマニアには堪らないでしょう。
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8月のみのオープンってのは厄介なもんで、夏休みやらお盆やらで気が付くと8月も終わり「来年こそ!」となりかねません。しかしまぁ少しは涼しいかと思った河口湖周辺は35℃もありました(苦笑)。この博物館には約束事があって、館内の撮影はスマホと携帯電話に限られ、他のカメラ類での撮影は不可なのです。スマホの解像度では細部まで写せないのですが、決まりは決まりという事で…。Pt↑)は零戦の21型の空母搭載用に翼端が折りたためるようになっています。明るいグレー塗装の零戦は珍しく、国内での実機はこれだけだと思います。
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前回と違うのは陸軍一式戦闘機・隼の展示が加わっていました。陸軍の隼と海軍の零戦の揃い踏みはワクワクしてしまいます。目の前で見る実機はペラペラ感が強く、極限まで軽量化された機体は”これで大丈夫なのか?”と思ってしまいます。隼の実機は知覧に映画撮影用の3型の実寸模型があるくらいで、恐らく日本ではここだけでしょう。
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どこにもマニアはいるもんで、全くの初対面の方と長々と話し込んでしまいました。8月1ヶ月しかオープンしていない博物館にわざわざ出かけてくるのですからかなり詳しい方でした(笑)。そうは云っても零戦.32型を見に大刀洗へ、紫電改を見に愛南町へ、飛燕を見に各務原へと出かけた身とすれば他人のことは云えません。Pt↑)は三菱の一式陸攻の爆撃機で現存する唯一の機体だそうです。機体譲上方にはロケット式特攻機「桜花」が展示してありますが、1200㌔超えの機体を吊り下げての飛行は相当の無理があったのでしょう。
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自動車館(別料金)も車マニアにとっては垂涎もの展示ばかりでしょう。お目当の飛行館には零戦21型、52型、キ43隼、一式陸攻で、他には93式中間練習機(赤トンボ)、F86ブルーインパルス塗装、ロッキードT33などなどと、博物館の規模などは各務原に譲りますが、個人でこの規模の展示収集には驚きの連続です。残念ですが旧軍機がお目当てなので自動車館は割愛します(笑)。Pt↑)のパンフレット写真とPt↓)で雰囲気だけでも…。
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靖國神社・彗星艦上爆撃機

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靖國神社遊就館の零戦52型展示ホールより館内へ入るのは久しぶりです。遊就館にはペリー来航から太平洋戦争の終結までの日本国が関わった戦争の歴史が展示してあります。徳川~明治の年間は長州史観による展示で納得できない部分も多々あります。昭和の戦争の展示は胸に迫る内容も多く奉納された「花嫁人形」などは涙を禁じえません。写真や手紙など個人による展示の多くは撮影禁止ですが、大展示室だけが撮影が許されています。
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この旧軍機は、「海軍航空技術廠」と「愛知航空機」による艦上爆撃機「彗星一一型」です。零戦や隼に比して知名度の低い旧軍機ですが、陸軍の「飛燕」と同様に水冷エンジン(熱田発動機)を搭載した画期的な機体で同型の「二式艦上偵察機」を含め2253機が造られています。資料によるとこの機体はテレビ局の企画により昭和55年にヤップ島から回収されて復元された機体です。平成28年に再度の修復工事が行われオリジナルに近づけています。旧軍戦闘機以外の艦上爆撃機の展示は珍しく日本唯一ではないでしょうか(?)
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吊り下げられている機体は、ロケット式推進機の「桜花」です。質感が判りづらいのですが恐らくレプリカでしょう。爆撃機の一式陸攻に吊り下げられての出撃模様の展示もありますが、10数回の出撃で桜花搭乗員55名死亡に対し親機の搭乗i員は365名が戦死しているそうです。出撃したら必ず死ぬ為に造られた航空機なんてあり得ない機体があったのです。「狂気」という言葉で終わらせるにはあまりにも悲しすぎます。 Pt↓)これも地味ながら貴重な「九七式中戦車」が展示されています。サイパン島から帰還した車両との事ですが、現在の陸自の一〇式戦車に比べるとトラクター程度にしか見えません。「桜花」と同様”必死兵器”の「人間魚雷・回天」の実物です。
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靖國神社・零戦52型…(2)

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九段の靖國神社。この『靖國』が神社名の正しい表記で『靖国通り』の表記とは異なります。つまりは靖國神社の『靖』のつくりの青の下は「月」ではなく「円」で、國は旧字を使っています。それはともかく、久々に靖國神社遊就館の零式艦上戦闘機52型を見てきました。九州・広島・愛媛・岐阜と旧軍戦闘機を見てきましたが振り出しに戻ってきた感があります。
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[2011.06]の稿でも簡単に触れていますが、この機体は旧ラバウル基地に放置されていた機体を昭和49.年に回収、傷んでしまった部品を他のヤップ島などで回収された機体の部品で補填、20年の歳月をかけて完成させたもので、復元制作者の河口湖自動車博物館より平成14年に寄贈されたものです。零戦は三菱と中島飛行機で1万機以上が造られ、この機体には三菱製である機体番号表記と三菱零戦の塗装がなされています。
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零戦には試作機の十二試艦戦・21型・22型・32型・52型等があり映画撮影用のレプリカを含めると各地に残存している機体は52型が多いようです。大刀洗の32型や河口湖の21型は貴重な零戦といえます。Pt↓)は機体番号表記と主脚部分には製造会社の検査表と取扱い要綱が貼られています。この辺りはマニアの世界に踏み込むことになるのでやめておきます。
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各務原航空宇宙博物館…(4)

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各務原航空宇宙博物館での大本命【陸軍三式戦闘機二型 飛燕】です。これが見たくて各務原まで行ったようなもんで、この形状で展示されている「飛燕」は世界で唯一の機体です。旧軍の戦闘機では唯一の液冷エンジンを搭載しドイツのダイムラー・ベンツのエンジンを国産化した「ハ140 冷却倒立V型12気筒」のエンジンが搭載されています。惜しむらくは当時の日本の技術水準では液令エンジンを充分に活用できず、飛燕も期待されたほどの結果を残していません。
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工場での完成時の状態なのでしょう塗装が施されていません。パッと見に違和感はあっても慣れるとこれはこれで飛燕の美しさをそこなっていません。飛燕は川崎航空機(現川崎重工)により造られ総生産数は一型、二型の計で約3150機です。生産数の少ない二型の一部は空冷エンジン搭載の「五式戦闘機」に転用されています。この機体は各所にある「6117」からキ61飛燕 二型増加試作機の第17号機と特定されています。大戦中は陸軍航空審査部の福生飛行場にあったようです。
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戦後は米軍に接収、横田の美軍基地に展示され1953年に日本に返還され日本航空協会の所属となっています。修復作業が行われ各地で展示された後、九州鹿屋の「知覧特攻平和会館」で展示されました。実はこの頃に知覧でこの機体をみているのですが、当時は迷彩模様が施されていました。2016年の博物館リニューアルと川崎重工業創立120年の記念事業として、この機体の生まれ故郷「各務原」の里帰りとなりました。
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各務原航空宇宙博物館…(3)

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これも各務原航空宇宙博物館の目玉展示(?)とも云えますが、吊り下げられた機体は「十二試艦上戦闘機」で所謂「零戦」試作機です。なんだって資料も写真も少ない試作機を造ったのかは良く判りません。故吉村昭氏の小説「零式戦闘機」によると、零銭試作機は名古屋の三菱重工(愛知航空ミュージアムあたり)で造られ飛行テストには各務原まで振動で狂いが出ないようノロノロの「牛車」で運んだそうです。当時の最新鋭機を牛車でソロ~リと運んだとは笑えます。博物館資料によると1939年4月に各務原で初飛行して試作の1号機とあり、機体ではプロペラは2枚仕上げ、搭載エンジンは三菱製の”瑞星”です。1万機造られた零戦は三菱重工の代表的戦闘機ですが、60%以上が中島飛行機で造られ。また旧軍に制採用された機種は中島飛行機のほうがはるかに多かったことはあまり知られていません。
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博物館に入って最初の部屋に転じてあるのが、世界最初の動力付き飛行機、ライト兄弟による「ライトフライヤー」と複葉機の方は「乙式一型偵察機サルムソン2A2」です。日本国は明治44年4月の所沢飛行場での国内初飛行以来、数十年で当時の世界最優秀気を造りあげました。この偉業に目をつぶって「若者が多く死んだ零戦の展示は戦争の肯定となる」とか「若い人に見せたくない」などという輩はどんな思考回路をしているのやら…。
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各務原航空宇宙博物館…(2)

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各務原航空宇宙博物館のリニューアルに要した費用は約49億円だそうです。地方自治体の管理運営する博物館としてはピカ1ではないでしょうか?博物館内のメインの展示場にはバリエーション豊かに勢ぞろいしています。お目当ては別にあるのですが、この会場を見るだけでも相当の時間が必要です。そんなことで宇宙関連はサラリと見ただけとなりました。
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航空自衛隊仕様のF-104はロッキード社から三菱重工業のライセンス生産です。西側陣営ではアメリカ・カナダ・ベルギー・台湾・デンマーク・西ドイツ・ギリシャ・イタリア・オランダ・ノルウェー・スペイン・パキスタン等で採用された名機中の名機です。並んでいるのは三菱重工は開発した国産初の超音速ジェット機の三菱T-2です。機体の塗装は”ブルー・インパルス”使用です。結果採用にはならなかったT-2から派生したCCV研究機や4発のジェットは航空宇宙研究所が開発した短距離離着陸実験機(STOL)の「飛鳥」です。実験機のため1機が造られたその1機です。
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各務原航空宇宙博物館…(1)

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岐阜県各務原市は100年の歴史を有する現存の日本最古の「各務原飛行場」がある日本の航空機産業発展の街として知られています。その歴史を展示する施設として1996年に「かがみはら航空宇宙博物館」が開設され、開設から20年過ぎた2005年にリニューアル、展示面積9400㎡の通称「宇宙博」として生まれ変わっています。市のHPによると実物の機体が37機と原寸大模型6機、国際宇宙ステーション関連の展示など日本最大規模の航空宇宙産業の博物館となっています。
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同じ傾向の博物館ということで「愛知航空ミュージアム」とのセット入場券なんてのも用意されていました。日本の航空博物館ではどうしても自衛隊仕様の航空機が多くなりがちですが。それにしても露天展示の機体の管理は大変なんでしょうねぇ。監視の目を盗んで部品を盗んでいく不埒なマニアもいるなんて話も聞きます。
屋外展示航空機群は、1)P-2J 対潜哨戒機 (石川島播磨重工のライセンス生産)2)US-1A救難飛行艇 (新明和工業/川崎航空機の国産)3)エアーニッポンのYS-11 4)KV-107ヘリコプター通称「しらさぎ」(川崎重工のライセンス生産)。
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愛知航空ミュージアム…(2)

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日本では旧軍機の保存に関しては恵まれていないようです。愛知航空ミュージアムで展示されていた「零戦52型」は三菱重工名古屋航空システム製作所資料室にロケット戦闘機「秋水」と一緒に保存されているようです。この機体は河口湖自動車ミュージアム(個人)が1983年にヤップ島で回収した機体をレストア後→三菱重工に返却→愛知航空ミュージアムで展示→返還となったようです。現在展示中の機体は2013年の映画「永遠の0」の撮影で使われ、佐賀の有限会社馬場ボディーで精巧に手を加えられた機体です。塗装やジェラルミンの質感など見事に中島飛行機製造と思われる零戦を再現しています。当時1万機以上作られた零戦の60%以上は中島飛行機の製造で、靖国の52型や大刀洗の32型は三菱製ですが他の国内に現存するの多くは「中島の零戦」なのです。緑色の塗料Noやスピンナーの形状が微妙に異なるとかの見分け方や、中島製は水平安定板(尾翼)の下方の塗りが斜めで三菱製は塗りが直線的、機体の日の丸縁取りの幅などがあります。実際はレストア時に変えられていることもあるようで確実とは言い難いようです。
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愛知航空ミュージアム…(1)

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名古屋駅前の”ミッドランドスクエア”前から、あおい交通バスで20分ほど、県営名古屋空港敷地内にある「愛知航空ミュージアム」です。中京圏の航空便の多くは「中部国際空港セントレア」に移り、現在は日本航空とフジドリームエアラインズなる格安航空会社だけの就航のようです。2017.年11月に旧国際線ターミナル跡地に開業したのが「愛知航空ミュージアム」です。建物に入った途端にデンとあるのがPt↑)の消滅した航空会社のMD90の模型です。あの故黒澤明氏監修のレインボーカラーと呼ばれた機体でデザイン違いの全7種の模型が展示してあります。この航空機に携わった身とすれば爆笑ものですが、会社が消滅してもここに姿を残しているのは良い事なのかも知れません。
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さすが三菱重工のお膝元だけに展示航空機の多くは「三菱製」のようです。ごく最近まで「零戦52型」の実機が展示されていたのですが三菱重工に返却されて現在は映画「永遠の0」で使われたレプリカに変わっています。実機の展示の際にはスッタモンダがあったようで、馬鹿県議からの『多くの若者が死んでいった零戦の展示は戦争の肯定』とか阿保な町長の「若い人には見せたくない」などの意見もあったようです。零戦はこの地での当時の工業技術の極致だったのは確かであり、こんな馬鹿県議や阿保な町長が後年登場するとは…。『幻の翼とともに炎の中に消えていった若者たち』が聞いたらなんと思うでしょうか?情けない思いです。それにしてもこのレプリカはジェラルミンの質感などよくできています。
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Pt)はご存じの純国産旅客機YS11の航空自衛隊使用の実機です。その他、三菱製のビジネスジェット(MU-300)や同社のヘリ(MH-2000)の展示なりで結構楽しめます。ショーケースで展示された日本の軍用、民間機取り混ぜたマニア作成の100機ほどの1/25スケール航空機模型は圧巻です。建物屋上からは名古屋空港が見渡せますが、駐機しているのはショボイ飛行機やヘリやらです。辛うじてフジドリームエアラインズがいましたが、ド派手な塗装と機体には”ちびまる子ちゃん”の絵が描かれ、なんだこれの極致です。
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所沢航空発祥記念館…(2)

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中島飛行機製の「陸軍九七式戦闘機」です。汚れ具合といい重量感といい良くできたレプリカです。もともとはテレ朝系で放送された「妻と飛んだ特攻兵」の撮影に使用された機体です。ドラマ自体は見ていませんが、九七戦で特攻とは大戦末期のお話でしょう。九七戦は福岡県筑前町の「大刀洗平和記念館」に日本で唯一の実機が展示されています。所沢は陸軍系の飛行場なので九七戦は不自然ではありませんが、撮影用のレプリカは不要でしょう。知覧では撮影使用された隼三型は屋外での展示でした。
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所沢で陸軍飛行学校設立され、フランスからの教育団の教材としてフランスから輸入、後には日本でライセンス生産された「ニューポール81E2」、Ptはその復元機です。この機体の脇には埼玉県出身の操縦士がランスから個人輸入し大正15年に比企郡都幾川村で破損し村の寺に70年間保存されていた残骸で、ここからこの機体が復元されています。第一次大戦中の複葉機は実に美しい姿をしています。
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ガラスケースに収められた残骸にしか見えない機体は、この記念館で最も重要な「九一式戦闘機」です。昭和6年(1931)に陸軍に正式採用された戦闘機で日本初の独自設計により中島飛行機により制作された機体で、現存する日本唯一の機体です。三菱による零戦は昭和15年(1940)。中島飛行機による一式戦(隼)の正式採用は昭和16年(1941)なので、九一戦から僅か10年で名立たる傑作機を製造したことになります。
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ワザとなのか旧陸軍の航空機模型の名称が見事に間違っています。マニアなら極々常識的なモノですが、どこぞの模型飛行機同好会からの寄贈ですが確認しなかったのでしょうねぇ?恥ずかしい限りです(笑)。この模型は三式戦(飛燕)の水冷エンジンの製造が間に合わなかったため、苦肉の策で空冷エンジンを載せたら好成績で「五式戦」として採用された機体です。四式戦(疾風)の実機は鹿児島・知覧にあります。
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どう見たってポンコツの粗大ごみばかりです。まぁ所沢は知覧の特攻平和記念館や大刀洗平和記念館と違い『特攻/平和』をウリにはできないのでしょうが、それにしてもお粗末な内容です。「ニューポール81E2」や「陸軍・九一式戦闘機」の方が余程貴重な機体なのですが・・。
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所沢航空発祥記念館…(1)

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所沢市の所沢航空記念公園内にある「所沢航空発祥記念館」に2012年秋の”零戦の里帰り”以来で行ってきました。前回は零戦が目的だったのですが、ごく一般的な航空マニアから見ても相も変わらず恐ろしいほど低レベルの展示施設です。事業の母体は埼玉県で、財)埼玉県公園緑地協会と財)日本科学技術振興財団グループともっともらしい財団の運営ですが入館料¥510/大人も払うような内容ではありません。流体力学とか飛翔の仕組みとかの展示もありますが、未就学児童には難しく小学生程度がフライトシュミレーションで喜ぶ程度でしょう。名称からして・・日本初の動力飛行は陸軍代々木練兵場で明治43年(1910)実施のはずで所沢は初飛行ではありません。・・その後、航空技術研究の目的で所沢に軍用気球研究会が設立されたことを持って「発祥の地」と称しているようです。まぁ良しとしましょうか(笑)。
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1階に展示されているのは、恐らくは業者ですら敬遠するであろう飛行機の粗大ゴミです。日本の航空機の発展史とは関連がありません。空自からの払下げで、手前の黄色は「ノースアメリカン・テキサン練習機」・・(昔の戦争映画では零戦の役です)・・。後方にはシコルスキーのS55、バートルV44やヒューズOHなんてのもあります。朝鮮戦争やベトナム戦争に使用された機体で殆どが1970年代に退役したポンコツです。しかも計器等は損なわれています。こんな粗大ごみでもいつの日か”世界で唯一の展示”になるかも知れません(爆笑)。これで「航空ファンの聖地」とは聴いて呆れます。
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国立科学博物館・零戦

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上野国立科学博物館地球館2階にかなり以前から展示されている零戦(レイセン)21型改です。1972年ニューブリテン島沖の海中で発見された機体で、『改』とは通常の機体を複座(2人乗)に改造しています。ラバウル基地で中島製零戦に複数の機体を組み合わせて偵察用として使用されたようです。零戦には500機程度生産された複座の練習機がありますが、現場での必要性から造られた機体です。
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国立科学博物館内は原則写真撮影OKですが、この機体は宙吊りになっていて通常の姿では見えない部分も見え、エンジンのカウリングが外してあるで「栄エンジン」の構造が良くわかります。Pt↓)は福岡県大刀洗平和記念館の「零戦32型」です。旧陸軍飛行場跡に海軍機の展示は妙ですが貴重な32型の機体です。つぎは2012年に里帰りした時の「栄エンジン」登載の飛行可能な52型です。エンジンがすでにポンコツで展示とエンジン音デモだけでした。さらに、8月1ヶ月限定オープンの山梨県の某博物館の21型です。灰白色に塗装された零戦は美しい姿をしています。
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